10 疲れ果てた先に…後編
「はあ…笑い疲れたな…明日は、腹が筋肉痛になりそうだな」
「お前がバカなのが悪い」
何事も無かったかの様な澄まし顔で彼女はそう言った。
割と死にかけたのだが、彼女が壊れるくらい笑えたのだから良しとしたい。
「でも、油断は良くなかったね?」
「お前が臭いのが悪い」
「いや!最初に言ったのはザハグランロッテちゃんだから!!あと!俺は臭くないから!………臭くないよね…?」
「そんな事よりこの後でしょう?」
彼女お得意のスルーから、今後の行動について考える。
「こことは別の出口から外に出たいよね。近くにあの速いトロールがいたら嫌だし」
普通のトロールなら普通に逃げれば済むのだが、あの個体のように自分たちより速いとなれば脅威だ。
「お前に任せる」
「分かった。それじゃあもう少し休んだら移動しよう。ザハグランロッテちゃん、ちょっと手を見せて?」
ロスは布を取り出して彼女の手に付いた汚れを落とすと、別のキレイな布で彼女の顔も拭き上げる。
「水も飲んでおこう。走ったしね」
そう言いながら水袋を渡し、木の実の殻を幾つか剥き、1つは自分の口に、残りは彼女に手渡した。
彼女が木の実を食べ、水分補給も終えたのを確認すると、いよいよ出発だ。
「足は大丈夫そう?」
「問題ない」
コケた時に足を挫いていないか、確認しながら、布を使って彼女の服についた汚れを落とす。
「じゃあ出発するけど、一度攣った足はしばらく攣りやすいから、何かあったら必ず言ってね!」
「分かってる」
心配症ね…。
彼女の返事を聞いてもロスの心配は収まらないが、このまま留まることはできないので歩き始めた。
洞窟は広大で、奥はどこまで繋がっているのか分からない。
下に降りれば迷宮さながらで、現在地すら分からなくなるというのが、この世界では常識だった。
「まあ、下に降りなければいいし、降りても上に行けば出られるって事なんだけど…」
ロスはザハグランロッテに話しかけているが、ほとんど独り言の様なものだ。
「おっ?あそこから出ようかな?」
視線の先に洞窟の出口が見える。
「前の集落に磁石があったのは良かったなぁ、森の中に入っても方向で迷わないんだから」
「外に出たら街道に戻ってみるかな。そろそろゴブリンの巣穴も迂回できたと思うし…」
彼女に聞こえるようにブツブツと独り言を重ねていく。
そして洞窟の出口から、外の様子を窺った。
「どう?」
「うん。特に問題なさそう。少し外に出て反応が無いか試してみよう」
とにかく彼女の安全を確保したかった。
ロスは外で自分を囮に変化が無いかじっと待った。
……ふぅ…よし。
変化は何も起こらなかった。
これなら大丈夫と判断したロスは、彼女を手招きで呼び寄せた。
「とにかく東に向かえば街道に出られるはずだから…まぁ、気楽に行こう」
だいぶザハグランロッテとの2人旅にも慣れてきた。
最近は変に気負うよりも、気持ちを楽にしていた方が上手くいくと学んでいた。
と…そう思っていた時期が俺にもありました!
「だあ!くそっ!ツイてないな!」
ロスとザハグランロッテは今、猿の魔獣に追い掛け回されていた。
力が強く、移動力、グループでの行動と連携までこなす最悪の魔獣だ。
狙われたら全滅させるか逃げ切るしか手はない。
しかも執念深いので、手を出せば相手を殺すまで執着する地雷系の魔獣である。
この魔獣はマズい…。
ダメかもしれない…。
最悪だ…最悪…。
彼女だけでも逃がせないか…!?
…くそ…ダメだろうな…!
状況は絶望的でも、まだ追い詰められていない。
だから、まだ内心を隠してロスはザハグランロッテに笑顔を向ける。
「スリリングな愛の逃避行みたいだ!」
「だ…黙って走りなさい!」
彼女はいつもの澄まし顔を疲れで歪ませながら、気丈に振る舞っているが、その表情に余裕は無い。
「こんな事なら昨日の魚を捨てるんじゃなかったな!」
魚の生臭さは、奴らが大の苦手としている唯一の弱点の様なものだ。
人が生理的嫌悪を無条件に感じる、家の中の黒いゴキブリ、下水のドブネズミみたいなものだろう。
奴らは魚の生臭い臭いを嫌悪する。
川があれば…奴らから逃げられるかも知れない。
でも、そんな余裕は与えてくれないだろうな…。
それでも逃げながら、何とか彼女を生き残らせようとロスは必死に頭を働かせようと努力する。
「いやぁ厳しい!世界は俺達に厳し過ぎないか!?」
「だから黙って走っあぁっ!」
頑張って逃げていたザハグランロッテが疲労で足をもつれさせる。
「ちょ、ちょっ!!」
転ぶ彼女を庇い、ロスは一緒に地面に転がってしまった。
猿の追撃を警戒し、ナイフを構えたロスだが、どういうわけか猿は飛びかかってこなかった。
「…何だ?何か他にいるのか…?」
猿の魔獣以上の脅威の存在が頭をよぎる。
それ以外で奴らが止まる理由が思い浮かばなかったからだ。
そんなロスを無視して猿は動いた。
素早く動く猿に身構えたが、その軌道は明らかに自分達からズレている。
「なんだ…?何か…」
どういう事かと猿の動きを見ていると、突然血を撒き散らしながら猿が一匹吹き飛ばされていった。
「お、おいおい!な、なんだ!?」
ロスは驚きで思考が止まってしまった。
残りの猿は、何かを威嚇しながら動きを止めている。
「今のうちに…」
逃げよう…。
彼女の方を向き、言葉を途中で止めたロスは、異型の魔獣を見て固まった。
それは緑色をした大きな…大きな蛇だった。
裂けた口の周りは、大きく…そして真っ赤で剥き出しになった歯茎と鋭く白い歯が見えている。
その色のコントラストが、見る者を圧倒的な恐怖に陥れ、その迫力は見る者を圧倒し、その姿は見る者の脳に死の恐怖を直接擦り付けてくるようだった。
自分の顔が引き攣るのを感じながら、ロスは明るく軽口を叩いた。
「見てよザハグランロッテちゃん!俺達の女神が助けに来てくれたよ!!」
これか…!
猿どもはこれに警戒して動きを止めたのか…!
「どうするのよ!」
ザハグランロッテは次々に変わる展開に目を回しているようだ。
「そりゃあ女神が猿の歓心を引き受けてくれてるんだから、隙を突いて逃げるしかないでしょ!心配しないで?俺は女神といえどザハグランロッテちゃん以外の女の子に興味を持ったりしないよ?はははっ!」
早口で自分でもよく分からない事を捲し立てた。
そうでもしないと、ロスも怖くて動けなくなりそうだった。
よく見れば猿の数も増えている。
「この女神様も猿どもと揉めてたのか!?よく見たら傷だらけだし!」
「あれ…蛇の上!!」
彼女の声で蛇の上に視線を移すと何やら人っぽいものが見えた。
動いていないので、死んでいるのか気絶しているのか判別はつかない。
「人…!?まぁ…俺達に出来る事はないんだが……それより猿が気を取られてる今のうちに逃げ…」
そこまで口にして、ロスはザハグランロッテの視線に言葉を続けられなくなった。
「何よ」
「…いや、何でも」
ロスはキョロキョロと頭を振り、アチコチを確認してから天を仰いだ。
「あーくそ…やれるだけやってみるかぁ…」
目的も無く、野に身をやつしていた時なら確実に選ばなかった選択だ。
いや、自分の本質は今でも変わっていないはずだ。
それでも彼女の視線に、ロスは後ろめたさを感じてしまったから。
そして、川の近くまで来ている事に気が付いたから。
助ける…?
「ザハグランロッテちゃん!」
ロスは手を差し出した。
そして彼女はその手を嫌そうに取った。
「あれぇ?なんで嫌そう??何か間違えた!?」
思っていたのと違う彼女の反応に、ロスは自分の選択が違ったかも知れないと早くも後悔した。
「何を気持ち悪い事を言ってるのよ。気持ち悪いのは顔だけにしなさいといつも言ってるでしょう」
辛辣な言葉を放ちながら、彼女は微塵も悪いと思っていない感じだった。
「近くに川がある!そこまで走るけど大丈夫?」
「お前が必要と思うならそうしなさい」
彼女の返事で覚悟が決まる。
ロスはザハグランロッテの澄まし顔を見て走り出した。
彼女と手を繋いだのは加速を手伝った最初だけ。
そこからは2人が走りやすい速度と歩調で先を急ぐ。
「ザハグランロッテちゃん頑張って!頑張って!!」
「うるさい!」
走るのはロスの方が速い。
なので走るスピードは彼女のペースに合わせた速度になる。
少しだけ余裕のあるロスは、周りの状況を確認したり彼女の調子を確認したりと忙しい。
「ザハグランロッテちゃん!あそこ!川が見えた!っあっぶねっ!!」
川を見つけて喜びかけたところで、こちらに付いてきた猿がロスに向かって投石してきたのだ。
ロスはその石を持っていた荷物袋で間一髪叩き落としたが、これが直撃したらと思うと体がブルリと震えた。
「危ないだろうが!バーカバーカ!!」
「お、お前!何才なのよ!」
酷く幼稚な揶揄に、ザハグランロッテが我慢できずにツッコミを入れる。
「こ、言葉を選ぶ余裕が無いだけだから!」
言い訳を口にするタイミングで、目の前の視界に川が広がって見えた。
「よし! スパーク!!」
川の直前で止まったザハグランロッテを確認しながら、ロスは川に飛び込み魔法を発動させる。
「あばば、ばびばばっ!!」
水に浸かりながらの魔法で自分も感電してしまったが、余裕の無い状況だ。
この感電はロスの想定内の事だった。
「あば…ザハグランロッテちゃん!そのままで猿の攻撃に気を付けて!」
「……ダサ過ぎ」
「ちょっと!?今それ言う!?聞こえたからね!」
危機の中、最善を尽くそうと動いているロスに、ザハグランロッテから
零れ出た言葉はあまりにも無情なものだった。
「まあいいや!」
気を取り直して浮かび上がった魚を次々に岸に投げていく。
「その魚!叩き潰して全身に塗りたくるんだ!!」
川から上がりながら叫ぶロスの目に映るのは、ザハグランロッテのとても嫌そうな顔だった。
「こうやって!」
悩んでいる暇はない。
ロスは魚の尾びれを持って近くの木に叩き付けた。
グチャリと潰れた魚を頭の先から足の先まで塗りたくっていく。
「何よそれ!!!?私は嫌よ!?」
迷い無く動くロスを見て、ザハグランロッテは戦々恐々とした様子で後ずさった。
「こ、これがあの猿には一番効果的なんだよ!」
猿を指差しながら力説するが、ザハグランロッテと猿が、仲良く汚物を見る目でロスを見下ろしていた。
「ふふ…大丈夫、俺も手伝うから…ふふ…」
ロスは潰れた魚を握りしめてザハグランロッテに抱き着いた。
「お、お前!!」
「い、今は非常時だから!やましい気持ちなんてちょびっとしか無いし! だ、大丈夫だから!これで猿ともお別れになるから!」
嫌がるザハグランロッテの上から下までグチャグチャと魚を塗りたくっていく。
強烈な魚の生臭さが、辺り一面を侵食しているかのようだ。
「ひっ…ひっく…ひっ、ぐずっ…ひっ」
泣くザハグランロッテの手を引きながら、ロスは完全にやりすぎた…失敗したと反省していた。
いつも気丈な彼女が、顔をぐちゃぐちゃに歪ませ、見るも無残に泣きじゃくっている
…泣かされた。
生まれて初めて…こんなに泣いた…いや、泣かされたのは生まれて初めてだ。
それほど衝撃的で屈辱的で…心の底から嫌だった。
それなのに…。
「ご、ごめん…」
「ひっ…ひっく…臭い…ひっ最悪…お…お前、嫌い…ひっく」
必要な事だった。
魚の内臓やら臭いを塗りたくり、あの猿共から敬遠される。
そうしなければ追い掛け回され、もて遊び…そして殺されていた。
だけど…。
ザハグランロッテはロスが狼狽するほど泣きじゃくり始めたのだ。
全身に魚の汁、臓物が塗りたくられたザハグランロッテとロスは、今も猛烈な汚臭を撒き散らしている。
原因の猿共に向けられたギョッとしたような…正気か?とでも言いたげな顔と表情が思い出され、ロスは行き場の無い気持ちを持て余していた。
あいつらのせいで…!
彼女に本気で嫌われたかもしれない。
その思いが胸を締め付けていた。
私は自分がこんなにも泣けるのだったのかと、驚きながら泣いている。
魚を塗り付けられたのが嫌で…悔しくて…でもどこか…感情が爆発する楽しさを感じていた。
体中から魚の発酵した…汚物の臭いを発している自分が嫌で嫌で堪らない。
それをしたロスへの怒りは、これまで助けられた恩を吹き飛ばして尚許せないと思うほどだ。
近くにいた猿どもは1匹残らず何処かに消えてしまった。
猿からも嫌われる自身の有様に、必要な措置だったと…そう思う以上に嫌悪した。
泣きやまない彼女に、ロスは困り果てていた。
狙い通りの結果だが、猿にも汚物扱いされ、彼女は泣きやまないし…ロスだって複雑な気持ちになっていた。
「ひっく…お前…絶対、に、許さ…ない…」
もう何度言われたか分からない彼女の言葉に、ロスは今回も…何も言う事ができない。
「おかしいな…あの時の高揚感は何処に行ったんだろう…」
命を失うピンチと、命が助かる細い糸が同時に訪れていた状況だった。
余裕は無かったけれど、それでも冷静さを残しつつ対処できたはず。
高揚感はギリギリの状況だったから発生したと分かってはいるが…。
今、ロス達はあの大きな蛇を目指して歩いている。
大蛇の上にいた『人らしきもの』を助けようという決死の覚悟を持って…。
…いたはずなのだが、その崇高な想いは今や強烈な魚の生臭さに全て上書きされてしまっていた。
本当は急ぐ場面だし、物凄く危険を孕んだ行動なのだが…二人はトボトボ歩いている。
それでも、歩いていれば目的の場所には辿り着く。
「見てよザハグランロッテちゃん。…蛇さんと猿さんがこっち見たよ」
先程より猿の死体は増え、蛇の出血もおびただしい。
それがどうだ…!
ロス達2人が近づいた事で、なんと争いが止まったではないか。
「見てよザハグランロッテちゃん。これがLOVE&PIECEってやつさ」
「ひっく…ひっ、ひっ…」
一歩近付く毎に猿が1匹、また1匹といなくなっていく。
「この蛇…嫌がってるのに逃げないな…」
テンションが爆下げしていなければ、猿もいるし…恐らく大蛇への恐怖で、冷や汗と動機が激しくなっていたはずだ。
「ひっ…ひっ…ひっく…臭い…お前…臭い…」
臭いのはザハグランロッテちゃんも同じだよ…なんて軽口は、あの大蛇くらい大きく口が裂けていても口にできない。
「襲ってくるって感じでも無いし…でも、イビル種だよな…たぶん…」
一定の距離を保ち、どうしたものかと思案する。
こうして余裕を持って思案できるのは強烈に生臭いおかげ…。
俺の手柄…手柄…だよな?
大きく、派手で禍々しい蛇を前にして、ロスはいまいち気分が乗り切れない。
ふつうなら死をかけた場面なのに…。
どうにも気持ちが格好つかないな。
「こんな気分で、近付いたら怒って潰される…なんて事になったら嫌だなぁ…」
「ひっく…お前…嫌い…」
「俺はザハグランロッテちゃんが魚臭くても嫌いじゃない…いて!痛い!」
握り拳くらいの大きさがある石を投げつけてくるあたり、彼女がまだ本気で怒っているのが良く伝わってくる。
この大きさ…当たりどころが悪かったら死ぬ大きさだよ…?
「ひっく…イビル…種…は、ことば…分かる奴…ひっく、いる」
「それな…俺も聞いた事はある。眉唾だし、どうせ嘘だと思ってたけど…このまま見てても仕方ないし…」
猿と大蛇はずっと苛烈な戦いをしていたのだろう。
いまは生臭い奴らに水を差されて困惑しているが…。
蛇の上に乗っている人、その人が無事かどうかは正直どうでも良かった。
最初に見た時からそう思っていた。
あの時から…今も動いた気配は無い。
焦る時はとっくに過ぎているはずだ。
生きていても焦る必要はないし、死んでいるなら尚更だ。
ロスは意を決してイビル種と思われる蛇に話しかけて見ることにした。
「なあ、俺たち今ちょっと魚臭いんだけど敵じゃないんだ。もし言葉が分かるなら動かないでジッとしててくれるか?」
落ちたテンションが無ければこんなに自然な声は出せなかったろうな…。
「ひっく…く…臭い……ひっく、お、お前だけ…ひっく…」
益体もない事を思いながら、蛇の視線を探る。
その視線は喋るロスに向いているように見える。
ヤバイよな…あの巨体に乗られるだけで死ぬ自信がある…。
でも…。
彼女に嫌われてまで戻ったんだから…。
相変わらず上がらないテンションを抱えながら、精一杯それらしい事を考えて自分を鼓舞してみる。
ロスにとって、ザハグランロッテに嫌われるというのは、彼女と一緒に居られなくなるという事だ。
そのリスクを無駄にしない為に、ロスは思い切って、そしてゆっくりと歩を進めてみた。
すると蛇が少し動くではないか。
「やっぱ無理か?」
そう思いながらもう一歩前に出る。
するとやはり蛇が少し動いた。
敵意…というより逃げてる…?
さらに一歩。
蛇はやはり少し遠ざかる。
人を警戒している…??
いや、胴体は動いていない。
動いているのは頭だ。
「ザハグランロッテちゃん」
「ひっく…何よ…」
不機嫌だが、少し落ち着き始めた彼女は、不満そうにロスの言葉に耳を傾けた。
「この蛇ちゃん。俺の事が臭いみたい…」
「ひっく…ふ、ふぇ…お、お前、が臭いなら!私も…ひっく臭いんじゃないのよ!ふぇ…えぇぇ…」
あ…しまった…。
また泣かせちゃった…。
………仕方ない、だけど今は蛇ちゃんに集中しよう…。
これだけ近くにいて攻撃されないのだ。
流石に臭いからとは思いたくない。
こちらから攻撃しなければ危険は無い…と思いたかった。
「近くで見ると更にデカイな…」
想像以上のデカさだ。
そして胴体が太い。
この傷深いな…。
回復してみるか…?
「怖いなぁ…言葉が通じてればいいんだけど…」
ロスは傷口に手を当てた。
蛇の胴体がビクリと動き、ロスも驚いて逃げかけた。
「治してみるからちょっと我慢だぞ…」
腕の術式模様に魔力を通して手のひらから放出する。
魔法の力で急激に回復すると、その最中は傷口に痛みや痒みを感じるという。
攻撃だと思わないでくれよ…?
「痛いよな…もう少しだけ我慢してくれよ…?」
蛇の胴体を抉るように出来ていた傷口に肉が盛り上がり流れ出ていた血が止まる。
そこから更に鱗が再生するのかと見ていたが、鱗は再生しなかった。
「うーん。鱗は皮膚が硬くなって出来るのかな…?」
ともかく傷は塞がった。
これで次の段階に進めるとロスは考えた。
「どうだろう?傷は治ったよ?敵意は無いんだけど…分かってもらえたかな…?そうだったら嬉しいんだけど」
反応を見ようとロスは蛇の顔が見える位置に動いた。
すると、ロスが動いた分だけ蛇の顔が遠ざかる。
「いや…臭いのは分かるけど…ていうか、蛇ちゃんにまで避けられるとか、結構ショックなんだけど…」
蛇にまで臭すぎると避けられていると思うと急に気分が落ち込んできた。
「あの…背中の人?見せてもらえるかな?…あーその前に猿を追い払うか…」
そう言って、ロスは嫌がる猿を執拗に追いかけまわしてやった…。
「よし、全部逃げていったな!」
追いかけ回したせいで、全身から汗が噴き出している。
「そろそろ良いよな?…ておい!さっきより頭が逃げてない!?汗で生臭さが増したのか…?鼻がバカになってて自分じゃもう分からんな…」
大蛇の反応に傷付きながら、妙に人間臭い奴だなとロスは思った。
「登るけど、落とさないでくれよ?」
ロスはそう言ってから蛇の胴体をよじ登り始めた。
頼んだ事が伝わったか分からないので、嫌がられて振り落とされるかと心配したが、大蛇は大人しいままだった。
「ていうか、上の人。かなり臭いんだけど?俺はダメで上の人は良いのかよ…」
釈然としないものを感じながら蛇の上に乗っている人を観察する。
「若くて臭い男か…」
若い男だったらザハグランロッテちゃんに近づけたくないけど…。
ザハグランロッテちゃん、臭いのは嫌いだから大丈夫だよな…?
男と判明し、変な独占欲が湧いたロスは、無意識のうちに判断基準がズレていた。
「おーい!ザハグランロッテちゃん、悪いんだけど手伝ってくれないかな!」
「…………」
やはりまだ相当怒っているのか、返事をしてはくれなかったが、近付いてくるあたり、手伝ってくれるのだろう。
怒ってるザハグランロッテちゃんも可愛いなぁ…。
などと思いながら、彼女が登ってくるまでの間に、負傷箇所を一つずつ、痛そうな部分を優先的に、回復魔法をかけていく。
「ひ…それで…?どうなのよ…」
ロスが、離れてアレコレしているうちに彼女も落ち着いたのか、いつもの冷めた澄まし顔を決めている。
けれど、その目元は泣き腫らし、目は充血したままだった。
「うん。見たところ若くて臭い男だ。痛いっ!」
睨む彼女の目は冗談を許してくれない雰囲気だ。
「とりあえず傷を治して水分と塩分を摂らせるつもり」
「…なら…傷は私が」
彼女の言葉を聞いて、ロスは嫌な気持ちが胸の底から湧き上がったように感じた。
「えぇ…ザハグランロッテちゃんに男を触らせるのかぁ…」
嫉妬による言葉は、彼女の意見を否定するような言葉にも聞こえる。
そのせいか、彼女に睨まれてしまった。
「私も試しておきたいのよ」
彼女の意見は至極真っ当なもので、反論する隙が無い。
「この蛇ちゃん、この子を守ってんのかな…?」
ロスの不思議そうな声を聞いて、ザハグランロッテも、そういえば何故だろうと不思議に思った。
「どうしてそう思うのかしら」
「これは冗談じゃないんだけど、この子だって相当臭いよね?この蛇ちゃん、俺たちの臭いからめっちゃ逃げてるのに…この子からは逃げてないからさ…鼻が麻痺してるのかも知れないけど…」
ザハグランロッテは静かにロスの意見を聞いて深く考え込んでしまった。
そんな彼女が真剣な表情で口を開く。
「お前の考えを聞いて…思ったんだけど…」
「えっ?何?何を思ったの??」
「お前…やっぱり最低ね」
「えぇ!?そりゃないよザハグランロッテちゃん!俺はこの蛇ちゃんがこの子を守ってるなら素敵だなって思っただけで…」
意図せず似たような考えをロスが口にしたのが、ザハグランロッテは余計に腹立たしかった。
「お前の言う事など信じられない!」
強い口調で否定され、ロスは割と本気で落ち込んだ。
あれ?予想以上に信用失ってる…?
罹った生臭の呪いは思ったよりも強力で根深いようだ。
ショックを受けるロスを無視して、ザハグランロッテが口を開く。
「あ…気が付いたみたい」
「え?本当?おーい、大丈夫か!?」
ロスは目を覚ました若い男をのぞき込んだ。
絶対にザハグランロッテちゃんを先に見せてやらねぇぞ…!!
先ずは俺の顔を拝みやがれ…!
妙なこだわりがロスの頭を支配していた。
「う…ここ…俺は…?」
男は目を覚ましたばかりで、意識がまだハッキリしないのだろう。
キョロキョロしながら呆けた顔をしている。
「急かすのは止めた方が良さそうね」
彼女は自分の考えを口にしながら、男に水を手渡した。
「ゆっくりで良いけど、状況は思い出せるかしら?」
無機質に問い掛けるザハグランロッテを見て、ロスは嫉妬心がどんどん大きくなっていく。
くそ…!
ザハグランロッテちゃんに話し掛けられやがって…!
「……そうだ!!魔猿!!臭っ!!ゔぉえぇっ!!ゔぉええぇぇっ!く、臭っ!おお…おぇっぇぇぇぇ……!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「お前よ…お前の事よ」
「え?あぁ…何かごめん…」
俺も臭いけどザハグランロッテちゃんの方が近いのに…!?
だけど言えない…でも…この流れは良くないな…。
軽く流す方向でいこう……。
「大丈夫か!?安心してくれ、俺達は敵じゃない!」
ロスは臭い話題から離れ、せめて安心させようと、もう一度近づいて声をかけた。
「臭…ゔぉえぇぇ!!!」
「怪我はできるだけ治したけど、どうやらまだダメージが残っているようだな」
「弱っている人間に追い打ちとか…。お前…本当に最低ね」
彼女はとにかく全部、全てをロスのせいにしたいようだった。
「ひ、酷い…酷すぎるぜザハグランロッテちゃん…」
責任をロスに擦り付けようとする彼女に、ロスは小さな愚痴をこぼす事しか出来なかった…。




