9 目的…前編
5月
「ザハグランロッテちゃん!」
「なによ騒がしいわね」
いつもの冷たい口調は彼女がまだ異常に気が付いていない証拠だった。
守らないと…。
「誰か来た、ここから出よう…」
その瞬間、彼女が強張ったのが分かる。
彼女は前線基地で襲われた。
トラウマが彼女の中でフラッシュバックしているのかもしれない。
前線基地の暴漢どもへの憎悪が爆発しそうなロスは、それを顔に出さないように気を付けている。
奴等はもう全員殺した…。
殺しても殺し足りないが、不可能だと割り切って、いま必要な事に集中しなければならない。
この場所の廃集落に来たのが人なら、地の街の方面から来たに違いなく、地の街の方から来た人間ならマトモな人間である可能性はかなり低い。
遭遇すればトラブルに巻き込まれるのが簡単に想像が付く。
気付かれる前にここから逃げないと…。
ロスは内心焦っていた。
自分一人ならどうとでもなるが…。
ロスの脳裏にも、あの日の路地裏がチラつく。
彼女に狙いをつけられるのは我慢できない…!
「はぁ…仕方ないわね」
最近の落ち着いた生活が名残惜しいのだろうか。
彼女はやれやれといった様子で準備を始めた。
「ごめん。ここはまだ街から近過ぎたみたいだ」
謝罪を口にしながらロスは玄関口から集落の様子を観察する。
その先に見えたのは人影だった。
動いているのが見えている。
「やっぱり人がいるな…くそ、邪魔くさい。見つからないように行こう。さぁ、こっちに…」
運が無い時ほど、彼女に笑顔を…下手糞でも笑顔を見せていこうと決めていた。
そんな笑顔のロスに、彼女は何を言うでもなく黙って後を付いて行く。
「いやぁ、人が来るとはねぇ…」
あの廃村に住めれば街に物資を調達することも可能だった。
正直な気持ちを言えば、どうしても惜しい気持ちが出てしまう。
「………」
「でもこの分だと次の集落もたぶん無人だろうね」
「………」
「どうかした?疲れた??」
彼女がロスの話に何も言わないのは、別に珍しい事ではない。
けれど、いつもと何かが違う。
違和感を感じたロスは、無言のザハグランロッテが気になって彼女の顔色をじっくりと見た。
その表情にあまり変化は無いが、多少息が上がっている気がする。
よく見れば目も力が無く、虚ろになっている。
「もしかして…風邪?」
「………大丈夫」
少し遅れて彼女は大丈夫と言った。
「あ…こりゃ駄目だね」
冷めた澄まし顔は変わらないが、目の焦点が怪しい。
どうやら先程の集落が名残惜しかった訳ではないなかったようだ。
「ちょっと失礼するよ!」
ロスは彼女の手を取りながら背中を見せると、そのまま背負う要領でおんぶした。
「……お前におぶられるなんて屈辱よ。下ろしなさいよ」
偉そうな喋り方に力が入っていない。
風邪だとしても全く油断できない。
悪化しても薬なんか無いぞ…。
それがロスの不安を一気に引き上げていく。
「うんうん。後でちゃんと下ろすから!」
放っておいても大半の風邪は治る。
だけど、馬鹿には出来ない。
ロスは、風邪が原因で死んだ人間を何人も見てきたのだ。
だから、言葉以上にロスの心は不安と焦りで溢れ返っていた。
彼女を背負ってロスは歩く。
平気なフリをしているが、女性だろうと成人している人間は、かなりの重量がある。
あの時、川で感じた限界よりは背負ってる分負担は少ない。
けれど、やはり人一人おぶるだけでも負担は半端なくかかる。
それを悟られないように…軽快に歩かなければ…。
自分の必死な顔が、彼女から見えない事がありがたかった。
長くは運べない…。
近くの洞窟に入るしかない…。
情けない…。
力不足を嘆きながら、ロスは多少危険でも、雨風を防ぎやすい洞窟で休ませる事を選んだ。
この世界はあちこちに、地下に続く洞窟があるので洞窟を探すのにそんなに苦労は無い。
予想通り、街道沿いの森の中を2分か3分も探せば洞窟の入り口がぽっかりと空いているのが見つかった。
洞窟の中に危険が無いか警戒しながら確認し、問題なさそうだと判断してホッとする。
フラフラしているザハグランロッテに、申し訳ない気持ちになりながら少し立っていてもらう。
その隙に地面に自分の荷物や衣類を広げ、簡易の敷布団を作り、彼女に促すと倒れ込むように横になった。
簡易の敷布団は、全然柔らかくならなかった。それが悔しくて仕方なかった。
しかし、現状では今以上のものは用意できない。
ロスは次に洞窟の奥に繋がる道を土魔法で塞ぐ事にした。
一度の魔法で出せる土の量ではとても足りず、何度も詠唱を重ねた。
息が上がってきたけれど、使命感が勝り、黙々と魔法を使った。
彼女に見られているのを感じながら。
上部にほんの少し…煙を送る用の隙間を開けておいた。
洞窟に魔物や魔獣がいても、煙を嫌がって近付かない様にする小細工だ。
「簡素な呪文じゃない…」
彼女がそう言った。
比較しているのはあの日見せた火の魔法と水魔法の事だろう。
「あはは…あれは演出を派手にした方が面白いかと思ってさ…でも、塩は割と本気だったよ?」
あの長々とした呪文の大半は、大きな魔法陣を出現させる為のものだ。
大きな魔法陣はハッタリとして最高の働きをしてくれる。
本当は、種火の大きさなら指を鳴らすくらいの動作で出来る。
そして大袈裟な呪文と魔法の効果はきちんと出ていたはずだとロスは思っている。
あの時のザハグランロッテちゃんは楽しそうだったから…。
「ちょっと薪を集めてくる。一人にしてごめん…でも、なるべく早く戻るから!」
自分が病気で動けない時の事を思い出しながら、ロスは申し訳なさそうにそう言った。
病気の時は一人になりたくないし、誰かに側にいて欲しいからな…。
薪を集め、ロスが洞窟に戻った時、彼女は何も反応しなかった。
ドキッとして急いで様子を窺うと、ただ眠っているだけだったので心底安心して腰が抜けた。
額を触ると熱い…。
だけど、全然汗はかいていない。
これからか…。
まだ熱は上がるか続く…ロスはそう考えた。
心配する顔を見せて彼女を不安にさせたくないと思っているが、今なら彼女に見られないので安心して見せられる。
全然嬉しくないけど…。
「ファイア」
かざした手の先から種火が出る。
少し肌寒い洞窟の中も、焚火で暖かくなる。
目の前の焚火がゆらゆらと揺れている。
火は不思議だ、あまり長時間見ていると吸い込まれそうになる。
せめて彼女に寄り添わなければ…。
魔法というのは便利だ。
特に今の状況は、自分の使える魔法と特に相性がいい。
火と水と塩を魔法で用意できるのだから…。
魔法で塩が出せるのはロスの持つ特技で、最大にして最高の能力だと考えている。
だから、誰にも言ったことが無かったし、言うつもりもなかった。
バレればどいつもこいつも簡単に頼んでくるのが分かっていたからだ。
食料を確保するため、何度も洞窟から外に出なければいけなかった。
彼女を置いて行く度に不安になったが、行動しなければ後になって余計な負担になる。
火の管理をしながらなので何度も往復するのだが、彼女の様子が気になるロスは都合が良いとしか思わなかった。
水に塩を混ぜ、眠っている彼女の口に数滴ずつ含ませる。
含ませた薄い塩水が彼女の喉を鳴らすたび、自分が役に立っているように感じて大きな喜びを感じた。
もっと彼女の為に色々したかったが、病気に対してできることは少ない。
「ほんと…俺は役立たずだな」
自分の不甲斐なさに情けなくなった。
夜になると眠くなったが、ロスは気合と短い仮眠でなんとか眠気から逃れ続けた。
真夜中になってようやく彼女は汗をかき始め、とても苦しそうにしていた。
『代わってあげたい』
不可能と分かっていても、ツラい思いをするのなら彼女では無く自分にして欲しいと願った。
汗が出るのは熱のピークが近い証拠だ。
ここを乗り切れば快方に向かう。
それでも、ツラそうな彼女を見るのは嫌だった。
彼女にはいつも平穏でいて欲しかった。
自分が代わってやりたいと心から思ったところで、当然叶わない事であり、もどかしさでロスの心は何度も何度も締め付けられた。
明け方になっても、相変わらず汗をかいてしんどそうにしている。
あ…。
少し楽になったのか表情が少し和らいで見える事にロスは縋るしかなかった。
このまま快方に向かう。
そう信じ、願っているうちにロスは眠りに落ちていった。




