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4 てのひら

アジトに戻ったロスは、早々に飯の支度に取り掛かる。

ボスは山賊で、イメージ通りの酒好きだ。

夕食の時間が早いのも、早く酒が飲みたいという理由からである。


「ロスぅ!飯はまだかぁっ!!ブッ殺すぞ!!」


既に飲み始めているボスは上機嫌に怒鳴り散らしている。

上機嫌に怒鳴るというと伝わりにくいかも知れないが、怒鳴っているけれど上機嫌なのだ。


この時間帯で上手く立ち回るコツは、ボスを上機嫌のまま酔わせて眠らせる事だ。

なにより、不機嫌よりも上機嫌でいてくれる方がアジト全体が平和でいい。


上機嫌でも油断は禁物だ、機嫌が良いと思っていた次の瞬間、実は機嫌を損ねていたという事もある。

今はとりあえず上機嫌なボスを怒らせないように、酒のツマミを素早く差し出しておく。


「おうっ!気が利くじゃねぇか!」


「ありがとうごぜぇやす!」


こういう気遣いはボスを怒らせない細やかなテクニックである。

自分がやる必要も無いのだが、他の山賊にボスの機嫌を取る能力が無いせいで、ロスの役割に収まっている。


いつも不機嫌でいられるよりは…と思う面もあり、自分のためにボスの世話が常態化しているのだ。


「下っ端はいつまで経っても大変だねぇ」


ボスの下から戻ると山賊の一人がロスに向かって嫌味を言った。


「心配ありがとうごぜぇやす!」


嫌味をヘラヘラと躱し、ロスは飯の支度を再開する。

こういう嫌味は相手にしても何も得られない。

うまく躱すのが合理的なのだ。


他の山賊とは仲良くする必要も無いので適当な関係を保つようにしている。

ここはアジト兼ネグラとして、約20人の山賊が屯している。


山賊といっても、元々農民の奴や、街で軽犯罪を繰り返して居場所の無くなった奴、襲われてそのまま山賊仲間になった奴等、逸れ者で構成されている。


「ロスぅ、飯早くしろよ!ボスにどやされるぞ!?」


更に別の山賊が、飯の催促をしてきた。

それを適当に返事しながらヒョイヒョイと躱していく。

自分が身を寄せている一味ではあるが、ロスが情を感じているのはボスくらいのものだ。


といっても無いに等しいくらいの情だったが。


だからこそ、一団の外では己を盗賊と言い張り、本心では他の山賊に気を許してはいなかった…というか気を許せなかったのだ。


やり過ぎるのがな…。


山賊一団のシノギを思い浮かべ、少し苦い顔をする。

傍から見れば夕食を作る火の熱気で顔を歪めたと思われるだろう。


料理には当然火を使うが、このアジトは洞穴を利用している。

なので、料理は基本的に入り口の近く…つまり外になる。


ロスは、いつも一人で飯を作り、適当に摘みながら腹を満たしていた。

飯の支度をしている間、手伝おうと言ってくる山賊は一人もいない。

ロスにとって、それはとても都合の良いことだった。

なにせ飯の支度にはメリットが多い。


手間はかかるけれど、料理というのは出来立てが一番美味い。

自分で作ればいつでも出来立てを食べられる。


これは正直なところ役得である。

少しずつ摘んでいれば色々な料理を堪能しつつ満足するまで食べられる。


ボス以外の山賊たちは基本的に飯が足りていると感じるほど、毎日量を食える訳ではない。

飯の支度で得られるメリットを、他の山賊たちに言わないあたりにロスの強かな性格が見て取れる。


「今日は早めに潰れてもらわないとな」


ボスが起きていると、ロスはいつまで経っても小間使いのように呼び付けられてしまう。

そうなれば、あの女の場所に行く時間もどんどん後にズレて遅くなってしまう。


…生意気だったけど…なるべく早く行ってやらないとな…。


生きる為、食べるために盗賊をしているので、食べるため以上の悪事を働くのがロスは好きでは無かった。


例えば人の誘拐や殺人。

山賊と行動する以上、強盗する場合もある。

けれど、それを喜々として行えるような性格をしていなかった。


この世界は優しくない。

あんな場所で女が一人なら、襲われ攫われ犯され売られるのが一般的だ。

しかし、それを運が悪いの一言で済ますのは寝覚めが悪い。

できれば誰も彼もが笑えている方が好きなのだ。


さてと…。

食事の準備が一段落し、ツマミも十分な量を用意できた。

この量は、今日の荷馬車から沢山の食料が手に入ったおかげだ。


あとはボスを酔い潰すだけ…。


ロスは手元の剣を抜き、横に置くと、鞘の形を組み換え、盾と弓を組み合わせた。

出来上がったのはバイオリンに似た弦楽器だ。

バイオリンと呼ぶにはフォルムが美しくないけれど、このご時世で本物のバイオリンなど、貴族でもなければ持っていない。


「よーし!こっから宴会ですぜ!」


「おー!!呑むぞ!!景気の良いやつ弾いてくれや!!」


出来上がった料理を前に、山賊達が盛り上がりを見せる。

ロスは弾き始めからテンポの良い音を奏で始める。


「いいぞ!太鼓だ!!太鼓出せ!!」


「よっしゃ!俺は笛吹くぜ!!」


ロスの音に鍋で作った太鼓が加わり、そこに笛の音が乗っかる。

陽気な音楽に合わせて山賊達は体を揺すり、声を上げ、酒を呑む。


優しく無い世界だが、逸れた者たちにとって酒を飲みながら音楽に合わせて騒ぐ、それは純粋に楽しめる貴重な娯楽だ。


山賊達の気分を更に高揚させる為、ロスは演奏の合間に煽りを入れる。


「今日は潰れるまで呑んじまえー!!」


「おおー!!」


ロスによって意図的に作られていく場の空気だが、山賊たちは疑う事もなく次々に酒を煽っていく。

踊り、歌い、頭を振り、そしてまた酒を呑む。

山賊たちは、心地よい疲労と高揚を全身で感じながら、ロスの思惑通りに早々に潰れていった。






宴会が終わり、酒が回った山賊達は各々自由に過ごし始める。

元々無法者の集まり。

基本行動に縛りは無く、命令が無ければ好き勝手自由に動く集団なのだ。


例外はボスだけ。

ボスは他の山賊の行動を縛り、そして勝手に決める事が出来る。

力こそが山賊の秩序なのだ。


そんなボスも、酒を呑んで潰れてしまえばただの肉塊である。

小間使いのように事ある毎に呼び付けられるロスも、ボスが肉塊になれば自由に動けるようになる。


ボスから聞こえるイビキが自由の到来を告げている。


よし…これで動けるな…。

自由に動けるとはいえ、変に勘繰られるのは避けたい。

なので、他の起きている山賊の目を盗んでこっそりと抜け出そうと洞穴から出口に向かう。


「ん…おぁ?どこいくんらぁ?」


「んぁ?…ちょっとションベン」


酔っ払った山賊に声をかけられ、少しビクッとしたが適当に返事をして誤魔化しておく。

酔っ払っていて、どうせ聞いても明日になれば忘れてしまうだろう。


予定通りとはいえ、外のひんやりとした空気を肌で感じると少しホッとした。

これで、あの女を助けに行ける。


「少し肌寒いか…?」


女に羽織るものでも持って行こうかと考え…思いとどまった。


「山賊のチョッキなんか渡したら、また文句言われるだけだな」


昼間にやり取りした短い時間でも、女の態度は決して友好的とは言えなかった。

あの冷たい澄まし顔が浮かび、余計な事はすまいと心に決めた。


馬車までの道のりは、山賊が使うけもの道を通り一旦街道に出る。

通り慣れた道ではあるが、夜は視界が悪く、地面もデコボコしている。


月明かりを頼りに歩いているが、慣れていても慎重さを必要とした。

慣れていない者が歩けば簡単に方向を見失うだろう。


なにより、久しぶりに一人で夜の森を歩いたが、思っていたよりも暗闇に恐怖を感じた。


いや…一人ならこんなもんか……。

山賊の一団に加わってから、一人で森を歩く事が無くなって久しい。

ましてや夜の森を歩くなど、絶対にありえない事だった。


ちょっと甘かったかな…。

考えていたよりも自分が危険な行動をしている事に気が付いて、早くも後悔が頭をもたげてきた。


とはいえ…。

自分よりも更に不慣れと思われる女に向かって『動かずに待ってろ』と言った手前、自分が不安で怖いからと約束を反故するわけにはいかなかった。


暗い森はたしかに怖い。

これが初めての体験なら、暗闇にゾクゾクと恐怖し、体が竦んで動けないだろうと思う。


今動けているのだって、過去の経験と、この森の地理が分かるからだ。

知らない森ならきっと恐怖で身を隠し、息を潜めて朝が来るのをじっと待っていただろう。


視界の効かない暗闇、得体のしれない虫や鳥の鳴き声、どこに凶暴な動物、魔物、魔獣が近寄っているかも分からない恐怖、風が鳴らす葉擦れの音さえも自分を襲ってくるのではないかと錯覚する。

加えて明るければ考えないような幽霊なんてものすら気になる始末だ。


「なんだこれ!めっちゃ怖いじゃん!?」


改めて考えてしまった事が、あまりにも怖いと思い、気を紛らすために思わず小声で叫んでしまった。


こんなに暗い森に一人か…嬢ちゃん…大丈夫じゃないよな…たぶん…。

主義に反する山賊の仲間になった理由を思い出していた。


一人では危険が多過ぎて食べて寝る事さえ落ち着かないのだ。

一人では常に警戒が必要となり、一時も気の休まる時がないのだ。


そんな時間を多く過ごせばストレスで精神をやられてしまうのは明らかで、それを回避する為に山賊の仲間に加わったのだ。


つまり…。

昼間に初めて出会った女に、この暗い森で動くなと言った自分は、どれだけ無自覚に酷い奴なんだと悔いた。


急ぐか…。

自分の感じる恐怖をなど、罪悪感で誤魔化せばいい…。

ロスはペースを速めた。


ヒンヤリと纏わり付いてくる怖気に負けないよう気を張った。

実際には怖気から逃げているだけだったとしても、目的の女がいた場所に早く着くのならどちらでもいいと思った。


余計な事を考えて気を散らし、ひたすら前に進む。

暗くても怖くても迷わないで進む事はできた。

それでも、昼に移動する場合と比べればどうしても時間が掛かってしまう。


結局、馬車に到着したのは恐らく日付が変わるか、もう間もなく変わる、そのくらいの時間になってしまった。


さて…嬢ちゃんはいるだろうか…?

いる可能性は……10%!

…くらい…か…?


念のため、まだ少し馬車が遠目に見える場所から様子を窺った。

昼間見た女が馬車の周囲にいないか注意深く確認する。


暗闇の中、目を凝らして真剣に探す。


そんな事は無いと思いたいが、ゴブリン…いや、ゴブリンだけじゃなく、他の魔物や魔獣に殺られて転がっている…そんな状況を恐れていた。


もし女が死んでいたら…もしそうであったなら、心の準備も無くいきなり目の前で見たくはない。

女の死体が有っても、遠くからならショックもある程度抑えられる。


近くに行く時だって、覚悟が出来ていれば慌てずに見る事もできるだろう…というか、そうしたいと思っていた。


だから、安易に馬車へ近付くのは下策なのだ。

それに他の賊がいる可能性だってある。


暗い夜、闇の中は静かで…でも虫の鳴く声がよく響いていて…風が木の枝や草を揺らし、草の匂いと葉の擦れる音が森全体を包んでいた。


これは…やっぱりジッとしていると怖いだろうな…。

荘厳な闇の中に、見えないけれど圧倒的な存在感を放つ自然を、人間は恐怖する様に出来ているのだと思う。


それは根源的なもので、人なら生きる為に誰もが備えていて、逃れられないものなのだと思う。


ふと…このような中でジッと待つ自分を想像し、身震いした。


あの時は生意気な奴だと思ったが、女はゴブリンに襲われ、追われ、自分の様な得体の知れない男を前にして、凛とした態度を取っていた。


いま考えるとあれは異常だ…。

肝が据わりすぎている…。

いや…諦めているのか…?


は!?

駄目だ!集中しないと…!


集中していたと思っていたが、気が付けば考え事に気を取られていた。

不意打ちを受けないように耳を傾け、周りの音から集中を切らさないように再度気を付ける。


特に何かの気配がするという感じはなく、ホッとした。

こういう事で足元を掬われて命を落とした奴を何人も見てきたのだ。


女は近くにいないのか…?

それならその方が……。

いっそ何処かに行ってくれていた方が気が楽になるし…。


そう思う反面、やっぱり自分が助けてやりたいという庇護欲も湧いている。

というか本音は助けたいからいて欲しいという願望が大きかった。


仕方ない…少しアクションを起こしてみるか…。

危険を呼びかねないので気は進まなかったが、ロスは思い切って声を出してみる事にした。


「……ぉ、ぉ〜ぃ」


森の静けさにビビって声が思ったよりも出なかった。


反応はない。


声が小さすぎたか…?

でも他の奴に気を付けろって言っておいたし、呼び掛けに答えられても困るけど…。

呼びかけたのが俺って分からないだろうし…ああもう!もどかしいな!!


どうしようか………。





あの男が居なくなり、わりと直ぐに日は陰り始めた。

あの時点で私の取れる選択肢は少なかった。


危険を承知で地の街に一人で戻るか、それとも危険は有るがあの男を信じて待ってみるか。


選んだのは消極的な選択だが、あの男を待つ事だった。

信用はできないが、利用すれば可能性が広がると思ったのだ。


私は男が戻って来るか不確かな中、暗い森の中で息を潜めてジッと待った。

他人を頼るしかない情けなさに耐え、心を凍らせ感情を殺す。


静かだが暗闇の中で虫達の鳴き声はうるさく…煩わしかった。

暗い…。

気を抜けば…怒りを忘れれば…その瞬間、怖気に飲み込まれてしまうかもしれない…。


どれくらい時間が経ったのだろう…。

待つ…久しく無かった事だが、待つのは…やはり好きではない。

いくら待っても全然時間が経っていない…期待するな…期待は自分を弱くする。


待つにしても、私が待つのは夜明け…朝日を待っているのだ…決してあの男なんかじゃない…。


期待しそうになる自分を戒め、ひたすら朝になるのを待つ…どうせあの男は来ない。

来たとしたら私にとって最悪を運んで来るに決まっている…期待するな…。




どれだけ経っただろう…精神的な疲労…思ったよりも自分が疲弊しているのが分かる…耐えろ…朝まで…。




………微かに声が…いや、確かに声が聞こえたような……気がした。

どうせ今回も勘違いだ。

既にそんな気がしたのも何十回目だろうか。


期待するなと言い聞かせているのに…。


自分を強く律しても、どこかで期待してしまう自分がいる…自分の弱さが生み出す幻影や幻聴…もう期待して反応するのにも疲れてしまった。


期待…。

この私が…期待か…。

他人…それも賊の男なんかに期待するなんて…。

酷く情けなくなり気分が落ちてしまった。


「おーい、そこ…誰かいる…か?」


…声!?

今度はきちんと聞こえた。

声もさっきより大きい…。

返事をするべき?

それとも様子を見た方が…?


「……………………」


続く言葉は無く、気配もしない。

はっきりと聞こえたばかりなのに、もう聞き間違いだったのでは?と、自信が無くなってきた。


いや、人はいる…間違いないはずだ…。


そう思いながらも不安を拭えない。

声はかけないし、自分がいる事を悟られるのも怖かった。

だから、気配を消したままジッとしたまま動けない。


まだ、誰が来たのか分からない…。

あの男なのか…それとも違う奴か…。


判断を間違えれば…。

その時は悲惨な末路が待っている。

だから彼女は動けない。

しかし、このままジッとしていれば良いというわけでも無く、彼女は途方に暮れる気持ちを必死に抑えていた…。





やっぱり誰も居ないのか…?

居ないなら居ないで良いんだけど…。


居なくて良かったような良くなかったような気持ちになりながら、ロスの意識は女から離れていく。


せっかくボスを酒で潰してから来たのに…居ないとか…。

ボスの短気を躱すのも大変なんだぞ…。

話の腰も折られまくるし…。


昼間にあった、ボスとのやり取りを思い出していると、自然にボスへの返事を小さな声で口ずさんでいた。


「はい喜んで〜」

「はい喜んで〜」


もはや職業病と言っていいこの返事は、幾度となくロスの命を救っているのだが、礼賛される事は決してない。


ダサいからだ。


そんなダサい言葉が、誰もいない静かな夜の中に吸い込まれていく。


「はい喜んで〜♪はい喜んで〜♪は、い、よろこん、で〜♪」


女は居ない。

けれど、念のため調べて、ついでに馬車の食べ物をもう少し持って帰ろうかと思い近づいて行く。


「はい喜んで〜♪はい喜んで〜♪」


若干ラップっぽく口ずさみながら何が残ってたかな〜とか思い出す。

今あの時の事を思い出すと、恥ずかしくて顔が熱くなる。

完全な黒歴史だ…。





間抜けな言葉…聞き覚えのあるフレーズが無遠慮に何度も私の耳に入ってくる。

この男は何を考えているのだろうか。

リズミカルに、男の口から奏でられるダサいフレーズは私から声を掛けるタイミングを更に奪っていった。


今更出られない…。

何故か聞いているこちらの方が恥ずかしい。

悩んでいる間も、男の声は聞こえ続けている。

そして段々と近づいて来ている…。


正直勘弁してほしいと思った。


「はい喜んで〜♪は、い、よろこん、で〜♪荷馬車の残りは、な、に、が、あるかな〜♪」


「はい喜ん…うわあっ!!」


私が潜んでいた荷馬車を無警戒に覗き込んできた男が盛大に驚き、後ろに飛び退きながら尻もちをついた。


「いったい何を喜んでるのかしら?」


「い、い、い、いたのかよっ!?」


荷馬車の中でジッとこちらを見る彼女の表情は、憐れみを帯びていた。


一方でロスは、あまりの驚きから気持ちを立て直すのに手間取り、尻餅をついたまま口をパクパクさせている。


「お!おま…いたなら返事くらい…!」


「変な奴だと困るじゃない。…変な奴で困ってるんだけど」


「俺は変な奴じゃないっ!」


「こんな夜に変な歌を歌いながら歩いてるのに?」


「うぐっ…」

本当に無かった事にしてほしい…!

誰も居ないと思い、開放的になっていた自分を叱ってやりたい。


「お前、よくまだ生きてられるわね。死にたい気持ちにならないのかしら?」


「…やめて…恥ずかしいから!」


「どんな歌だったかしら?えっと…もう一度歌ってもらえるかしら?」


「だから止め…あぁ!もう!!誰もいないと思ってたのに…」


ロスは羞恥心で膝を抱えて丸まりながら、悶え苦しんでいた。


「あなた…結構いい歳のはずよね」


「だから!この話はもう終わり!これ以上は無し!!」


容赦無い女からの羞恥プレイに、ロスは何も反論できずにタジタジである。

これ以上は堪えられない…と、ロスは身振り手振りで強引に話を打ち切った。





からかい過ぎたかしら…。

反応が面白くて、ついつい追い詰める様な言葉を選んでしまった。

必要以上に怒ってなければ良いのだけれど…。


そう思いながら黙って男の反応を観察する。

すると、ようやく落ち着きを取り戻したのか何事も無かったように男がこちらを向いた。


キリッと表情を引き締めた男は、やはり先ほどの事を無かった事にしようと考えたようだった。


「冗談じゃなく、これからどうするか考えないといけない。分かってるか?」


急に真面目な顔で真面目な話を始めた男の切り替えはとても不自然だったが、私はまあいいかと話を先に進める事にした。


この男…名前は何ていうのかしら…。

「………はい喜んで?」


「!?おまっ…」


強引に戻した話を、更にひっくり返したようになってしまった。

男は羞恥を思い出してしまい、頭を抱えてしゃがみこんでしまった。


「………ふふっ」


静かな夜に微かな笑い声が響いた。


「…笑うなよ………」


「…心外ね…笑ってないわ」


確かに笑ったが、それを認めるつもりはない。


『敵意は無い』

それが私の下した判断だった。


時間が経っても男の態度…残念な男だけどマウントを取ろうとか、高圧的な感じはまったく無い。

私はそれを好ましく思い、意図せず笑い声を…少し出してしまった。

まぁ…認めなかったが…。


「はぁ…まあいいや…。これ、塩で味付けしただけだけど、腹は膨れるから」


ロスはそう言って袋から茹でた芋を取り出して女に渡した。


「ここから少し南に行った所に旧時代の建物が残ってる。今日はそこで夜を明かすといい」


夜を明かすといい…?

投げやりに聞こえる言葉だ。

私の面倒を見るのはそこまでという事だろうか…?


私は男の考えを読み取ろうと注意深く観察するが、男もまたジッとこちらを見ている。

男も、私の考えを読もうとしているようだった。


しかし、ロスから見た女の表情は整ったまま何も変化しない。


「俺の隠れ家だから他の奴らは誰も知らない。今日はそこで寝て、動くのは日が昇って明るくなってからが良いと思う。えっ…と、困ってるんだよな…?」


女が身動きもせず、そして動揺する気配すらしていないので、ロスは自分の考えている女の境遇に、もしかしたら誤りがあるのかもしれないと、急に不安になった。


「困るというか悩んでいるわね」


私にはこの男の考えが分からない…。

男の話しぶりから今日、寝る場所を提供して終わりかと思ったが、明日も何かしら手伝ってくれそうな感じもある。


どういうつもりなのだろうか…?

結局どっちなのかしら…。


「助けはいるか?」


「…………」


悩んでいる私に向かって、男はシンプルに聞いてきた。


どう答える…?

どう振る舞うのが正解…?


長い間、誰にも頼ってこなかったツケか、何も言葉にする事ができない。


「まぁいいか…俺が助けるならまず南の隠れ家に行くのが良いと思う。俺が先を歩くから付いてくればいい」


「…………」


返事を聞かないまま、ロスは状況を先に進める事にした。


こんな愛想の無い私にどういうつもりなのだろう…。

私は益々男の考えが分からなくなった。

とはいえ、この場に残ったのは私だ。

付いて行く以外の選択肢は無い。




返事はしてくれないが…付いて来るんだな…。

愛想は無いし、口も態度も悪いけど…なんか引っかかるんだよな…。

隠れ家までの道中、ロスは特に話す事もなく黙々と歩いた。


一人だと妙に怖かった夜の森も、二人になっただけでかなり心に余裕ができるのだから不思議なものだなと思った。


無言だったが、一人では無いだけで仲間意識が芽生えるのをロスは感じていた。


思えばこの時にはもう、小さな情が湧いていたんだろう。



「この崩れた建物の上の部屋がさ、意外とキレイなんだよ。何と、ドアもあって鍵もかかる!」


到着した建物の前で、ドヤっと女を見るが、相変わらず綺麗で愛想の無い顔をしている。


「斜めの床部分を平らにするのに結構時間かかったんだぜ?」


ちょっとイラッとするドヤ顔だが、無愛想な私の相手を辛抱強くしているのだ。

ドヤ顔くらいは大目に見てやろうと思った。


男の説明通り、建物は斜めに傾いていた。

男が言うには、斜めのままだと居心地が悪すぎたらしい。

それはそうだろう。

言われなくても分かる。


そこで、男は手間ひまかけて床部が水平になるように床を作り直したのだと自慢気に語っていた。

暇なのだろうか…ご苦労な事だ…。


「ここなら安心して寝られるだろ?鍵の使い方はこう…それと部屋に有るものは自由に使っていい…」


説明のあいだも、ロスはなるべく女を安心させようと努めた。

けれど、その表情は一貫して冷めたものだった。


ほとんど反応無いけど…不安…だよな…?


「せっかくだしコーヒーを淹れてやろう。落ち着くし、少量なら意外と質の良い睡眠が取れるんだぜ?」


女の不安を取り除こうと、持ってきた道具を使い、湯を沸かし、手慣れた感じでコーヒーを淹れる。


なるほど…。

私はコーヒーを淹れ始めた男を見て納得した。

この男からコーヒーの匂いがするのはいつも持ち歩いているからなのだろう。


「俺はコーヒーの、この匂いが堪らなく好きなんだよ。君はどう?」


そう口にする男はとても無防備で、対照的に、男を警戒し続ける自分はとても醜いのではないかと思った。

だから…コーヒーに関しての質問に何も答えられなかった。


「うん…いい味…いい香りだ…。別に飲まなくてもいいよ。この香りだけでも効果あるし」


確かに良い香りだ。

男の言う通りリラックス効果があるのかもしれない。

この男がどう感じているのか分からないけれど、感謝の気持ちは伝えた方が良いだろう。


「それじゃあ、次は明るいうちに来るわ。でもやっぱり、このまま去るのも味気ないよな…」


男の言葉に、私は感謝の気持ちはスッと消えた。

やはり体が目的か…。


身構える私を前に、男はリラックスして剣を抜いた。

私の体は更に強ばり、脅されるのかと覚悟した…のだが…、男は剣をそのまま床に置き、何かを組み立て始めた。


「こんな夜、こんな日は滅多に無いだろうし、何か合う曲は…」


「それは何?」


おっ…?

やっと、喋ったな…。

反応した女を見てロスはホッとした。


「これは楽器だよ。娯楽が無いからこれは手放せなくてさ…。まぁ、コーヒーでも飲みながら軽い気持ちで聞いててよ」


この女がどれだけ図太い神経をしていたとしても、自分の助けを利用しなければならない状況ではあるのだろう。

つまり、見た目ほど余裕は無いはずだ。


気を張っているだろうし、少しでも辛い今を忘れられそうな曲…。

夜中だし、楽しいよりも心に沁みる曲がいいか…。


「よし…決めた…これはカノンっていう昔作られた曲なんだけど、聞いたことあるかな?…凄く良い曲なんだ…」

ロスは小さく呟くと、音を奏で出した。

部屋に音が響き渡る。


男の鳴らした音が、壁や天井、床、家具などにぶつかりながら反響し、私の鼓膜を震わせる。

キレイな旋律だと思った。


大きな音は私の胸を否応なしにドキドキさせる。

自分の心を強制的に揺らす音に腹が立った。


楽器が鳴き、私は自分がいま何をしているのか…どこに居て、どんな状況なのか分からなくなる。

音に思考を持って行かれ、自分の境遇を忘れていく。

ただ…男の演奏に耳を傾けさせられる。


卑怯だと思った。

こんな方法で私の心を動かすなんて…。

だけど…このもてなしに、私の心は確かに喜んでいた。


私は聞くのに集中し、飲むのを忘れていたコーヒーを少し飲む。

飲むのに丁度いい温度まで冷めたコーヒーが美味しい…。


上の窓には月が、横の窓からは煌めく星が見えた。

私は、自分が緊張を解かれたと自覚した。


「それ…私にも弾かせて貰えるかしら?」


スカーバラ家の娘として、教養の一つとして私は音楽も習わされている。

男に演奏を聞かされた意趣返しがしたくなったのだ。


「おっ?弾けんのか?それなら聴きたいな…」


男が差し出した楽器を受け取り、軽く仕組みを確かめる。

これなら弾けそうね…。


既に必要の無くなったものが、ここで使えるとは思わなかった。

楽器としては邪道だが、よく出来ている玩具だと思った。


私はおもむろに弦を引き、音を鳴らし始める。

力強く、壮大な音を…。

久しぶりに弾く楽器は、日頃自分を隠している反動からか、ほとんど八つ当たりに近い勢いの音色になっていた。

自分でも思い通りにならない口より雄弁な音が鳴り、私は楽しくなり、一気に弾ききった。


「…ふぅ…満足よ」


ロスは女の様子に少し驚いていた。

力強い音だったな…。


「上手いな…気分転換になった?」


「えぇ…八つ当たりみたいなものだけど、スッキリしたわ…」


少し笑った様に見えた女の顔に、ロスはドキリとした。

い、いや…気のせいだろ…。

今も冷たく澄ました女が、さっき笑ったとは思えなかった。


少しでも気分が紛れたなら良しとしよう…。

音楽は偉大だな…。


「それじゃ、次は明るいうちに来るわ。そうだ…どこに行くのか聞いておかないとな」


「地の街に戻ろうと思ってるわ」


「うわ…地の街かよ…そうか、分かった…地の街なら一人は無理だな…」


…地の街の印象なんて、当時も今も最悪から変わっていない。

とにかく何もかもが駄目な場所で、何も改善しない…そんな場所なのだ。


「戻るのは街の中の方だよな?前線基地じゃなくて…」



含む様な物言いに、この男が地の街、若しくは前線基地にいい感情を持っていない事が伝わってくる。


まぁ…あの街に、好かれる要素なんてまるで無いし…当然かしら…。


「私が戻るのは壁の中の方よ」


私の答えを聞いて、男の表情があからさまにマシになった。

分かりやすい奴ね…。


「そうか…しっかり寝ておけよ?それと芋も食べろ。明日も食い物は持ってくるけどたぶん芋になる」


「…さて、俺がいつまでも居たら休めないだろうし、もう行くよ。鍵が掛かるし、安心して寝られるだろ?じゃあ、また明日…」


ロスは女の返事を待たずに部屋の扉を閉めた。


…あの時、扉を閉める間際、月明かりに照らされた彼女の顔は、微かに不安そうに見えた。


やっぱ不安になるよな…?


ロスは助けてやりたいという気持ちが自分の中にむくむくと湧き上がるのを感じた。


だけど…助けるのは自分が手に負える範囲までだ…。

もしもそれ以上なら…。


見捨てる可能性。

恐らく自分が取る行動…嫌な考えを、ロスは頭を振って誤魔化した…。




男は部屋から出ていった。

私は、また一人になった。

居なくなると途端に不安が押し寄せてくる。

あの男は私の作り出した幻なのではないかと考えてしまう。


「コーヒーの匂い…」


残ったカップとコーヒーが、幻ではなかったと主張している。

私は不安が薄れるのを感じながら、カップに残ったコーヒーを口に運ぶ。


「…冷えてる」


冷たくなったコーヒーは、まるで自分の心情を写しているようだと思った。








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■内容はほぼ同じですが、性的描写を省いていないバージョンです


【R18】因果の否定、混沌の世界でハッピーエンドを渇望する物語



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