12 器…前編
5月中旬
「……着いた」
そう言ったミカドの視線は洞窟の入り口に向かい、その表情はピクピクと痙攣を起こしていた…。
「着いた…?」
やっぱ不安だよな…。
直ぐにでも駆けつけたいだろうけど…。
「ミカド…様子を見てからだぞ…」
辺りはとても静かで争いの気配や争ったような跡も見当たらない。
周囲を見回してみても誰か出てくる気配も無い。
気配を慎重に探ってみたが、聞こえて来るのは木の葉の音や、少し遠い鳥の鳴き声、後は虫の出す音くらいだ。
「ここで間違いないの?」
「……見覚えがある」
ロスの確認に、ミカドは焦点の合わない目で淡々と答えた。
「っ……」
更に質問を続けようとしたロスは、後ろから見ていたザハグランロッテに止められた。
そのザハグランロッテはロスを見て首を左右にフルフルと振った。
2人はミカドの心が落ち着くのを待ち、彼が動くのを待った。
ザハグランロッテに止められた形にはなったが、闇雲に動くよりよほど良い。
「魔猿が…いない…」
ミカドの見つめる先には、洞窟の入り口が見えている。
ロス達の臭いを嫌って居なくなったのか、それとも…。
この場所から逃げる時、ミカドが最後に見た場面…ミカドの仲間は、魔猿から身を守るために洞窟に籠城し、その周囲はおびただしい数の魔猿に囲まれていたらしい。
生きていてほしい…その思いがロスとザハグランロッテにも伝わってくる。
ミカドが一歩進んだ。
また一歩、また一歩と洞窟の入り口に近づいて行く。
ミカドの奴、大丈夫か…?
ロスが不安視していると、ミカドの動きが急にピタリと止まった。
「………1人…か…?」
ミカドの呟きの後、洞窟の中から男の子が一人…ミカドと同じくらいの年だろうか。
虚ろな目でヨロヨロと外に出てきた。
「…っ!ホセっ!!」
ミカドは足をふらつかせ、コケかけたホセと呼んだ男の子を駆け寄って抱き支えた。
「い…いき、生きっ!!」
ミカドはこちらを見ながら言葉にならない声を上げている。
「あぁ!分かってる、任せろ!」
ロスはミカドから男の子を受け取ると横に寝かせ、彼女に頼んだ。
「ザハグランロッテちゃん、この子を頼む…」
「…仕方ないわね」
温度の無い言葉とは裏腹に、既に準備を終わらせて真剣な表情を見せる彼女のギャップが、とても頼もしかった。
倒れた男の子はザハグランロッテに任せ、洞窟にフラフラッと入って行ったミカドの後を急いで追う。
洞窟に入って直ぐ、入り口のすぐ側で…崩れ落ちたミカドが滂沱し、女の子に覆い被さっていた。
「何やってんだ!どけっ!!」
ロスはミカドを突き飛ばして女の子の状態を調べ始めた。
「体…は、まだ温かい!」
すぐさま女の子の胸部を、手のひらで押さえながら心臓の場所を探る。
よし…ここだな…。
次に女の子の気道を確保し、規則的に胸部を圧迫し始めた。
少し躊躇ったが、少しでも可能性を上げるため、人工呼吸も行う。
「ザハグランロッテちゃん!そっちが落ち着いたらこっち!こっちを手伝ってくれ!!」
ミカドは動けない…崩れ落ちたまま、ロスの行動を只々見ている事しか出来なかった。
何をしているんだ…?
エニアはもう…。
ミカドはロスの救命行為を理解できていない。
けれど、ロスの必死な様子を見ればまだ諦めていない事は伝わる。
助かるのか…?
そうなら…頼む…!
男の子を治療していたザハグランロッテはロスの声を聞き、直ぐに助けに入ってきた。
「あっちは直ぐに死なない」
「分かった!こっちに集中しよう!駄目ならあの野郎の能力が低いって馬鹿にしてやる!!」
駄目だった場合、責任をリヴァイアスに押し付ける為に布石を打っておく。
役に立ってくれよ…!?
口にはしないが、冗談でも交えないとロスは緊張で動けなくなりそうだった。
胸部を圧迫しながらザハグランロッテにも細かく指示を出す。
「いちっ!にっ!さんっ!しっ!ごっ!ろくっ!ななっ!…ふぅー!」
「いちっ!にっ!さんっ!しっ!ごっ!ろくっ!ななっ!…ふぅー!」
「いちっ!にっ!さんっ!しっ!ごっ!ろくっ!ななっ!…ふぅー!」
「いちっ!にっ!さんっ!しっ!ごっ!ろくっ!ななっ!…ふぅー!」
「帰って来いっ!」
「いちっ!にっ!さんっ!しっ!ごっ!ろくっ!ななっ!…ふぅー!」
「帰って来いっ!!」
こんな…子供が…こんな死に方…!
「っは…かはっ!ふぅーーっ…はっ!ふぅー…ふぅー…ふぅー」
「よしッ!!」
女の子の口から自発的な呼吸音が聞こえ始め、その音は次第に規則的に…そして落ち着いたものへと変化した。
もう…大丈夫…だな…。
「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」
荒い息を吐きながらロスは尻もちをついた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「よ…よし、俺も…!」
リヴァイアスに付けられた術式刻印にマナを流して回復魔法を発動させる。
疲労回復に効果があるか良い機会なので試してみようと思ったのだ。
「ザハグランロッテちゃん…間一髪だった。けど…間に合ったよ…」
ロスは不覚にも安堵から涙が零れそうになっていた。
良かった…本当に良かった…。
こんなに若い女の子が命を落とすなんて見たくなかったロスは心底安心した。
「この子…なんで服がはだけているのかしら?…お前…」
「へっ…?」
助けるのに必死だったロスは、助ける事ができて安堵し、気を抜いていた。
その気持ちを、ザハグランロッテが一気に叩き落としにかかる。
彼女に理不尽な疑いの目を向けられ、ロスはしどろもどろになりながら言い訳を口にする。
「いや、あの、これはね…」
「口づけしてたし」
「あれは人工呼吸だよ!?」
「どうかしらね?必死に口付けしてたけど…?」
「必死だったけど…その言い方は誤解を生むし悪意が強くない!?」
不満そうに見えるが、もしかしたら嫉妬なのだろうか…?
もしそうなら…悪い気はしないけど…。
冗談かマジなのか分からないな…。
澄まし顔で感情が読めない。
とりあえず少しでも自分が悪くない方向に自己弁護しながら考えていた。
助けられて緊張感から開放されたロスの横を、亡霊のようにミカドが通る。
「い…ひっ…生きて…ひっく…」
ミカドの声にビクッと体が反応し、ロスは我にかえった。
そうだ、まだ油断しちゃいけなかった。
「ああ!生きてるぞ…まだ絶対安心とは言えないけど…生きてる…もう大丈夫だ…と、言いたいけど」
「…ふん」
話を途中で切られる形になったザハグランロッテは、ミカドとロスのやり取りを見ながら更に不満そうに鼻を鳴らした。
人が少し増えただけでこれ…?
ザハグランロッテちゃんは集団行動に向いていないんじゃないかと思ってたけど、その予想…的中したかも…。
気苦労が一気に増した気がして、ロスは溜め息をつきそうになった。
とはいえ、ザハグランロッテはロスの中で最優先に位置付けられている。
蚊帳の外にするのはあり得ない選択だ。
だから、ロスは懲りずにザハグランロッテに話題を振り続ける。
「外の子は大丈夫そう?」
「外はあの蛇が守るのでしょう?」
それもそうか…。
ロスはそう言われて頼もしい蛇ちゃんの姿を思い浮かべた。
「確認したい事は多いけど、今は場所も時間も都合が悪い。一応確認だけど、仲間はこれだけか?」
ロスが声をかけると、泣きべそをかいていたミカドはこちらを向き、頷いて返事した。
「よしミカド!このまま移動したい!」
今は姿を見せないが、動かないと暇になった猿どもが、予想外の行動に出る恐れがある。
「俺の言う方向に進むよう、蛇ちゃんにお願いしてくれ!………ん?」
今度は反応の無いミカドに、ロスは何事かと様子を窺う。
するとミカドが外に向かって何かを呟き、そのまま洞窟から外に走って行った。
なんだ…あれはさっき助けた男の子…?
ミカドと喧嘩…?
生きて再会できた事を喜んでいる感じには見えない。
蛇ちゃんへの頼み…。
聞こえてたかなぁ…?
女の子の方は、まだ気を失ったままだ。
んん…?
「ねぇザハグランロッテちゃん」
「何よ」
「外の、ミカドの仲間の男の子なんだけどさ…まだ血が止まってないように見えるんだけど…」
あの男の子はザハグランロッテに任せて、それからロスは洞窟に入ったのだ。
彼女は男の子を治療しなかったのだろうか…。
ロスの疑問を孕んだ視線にザハグランロッテは、声を圧し殺しながら怒りの表情で呟いた。
「あいつ、私を見ながら…臭いとか言いやがったのよ…」
絶対に許さない…彼女の目はそう語っていた。
「それで治さずに放置したの……?」
意地になった彼女を想像して、ロスは心にストンと落ちるものを感じた。
「何よ…何か文句でもあるのかしら…?」
少し冷静になったのだろうか…?
澄まし顔が少しバツの悪そうな顔に変化したのを、ロスは見逃さなかった。
可愛いな…。
「いや?俺の最優先はザハグランロッテちゃんだから。君が助けたくないと思うなら、俺は彼らを助けないよ?」
むしろ、彼女にそんな事を言った奴に腹が立つくらいだ。
まあ…臭いのは俺のせいだから同罪なんだけど…。
「お前…」
ロスの言葉に、彼女は思うところがあるようだ。
「俺がザハグランロッテちゃんを大事に想ってる気持ちは、彼らと比べるまでもないレベルだからね」
てっきり頼みを私情で無視した事で、怒るか呆れられるかするのだろうと思っていたザハグランロッテは安堵した。
「………」
「まぁでも、俺が治すのすら許せないってほどじゃ無いんでしょ?」
私に頼んだ事なのに、ロスは自分でやると言う。
回復は最近手に入れた、自分が唯一役に立てるものなのに…。
「………」
彼女は何も言葉にしないし、冷たい澄まし顔だが、視線は少し下を向いていた。
落ち込んだ…?
「今回の件は、ちゃんと埋め合わせするから…。だから、そろそろ機嫌直してくれると嬉しいな」
…………??
何も答えられないだけなのに…。
私が怒っていると勘違いしている?
私が悪いのにまだ気遣うの…?
「………」
私は何も答えられない。
勘違いを訂正する事もできない。
けれど、沈黙は…是、なのである。
「じゃあ俺は向こうに行ってくるから、少しここで女の子見てて」
私の頬を撫で、ロスは洞窟の外に出た。
「…臭いくせに」
私の口から出た悪態は、力なく霧散した。




