17 手に入れたもの
5月中旬
だけど…。
自分の気持ちに目を伏せ…己の目的を優先し、ロスは何の恨みもないヘイナスの喉を裂いた。
やりたくもない殺しだ…自然と手の動きが鈍くなってしまった。
そのせいで生々しい感触が、より深く手から伝わってきてしまい…ロスの気持ちを益々鬱にさせた。
ウンザリする…心が発する拒否反応を無視して、今度はナイフを眼球から頭に向かって刺し通して捻り上げた。
完全に脳まで破壊した…イビル種だろうと生き残るのは不可能だ。
命を刈り取る虚しい感触が…手に。
肉を裂き、脳漿の潰れる音が…耳に。
夥しい血の海が…目に。
ついさっきまで生きていた臭いと、死に絶えた臭いが…鼻に。
楽しそうに遊び、喜ぶ姿が脳裏に…。
「ザハグランロッテちゃんはさ…」
虚しさを紛らわせたかった。
精神的な苦痛から逃げようと、ロスはザハグランロッテという拠り所に心を向けた。
「…………」
無言だったが、ロスは構わず続けた。
「イビル種の元が何か聞いたことはある?」
「…あるわよ」
「そっか…あるのか…」
イビル種。
他の同種個体よりも、明らかに力が強く退治が困難な個体。
生命力、知能が高く、総じて畏怖の対象とされている。
そして、そのイビル種の元はまだ小さい子供であると噂されていた。
「噂が本当なら、こいつも子供だったのかな…。子供みたいにはしゃいで…喜んでるように、俺は見えてたんだよ…」
「……ただの噂よ…気にするのは止めなさい」
彼女の言う事は正しい。
人から聞いたことが有る…見た人がいる、俺は見た、私は見た…そんな噂はどこにでもある。
そして、そのどれもが自分が見たわけでは無い…というのも事実。
自分は知らないが、実際に見た人がいるのかも知れない。
でも、それを信じるか信じないかは個人の判断に委ねられる。
結局、自分で見てない噂は、どこまで行っても噂でしかないのだ。
「こいつらは噂を知ってるかな…?」
ミカド達を見ながらザハグランロッテに問いかけた。
「さあね…知らないんじゃない」
「だよね…知ったときの為に、こいつ等の復讐を取りあげたんだけど…。俺が一番年長者だからさ…俺が始末をつけた…どうだろう…良かったのかな…」
「お前、噂を真に受けるのは間抜けのすることよ。イビル種が子供だけなんて不自然じゃない」
魔物の元が人間である事は、この世界で周知の事実だった。
なぜそうなるのか、それは不明だが、魔物になった人間に、多くの人が殺されている。
そして、光の女神は魔物に殺される人間に、魔法という知識を教えた。
魔法のおかげで人類は魔物を退け、最低限の文明を維持できるようになった。
現在、魔物に変異する人間が出ることはほぼ無くなった。
出ても、外に捨てられるか、人知れず殺される。
数が少ないので問題視されなくなっている…。
以前は人が魔物に変異し、魔物の数が増えていったと言われている。
昔は多く、今は少ない、何らかの要因が有るのだろう。
イビル種…。
普通の魔物とイビル種の決定的な違いは、感情の豊かさにある。
普通の魔物が本能的に動くのに対して、イビル種は喜怒哀楽を明確に持っている。
つまり、見た目はともかく…人間臭いのである。
ヘイナスの元が子供である可能性。
喜び、意思疎通も不可能ではないと思わせるだけの知能。
他の方法もあったのでは無いか…そんな考えが頭に浮かぶ。
あぁ…後味が悪い…。
「そんな事より喉が渇いたわね」
いつもより耳に優しく触れる声。
惹かれて、彼女を見たが、冷めた目をした…いつもの澄まし顔だった。
「熱いお茶が飲みたいんだけど」
「…うん。分かった…。すぐ、用意するね!」
お茶の要求。
よく知らない他人から見れば、彼女は空気を読まない女だと思われるだろう。
もしかしたら人でなしに見えるかもしれない。
しかし、ロスには彼女の意図が分かっている。
彼女はロスの事を良く分かっているのだ。
そうだ…ブレるな…。
余計な事を考えるな…。
俺は彼女を最優先に考えよう…。
その為なら汚れ仕事も厭うな…。
こんな時こそ笑え…。
笑え…!
「でもザハグランロッテちゃん熱いの苦手じゃん?はははっ!」
「気分の問題よ」
わざとらしい笑いを彼女は流してくれた。
力が足りなければ悔しい思いをする事が増える。
綺麗事を通す力が自分に無い事も理解している。
ヘイナスをこんな殺し方にしたのも、自分に力が足りないからだ。
この世界には、理不尽な力を持つ者がそれなりにいる。
ロスはただ、それを持たない。
情けないけどな…。
誰もが一度は考えると思う。
完璧で理想の選択。
でもそれは圧倒的な力を持たない、凡人には叶えられない。
凡人は、自分が汚れたり相手を汚したり…それか汚れた手段を使ってようやく一つか二つ、求めた結果に手が届く…かもしれない。
現実なんてそんなものだ。
俺の欲しい結果は彼女だけだ…。
それ以上に欲張るのはやめよう…。
目的を再確認したロスは、残ったもう一つの仕事を考えなければならなかった。
ミカド達の怒りをどう処理するか…。
「どうしてッ!!」
最初に目を覚ましたミカドは、理由が分からなくて戸惑い、怒りをロスにぶつけていた。
やっぱ怒るよな…。
予想通りの展開に、ロスも予定通りの返答を返す。
「あれがベストだった」
声に感情を乗せず、ロスはミカドに向かって事務的に言い切った。
答えを聞いてもミカドは詰め寄ってくる。
納得できないよな…。
それは分かってる…。
そもそも…俺とお前らの目的が違うからな…。
目的が違う。
それは、よく考えれば何もおかしなことでは無い。
ミカド達の目的は復讐という名の仇討ちだ。
だが、亡くなったミカド達の仲間が殺されたとしても、ロスからすれば見た事もない人であり、仇討ちにはならないのだ。
ロスの目的を達成するには、ミカド達の満足感は邪魔でしか無い。
ミカド達に復讐をやり遂げたと思わせるのは悪手なのだ。
「だからどうしてッ!?」
何度聞かれようが、本当の理由を言えるはずがない。
言えば協力してくれなくなるだろう。
時間が経って落ち着いていれば話せるかもしれない。
でも、こんなに怒った状態のミカドに話すのは誰がどう考えても悪手だろう。
なぜミカド達を騙してまで、ロスがヘイナスを殺したのか。
その理由は、達成感を奪いミカド達の目的を失わせる事だった。
けれど、それを正直に話せるなら最初から騙したりしない。
勘違いしてるだろうけど…。
ロスの目的は、自分に都合の良い駒を作る事で、ミカド達の目的とは合致していないのだ。
彼等の強烈な復讐心は、達成されない事で、虚無感や脱力感を生む。
そこに有った強烈なモノが無くなったとき、次に何をすればいいか分からなくなるのが人間だ。
そこに隙ができる…。
何気ない会話で、ミカド達には元いたコミュニティにも厄介払いさせられたのだと、印象付けてある。
出来る仕込みは可能な限り済ませた…。
足りない仕込みがあっても、それはもう割り切るしかない…。
この状態で『水の街まで一緒に行きながら考えたらいい』と言えば、まず間違いなく流されるだろう。
というか流されてくれないと困る…。
「…っ!ひっ…!」
目覚めたエニアがヘイナスの死体を見て後退った。
起きたら目の前に死体があるのだから、普通はビビる。
エニアが起きた…。
「……んぁ?…?あ、れ?俺…?」
続けて起きたホセは寝ぼけたまま辺りをキョロキョロし始めた。
ホセも起きたか……。
これでミカドを含めたパーティ全員が起きた事になる。
「見たらわかると思うけど…」
この後の説明で、なるべく好印象を与えなければならない。
信用を失えば、共に行動など絶対にしないだろう。
納得するか分からない。
ロスは憂鬱な気持ちでエニアとホセが覚醒するのを待った。
「…これ、ミカドが?」
頭が少し冴えてきたのだろう、起きたホセはヘイナスとミカドに視線を向けながら問いかけた。
ミカドは俯いて首を振り、自分ではないと暗に示した。
「じゃあエニア?」
「…私も違う……」
ロスは、ホセが怒りだすだろうと身構えた。
「じゃあオッサンか…」
「…………」
予想と違い、静かなままのホセにロスは違和感を覚える。
「……お…怒らないのか…?」
最も怒ると思っていたホセは、能面の様な表情で、一切の感情が読み取れない。
なんだ…これ…?
何を考えている…?
「分かんねぇ…。分かんねぇけど」
「ホセ!お前…!悔しく無いのかよ!仲間の仇だぞ!?俺達で殺したかった…俺ら、仲間の仇を前に一緒に食べて、遊んで…起きたら終わってて…仇も何も…恨みが何も返せてないんだぞ…」
復讐を取り上げられたホセとミカドは、憤りをぶつける事ができず、感情のやり場に戸惑っている。
狙い通りだ…。
そう思いながら、ロスは自分の性格の悪さにまた幻滅した。
「………」
何も言わないホセの気持ちがロスには分からなかった。
「納得…ねぇ?…それはお前達の勝手な都合よ。図々しい」
ツンと冷たい声色がミカドに向けて放たれた。
当然といった感じのザハグランロッテに、ロスは慌ててフォローを入れた。
「ちゃんと説明するから!ザハグランロッテちゃん、落ち着いて?少し待ってくれる?」
ミカドとザハグランロッテの間に立ち、ロスは両手を広げて牽制した。
「仕方なかったんだ!俺だって本当はお前らにトドメを刺して欲しかったさ!」
嘘だ…。トドメは始めから俺が刺す予定だった…。
「お前らの怒りが…仲間への想いが強過ぎて、笑い茸の効き目が悪かった。ヘイナスに勘付かれないためには笑い茸の摂取量を増やすしか無かった!」
嘘だ…。
失敗しない為に…目的の為にわざと必要以上に笑い茸を盛った…。
「でも!それはお前らの復讐を…」
「…生きてる。私は…みんな死んでない。ホッとしてる……」
エニアはポツリと呟き、心底安心した様子を見せてくれた。
それは、ロスの目的に合致するものだ。
俺は汚れてるな…。
「ああ…そうだな。みんな生きてるんだよな。俺も…それでいい。いや、これがいい」
トゲトゲしさの抜けたホセを見て、ロスは気が付いた。
ホセの攻撃的な態度の原因は、自分ではなく、ヘイナスだったのだと…。
「なんだよ…何だよそれ…。ズルいだろ…。俺だって…」
ミカドは気が抜けたのかストンと地面に尻もちをついた。
一番最初に目が覚めたミカドは、仲間の為に納得してはいけなかった。
仲間の無念は、仲間の自分達が決着をつける。
それが弔いだという強迫観念に囚われていた。
一番悪いのは俺だな…。
ロスは大人の汚さを実感し、嫌な気持ちに苛まれている。
「悪かった…。温かいお茶…あるからみんなで飲もう。落ち着いて、な?」
ロスは3人にお茶を渡して、報われ切れなかった気持ちをねぎらった。
「思う所はあるだろうけど、ヘイナスはもう死んだ。目的は達成しただろ?…この後はどうするんだ?」
ミカド達を利用するつもりのロスは、今後の予定をさり気なく探る。
「街の偵察をする予定だったけど…したいかと言われたら…いまは微妙かな…」
ミカドから怒りの感情は抜け落ちていた。
「だな…ギルドの厄介払いってのは、たぶんそうなんだろうし…今更戻ってもな…」
ホセは嫌な事を思い出したのか憎々しげに声を荒げた。
「私は二人が居ればそれでいい…」
エニアに至ってはどうでもいい感じだった。
「それなら俺達と水の街に行ってみないか?お前らの世界は精霊石を奪いたいんだろ?水の街なら有るだろうし」
この提案がロスの本命だ。
この為に、ミカドを助け、仲間を助け、命懸けでヘイナスを倒したのだ。
「どうする?」
「俺は別にどっちでも」
「私も……」
3人の相談を側で聞いていたロスは、明確に嫌だという声が無いのを確認して畳み掛けた。
よし…!!!
「じゃあ決まり!ミカド、蛇ちゃんに乗っけてもらえるように頼んでくれ」
一気に流れを自分の望む方に傾ける。
よし…!
これで…これで彼女を安全に水の街まで連れて行ける…!
「ふぅー……」
魔猿に追われ、イビル種の蛇にビビり、ミカドを発見、彼等を利用しようと画策し…。
ようやく…ようやく終わった…。
やりきったぞ…。
ロスは自分の望む展開に持っていけた事に大きく安堵した。
「俺…水の街にツテが無いんだよなぁ…ザハグランロッテちゃんは?」
これまでは生きて辿り着くことが目標の全てだったが、その目標が現実として見えてきた。
そうすれば、今度は着いた後の問題がムクムクと頭の中を占め始めた。
「私も無いわね」
「そっか、じゃあ行ってみて問題あるならその時考えるかな」
不安を口にしないように…。
名家のスカーバラ出身の彼女なら、知り合いがいるかと思ったが、やはり地の街と水の街の交流は途絶えているようだ。
「お前らも出発までに荷物とかまとめ…無さそうだな…」
魔猿に追われ続けていたせいか、ミカド達は最低限の物しか持っていなかった。
これは仕方ないな…。
ロスが同情している間も、勝手に同行を決められたミカド達は明確に反対する理由を見つけられず、ズルズルとロスのペースに巻き込まれていた。
「今日は普通に食事をして、明日の朝に出発しよう。ようやく気を抜いて飯が食えるな?」
何気なく、ねぎらいの言葉を掛けた。
「そっか……」
エニアが脱力し、表情から険が抜けた。
気を張るのが長い間、当たり前になっており、知らず知らずのうちにずっと緊張しっぱなしになっていたのだ。
ミカドもホセも、それを見て何か感じることがあったのだろう。
大きく息を吸い…そしてゆっくりと吐き出していた。
そして、やはり2人とも表情が柔らかく変化していた。
そんなつもりの無かったロスも、それを見て少し救われた気がした。
ヘイナスがいなくなり、当面の目標が無くなったミカド達に、ロスの提案は明確で受け入れられやすかった。
「次の目的が無いなら別に構わないだろ?俺は飯の支度するからそこのヘイナスを処理して水浴びでもして来いよ」
ロスは空を見上げて太陽の位置を確認すると言葉を付け足した。
「もう昼過ぎか…。ザハグランロッテちゃんもエニアちゃんと行ってきていいよ」
そんなつもりは無くても、後ろめたい気持ちが拭えずに、自然とロスの口数が多くなっている。
落ち着け…。
自然に…怪しまれないように…。
ほぼ自分の思い通りに事が運んでいても、確実ではない。
それがロスの不安を刺激するのだ。
「肉はまだ残ってるし、野菜も取りに行かなくてもいいな…」
自分をリラックスさせるため、ロスはもてなす事を考える。
誰かの為に動いている間、ロスは気持ちが楽になる。
一番効果が高いのは、やはりザハグランロッテを甘やかしている時だろう。
食材の確認をしながら何を作れば喜ばれるだろうかと考える。
自分の硬さを見抜かれないために…。
笑え…。
見られてる…。
笑え…自然に…。
視線にヒヤヒヤしていたが、しばらくすると皆その場から離れて行った。
「あー疲れた…」
誰もいない安堵から、ロスはようやく気を抜くことができた。
「イビル種か…」
色んな意味で相手にしたくない。
笑い方に愛嬌があった。腹に響くし、気持ち悪かったけど。
子供が希にイビル種へ変化する。
真偽は分からない。
危険なイビル種と意思疎通など、自ら試みる奴なんか見たことも聞いたこともない。
知りたいような知りたくないような…。
心がもやもやして気持ち悪い…。
ザハグランロッテちゃんを甘やかしたいなぁ…。
彼女が水浴びから戻ってきたら髪を洗わせてもらおう…。
お湯とキレイな布を用意しなきゃ…。
飲み物も必要だし…。
飯まで繋ぎの木の実を出そう…。
足湯もいいな…。
旅で酷使した足を揉みほぐしてあげたい…。
悩みを棚上げにして、彼女に何ができるか考える。
そうしていると、気持ちがふわふわと軽くなり、他は全て些事なのだと思えて気持ちが楽になる。
そうだ…。
俺の最優先は彼女なんだ…。
ロスはそう再確認し、準備に取りかかった。




