20 生活は地味な努力…③/③
ザハグランロッテちゃんの顔色が良い気がする…。
カフェでゆっくりできて嬉しいのかも知れないな…。
ロスはザハグランロッテの様子を見ながらそう考えた。
でも、ちょっとだけ暗い…?
「練習でね、ザハグランロッテちゃんの注文を受けて来るように言われたんだ。だからさ…コホン」
今の状況を簡単に説明し、ロスは仕切り直して声をかけた。
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
頬がだらしなく緩み、自然というより少しデレデレしている笑顔の男が、私の知らない雰囲気で話し掛けている。
知っているのに…知らない顔か…。
制服を着て髪型が少し変わった。
それだけの事でずいぶんと雰囲気が変わるものね…。
私のよく分からない緊張はまだ続いている。
「そうね…紅茶とクッキー…がいいかしら…。いや、お前の良いと思う物を持ってきて頂戴」
そう口にするのが精一杯だった。
「かしこまりました。少々お待ちください」
慇懃に礼をしたロスは、カウンターに戻る途中で私の方にふり返った。
目が合うと、まるで悪ふざけをしたかのような破顔したロスの顔に、私は再度ドキリとさせられた。
「うわー!ロスさんメッチャ素敵じゃないですか!あの女の人も見惚れてましたもん!」
「えー本当に…?」
ザハグランロッテちゃんが…?
それは無いでしょ…。
「でも、ありがとう。そうだったら良いんだけどねー」
カルルの感想に曖昧な返事をしながら、ロスは伝票をぶら下げた。
これで一作業おわり…。
ロスは店内をぐるりと確認する。
その時、またザハグランロッテと目が合ったので手を上げて笑いかけるとプイと視線を逸らされた。
ザハグランロッテちゃんらしいな…。
ロスは彼女の反応がおかしくて愛おしく感じた。
「彼女、ロスさんの何なんです?恋人さんですか!?それとも奥さん!?」
「いや、彼女は大事な人だけど、そういうのとは違うんだよ」
「へぇ、そうなんですね!」
本当によく喋るなこの子…。
「あっ!いらっしゃいませー!」
新しくお客が入ってくると、カルルは話を切り上げ、直ぐに対応に向かった。
明るくて人当たりもいいのだが。
少し元気すぎるな…。
お…また客が…。
「いらっしゃいませ」
更に客が来店し、ロスもお客の対応に向かう。
時間を見ればもうすぐお昼。
続々と客が増え始め、ロスもザハグランロッテに構えないほど忙しくなっていった。
14時、カフェの閉店時間となった。
かなり早い時間だが、これから仕込みをして夜には酒場としてオープンするらしい。
ロスの仕事は、この仕込みが終わる16時までとなっている。
「おう!お前料理の経験があるんだな!こりゃいいや!」
ウエイターと料理のスキル。
ロスの働きに、マスターは大満足し、上機嫌だった。
結局予定の16時よりも早く終わり、ロスは今日の給料を受け取った。
おお…ちゃんとくれたぞ…。
初給料にロスは感慨深くなっていた。
「帰りはスリに気を付けろよ?」
「あ? えぇ、大丈夫です」
マスターの忠告にロスは苦笑する。
スリこそ俺の本職だしな…。
「じゃあロスさん!また!明日からもよろしくね!」
ロスの肩をバシバシ叩きながら、カルルは楽しそうにしている。
カルルから不意に香る…ほのかな汗の匂いに、ロスの意識は強く惹かれた。
6月だし…動いてたら昼間は汗かくくらい暑いもんな…。
いい季節だとロスは思った。
「一緒に働くのがカルルさんで良かった。楽しく働けそうだ…」
「もうやだ!口が上手いんだから!私には飽きた旦那がいるんだからダ・メ・よ?じゃあねー!」
ケタケタと楽しそうにカルルはロスを揶揄った。
そして、直ぐに帰って行った。
「……いつもあんな感じなの?」
「大体はな」
ロスの質問の意図を、マスターは的確に察し、笑顔でそう答えた。
良い職場環境と関係が出来ているのだと想像が付いた。
「酒場のメニュー見たんだけど、俺も食べに来ても大丈夫かな?」
「それは構わんが、お金は払ってもらう。絶対にサービスはしないぞ?」
厳つい笑顔のまま、マスターはそう言った。
「大丈夫だよ、ちゃんと払うし。じゃあ俺もそろそろ帰るよ」
「ああ、明日もよろしくな」
マスターに挨拶をしてロスは店内で待っていたザハグランロッテの所に向かう。
ロスの仕事が終わったのに気が付いていた私は、心の中で迎えを待ちながらソワソワしている。
ソワソワしているくせに、バレるのは許せないので、私は気付かないフリをしてロスを待っている。
近づいて来る。
私は視線を本に落したまま声をかけられるのを待った。
「お待たせザハグランロッテちゃん…。そろそろ帰ろうか」
顔を上げるとロスが嬉しそうな顔をして立っていた。
見れば、手が差し出されている。
視線を上げた時、ロスが嫌な顔をしていなくてホッとし…嬉しそうな顔で私も嬉しくなった。
私は差し出された手を、当然の態度で取った。
暖かい感触とコーヒーの香りがした。
初めての職場で初めての仕事…少し興奮しているのか、いつもよりロスの口数は多かった。
内容は、大半がカフェの仕事に関係するものだった。
「ずいぶん楽しかったみたいね」
少し棘のある事を言ってしまう自分がとても嫌になる。
この口の悪さを直すのはやはりもう手遅れなのだろうか。
私の性格は、成長と共に歪み、成長が止まると共に固まってしまった。
なんで嬉しそうなのよ…。
私の嫌味を聞いても、ロスは困った顔はしても、嫌そうな顔をしたことは一度だって見たことが無い。
それはとても不思議な感覚で…だけど、それはたぶん…単に見逃して貰っているのだと思った。
「ザハグランロッテちゃんがいたから安心して働けたんだよ。いなかったら集中できないし、仕事どころじゃないよ」
本当に…?
仕事中ふらふらと同僚の女に吸い寄せられていたみたいだけど…?
私はロスの言葉を信用できない。
「その割には仕事場の女と楽しそうだったけど?」
言うつもりの無かった言葉が、自分の意思を無視して口から飛び出してしまった。
不安が棘を纏って私の口から飛び出したのだ。
こんな言葉一つでも、刺されば人は離れていく…なのに私は言ってしまう。
今までなら私から去っていく…。
でも…この男は私から離れない…。
でも…いつまで…?
私の中で不安が囁きかけてくる。
小娘が現れるまで、ロスの意識は全て私に注がれていた。
それはロスの言動がそうだったし、私もそれを実感できていた。
だけど…今やこの男の意識は、小娘と仕事にも向けられている。
私はそれが気に入らない。
カルルという女も気に入らない。
私だけ見てればいいのに…。
あれぇ…ザハグランロッテちゃん…ちょっと機嫌が悪い…?
可愛いけど、理由が分からん…!
ただの不機嫌か嫉妬か分からなかったけど、嫉妬と思った方が嬉しいので、ロスは勝手に嫉妬認定した。
そうしている間も、時々ぶつかってくるスリに、小銭の入った袋をスらせながら、引き換えにロスもスリ返していく。
ザハグランロッテにぶつかろうとする奴も、当然いる。
そんな時は彼女を庇いながらスリ返すので失敗して財布が増える事もあった。
「本を返さないとなー」
明日また借りるにしても、借りたまま日を跨ぎたくない。
本屋に寄って本を返したり、ザハグランロッテの服を途中で買ったりしながら宿屋に向かう。
やっぱりザハグランロッテちゃんに尽くすのが一番癒されるなー。
こうやって彼女に構っていると凄く落ち着くんだよなー。
ロスは気付いた。
仕事で構えなかった間、思ったより彼女に飢えていたのだと。
そんな調子で宿屋に着いたとき、ミカド達と鉢合わせた。
たまたま戻った時間が同じだったようだ。
「あ!ロス兄!」
嬉しそうに寄ってくるホセを見て、なんだか尻尾が生えている感じがした。
なんか犬みたいだな…。
「おう、そっちはどうだった?」
「問題なかったよ」
ミカドの様子から、言葉通り問題なかったのだと伝わってくる。
「…どうしたのロスさん、かっこいい。ザハさんズルい! 近すぎる!」
エニアは前髪の上がったロスを絶賛し、手を繋いだままのザハグランロッテに文句を言った。
「いや、これは歩いてたら人がぶつかってくるからさ、離れてると危ないし守りにくいから…」
仕事終わりに無駄な疲労まで増やす必要はない…そういう体でエニアを納得させようとロスは思った。
手は繋ぎたかったけど、やましい気持ちの方は隠したかったのだ。
「うん。まあそうなんだろうけど…そうやって普通に守ってるのが、ね?」
誰も突っ込まなかった事を、ミカドが呆れながらつっこんだ。
「あー、そういう事?いやでも…ザハグランロッテちゃんを守るのは特別じゃないし当然だしな…」
「…私は?」
「エニアちゃんは俺より強いでしょ?」
ロスは握り潰された頭をコンコンと指差している。
ロスの態度にミカドがため息をつきながら間に入ってきた。
「エニア、これはもう病気だと割り切った方がいいよ」
ミカドはそう言ってエニアにアドバイスしている。
なんか…ミカドには残念な奴って思われてる気がするな…。
ロスは自身への評価が不当に定められていくのを肌で感じていた。
「そんな事より俺もう腹減ったー」
興味を失ったホセの言葉で皆が空腹を思い出す。
「…そうだね。お腹…すいたかも」
皆でご飯を食べに行くことにし、この件は有耶無耶に流れていった。




