3 盗賊の本分
5月
「うーん。何かあんまりパッとしないなぁ…」
放置された馬車の荷台を漁りながら、男は不満そうにボヤいた。
「俺の観察力がやっぱり足りないのかぁ…?」
別段高くもない中背な背丈はパッとしない見た目だが、男の服の中は細身で実用的で必要な筋肉しか残っていない。
顔つきはどこにでも居そうな平凡さだが、余分な肉が付いていないせいで何割増しか精悍には見える。
男の名前はロス・グレイブ。
この近辺を縄張りにしている山賊一味に加わった凄腕の盗賊…何を隠そう、俺である。
そんなナイスガイな俺は馬車の荷台を漁りながら溜息をついていた。
「食いもんばっか…」
食べ物は貴重だが、食いきれない量だと腐らせてしまう。
それは非常に勿体無い事で、だからこそ溜息も出てしまうのだ。
「持ち運べて必要な時に必要な物に変えられるし…本当は金目の物がいいんだけどなぁ…」
金目の物であれば腐らないし嵩張らない。
「これ、ボスが納得するかなぁ…」
所属する山賊団には当然ボスがいて、金目の物が無いとたぶん怒る…。
どうしたものかと考えていると、悩みの種が怒鳴り声を響かせた。
「ロスぅっ!!なに油売ってやがる!ブッ殺すぞ!!」
明らかに見た目のおかしい男がおかしな顔で少し遠くから激昂し、声を張り上げている。
これがボスだ。
「へいボスっ!荷台に金目の物はありやせんでしたっ!屋根に隠してないか確認してみやすっ!」
更なる怒りを誘発しないよう、先ずはテキパキと返事をする…これが一番大事なこと。
次いでボスの様子を窺い、自分の行動の最適解を考える。
この場合の最適解とは、ボスの機嫌を損ねない…可能なら機嫌を良くする行動になる。
「何見てんだっ!サッサと屋根を確認しろ!ブッ殺すぞっ!!」
「はい喜んで〜っ!」
短気なボスには素早い返事が必須だ。
返事が若干バカにしたように聞こえるかもしれないが気にしてはいけない。
ボスは頭がおかしいので返事が少しくらい変でも気付かないからだ。
「とはいえ…返事が遅いとホントに死んじゃうからなぁ〜…よっ…と…」
勢いをつけてロスは屋根に登った。
用心深い奴は、大事な物を屋根に隠す事がある。
屋根が2重になっていた、なんて事もあった。
「さて…屋根にはぁ〜何も…無い!ボスぅ!屋根には何も無さそうですぜっ!」
仕掛けも…無さげ…かなぁ…?
荷台の屋根など調べる広さも大したことはない。
叩いたり継ぎ目におかしな部分は無いか、念入りに見ていく。
「ロスぅ!何やってんだ!ブッ殺すぞっ!!」
「はいぃっ!ブッ殺されない様に調べてますぅ!!」
ブッ殺ボスへの返事は素早く。
それがこの山賊団で生きるコツのようなものだ。
それにしても荷物と馬車を置いて逃げるくらいだし…割と大変な事が起こったんだろうなぁ…。
ロスの目は屋根の上から、地面に付いた夥しい量の血痕を眺めた。
おや…?
いま何か…動いた…ような…気が…。
地面に残る血のシミを見ていたロスの目の端、視界の端で何か動くものが映りこんだ…ような気がした。
いつもなら見逃してしまうような些細な違和感だったと思う。足りない観察眼で見つけた、この時の発見と判断を、俺は今でも褒めたいと思っている。
「ボスっ!ちょっと森の中…すぐそこを見てきます!」
「ああっ!?何勝手な事言ってんだ!ブッ殺すぞ!?」
「ボス!殺されたら金目の物を探せなくなっちまいやす!それに、ここには大きな血痕が残ってますからねぇ…直ぐそこに死体があるかも知れねぇんすよ!死体があれば何か金になるものも有るかも知れねぇ」
「何やってんだロスッ!サッサと見てこねぇとブッ殺すぞ!!」
「はい喜んで〜っ!」
ボスの許しに適当な返事をし、森に歩を進めていく。
何かいる…そう確信しながら。
足音が近付いてくる…。
ここまでやっとの思いで馬車まで戻って来たのに…。
運が無い…思い通りにならない…いつも自分の邪魔をする…。
重なる不運に歯噛みするが、それでも…。
動けない緊張の中、体に触れる葉から私は不自然な音を鳴らしてしまった。
んん…何か聞こえたな…。
その音をロスは聞き逃さなかった。
いる…な…?
何か…。
念の為ナイフを抜き、側に生える木にいつでも身を隠せる様に注意しながら進む。
「ガサッ…」
茂みの向こうで誰かが動き、音を立てた。
私は近付いてくる物音に怯えながらも、あえて故意に音を鳴らした。
バレているのなら、ある程度の場所を知らせた方が早い。
私は追われているのだ。
駆け引きに時間はかけられなかった。
大丈夫…うまくいかなくても死ねばいいだけ…。
いつもの様に、そう考えると覚悟が決まる、肝が座る、冷静になれる、私が私でいられる。
甘いような、苦いような…そんな香りと汗の匂いが混じった自分とは違う…他人の体臭が風に乗って私の鼻先をくすぐった。
近いな…。
人か…魔物か…それともただの動物って可能性も………?
相手は恐らく隠れている。こんな時は…素直にやってみると良い風に転ぶんだよな…。
「そこに誰かいる?」
ロスはしゃがみ込み、動きを止めてジッと待つ。
待っていれば、辛抱できずに相手の方が先に動くのを、経験からロスは知っている。
魔物なら直ぐに動く…。
人なら様子を見ようと慎重になるから一度動きが止まる…。
こちらには味方もいるし…優位はひっくり返らないはずだ…。
ロスは動きをピタリと止め、自分の優位を無くさないように注意しながら茂みの向こう注視し続ける。
ジリジリと精神が削れていく感覚と引き換えに、集中力が少しずつ増していく。
こういうの…疲れるんだよなぁ…。
私は何故か動かなくなった『敵』に疑問を感じていた。
どこかに行った…?
いや、それなら音を立てて離れるはず。
それとも私を釣ろうと待っているのだろうか…?
どちらにしても先に動くのは癪に障る。
だから私は絶対に動かないと決めた。
恐らくゴブリンは今も距離を詰めてきているだろう。
それでも…絶対に動いてやらないと決めた。
動きが無い…。
つまり相手は人間の可能性が高い。
厄介だなぁ…どうするべきか…。
ロスは慎重に考える。
「何やってんだぁっ!ロスぅっ!!返事しねぇとブッ殺すぞっ!!」
「はいっ!喜んで〜っ!!」
ボスの声に勢いよく立ち上がり、条件反射で答えてしまった。
あ…しまった隙だらけに…。
体は動かないが、意識は素早く防御態勢に切り替わっていた。
後悔しながら状況を確認し、そこに映る視界に、いくつかの変化を見ることができた。
近くに人が1人…女。
少し遠くにゴブリンが2体…。
これは…追われている…。
って事だよな…。
馬車周辺の夥しい血痕、隠れている女、近付くゴブリン、目に見えた情報、どうしようかと思考を巡らせ始めるロスは、決断した。
この時が、ザハグランロッテちゃんと初めて目が合った記念すべき瞬間だったんだよな。
私は焦れながら…そして『敵』は辛抱強く私の動きを探っていた。
我慢比べだと覚悟したのだが、全てを台無しにする声が聞こえ『敵』はあっさり声と姿を晒した。
臭いから『敵』のいる方向は分かっていた。
かなり近くにいると思ったが、それは予想通りだった。
立ち上がった『敵』と、私は目が合った…合ってしまったのだ。
それはつまり『敵』に自分の姿、位置が正確にバレた事を意味する。
この後だ、この後の行動で私の未来が決まる。
「ボスっ!奥にゴブリン2体!!」
固まる私を見ながら、『敵』は私の存在を伏せた。
その理由は分からない。
私は女で『敵』は男だった。
思い付くのは良くない事ばかりだ。
警戒する私に『敵』は懐から何かを取り出した。
私は平然を装うが、体は強張っていた。
『敵』は、懐から取り出したそれを千切ると一欠片口に放り込み、残りを私にしっかりと見せてから投げ渡してきた。
敵意は無い…そう言いたいのだろうか…分からない…が、油断は絶対にできない…。
「ボスぅっ!!ちょっとゴブリン始末してきやす!!他にもいると危ねえんで!そこにいてくだせぇ!」
男は私を見ながら『その場から動かない様に』という事を、手の動きだけで伝えてきた。
最後に片目を閉じて気持ち悪い顔を見せたのは私を安心させる目的があったのだろうか?
どちらにしても『敵』という認識は変わらない。
…などと考えていたそうだ。
ザハグランロッテちゃんは、出会った時からザハグランロッテちゃんで、最高に孤高で、最高に最高の人だった。
『敵』の気持ち悪い動作に、私は嫌悪感と疑問で動けなくなっていた。
敵意は無いのかもしれない。
が、得体がしれなさ過ぎる…。
もっと警戒しないと…。
そう考える彼女に対して当時の俺は、
敵意全開だなぁ…。
等と呑気な事を考えていた。
ウインクというジェスチャーなら、敵意が無いと分かりやすいよね…という自分なりの友好的な気遣いだったのだが『彼女の冷めきった顔』と明らかにこちらを『見下した様な目』は友好的とは思えなかった。
普通の人なら彼女の反応に腹を立てたかも知れないけれど、ロスはあのブッ殺ボスの下で働いているのだ。
既にその辺の感覚は麻痺していた。
女から冷たい目で見られたまま、ロスは空気を読まずに彼女に話しかけた。
「追われてんの?あのゴブちんに」
近づくゴブリンを気にもせず質問したロスの態度は、女から見て物凄く軽く見えた。
「…………ゴブリン…?」
「………。いやいや、俺はゴブリンじゃないよ!?」
コブちんという単語の後に、自分とゴブリンを交互に見るものだから、ロスはつい抗議の声を上げてしまった。
この時、彼女は最大限に警戒していたのに、それを嘲笑うかのような酷く軽い感じの問いかけだったので凄く腹が立ったのだと、後にボヤいていた。
そんな感じであまりにも呑気な男に、彼女…ザハグランロッテはどうするべきか考えを決めあぐね、質問にも答えられなかった。
失敗したかもしれない…。
私のこの対応は、状況を悪い方向に向かわせる可能性が高かった。
けれど、私の心配をよそに男は気にした様子も無く、それがまた絶妙に私の神経を逆撫でする。
そうしている間にも、ゴブリンは近付いているし、当然男も気がついているはずだ。
余裕の態度を崩さない男に、私は怪訝な印象を抱く。
自信…それとも馬鹿なだけか…。
反応しない私に飽きたのか、ようやく視線を外した男は近付くゴブリンの様子を確認し始めた。
私を追ってきたゴブリンを見ながら、ブツブツと何かを呟いている。
全体的に緊張感の無い雰囲気だけど、少し細めた目は、男が集中しているのだと見抜く事ができた。
ひとまず、気付かないまま殺られるという間抜けを見なくて済みそうだ。
たぶんこのゴブリンども…彼女を追ってきて疲れてるんだろうな…。
明らかに動きが遅い…遅すぎる…。
彼女の方は話し掛けても答えてくれそうに無いし…。
先にあっちを終わらせた方がいいよな…。
「そのまま動かないで」
彼女から視線を外したまま、ロスはゴブリンに向かって歩き、近付いていく。
ゴブリンを見ながらブツブツと呟いている男の姿は不気味だった。
代わりに、眼差しに先程迄の軽さは感じられない。
どうやら真面目に考えると不気味になるのだろう。
考えている余裕があるのかしら…?
と、思っていたら「そのまま動かないで」と言い残し、不意にゴブリンに向かって歩き始めた。
従うつもりは無かったけれど、私はそれを黙ったまま見ていた。
武器は…そりゃ持ってるよな…。
黒っぽいあの木…血を吸って乾いてああなってるのか…?
そうじゃ無かったら…カビ…?
汚ねぇな…。
あぁ…つい考えに雑念が…。
もっとちゃんと見ないと…。
でも…。
こいつらなら振りかぶったのを見てからでもたぶん躱せる…。
頭の中で冷静ぶっていたが、心の底ではビビりの気持ちもかなり大きかった。
当時の俺も今の俺も、自信を持てるほど自分を強いと思えた事は無い。
ビビる気持ちには蓋をして、余裕なフリで自分の自信を取り繕う。
そうしなければ体は硬直し、ゴブリン相手に不覚を取る危険は大きくなるのだ。
傍から見ればそれが落ち着いて見えるのだと聞いたことはある。
けれど、本心はだいたいくたびれてビビっているだけの男なのだ。
とはいえ、この疲れたゴブリンに負ける可能性はかなり低い。
なので安全を考慮した戦いを想定する。
普通のゴブリンならきっと木の棒を振りかぶって叩き付けてくるだろう。
疲れを加味すれば、その動きは単調で対処も容易にできるはず…そう考えた。
ゴブリンが近付いてくる。
悍ましい…私は自分の状況を思い出して体が硬直してしまった。
そうだ…私は死にかけている…。
周りは敵だらけだ。
私を追うゴブリンに、得体の知れない気持ち悪い男、近くにはボスと呼んでいた男、それに仲間もどうせ結構な数いるのだろう。
男がゴブリンに向かっているこの隙に、私は逃げるべきなのだ。
けれど状況的には詰んでいる。
逃げてもこの男の仲間に見つかって捕まるだけだ。
ゴブリンに殺されるか男に捕まるか…最悪の選択しか思い浮かばず、私は陰惨な気持ちがどんどん大きくなるのを感じた。
そんな救いの無い状況で、ふわりと…場にそぐわない香りに意識を奪われた。
見れば、既に男とゴブリンが戦いを始めようと動き出していた。
コーヒー…かな…。
来た…!
ロスの予想通り、ゴブリンは木の棒を振り上げて殴りかかってきた。
動き…鈍い、大丈夫…見える!
予想通りの動きに、振り下ろしの動作までしっかりと見え、ホッとする。
よし!やっぱり遅い!
それに!今日はかなり調子が良いな…!
ゴブリンの攻撃を、体を捻りながらバックステップで躱し、そのままの流れで剣を抜くと、遠心力を利用してゴブリンに斬りつけに行く。
力の流れを使った合理的な動きではあるが、戦闘では隙が大きくて使わない方が断然安全な攻撃だ。
正直なところ彼女に格好つけたい気持ちだけでこんな攻撃をしているのだから、はっきり言って馬鹿である。
狙いは適当…!
でも…!
『ゴリンッ』と鈍い感触がロスの手から腕、そして肩に伝わり、思い切り叩き付けるように斬り付けた動きが、大きな抵抗によって阻害された。
よっしゃ!手応えあり…!!
剣がどこに当たったのか、無駄に回転していたから正確には分からない。
けれど、感触からかなりの深手を負わせたのは分かる。
会心の感触に満足してしまいそうな気持ちを叱咤して、残りのゴブリンに警戒を回す。
そう、ゴブリンは2体いるのだ。
勢いに任せて続けて攻撃するのは危ない。
優位な時ほど慎重に…。
調子に乗って怪我をするのは馬鹿らしい。
ロスは落ち着いて対処する為に一旦ゴブリンと距離を取った。
もちろん彼女の方にゴブリンが行かないように考えながらの移動だ。
俺だって、そのくらいのスキルは持っている…。
下がりながらも情報を得るために視線をあちこち走らせるのを忘れない。
残ったゴブリンが倒れている仲間のゴブリンに向かって木の棒を振り下ろしていた。
ロスにやられて弱っている仲間のゴブリンを、何度も何度も叩き、木の棒を奪って満足そうに笑っている。
うわ…蛮族だなぁ…。
仲間から容赦なく打ち据えられ、武器を無理やり奪われるゴブリンに、多少の同情を感じながらロスは身構えた。
こいつ…やっぱり馬鹿なんだろうなぁ……。
残った方のゴブリンは、木の棒を左右の手に持って二刀の構えを取っている。
二刀流なんて怪力で、しかも達人じゃないと弱くなるに決まってんのに…。
ゴブリンの行動にマヌケさを感じ、思わず気が抜けそうになる。
一対一になると、流石に余裕の感じ方が変わる。
意識して強がっていた部分が、強がりではなくなったのだ。
今の状況なら万に一つくらいしか負けないだろう。
二刀持ちに呆れるロスの前で、自信を深めた様子のゴブリン。
ロスはそれを見ながらゆっくりと剣を上に…大きく振りかぶった。
しっかり見てろよ…?
ゴブリンに見せつけるように、動き出しは凄くゆっくりと…そしてそのまま両手で思い切り振り下ろした!
ゴブリンは木の棒でそれを受けたが、ロスの剣はそれを押し弾いてゴブリンの肩に食い込む。
そりゃ…そんな細い腕で、しかも片手持ち…。
片手持ちの木の棒が両手持ちの剣に勝てるわけ無いだろ……。
肩を押さえながら呻き、隙だらけのゴブリンの心臓を狙ってロスはブスリと剣を突き刺した。
耳障りな呻き声がフッと無くなり…ゴブリンは呆気なく絶命した。
動かなくなったゴブリンに近づいたロスは、そのまま耳を削ぎ、次いで女の方に歩いていく。
さて…これで安全になったと思うけど…。
恐らく警戒は解いてくれないだろうなと思いながら、ロスは出来る限り優しい顔を作ろうと努力した。
私はあっさりとゴブリン2体を倒した男から目を離さずに注意深く観察する。
あれだけ簡単に倒せるのなら、さっきの余裕もうなずける。
それよりも男が手に持った汚い耳が気になった。
「君は、アレに追われてたの?」
「……………」
ニヤニヤした男の顔と口調は戦いの後でも軽かった。
私に悪い感情を持っているならこんなトーンで話しかけられないと思う…だけど、このニヤケ面は意味が分からないし気に入らない…。
ムカムカと腹が立つのだ。
こんな所にいる得体のしれない小汚い男を前に、警戒を解くなんて土台無理な話でもある。
そしてまた、男が手に持っているあの耳が気になる。
汚い…。
接しやすく振る舞ったつもりだったが、彼女は質問に答えてはくれなかった。
その代わりに寄越したのが、汚物を見るような視線だったものだから、多少なりともショックを受けた。
この視線が質問の答えなのか…?
「ロスゥッ!!」
「はい喜んで〜っ!」
「「…………」」
お互いの出方を伺う、割とシリアスな場面のはずだったのだが、ボスの無粋な呼び掛けが全てを台無しにした。
……だが、ロスは無かった事にしてキリッとした表情を作り女に向き直した。
「だっさ…」
「おーい!そこは見なかった事にするのが人としての礼儀ってものじゃない!?」
初めて声を発した女の容赦ない物言いに、ロスは我慢できずに物申した。
「だいいち俺はボスに君の事を隠して…」
「ロスぅ!!」
「はい喜んでぇッ!!」
こちらの都合を微塵も気にしないボスが、ロスの都合をことごとく叩き潰す。
「くっそ…少しは辛抱しろよ…」
流石にボスへの愚痴がこぼれるが、それは誰が見ても仕方ないと言ってくれるはずだ。
「それで?」
仕方ないと言ってくれない彼女が、非常に冷めた顔で…こちらを完全に見下した顔で…話の続きを促してきた。
「おほんっ…つまりだな、ボスに見つかると面倒だから、逃がしてやろうって…」
「ロスぅっ!!何ちんたらしてやがんだ!!ブッ殺すぞ!!」
「はいっ!ボスっ!!ゴブリンを2体仕留めました!!すぐ戻ります!!」
「お前みたいな下っ端の山賊に気を使われるなんて…屈辱ね…」
「………山賊じゃねぇ!おれは盗賊だぞ!!山賊じゃないからな!?」
「……どっちも同じ下衆じゃない」
不毛な会話を交わしながら、お互いの腹を探りあう。
彼女があまりにも警戒を解いてくれないものだから、元々悪意の無かったロスも、なんたかムキになって無害アピールを続ける形になっていた。
……この時の事…かなり大変だったんだけど、そんな俺の苦労を冷めた澄まし顔で見下してくるザハグランロッテちゃん…今思えば最高に好きだったな。
四苦八苦しながら自分に取り入ろうとする男の必死さを見て、ザハグランロッテは男への印象を少し変えつつあった。
どうやら本当に、この男に敵意や害意は無いらしい…。
山賊だか盗賊だか知らないが、要は自分の危険度は低い、そう言いたいのだろう。
そして、この男が組織の中で下っ端なのも判明した。
それでも…。
目的が分からないわね…。
私から搾取しない理由は…?
ボスと呼ばれる野蛮そうな男から匿うのは自分が利益を独占するため…?
やはり…体…?
体…嫌な考えと同時に、自死の考えが浮かぶ。
「と、とにかくボスに見つかると君にとって良い事は絶対に無い!だから大人しくしといてよ!?」
仲間にバラす気がない…?
なぜ…?
ザハグランロッテは、男の考えが読めずに疑念は益々大きくなっていく。
理解ができない…狙いが分からない…。
この男のメリットは何…?
身代金の独り占めでも狙ってる…?
不信感は更に大きくなる。
それとも油断させる事が目的…?
「なあ…その変質者を見るような目はやめてくんない?自分では割と耐性有る部類の人間だと思ってたんだけど、案外傷つくみたいだからさ…」
「盗賊にそんな繊細な感情があるはず無いでしょう」
「おま…だからさ、」
「ロスぅっ!!今すぐ戻ってこい!!ブッ殺すぞ!!」
「はい喜んで〜!」
「「…………」」
「だっさ…」
「と!とにかく!家に帰りたかったら大人しく待ってろよ!?夜、かなり遅くになるかもしれねぇけど、後でまた来てやるから!」
「恩着せがましいわね」
「たく…可愛くねぇな…」
可愛げの無い態度なのに…ここに居る理由が無くなって喜ぶ場面なのに…離れ難い気持ちが湧き上がって少し混乱したんだっけ。
「ロスぅっ!!」
「いま戻りますぅ〜!」
「いいか!他に人が通っても近付くな!信用するなよ!いいな!?俺は盗賊だし、小悪党だけど…小物なんだよ。だから人がガチ不幸に落ちるのを見るのは嫌なんだよ!いいか、馬車の近くだぞ?」
女から見て、男の見た目は変化しなかったが、その声色は懇願しているように聞こえた。
圧倒的に優位に立つ男の方が何故か頼み込む異常な状態だった。
ボスと思われる声に急かされた男は、まだ何か言いたそうにしていたが、私の前から離れ、茂みの中に消えて行った。
どれだけ考えても男の狙いが分からなかったが、最後の言葉は合点がいった。
「要するに、小心者のヘタレって事ね…」
本人が聞いていれば間違いなく憤慨する言葉を口にして、次に男の言葉を思い返して考える。
ここで待つ…?
本音を言えば『冗談じゃない!』という気持ちしかない。
ここはゴブリンに襲われた現場なのだ。
他のゴブリンが戻って来るかもしれないのだ。
それに…。
一人になったザハグランロッテはこれからどうするか考える。
あの男は…信用できない。
いや、あの男というか…男の仲間に私の事が漏れる…気がする…。
でも…利用は…あの男が他の奴に喋らなければ、そうすれば街に戻る道具として利用できる…?
一人でも、街を目指すだけなら…出来る…と思う…。
けど…。
地の街、その前に広がる前線基地を思い出して考えを改める。
ダメだ…あんな所に一人なんて…。
そもそも護衛を付ける理由の大半は、前線基地を無事に抜ける為のものなのだ。
どうにもならなければ死ねばいいが、足掻けるうちは諦めたくは無かった。
どうしよう…。
正直難しい問題だ。
どんな答えを選んでも運の要素が強過ぎるのだ。
答えを出せない私は、最後に男が残していったコーヒーの香りを思い出していた。
「ボス!ほらゴブリンの耳を削いで来やしたぜ!!」
「うわっ!お前っ!!汚ねぇもん見せんなよ!ブッ殺すぞ!!」
ボスも十分汚いけどね…。
彼女との話を邪魔された腹いせにと、ゴブリンの耳を近付けてやった。
予想通り嫌がったので、少しだが気は収まった。
「サーセン。ただ、ゴブリンがいてこの状況ですからねぇ…この馬車は群れに襲われたんでしょうねぇ。て事はサッサとアジトに戻った方が良いと思いやすよ」
「そうか、ならサッサと帰る準備しろやぁ!ブッ殺すぞ!!」
うまくボスを誘導することが出来た。
ロスは馬車の食料を持てるだけ抱え、その場を後にした。
あのお嬢さん…大人しく待ってればいいけど…まぁ、いなかったらそれまでだよな…。
「俺は盗賊だし、人様の余った富を掠め取るのが仕事。それ以上も、それ以外も盗賊の本分から外れてる…」




