10 疲れ果てた先に…前編
5月中旬
「あいつが魔獣を倒してくれたのは正直助かったよ。肝が冷えたけどザハグランロッテちゃんのおかげだね」
リヴァイアスによって首を落とされたイノシシの魔獣は、ロスの手によって手早く解体された。
そのまま肉として食べる用、日持ちする保存食用をかなりの量を確保したが、それでも食べきれない量が残っている。
ここで保存食を作れるのは、先の事を考えると有難い。
今は燻製を作りながら、横で食事をしているところだ。
…?
どうしたんだろう…?
すぐ近くでザハグランロッテが普段見せない顔で、静かに何かを考えている様子だった。
気になったけれど、彼女の邪魔をしないように話しかけないでいた。
いつものように、彼女が食べやすいサイズ、肉は一口大の大きさに切り分け、熱いのが苦手な彼女のためにスープも少し冷めた頃に出す。
「美味しいね!」
何でもない一言だが、何でもない一言を言える余裕が今の2人には必要なのだ。
お腹を満たし、心を満たす。
会話こそ少ないが、疲弊した精神が少しずつ回復するのをロスは感じていた。
この集落は、放置された畑にいくつかの作物が自生していて、嬉しいことに野菜も摂る事ができた。
それ以外にも、集落の散策で食料を持ち運ぶのに便利そうな袋や、古いけれど痛みの少ない服が手に入ったのもありがたかった。
おかげで旅の不摂生によるストレスは大きく改善したし、しばらく旅に耐える準備も十分にできた。
「この先も…同じ間隔で集落があるのかしら…」
「うーん、少しズレはあるかも知れないけど、街と街の間に有るなら、たぶん間隔は同じくらいじゃないかな…?」
まだ水の街が地の街と交流があった頃を想像しながらロスは答える。
両街の行き来には途中で寝る場所が必ず必要になる。
それなら夜は集落で寝泊まりして、次の日の朝に出発。
そして夜には次の集落で寝る。
そんな感じだったのではないかと。
「普通に馬車で街道を走れば一日で辿り着ける場所に集落を作ると思うんだよね…」
多分だけど…。
「俺達は魔物とか、かなり警戒しながら進んでて時間が掛かってるけど、これからも2日とか3日おきに集落があるんじゃないかな…?」
「そう…」
ザハグランロッテが何を思っているのか分からなくて、ロスは少し心配になっていた。
疲れは取れてると思うけど…。
いつまでもここに居るつもりはロスにもザハグランロッテにも無いのは確認が済んでいる。
出発はこのイノシシの肉が食べられなくなる頃、つまり2日後を予定している。
それまではここで英気を養い、適度な運動もする。
彼女はこの集落で体を鍛えていた。
本人曰く、その方が旅も楽になるかららしい。
彼女の希望でナイフの使い方を教えたりもしたが、ロスはなるべく戦わせたくなかった。
俺の手で守りたいってのはエゴだし…。
「何かあった時ナイフが使えた方が良いのは間違いないんだよな…」
自分のわがままを封印し、ロスはなるべく彼女の要望に答えるようにしていた。
「さて!そろそろ行きますか!!新しい冒険の旅に!!」
おちゃらけて言ってみたが、彼女は相変わらずの冷たい視線で早く先に行けと促してきた。
「分かってるから!でも、気分上げたいじゃんか!」
言い訳がましく抗議するも、澄まし顔で流される。
明るく振る舞っているが、実は結構緊張している。
ここに来るまでだけでも、かなり彼女を危険に晒したからだ。
オークの棍棒で彼女は死にかけたし、風邪だって治らない可能性があった。
集落から外に出れば、魔物や魔獣はアチコチにいるのだから。
そう考えるとリヴァイアスから貰ったこの回復魔法はありがたかった。
感謝する気にはならないけど…。
私に向かってふざけた態度を取っているが、ロスの表情はとても硬かった。
久しぶりの外…危険に身を投じるのを怖れている…?
この男でも緊張するのね…。
私自身、ここまで結構危ない橋を幾つも渡ったと思う。
それは誇張でもなんでも無く、命に関わるくらいヒリヒリするもので…。
とても…楽しかった…。
いつの頃からかは忘れたが、正直私はいつ死んでも良い…そう思いながら生きるようになっていた。
だからこの旅の途中で死んでも一向に構わなかった。
だけど…。
今までと、この旅で思う『死んでも構わない』の意味合いはかなり違う。
不幸の中で命を断つ…。
楽しく生きている中で命を落とす…。
私は今、楽しくて堪らない。
死ぬならこの楽しさの中で死にたいと心から思っている。
そんな私の思いとは違い、この男は私を絶対に死なせたくないと思っているようだ。
それは言動の節々から読み取れるし、緊張しているのが伝わってくる。
私はもう満足している…。
それを伝えられたらいいのだが…。
でも…そのまま伝えたら、また泣かれそうな気がした。
困らせるのは本意では無いのだから…。
水の街に行くには、街道を歩くのが間違い無い王道である。
しかし、それを難しくする障害物が魔物と魔獣である。
「よっ…と!」
ゴブリンを始末し彼女の様子を確認する。
よし…問題なし…。
「ゴブリンに遭遇する頻度が上がってきたなぁ…近くに巣穴でもあんのかな?」
どこにでもいるゴブリンだが、巣穴の近くになれば当然遭遇率も高くなる。
「少し隠れてゴブリンの行動を見ておいた方がいいか…?」
ロスは呟いてどうするべきか考えた。
動きを見ればゴブリンがどこを基準に動いているか分かる。
山で長く生活していたロスは、経験からその辺りの分析が得意だった。
「…お前が必要と思うならそうすればいい」
彼女はいつもの様に、自分の行動もロスに委ねるようだ。
そうだな…やっぱり確認しておこう…。
目下の行動が決まったロスは近くで腰かけるのに丁度いい高さの岩を探すと、岩の上に敷物を準備した。
ザハグランロッテをその上に座らせると、軽く食べられる物の準備を始めた。
「飲み物はどうする?温める?」
「そのままでいい」
「干し肉と木の実、さっき取った果実もあるよ。果物は皮を剥くからちょっと待ってね」
当たり前のようにアレコレ世話を始めるロスを、ザハグランロッテはボーッと眺めている。
ロスの世話焼きがどんどん酷くなっていると感じているのだ。
それに気がついた時、彼女は自分の事くらい自分でやると言ったのだが…。
凄く悲しそうな顔をされて困惑した。
当初は世話を焼かれ、少し嬉しく思っていたのだが、それも過剰になれば鬱陶しさが勝ってくる。
そして、それ以上にロスの精神が正常なのか疑わしく思えてくる。
「ん?どうかした?」
ザハグランロッテの視線に気が付いたロスが声をかけてきた。
「別に…変な顔だなと思って」
自然と口からそんな言葉が零れた。
「えぇ!?そこはもっと何かこう…見惚れてたとか、ドキドキしてたとか言う所じゃないの!?」
いつもなら冗談で返すロスが、今回は本当に少し期待していた様子を見せた。
「冗談は顔だけにしときなさいよ?気の毒になるじゃない…」
私は心配をしているのに…。
この男は何をふざけているのかしら…。
ザハグランロッテは、そんなロスに残念な顔を向けた。
「あっ!ちょっと!?その表情やめて?本気でそう思ってるみたいじゃん!」
心外そうなロスだが、果実の皮を剥き終わったと私に手渡してきた。
果実を受け取り口の中に含む。
果実の甘さと酸っぱさが疲れた体に染み渡る気がした。
「それと、これもどうぞ」
渡された器には何かの液体が入っている。
「あまり量は作れなかったけど果実のジュースも作ったんだ」
いつの間にこんな物を作ったのだろう。
時々、この男はこういう事がある。
不思議だが、この男は凄く器用なのだ。
この果実のジュースも割と手間がかかるはずなのに…。
「いつ作ったの?」
「さっき果実を集めてた時にササッとね、大した手間じゃなかったよ」
何でもない事のように言うが…。
「あそこ、ゴブリンだ…」
ロスの声にザハグランロッテは現実に引き戻された。
「左から来てるな…持ち物は…水か?あまり入って無さそうな…?」
それから何匹かのゴブリンがロス達の近くを通り過ぎていった。
「ゴブリン共の巣穴が近くにあるのは間違いなさそうだな。動きを見た感じだと街道沿いかなぁ…」
ゴブリンの様子からそう判断したロスは、彼女に森の中を通って街道を迂回しようと提案した。
「お前がそう考えたのならそれでいい」
2人で動くようになってから、決断は常にロスに委ねられている。
責任重大…。
間違えれば彼女を危険に晒す。
プレッシャーを感じる反面、信頼されているのだと…ロスは嬉しく思っていた。
「じゃあ、森の中を進むという事で!」
気を引き締めて前を向く。
願わくば何事も無く進めますようにと祈りながら…。
「お前…何か臭うんだけど…」
物凄く嫌そうな顔を向けて来るザハグランロッテにロスは猛抗議する。
「失礼な!俺はザハグランロッテちゃんがおならを致したのかと思って黙ってたのに!人のせいにするのは…」
「お前…殺すわよ?」
ザハグランロッテは腹が立って、ロスを思い切り叩いた。
「ま、待って待って!」
匂いに関わる事を、彼女と関連付けると、もの凄く怒るのは、流石のロスも学んでいた。
「ほ、ほら!俺でもザハグランロッテちゃんでもないなら他に原因が…あ…あぁ…?」
間抜けな声を出すロスに釣られて視線の先を追うザハグランロッテ。
そのザハグランロッテの目に映ったのは大きな人型の魔物だった。
「あれ何?」
「あ、あれはトロール…だと思う」
上を向いたまま呆気にとられているロスの口の端から不意にヨダレが垂れた。
「汚いわね、ヨダレを垂らすんじゃないわよ…馬鹿なのかしら?」
「ちょっと!失礼な!誰にだって予想外の事は起こるでしょうが!」
「そんな事よりもどうするのよ」
トロールが近くにいるにも関わらず余裕があるのは、この魔物は動きが鈍いからだ。
「あぁ!ほらザハグランロッテちゃんのせいで見つかったじゃないか!?」
「お前…覚えておくわよ?」
「は、早く!早く逃げよう!こっちこっち!」
実は、トロールとの遭遇はこれで2度目だった。
1度目の遭遇は、その大きさに随分ビビったものだったが、巷で言われていた通り動きは鈍く、落ち着けば逃げるのは難しく無かった。
なんだよこれ…!?
「ちょっと!こいつ速いじゃない!!」
珍しくザハグランロッテが焦っている。
「こ、個体差って奴かな!?は、走って!ザハグランロッテちゃんもっと走って!!」
このトロールと遭遇する前に洞窟の入り口を見つけていたのもあって、かなり余裕をかましていたのもいけなかったようだ。
「と、とにかく洞窟に入ればこいつは追って来られないから…っ!」
体の大きなトロールは洞窟には物理的に入って来られない。
逃げ切れるはずだ…!
以前のトロールと違って、こいつはロス達よりも少しスピードが速い。
つまり、徐々に追いつかれているのである。
「あ、あと少し…!」
こういう場面、あと少しがとても遠く感じるのは何でだろう?
「あ…足が…足が…」
「な、何!?ザハグランロッテちゃん!?足が何!?」
「攣りそう…!」
「えぇ!あとちょっとなのに!?」
ロスはスピードを緩め、すぐ後ろまで迫っていたトロールの前を蛇行し始めた。
「ざ、ザハグランロッテちゃん!少しゆっくりでいいから落ち着いて…ど、洞窟まで…ひあっ!」
蛇行するロスのすぐ横を、太い木の棒…というか木がドスンと落ちてきた。
トロールが棍棒代わりに振り下ろしてきたのだ。
「こ、怖っ!…でも!!」
ロスは後ろに回り込む動きを見せてトロールの目からザハグランロッテの姿を逸らし、更に時間を稼ぐ。
そして、トロールの周りを一周したところで、丁度ザハグランロッテが洞窟の入り口に辿り着くのが見えた。
「よし!これで…ってあっ!?コケた!?!?は、早く立って!!」
彼女の動きにもどかしさを感じてソワソワするが、足を押さえ引きずるような仕草が見えた瞬間、もどかしさの全てが心配へと変化した。
「足を攣ったのか!?」
時間稼ぎを止め、彼女の下に急いだ。
トロールが少しでも動きにくいよう、木が多く生えているルートを選ぶのは、ロスの性格…抜け目のなさが出ている。
心配だけど…落ち着けてる…。
ロスは自分のルート選択を褒めながら、少し距離を稼げた事を確認した。
ザハグランロッテに追いついたロスは急いで声をかけた。
「大丈夫!?念の為トロールも連れてきたけど、手伝ってくれるかな!?」
「ば、馬鹿言ってないでお前が手を貸しなさい!早く奥に…」
「何か…言葉が卑猥…」
少しでも重い雰囲気にしたくなくて、軽口で冗談を言っているが、ロスは焦りでいっぱいになっていた。
ザハグランロッテを引きずり、洞窟の奥へと移動する。
「くっうぅっ!あーっ!もうダメ!限界!!重っ…!」
スタミナを使い切った後、最後の力を振り絞って彼女を引きずり、洞窟の中に移動しているのだ。
ロスの体力も限界を超えている。
「だからッ!お前…重いとか失礼でしょうが!!?」
「い、いや!今は…ひやぁっ!!」
もうトロールには捕まらない所まで来たと油断していたロスは、洞窟の中に伸びてきたトロールの腕に悲鳴を上げた。
「お…おお!ビビった!ビビったぁー…!届かないよな?届かないんだよな??」
ロスの目の前でトロールの指がゴソゴソと動いている。
その指が自分に届かないと確信したロスは落ち着きを取り戻した。
「び、ビビらせやがって!この…バーカバーカ!!これでもくらえ!」
ナイフを鞘に入れたまま、ロスはトロールの指先をチクチクと刺激した。
指先の刺激に驚いたのだろうトロールの腕が洞窟から一気に引き抜かれる。
「よっしゃ!完全勝利だぜ!!」
ロスは達成感と開放感で、妙なハイテンションになっていた。
「ふ…ははっ…はははっ!か、完全勝利…ふはは!あれが…?完全…ふはっ!お腹が…痛っ…ふはは、足…痛っ…バカが…ふははは…は!」
妙なハイテンションはロスだけでは無かったらしい。
ザハグランロッテは攣った足を持て余しながら、腹を抱えて悶ている。
「なんだよザハグランロッテちゃん!完全に俺達が逃げ切ったんだから完全勝利だろ!?」
「ぷはっ!ふは、はははは!!もう止めて!お腹が痛い!!ふ、ははははっ!それよ…!あし!足を!」
彼女が楽しそうなのが嬉しくて後回しにしてしまったけれど、ロスは急いで彼女の攣った足を伸ばして治す。
それからしばらく2人は笑い倒した。




