18 再出発…①/③
5月半ば
「あ、ザハグランロッテちゃん!お帰りっ!さあさあ、こっちに横になって!準備できてるから!」
水浴びから戻ると、テーブルの上に藁葺と布が綺麗に敷かれ、その隣には湯気を上げるタライが設置されていた。
この男はまた…何をするつもりなのかしら…。
用意された物が自分に害を与えないであろう事は分かる。
けれど、知らない事に対して尻込みするのは当然の反応だろう。
「何よこれ…」
「これ…?これはザハグランロッテちゃんの髪を洗わせてもらおうと思って準備したんだよ!」
早く洗いたいのか…ロスの様子はそわそわして落ち着きがない。
このタイミングで…?
「今…水浴びしてきたのに?」
私はいま戻ったのよ…?
髪も洗ったし、そんな気分じゃないんだけど…。
水浴びは冷たい川の水に浸かる。
さっぱりするけれど、楽しくもないし体力だって奪われる。
だからザハグランロッテは、てっきり温かい飲み物や食べ物が出てくるのだと思っていた。
期待外れね…それに…。
2人の時と違い、今は余計な奴らが増えている。
見世物のようにジロジロと見られるのは良い気分にはならない。
はぁ…。
ザハグランロッテは嘆息を漏らし、ロスの願いを拒否しようと口を開きかけた。
「え…何それ、羨ましい…」
その声にザハグランロッテは反応し、視線は勝手にエニアへと向かった。
そして、エニアの表情が視界に入り…
ザハグランロッテの気は変わった。
「まあ髪くらい好きにしたら」
結局…拒否しようと開きかけた口から出たのは最初と真逆の言葉だった。
「やった!」
そんなに嬉しいものかしら…。
ザハグランロッテの許可に、ロスは大袈裟に喜び、テーブルの上に横になるよう促してきた。
「タオルを乗せるけど大丈夫だから、安心して…リラックスしてね」
よく分からなくて黙っていたら、顔の上にタオルが被せられた。
温かい…。
蒸気がシットリと皮膚を覆い、張り付くような…吸い込まれる感覚と、痺れるような心地良さが、水浴びで冷えたザハグランロッテを温める。
温かい飲み物や食べ物で期待を外されたザハグランロッテも、このもてなしは想像していたより悪く無いと思った。
というか極楽ね…これ…。
「それじゃ、始めるね」
まだ始まっていなかったのかと思うザハグランロッテの、後頭部が少し熱めのお湯に浸かる。
何これ凄く気持ちいい…。
ザハグランロッテの満足を他所に、ロスの手はそのまま髪の毛を梳かし、丁寧に何かしているのが伝わってくる。
とても心地良く、満足感が高い…けれど、ザハグランロッテはタオルの下で澄まし顔を崩さない。
されるがままにしていると、陰っていた日が顔を出したのだろう…身体を温め始めた。
頭に集中していた心地よさが身体全身に広がり、そして心まで癒やされていく。
寝て…しまいそうだわ…。
手の平の感触が頭に伝わってくる。
優しく刺激していたロスの手の形が、指先がメインに変化して頭を優しく掻き始めた。
指先の腹を当てているのだろう。
痛くはない、気持ちいい。
頭皮を細かく掻く動きと圧力。
水浴びで冷えて縮まった血の流れが、温められて広がり、力強く流れだす。
そしてどんどん熱を帯びていく。
「どこか痒いところはない?」
「ない…わ。大丈夫よ」
「良かった。一度、顔のタオルを取り替えるね」
冷えてきたタオルが替えられる。
その瞬間、新鮮で冷たい空気を吸い込み、また温かなタオルに私の顔は包まれた。
この温かいこのタオルが、私を夢見心地に誘っているのだろう。
「ザハグランロッテちゃんは髪も肌も本当に綺麗、心も綺麗だしね」
「………」
始まった…この男は暇があれば私を褒めそやす。
家が落ちぶれてから、つまり幼少期から誰にも褒められなくなっていた私を…。
褒められれば嬉しい…。
当然の事だ。
それが表面上では無く、本音の言葉だと感じるなら尚の事だった。
頭と髪を丁寧に洗われながら、言葉で心まで癒やしてくる。
この男は本当に意味が分からない。
私のどこに尽くすような…そんな価値があるだろう…。
体を許した訳でもなく、愛想も態度も悪く、優しくした覚えもない。
口は悪く、文句やわがままも言う。
褒められる性格じゃないことも自覚している。
この男は私を買いかぶっている…。
「髪が凄く綺麗になった…。いや、ザハグランロッテちゃんの髪の実力が出た感じかな…」
ロスの独り言を軽く聞き流しながら、髪が洗い終わったのだと理解した。
もう終わったのかぁ…。
ザハグランロッテは名残惜しい気持ちでボーッとしたまま…夢見心地からまだ覚めていなかった。
動きたいと思えなかった。
その間も、ロスの手は休まない。
濡れた髪が布で挟まれ、髪に付着した水分が布に優しく吸い取られていく。
ザハグランロッテはされるがまま…。
全てを許している…。
この男は、いつまでこんな扱いを続けるのだろうかと思いながら…。
ロスが小さな器に入った液体を手に取り、ザハグランロッテの髪に丁寧に塗り広げる。
「これは木の実から採った油なんだ。髪がしっとりサラサラになるよ。取り替えたタオルにも使ってるんだよ」
そんな物をいつ…?
ロスの説明を、ザハグランロッテは夢見心地の中…ボーッとしたまま聞き流す。
私の髪の間を、指が優し気な感じで通っていく。
手の平で挟まれスーッと伸ばされた髪の毛は、艶々と健康的で…太陽の光を強く反射していた。
これが私の髪…。
「後は自然に乾かしたら完成…だけど、最後に…」
ロスは仕上げに櫛を通した。
ザハグランロッテは、自分の髪が真っ直ぐ伸び、信じられないくらい艶が出ているなとぼんやり考えていた。
実家に居たときでも、ここまで整った事は一度も無かった。
全て終わったのだろう、ロスに補助されザハグランロッテは身体を起こした。
あら…いつの間に…?
起き上がって椅子に座ったザハグランロッテの前に、コーヒーが用意されていたのだ。
どうやら風向きで匂いに気が付かなかったらしい。
コーヒーから美味しそうな匂いと湯気がゆらゆらと立ち上がっていた。
「はい、髪は完成!」
「髪は?」
このコーヒーを飲んで終わりと思ったザハグランロッテは、ロスの言葉尻から感じた違和感をそのまま口にした。
「そうだよー。まだ足りないからさ、コーヒーが冷めるまでもう少し…今度は顔を拭かせてくれるかな?」
そう言いながら、ロスはザハグランロッテの顔をタオルで優しく拭い始めた。
これ以上は無いだろうという繊細さで、ザハグランロッテの顔が丁寧に拭われていく。
このタオルにも何か使われているのだろうか…?
拭かれたところから、顔の潤いが増しているのを感じる。
「次は足を出してくれる?」
「嫌よ」
水浴びで綺麗にしたとはいえ、私は強い拒否感を感じていた。
足も当然綺麗にした。
絶対に臭くない…。
そう思っても、これまで異常に匂いを好む言動を、恥じらいも無く…この男は度々見せているのだ。
ザハグランロッテはそれがとても嫌だったけれど、生理的な嫌悪までいかない自分もいて…いつも複雑な気持ちになっていた。
気に入らない…。
まぁ…今なら大丈夫よね…。
少し恥ずかしかったけれど、彼女はロスの前に足を差し出した。
「コーヒー、温かいうちにどうぞ」
私の足は、別に用意してあった湯に浸けられ、優しく揉みほぐされた。
「…ん、くすぐったい…」
「ああ、ごめん」
ごめんと言いながら、止める様子が見られないのが腹立たしい。
一通り揉みほぐして、満足したのだろうか…突然動きが止まった。
「おいおい、暇なら見てないで狩りにでも行ってこいよ」
そういえば居たんだった…。
私の背後にいた余計な奴ら…。
この男が私にしか意識を向けないので、私も完全に存在を忘れていた。
「お…おぉ、そうだな…こんなの見せられても仕方ないよな!」
呆けていたホセが、ロスの作る非常識な空間から現実に帰ってきた。
「あ、あぁ…そうだな…」
ミカドも頷いて、狩りの準備を始めた。
ホセとミカドがそそくさと狩りの準備を済ませると、2人はエニアを連れて外に向かった。
「…いいなぁ…あれ」
小娘…。
羨ましい…?
そうでしょうね…。
ザハグランロッテは、これまで感じたことの無い優越感を感じ、気持ちが高揚すると同時に、小さな焦りが生まれるのを感じた。
羨ましく思う気持ちは理解できる…。
ここまで尽くしたがる男は珍しいから。
だけど…。
お前には二人もいる…。
私には…いつかこの男も私の前から居なくなるだろう…。
それは案外早いのかもしれない…そう考え、ザハグランロッテは少し惨めさを感じた。
そんなザハグランロッテに、ロスは全く気付かないまま…更に尽くしていく。
「肩、思ったより凝ってる…ザハグランロッテちゃん、もしかして疲れてる?無理させてたかな…」
「別に…」
私は疲れているし、無理もしている。
けれど、それはこの男の責任とは違う。
「痛くない?」
「…大丈夫よ」
やはり…。
人から気遣われるのは嬉しい…。
心地が良い…。
余計な奴らが外に行ったので、ザハグランロッテは喜んでいた。
人目があるとどうしても気になる。
それが2人なら雑念が入らず、尽くされてもひたすら嬉しいと感じるだけだ。
だから、人が増えた今の現状がザハグランロッテはあまり好きではなかった。
いつまで…。
いつまで飽きずに…一緒に居てくれるのだろうか…。
心地良さを味わう度に、失った時のことが怖くなる。
そんな自分の事ばかり考えている私に…この男はいまも気を使ってくれるのだ。
「慣れない旅で疲れてるだろうけど、ザハグランロッテちゃんが頑張ってるから…俺も頑張るから…」
本音か分からない言葉を、ザハグランロッテは観察しながら考える。
けれど、やはり良く分からなかった。
半分は冗談、半分は本音といった感じでロスは彼女の努力を労っていた…。




