8 選択…後編
ここは集落の塀の中なのでウサギの逃げ場は限られていて狩りやすい。
荒廃しているのでどこかに穴は有るだろう。
それでも、森で狩るよりもかなり楽なはずだ。
痕跡を追い、ウサギを見つけたロスは慣れた動きで追い込んで行く。
この辺りの技術は山賊と一緒に行動している時に覚えたものだ。
よし…!
あっさりとウサギを仕留められ、ホッとしたロスは、血抜きをするために近くの空き家にウサギ吊しておく。
外だと他の動物に奪われる可能性があるので適当な空き家を選んで使う事にした。
これで…。
後で捌いて…ザハグランロッテちゃんに食べさせてあげよう…。
美味い料理で頬を緩める彼女を想像し、ロスの気分も徐々に上がってきた。
「お待たせ!運良くウサギが狩れたから、今日は肉が食べられるよ!まだ何匹か見かけたからしばらくここで休むのもいいかも!集落だったから井戸水もあるしね!」
今日は良い日であると強調したいロスは、とにかく明るく振る舞ってみた。
けれど、どうにもわざとらしくなってしまう。
こんなんじゃ彼女が不安になるかもしれない…。
「肉…」
少し視線を落とした彼女の表情は、いつもの澄まし顔なのだが、今日も感情の機微が分かりづらかった。
これは喜んでるのか…?
それとも…どっちだ…?
「ここは元々人が住んでいたから調理器具もあるし、温かいスープも作れるよ!あ、何か料理の話してたらお腹空いてきちゃったな」
「スープ…」
スープにも反応を見せた彼女に、ロスは手応えを感じた。
よし、これは行ける…!
「じゃあ早速取り掛かるかな…さっき良い家を見つけたからそっちに移動しよう。コーヒー淹れるから飲みながらご飯ができるまで待っててくれる?」
やはり彼女は疲れているのだとロスは考えた。
魔物に襲われ、追われながらの全力疾走に死と紙一重の幸運。
疲れるのも当然だ。
ロスは彼女を目的の家に案内すると、彼女の為にコーヒーを淹れた。
自分の分も用意したが、これは料理をしながら飲む事にする。
「あ、ササッとだけど綺麗にしておいたから横になっても大丈夫だよ」
不思議そうにソファを突いていたザハグランロッテは、ロスの説明に得心が行ったようだ。
「すぐ戻るから!」
「直ぐってどれくらい?」
「………そのコーヒーを飲み終わる前には戻るよ!」
「そう…ならいいわ」
短いやり取りだが、ロスを不安にさせるには十分だった。
彼女の不安を感じ取ったからだ。
いつもそうだ、事あるごとに自分の力不足、不甲斐無さを痛感させられる。
今まで何もしてこなかったツケだよなぁ…。
自分に嫌気がさす。
人生をやり直してこんな不安を感じさせない人間になりたい…そう思った。
「はぁ…ここで、少しでも休めると良いんだけど…」
足りないものは多かったけれど、ここまでの道のりは、これまでに得た経験と持ち前の器用さで何とか乗り越えられたと思う。
不甲斐ない自分に、彼女もかなり辛抱強く付いてきてくれた。
おかげでなんとか凌いで来これた。
けれど、ロスもかなりストレスを溜め込んでいた。
それでも頑張れているのは、ロスのすぐそばにはザハグランロッテという目的と達成感があったからだ。
逆に彼女には目的や達成感はあるのだろうか。
たぶん無いと思う。
だからたぶん…俺よりつらいはず…。
「俺は…ザハグランロッテちゃんが安心して笑えるようにしたい」
あの日、そう決めたのだ。
だから、ロスは生活の中心に彼女を据えた。
理由は無い…見返りもいらない…。
彼女には笑っていて欲しい…。
彼女が笑えるように…その様に行動するだけだ。
それが今のロスの行動原理だった。
ウサギを捌き終えたロスは汲んでおいた水で血を洗い流し、ウサギの皮を漬けておいた。
そうしてザハグランロッテを待たしている家に戻ったのだが…。
なんと家の中が少しキレイになっているではないか。
「おぉ…掃除してくれたんだ!」
「別に、お前がコーヒーを飲み終わる前に帰らなかっただけ…」
ロスが驚いて感謝を口にすると、彼女の口は嫌味を返してきた。
これはどっちだ…?
戻るのが遅れて怒ってる…?
……どちらでもいいか。
「ありがとう!!」
素早く判断したロスは、雰囲気を暗くしても精神的に良い事はないなと、努めて明るく振る舞う事にした。
焦ったところで心の疲れも体の疲れも無くなりはしないのだ。
今の何となく淀んでいるような…良くない空気は、疲れが取れて平常に戻るまで好転はしないだろう。
「別にお前のためじゃない」
素っ気ない彼女にロスの不安は大きくなっていく。
「そっかそっか、でもこれなら直ぐに始められるな!」
今日は彼女を失いかけた…。
失敗は消えてなくならない。
先ずはマイナスをゼロまで戻さないと。
「さて…早速ご飯作ろうかな」
彼女の言葉をあえて流し、ロスはホコリが払われてキレイになった調理場に向かった。
調理器具は、どれも汚れがこびりついている。
「水で洗えば使えるな…川で洗うか…。ザハグランロッテちゃんも来る?すぐ裏だけど」
さっき置いて行ったのは失敗だった…。
ロスは同じ失敗を繰り返さない様に、彼女の意思を確認する。
「当然ね」
「とは言ってもすぐ裏なんだけどね!ははっ」
「………」
ジト目で睨まれたがさっきよりも機嫌が良い気がした。
コーヒーを飲み終わるまでには戻ると言ったくせに、ロスは戻ってこなかった。
「やっぱり嘘じゃない…」
あの男は、私に危険が無いと判断したら、直ぐにどこかに行って何かしようとする。
今回もそうなのだ。
ここは森の中よりも遥かに安全で安心できる。
だからあの男は私を置いて行った。
「腹が立つわね…」
確かに疲れているし、ゆっくりしたいとも思っている。
淹れてくれたコーヒーは美味しいし、自分を思っての事なのも理解しているし、満足もしている。
でも…。
置いて行かれたら腹が立つのよ…。
むしゃくしゃする気持ちは、ご飯を食べて発散させよう…。
早く食べるには…汚れた家の中を見て、私は思った。
あの男の事だ。
きっと掃除から始めるわね…。
その様子がありありと想像できてしまったザハグランロッテは、埃臭い家の中を掃除する事にした。
家をある程度綺麗にした頃に、ロスは肉を持って戻って来た。
既に下処理は終わっているようだ。
別にロスの為では無かったのだが、礼を言われてしまい居心地が悪くなってしまった。
つい、無愛想な態度を取ってしまったが、これは仕方がないと思う。
料理をするのに調理器具を洗うとロスが言い、今度は誘われた。
私は思った事をそのまま口にした。
「当然ね」
「ささっと洗って」
ロスは砂を使って調理器具、食器を洗った後に川で汚れをすすぎ、今度は火にかけた。
「何をしてるの?」
「ああ、汚れは取れたけど雑菌は目に見えないからね。熱で消毒してるんだよ。腹壊したくないしね」
側で見ていると、ロスの手際はかなり良く、あっという間に終わってしまった。
手際が良いので見ていても飽きる事はなかった。
何か…凄い見られてるな…。
彼女の視線を感じながら、ロスは鉄板のネタを披露することにした。
「ここで俺の火の魔法が役に立つ…ザハグランロッテちゃんに俺の才能を見せる時がきたようだ…」
「お前に魔法が使えるとは思えないのだけど?」
これまで使うこと無かったわよね…?
「そんなこと無いよー!4属性使えるって言ったでしょ!?」
そう言われれば、前にそんな事を言ってたような気も…?
ザハグランロッテが微かな記憶を思い出している横でロスは呪文を唱え始めた。
「火を司りし精霊よ。我の言葉に耳を貸し、我の願いに助力を…!」
ロスの詠唱と共に部屋の空気が変化を始めた。
「我は火に願い、操り、ここに極大の結果を求めんとする」
極大…??
ロスの言葉に不穏な気配を私は感じた。
そして、部屋の空間に大きな魔法陣が浮かび上がり、私の不安を更にかき立てた。
「お前…これ部屋の中で使っていい魔法なんでしょうね…?」
明らかに攻撃力の高そうな魔法の雰囲気に、私は平静を装うものの声が上擦ってしまい、腹が立った。
「精霊よ!全てを燃やす力を我に!インフェルノ…ファイア…っ!」
否応なく不安の高まった私の目に、豆粒程の火種がゆらゆら揺れて見えている。
「……………」
「何これ…小っ…さぁ…」
極大??極大魔法はどこに??
まさかここからもう一段階…?
まだ何か先があるのかも…そう考え直した私はロスの様子を窺った。
「…よし!点いた!!」
ロスは満足げに言い切った。
「どうだ?役に立つ魔法だろ?」
「まぁ…そうね」
事実、火は点いた。
これで料理はできるのだから…。
でも…。
私は気になった事を聞いてみる。
「その魔法、戦闘で使えるの?」
「えっ?そりゃ無理だろ。これは原初の炎で種火だぞ?」
頭が痛くなるとはこういう事を言うのかと、ザハグランロッテは一人納得していた。
「驚くのはまだ早いぞ?」
「お前には私が驚いているように見えるのかしら?」
「まぁこれは料理が終わってからのお楽しみにしておこう!驚くぞ?がははっ」
呆れる私を見て、ロスはとても楽しそうに笑っていた。
ロスに乗せられた…。
それは分かっている…いつもならもっと腹が立ったかもしれない。
けれど、私は自分が少し楽しくなっているのに気が付いている。
これを…この男は狙ったのだろう。
「ウサギ肉を焼いた物と、ウサギ肉のスープ。それに芋を茹でて火を通したもの。今日は豪勢だなぁ!」
「確かに…ここ最近で一番まともな食事かしら」
ザハグランロッテの表情はいつもの澄まし顔で、特に喜んでいる感じはない。
「ではザハグランロッテちゃん…お待たせしました!」
「…何を?」
「これから魔法を使います」
「また魔法?何故?」
「ふふ…。驚くのはまだ早い!」
「何か驚いている様に見えるのならその目はただの飾りね。付いているだけで見苦しいから捨てた方が世のためね」
「そこまで酷くは無いでしょ!?」
ロスのノリに呆れを通り越してどうでもよくなったザハグランロッテだが、ロスは彼女を無視して詠唱を始めた。
「水の精霊よ!汝が管理し世界の至宝をここに集め給え!我の名はロス・グレイブ!我が願いをここに…極限魔法…ソルトスノー…!」
先程の魔法と同様に、空間に大きな魔法陣が現れ、ロスの言葉と共に小さな範囲で魔法が行使された…ように見えた。
「…それで?」
おお…冷たい目だぁ…。
冷え切った表情でロスに突き付けられる簡素な言葉。
呆れているのがひと目で分かる。
流石にこの魔法は疲れるな…
無理をして明るく振る舞ったが、この魔法は案外疲れるのが難点だった。
「何でそんなに顔色が悪くなっているのよ?」
見掛け倒しの種火を思い出してザハグランロッテは不思議そうにしている。
あの時は平気そうだったのに…。
そんな彼女にロスはテーブルの皿に出来た白い粉の小山を指差した。
「これは塩だ」
「…塩…ふぅん。それが?」
薄い反応にロスは逆に驚いた。
「えっ!?これ塩だよ!?」
「だから?」
「ま…まぁいいか…。料理の仕上げをするから、ちょっと待ってて…」
全く驚かなかった彼女にガッカリしながら、ロスは塩で料理の味付けを行った。
もしかしてザハグランロッテちゃん。
料理で使う塩の重要性を知らないんじゃ…。
元々お嬢様なら料理自体した事が無くても不思議はない…か…?。
「そうだ。せっかくだから塩有りと塩無しで食べ比べて見てよ」
ロスは塩をまぶして焼かれたウサギ肉と焼いただけのウサギ肉を一口大に切り分けて彼女の前に置いた。
一つは塩無し。
一つは塩有り。
彼女はまず塩無しの肉を口にして良く噛み、飲み込んだ。
「どう?」
「臭みが無くて食べやすいわね。お前…料理は出来るのよね」
「お…普通に褒められるとは」
予想外の言葉にロスは照れた。
「こっちは塩を振りかけた肉だよ」
「どう?」
「…美味しいわね」
少ない反応だが、表情に薄っすらと驚きが見て取れた。
その表情にロスは満たされた気持ちを感じて配膳を進める。
「でしょ?塩があれば料理は美味しくなる。それを魔法で出せる俺って凄くない?」
「さぁ?それが凄いのか私には分からないわね。それよりも全部の味付けを終わらせなさい」
遠慮の無い要求をされ、ロスはなんだかそれが無性に嬉しいと感じた。
肉を食べ、足りない満足感を芋で埋め、スープで固くなった神経を…心を満たしていく。
「美味しいね」
ロスの言葉に「そうね」とだけ返した彼女を見て、ロスは胸を撫で下ろした。
「折角だし、今日はザハグランロッテちゃんに何か弾いて貰おうかな」
ロスはそう言いながら、いつもの様に楽器を準備する。
「別に構わないけど…」
そう言いながら、特に迷いもなく楽器を受け取るザハグランロッテ。
もしかすると弾きたい曲があるのかも知れないと思った。
ゆっくりと美味しい食事ができて助かった…俺もだけど、彼女も落ち着けたみたいで安心した。
食事を済ました二人は新しく淹れたコーヒーを飲みながら、しばらくの間いつもの様に音楽を楽しんだ。
この無人の集落に到着してから数日が過ぎ、彼女の表情は明らかに和らいだ。
ここに来たとき、彼女の表情はやはり険しかったのだと理解した。
もうしばらく…いや、ここで生計を立てるのもありかも知れない。
そう思いはじめたロスの考えは、集落への侵入者によって霧散した…。




