14 宴会…③
きた…!!
腹に響く不快な笑い声だ。
アレに仲間を殺されたのだろう。
笑い茸の効果を超えるミカド達の怒りがロスの肌に刺さるようだ。
あんなに止まらなかった笑い声すらピタリと止んでいる。
おいおい違うだろ…!?
「なんだよ〜!あの笑い方!ふはっははは!お前らもははっ!笑え!!はは!笑え!!!ふはははははは…笑え!!」
笑え…。
笑え、お前ら…!
「…いや、あの…ふふ顔も…ふふふ…おかっ!おかしっ、きゃははは!」
エニアだ。
悔しそうな目をしながら顔と声は笑っている。
「だよなぁ!ぎゃはは!よく見たら変な顔だ!ぶはっがははは!」
「おま…ははは、笑いぷッ、笑い過ぎ…ははっ!」
ぎこちない…。
見るに耐えないぎこちなさだ…。
流石にこれはまずい…。
ロスはヘイナスを誤魔化そうと声を掛けた。
「よう!お前も食べるか?はははっ!俺の作った自慢の!料理だ、ははっ!」
イノシシの肉に、少し冷めたスープ。
野菜が柔らかくなるまで煮込んだポトフ。
料理の入った器を手に持ち、ロスは無防備にヘイナスに近付いていく。
余裕を持って約4メートル。
「ここに、はははっ。置いとくから、良かったら…ふはっ」
ここで腹を抱えて笑ってみせる。
下手な演技だ。
普通なら不自然に思うだろう。
「美味いぞ?食べてくれ。はははっ!」
置いた器から肉を一摘み取り、安全をアピールするため口に放り込む。
「美味い!はははっ!」
何も入っていない…。
アピールが通じるか…?
ヘイナスに背を向け、無防備に皆の側まで戻る…ロスの心臓はバクバクと高鳴っていた。
安易に近づいたのも、皆に平気そうな姿を見せていたのも、全部演技だった。
無防備に背中を見せるなんてどうかしている。
本当は怖くて足が震えていた。
笑い茸様様だ…。
この方法を選んだ理由のひとつ、自分の恐怖を誤魔化す効果はバッチリ出ていた…。
その恐怖のリターンを確認…。
「ボヘッボヘッボヘッボヘッ!」
ヘイナスが気持ち悪い笑い声を出しながら喜んで食べている。
「食ってるよ!はははっ!」
安堵から自然な笑い声が腹から出た。
「凄ぇ!ははははっ!!」
「本当に食ってるよ!はははっ!」
楽しそうな笑い声が周囲に響いた。
上手くいったと思うが…。
「や、ヤバイ…! ここまで…食い過ぎた!は、ははははっ!もう…食えん、はははは」
これまでかなりの量を食べて、既に全員が満腹だった。
今日、いきなり現れる可能性は低いと思っていたロスの考えも甘かった。
「あ、アイツに、お土産だけ渡して…プハッはははっ!今日は!終わ、終わりに…はははっ、しよ?はははっ」
ロスの言葉に、同じく限界の皆は爆笑しだした。
「それ…ダメ…今は、はははははっ!ツボ過ぎ…!くっお腹が…いた…はっはははっ!」
大人しいエニアが笑い過ぎて苦しくなって転げまわっている。
「ちょっ!エニア!…ははっそれ止めっぷはっははははは!!むりっははははは!」
ホセとミカドはエニアを見ながら爆笑し、ザハグランロッテはお腹を押さえながらプルプル震えている。
ロスは自分が摂取する量を調整していたので、笑いの輪から外れて大きなイノシシ肉を焼き始めていた。
残っていた料理をたまにヘイナスの近くまで持っていき、イノシシ肉が焼けるまでの場をもたせる。
ヘイナスは笑い転げるミカド達やザハグランロッテを見ながらボヘボヘと笑っている…とても楽しそうだった。
イノシシ肉が焼けたところでロスはお開きの準備に入る。
ニコニコ笑いながらヘイナスの近くにイノシシ肉を置き。
お腹をポンポンと叩いて見せた。
もう食べられないというジェスチャーだ。
それを他の皆にもやってもらう。
ザハグランロッテだけはひたすら笑っていた。
ヘイナスに、寝るジェスチャー。
イノシシ肉をあげるというジェスチャー。
そして笑う。
とにかく笑った。
ヘイナスは釣られて笑った。
そうして、背中を向けて家に入る。
背中を見せるのは怖い…。
家の中から、外のヘイナスの様子を…笑いを堪えながら観察する。
まだ、近くにいる…怖い…。
遊ぼうと追ってくるかも知れない。
けれどヘイナスの遊びは、普通の人間には付き合えない。
死ぬからだ。
だから…家に入ったら笑って声を聞かせてはいけない。
楽しそうな声が聞こえれば好奇心を…興味を引いてしまうから。
笑い茸の効果が残っている状態だ、笑いを堪えるのは拷問に近い。
外では『ボヘッボヘッ』とヘイナスの笑い声が聞こえている。
息を潜め、ジリジリと辛抱強く待つしかできない。
待つのは苦痛だ。
待っていると、まるで時間が止まっているような錯覚に陥り、無限にさえ感じる。
そんな苦痛に全員耐え忍んでいた。
「ボヘッ…ボヘ…」
気味の悪い鳴き声の後、ヘイナスは大きく…大量のイノシシ肉を持ち、森の中に消えた。
つ…疲れた……。
ロスたちはその場に崩れ落ち、笑い合った。
笑い茸の影響と、怒りと恐怖からくる精神的な疲れは、笑いが治まるのに合わせて抗い難い眠りへと変化した。
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気がつけば夜は明け、朝になっていた。
「あー…体が痛い…」
硬い床で寝てしまい、体中が痛む中、ロスは顔を洗いに外に出ている。
こうして静かな廃集落を眺めていると、昨日の宴会が夢だったのではないかと思えてくる。
とにかく…無事で良かった…。
昼が過ぎ、ロスとザハグランロッテ、狩りを終えたミカド、ホセ、エニアの五人は今日の作戦について話し合う。
「昨日は目標を達成した。そう考えてもいいと思う」
ロスの言葉を聞いてミカド、ホセ、エニアは納得した表情を見せた。
ザハグランロッテちゃんはいつも通り、澄まし顔…。
「今日…ヘイナスを殺る…」
お茶を淹れ、ザハグランロッテに渡しながら、ロスはそう断言した。
「…………」
無言で頷くミカド達3人の表情は硬く、そして真剣なものに変化する。
その変化に合わせてロスも真剣な顔を作ったが、内心で考えている事は3人と全く違うものだった。
特に恨みの無いロスから見たヘイナスは、笑い方が不気味なだけの大きい猿だ。
知能が高いという事は、あの楽しそうな姿と感情は人間に酷似している証拠である。
悪いけど…お前を利用させてもらう…。
罪悪感から目を逸し、ロスはヘイナスを殺すと決めた。
「チャンスは今回だけ…2度目は無い。失敗すれば全員死ぬ」
「…上等だぜ」
ホセは強気な目を見せた。
こういう奴は案外本番に強いから心配無いだろう。
けど…
「作戦は水ものだ、状況は常に変化すると思ってくれ。だから最終判断は俺がする…異議は…?」
反論がないかロスはジッと待った。
反応に満足したロスは作戦を開始する。
「よし、さあ!宴会だ!!」
「「おお!」」
ロスの言葉にミカドとホセが声を上げ、エニアは決意の眼差しで頷いた。
ザハグランロッテの表情は変わらず、冷めた澄まし顔をキープしている。
我関せずといった感じだが腹で何を思っているかは分からない。
ホセがザハグランロッテを『何だコイツ?』と、少し不服そうな感じで見ていたのに腹が立ったけれど、我慢して放っておいた。
周囲は既に薄暗い。
火を点ければ直ぐにヘイナスは気が付くだろう。
他の猿まで相手は無理なので、寄せ付けないように、臭い壺は宴会場所を中心に、円形に配置してある。
「今日は早めに来て欲しいなぁ」
「…確かに」
「昨日はお腹いっぱいで、来た時には終わりたかったしな」
「…確かに」
ミカドとホセの言葉に、エニアが「確かに」と、相槌を打っている。
「はいこれ」
ロスは棒状に切って塩漬けしたキュウリをザハグランロッテに渡す。
「これは?」
「あっさりしてるから食べやすいよ。他は何から食べたい?」
「何でもいい」
このキュウリが何か作戦に関わるのかと聞いたのだが、全く関係無い感じだったので、ザハグランロッテは、ロスの空気の読めなさに呆れてしまった。
そんなザハグランロッテの胸中に気が付かないまま、ロスは料理に意識を向けた。
味付けの調味料は塩しか無いので、どの料理も似た味になる。
ミカド達には適当なロスだが、ザハグランロッテには味の強弱、食材の良さを考え、飽きないように出す順番まで工夫していた。
そして、全ての料理は笑い茸を混ぜるため、ロスがよそっている。
緊張をほぐす目的で、既に全員が少量の笑い茸を摂取している。
もう少しすれば自然と不自然な笑いが出始めるだろう。
「そういやエニアは何であんま喋んなくなってんの?」
不意にホセが気になった事をエニアに向かって質問した。
このタイミングで答えにくそうな質問をするホセに、ロスは呆れてしまう。
「え…いや、別に…」
案の定、ホセの質問にエニアは困ったように言葉を濁した。
ロスとしてはやっぱりなという感じでしかない。
ホセはヘイナスに対する作戦中って忘れてんのか…?
そう思いながら、空気を壊さない程度に話を繋げる。
「ふぅん…エニアちゃんは普段、もっと喋ってたんだ?」
ロスからすれば3人の情報が足りていないので、エニアの情報が分かるならと…興味はあった。
「そうなんだよ!それが急に…わっかんねぇなぁ…」
頭を捻りながら考えているホセ。
そんなホセを見ながら、とぼけているが、ロスは何となく原因を察している。
人見知りか、人が多いのが苦手なんだろうな…。
「ホセ…お前また」
ミカドはホセを見ながら呆れている。
ホセはみんなから呆れられるなぁ…。
「何だよ!気になるじゃねぇか!お前は気にならないのかよ!?」
「エニアちゃんって元々、静かな子だったんじゃないか?」
出会ってまだ数日だが、ロスは何となくエニアの性格を掴みかけていた。
関係を円滑にするには、相手の性格を把握するのが手っ取り早い。
いい機会になるか…と、更に話に耳を傾けた。
「そういうオッサンはどうなんだよ!」
矛先を変え、自分に向けてきたホセに、ロスは余裕の表情で迎え撃つ。
「どうって?何が?」
「そこの!ざ、ざは?なんとかさん?とかだよ!!」
「あ…それ、気になる」
「おい…そんな詮索…」
ホセのデリカシーのない質問に、エニアが興味を示し、ミカドは止める素振りを見せつつも気になる様子だった。
教えてやるか…。
「まぁ隠す事でも無いから教えてやるよ…ザハグランロッテちゃんはな、俺が一番大切にしている人だ!」
自信満々に言い切ると、ホセがため息をついて呆れ始めたが、ロスはそれを無視して話を続ける。
正直ホセにだけは呆れられたくない。
「ちなみに俺の大切度を点数にすると…俺が10点!エニアちゃんが4点!ミカドが3点!蛇ちゃんが3点!ホセが1点!そしてザハグランロッテちゃんは最上点だ!…もはや尊すぎて点が付けられん…」
突然の点数付け、ロスの熱弁を皆ポケーッと呆れてながら見ている。
「ふふっ…」
「おっ?ザハグランロッテちゃんが笑った?いや、目が据わってるから違うか…嫌でもワンチャン?」
「無いだろ」
「無いよな」
「たぶん…無い?」
「そんな否定する?」
ミカド達3人に否定され、ロスは笑い茸の効果が出始めたと認識した。
いよいよ本番か…。
「そろそろだな。ここからは気を引き締めないとな…」
「あっ、ザハグランロッテちゃん。これ、スープ。少し冷めたから飲みやすくなってるよ」
「あの…気を引き締めるんじゃ…」
ミカドが疑問を口にした。
「?…そうだよ?ここからは気を引き締めないと駄目だ。え!?分かるよね!?」
「いや…分かってるよ?ただ…気が抜けるんだけど、というか甘やかし過ぎじゃない?正直そのザハなんとかさんのどこがそんなに良いんだよ?……ちょい…睨まないで?怖いからさぁ…」
ホセは、文句と失礼な疑問を口にし、彼女に冷たい目で睨まれてしまった。
「ザハグランロッテちゃんの良さが分からない所がお前の未熟な証拠なんだよ」
一人で凄く納得するロスを、皆は不思議そうな目で眺めていた。
「ははっ」
「おっ、効いてきたな!ははっ」
「皆はどうだ?ははっ」
「おお!俺も、はは」
「ふ…効いて…ふふ」
「はははっ」
ようやく笑い茸の効果が全員に効いてきたようだ。
「さあ!仕切り直しだ!気を引き締めろよッ!!」
ロスは、自分だけ笑い茸をほとんど摂っていない。
まだまだ慎重さが必要なのだ。
「ヘイナスがく………!?」
「ボヘッボヘッボヘッ!!」
気味の悪い笑い声と共にヘイナスが現れた。
「早っ!?はははっ」
「早過ぎだろッ!?はっはは!」
「ふふ…ふふふふっ」
予想外の早い登場に、ロスの心の準備はまだできていなかった。
しかしもう、後には引けなくなった。
これだから…。
現実はいつも思い通りにいかない。
愚痴を言いたいが、そんな暇は無い。
「はははっ!よほど、はは!昨日は楽しかったらしい、ははっ!」
「ボヘッボヘッボヘッボヘッ!」
こちらの笑いに釣られるように笑うヘイナス。
そして…。
昨日より近い…。
というか近すぎだろ…!
「ほら?お前の肉だ」
そう言ってロスは串焼きにした肉を、ヘイナスの近くにあるテーブルに置いた。
警戒心がどの程度薄まっているか分からなくて、念の為に色んな距離にテーブルを置いておいた。
それが、今日はいきなり一番近くのテーブルまで近づいてきたのだ。
ビビリながら、ロスはヘイナスを楽しませようとアレコレ世話を焼き始めた。
スープをお椀に注ぎ、飲み物としてハーブティーも置いておく。
汁物には笑い茸が入っているので、ヘイナスも時間と共に笑いが溢れ、止まらなくなるだろう。
決意を胸にロスは宣戦布告を口にした。
「さて、今日は倒れるまで宴に付き合ってもらうぞ!ははっ!」
そこから先は食事で腹を満たしながらヘイナスに笑い茸の効果が現れるのをひたすら待った。
初めに出した肉は、ヘイナスの大きな体格に合わせ、しっかりと笑い茸の粉末をまぶした。
その成果は早い段階で表れ始める。
「ボヘッボヘッ!」
「よーし!今日はゲームをしながら飯を食べたり飲んだりしよう!」
ロスはそう言って拳に握り込める大きさの丸い石を取り出した。
「この石がどちらの拳に有るか、それを当てるゲームだ!」
「当てれば自分の好きな肉やスープが飲める。外したらこの苦い野菜を食べるんだ」
「ボヘッボヘッ!!」
ヘイナスに、こちらを攻撃する気配はまるで感じられない。
それでも地力は段違いにヘイナスが強いのでヘイナスのおフザケけで怪我をしないかヒヤヒヤしていた。
ヘイナスの軽くは、こちらが軽く骨折するくらいの力があるのだから。
ルールの理解のために見せた実演はたったの2回…見本を2回見せるだけで、ヘイナスはルールを完全に把握した。
その間もヘイナスは終始楽しそうにしているように見えた。
笑い茸の効果でミカド達も表面上は楽しそうに見えている。
だがその目を見れば笑っていない、むしろ憎悪しているのがロスには分かってしまう。
実際、怒りが笑い茸の効果を上回り、笑いが途切れる事もあった。
ロスはこっそりと、自分に笑い茸が口に入らないように細工した。
ゲームをすれば勝っても負けても何かは口に入れる事になる。
ゲームに参加した時点でヘイナスは詰んでいるのだ。
初めてのゲームに熱中するヘイナスの姿はまさしく子供のそれと同じだった。
誰が見ても楽しくて仕方ないといった様子だ。
何も知らない人が見れば、イビル種のヘイナスと表面上笑っているミカド達は、凄く仲が良く見えるだろう。
それだけに…ロスの心は少し痛む。
ゲームは進み、ヘイナスもミカド達も笑いが止まらなくなった…そして過呼吸に陥った。
酸欠になり、ヘイナスはあっさりと意識を失った。
その横にはミカド、ホセ、エニアも倒れている。
ヘイナスとミカド達を、ロスは悲しい気持ちで見下ろしていた。
笑い茸を摂らなかったにも関わらず、脱力感でぐったりし、体力も精神もごっそり削られ疲れ切っていた。
ふぅ…。
「ザハグランロッテちゃん…」
「なに…?」
「お願いがあるんだけど…」
「うん…」
「今から俺を見ないで欲しいんだ…」
「……それは無理ね」
「意地悪だなぁ…」
「私は私の思う通りに行動するの」
「そっかぁ…」
彼女を見ると、いつもの澄まし顔がそこにあって…。
ロスは自分の腐った性根と、犠牲にするヘイナスの狭間でこれ以上無いくらい自己嫌悪に陥っていた。
視線をヘイナスに移す…。
「ごめんな…俺の都合で…でも…」
罪悪感を押し殺し、ロスは静かにナイフを取り出し…そのまま喉を掻き切った。




