8 選択…前編
今回も長かったので3分割しました。
5月
「あ、あのさっ!昨日のことは忘れてくれない?な、無かったことにしようよ!」
ようやく落ち着いたロスは、泣きまくって腫れぼったい目を擦りながら恥ずかしさで穴があったら入りたい気持ちになっていた。
無かった事にしてほしい…!
切実なロスの願いはザハグランロッテに軽く流される。
「そんなのどうでもいいんだけど、この服はどうしようかしら」
そ、そんなのって…。
ショックを顔に出しているロスに、ザハグランロッテは意地悪したくなったが、グッと我慢した。
昨夜の事を思えば、さすがの彼女も自重するのが礼儀だと思ったのだ。
恐らく私以上に必死に捜し回って、私以上に私の事を本気で心配していたのだ。
あんな姿を見せられては、私も甘い態度になってしまう。
そんな私の配慮が無駄だったかの様に、ロスの目からまた、ポロリと涙が溢れていた。
それをロスは直ぐに隠そうと拭って…、「いでっ…服は俺が用意するから」と言った。
まったくもう…。
助けられたのは自分だが、昨日からずっとロスをあやしているので、これではどちらが助けたのか分からない気持ちになる。
ロスの泣き過ぎて腫れた目はだいぶ刺激に弱くなっているようだ。
「目が腫れて少しは不細工に磨きがかかったみたいね」
「そ、そうかな」
褒めていないのに何故か喜ぶロスに、まだまだ精神的に落ち着いていないのだな…と、調子が狂う感じがした。
「ザハグランロッテちゃんの服をまた買わないと……………」
イヤだな……。
彼女の服を用意しなければいけないのだが、暴漢に襲われましたと言わんばかりの格好になってしまった彼女を連れて、前線基地には戻れない。
連れていけば新たなトラブルに巻き込まれるのは目に見えている。
ここは一旦手を離し、それから服の調達に向かう必要がある。
けれど、ロスはどうしても彼女の手を離せず…離したくなかった。
彼女を一人残しておくのも不安で不安でとても嫌だと思った。
彼女の手をニギニギしながらロスは悩みに悩んでいた。
「お前…私の服をさっさと用意しなさい」
「あっ…」
彼女に手を振りほどかれ、ロスの手は名残惜しそうに空中でニギニギと動いていた。
どうしても名残惜しい…ロスの手は空中でまだニギニギと動いている。
「気持ち悪いわね」
ロスの純粋な気持ちがザハグランロッテのキツい言葉で粉砕される。
「…ザハグランロッテちゃん、それはちょっと酷い……」
「いいからお前は早く私の服を用意してきなさい」
そう口にする彼女はいつもの澄まし顔をしている。
「ここで待ってるから…早く行きなさい」
重ねて言われたロスは、流石に動かざるを得なかった。
「……ここから動いたらダメだからね?何かあったら前線基地の宿屋に意地でも…死んでも逃げ込んで!」
そんなに必死な顔しなくても…。
必死なロスの様子に、ザハグランロッテは普通ではない何かを感じたが、何かできるわけでもなく、何もせず、ただ不甲斐ないと思いながら意味も無く周りの様子を確認した。
不安だ…けど仕方ない…くそ……!
「何かあったら絶対に逃げきって!宿屋に逃げて!」
あそこの店主には金を持たせているし、割と常識的な対応だったから何とかなるはず。
ロスは店主を思い出しながらザハグランロッテに頼み込んだ。
そして上着を一枚脱ぐと彼女の肩に掛けた。
返り血で真っ赤になった上着を見た彼女は、凄く嫌そうな顔で「汚いわね」と言った。
つれない言葉にロスは苦笑いしながら「何も無ければここにいてね!絶対だよッ!!」と何度も念押ししてから前線基地に向かった。
ザハグランロッテを置いて前線基地に向かうロスは、息を切らしながら懸命に急いだ。
恐らく自身の出せる限界を超えた速度で前線基地に到着したが、ロスはまるで足りないと感じていた。
前線基地の通りを歩くとロスの持金は増える。
スリを返り討ちにしているからだ。
「面倒だけど…」
スリにイライラするが、ザハグランロッテの服を買うのに必要な工程であり、我慢するしかなかった。
手慣れたスリすら返り討ちにするロスの技術は確かにプロの技だった。
そして何回か通りを往復し、ある程度の資金を獲得する。
お金を調整し、小銭が入った財布だけスリに盗らせたりもする。
ロスの手元には金貨や銀貨が残り、小銅貨や銅貨は他のスリに還元されていく。
くそ…こんな事してる場合じゃ無いのに…。
資金を確保したロスは、急いで目的の服を買いにいく。
少しダボついた服を買い、防具屋で防具も買い直した。
外見を隠すスカーフと全身を覆う外套も買っておいた。
そして、買い物が終わる頃、ロスは一人、覚悟を決めた。
「彼女はたぶん行くあてがない…」
壁の中、街で聞いた噂を聞いて考えたロスの結論である。
それならば、今後はどうするのか…困っているなら、自分が世話をしていこう…ロスはそう決心した…。
そわそわしながら、ロスは彼女と別れた場所へと急いだ。
誰かが来たり、彼女が一人でどこかに行っていないか心配だった。
結構な荷物を抱える事になったロスは目立っているはずだ。
目立てばトラブルを呼び込む。
それを自覚しているロスの警戒心は恐ろしく高い。
逸る気持ちを押し殺し、荷物を狙う輩やロスの背後に感じる金の匂いに釣られて寄ってくる尾行者を確実に撒いていく。
そして、行きの倍の時間をかけてようやく彼女の下に戻る事ができた。
いた…よ…良かった…ぁ…。
結果としてロスの心配は杞憂で、彼女には何の問題も無く合流する事ができたのだった。
ロスが前線基地に向かったあと、ザハグランロッテは急激な不安に襲われていた。
また不運に見舞われるのでは無いかと思ったし、時間が経つのが物凄く遅く感じられた。
そうか…。
自分では分からなかったが、気持ちが落ち着いていたのはあの男がいたからなのだろう。
そんな客観的な分析も不安を誤魔化すためのものでしかない。
だからコーヒーの香りに気が付いた時、ロスが戻って来たのだと直ぐに分かった。
「遅い」
思わず不満が先に出てしまった。
私の文句に、なぜか嬉しそうにしていて意味が分からなかった。
「ごめんごめん。ちょっとしつこい奴が多くてさ」
「しつこいのはお前だけでうんざりなんだけど」
「あぁ…うん。そうだね。それより服を持ってきたから着替えよう。俺は見張ってるから」
しまった…少し言い過ぎただろうか…。
少し凹むロスを見て、ザハグランロッテはこんな自分の性格が嫌になった。
けれど、そんな私に尚も気を使うロスを、どうしても試したくなってしまうのだ。
私が街に戻る前から過保護の気があったけれど、今は更にその傾向が強くなっている気がした。
ロスから服を受け取ると、ロスは少し離れて反対を向いた。
私はロスを観察しながら考えた。
この男はこの後…どうするのだろう…。
落ち着くと次に気になるのは自分の身の振り方だ。
正直なところ一時の危機は回避できて落ち着いたけれど、落ち着いたところで先は詰んでいるようにしか思えなかった。
「もういいわよ」
私はロスに向かって着替え終わったと伝えた。
「次はコレかな」
そう言ってロスが手渡してきたのは簡易の携帯食料だった。
前線基地と言うだけあって簡単に食べられる携帯食料は人気で、多くの種類が売られている。
ザハグランロッテはロスから受け取った携帯食料を受け取ると少しずつ食べ始めた。
それを見てロスはようやく少し安心できた気がした。
えっと…。
「あのさ…ザハグランロッテちゃん…」
おもむろに話しかけてきたロスに対して、ザハグランロッテはやや警戒した様子を見せる。
「なによ…」
雰囲気からロスが重要な話を切り出してくるのだと…ザハグランロッテは緊張した。
頭の中で悪い予感ばかりが浮かんでザハグランロッテの心は不安で支配されていく。
ここでお別れ…とか…?
もう面倒は見られないとか…言われるのかしら…。
落ちる気持ちを澄ました顔で気取られないように武装する。
「ザハグランロッテちゃん…その服、よく似合ってる。可愛いと思うよ」
「………は?」
悪い予感で緊張する私を拍子抜けさせる発言に思わず間の抜けた声を出してしまった。
イラッとしたけれど、私はそれに意味が有るのかもしれないと真意を探ろうと試みる…。
うん……分からないわね…。
「お前…」
ザハグランロッテの言葉は続かなかったが、珍しく複雑そうな表情になっていた。
「なぁ…何があったの聞いてもいい…?いや…それは今はいいか…。この後、どこか頼れる所とか、向かう予定の場所はある?」
まずりんごから…。
聞きながら、ロスはりんごを出し、それからナイフを取り出した。
何でもない事だが、この順番は意外と大事な事である。
ナイフを先に出せば怖がらせてしまうかもと、ロスは恐れたのだ。
りんごの皮をナイフで剥きながら、彼女が怖がっていないか恐る恐る確認する。
だ…大丈夫だよな…?
「…別に」
手探り状態のロスに、ザハグランロッテはボソッと一言で終わらせた。
その短い一言に、彼女の状況が集約されているとロスは判断した。
「はい、りんご…食べるよね?」
ウサギの形をしたりんごを渡し、彼女にどうやって伝えようか考える。
「えっと…」
ロスは真面目な顔を彼女に向け、断られる事を恐れながら言葉を続けた…。
「俺はザハグランロッテちゃんの助けに…最後まで助けになるよ…絶対に最後まで面倒見るから…」
それはロスの意思表明だった。
こういう事は、はっきりと言葉にして相手に伝えないと意味がない。
とにかく彼女の不安を取り除きたかった。
必要無いと言われてもだ。
「そう…。好きにすれば…」
彼女の不安そうな顔が、いつもの澄まし顔に戻った気がした。
けれど、彼女の声には勢いが無く、ロスはそれが気になった。
果たして自分の想いは正しく彼女に伝わったのだろうか。
確認したくても、そんな雰囲気では無かった。
ロスの言葉を聞いたザハグランロッテが元気になれなかったのには理由がある。
彼女の状況は、ロスが助けてくれるからと言って何とかなる単純なものでは無いのだ。
そんな事を難しく考えていると、不意にロスが声を掛けてきた。
「あっ!顔に汚れが付いてる。ちょっとジッとしてて…」
小難しい顔をしたザハグランロッテに、ロスは丁寧に、丹念に、そして優しく顔に付いた小さな汚れを拭っていく。
他にも汚れが無いか丹念に調べては丁寧に拭っていく。
今はそんな事をしている場合じゃ無いでしょう……。
どこか空気を読まないロスに、ザハグランロッテもどうしていいか分からなかった。
「さて…街には戻れなくなったし、ザハグランロッテちゃんを連れて山賊のアジトにも戻れない…」
ザハグランロッテちゃんの表情は変わらないけど…。
「考えたんだけどさ…今は困った事態だけど…俺は決めたよ……これは二人で冒険の旅に出るしかないっしょ!」
ロスはにこやかに宣言した。
「冒険……?」
「そうだよザハグランロッテちゃん!火の街方面…はボスに捕まるから、俺達は水の街を目指して冒険するのさ!」
「水の街…?」
「そう水の街!!どうだい?わくわくしてきただろう?そうだろう!?」
決して良くない状況だけど、ロスはその印象を彼女に抱いて欲しく無かった。
あえて明るく振る舞い、そして安心してもらおうと努力した。
「どの辺にわくわくする要素が?」
「未知の世界だよ?どんな出会いが俺達を待っているんだろー?とか、強敵との手に汗握るバトル!とかさ!」
「お前と一緒の時点で既に微妙ね」
「辛辣!でも俺は楽しみだな…」
彼女に気を使って話しているうちに、ロスはなんだか本当に楽しみな気持ちが芽生えていた。
思い返してみれば、この歳まで何もしてこなかった。
状況に流されながら自分が損をしない選択を続けてきただけなのだ。
「俺さ、こう見えても4属性の魔法が使えるんだぜ?」
「へぇ…」
ロスの魔法発言に、ザハグランロッテは少し驚いた反応を見せた。
「この冒険の旅できっと大活躍するから楽しみにしていいぜ?」
ドヤ顔を決めたあと、ロスは周りの荷物を纏めると、それを背負って宣言した。
「さあ、ここから俺達の大冒険を始めるぞ!」
まだ座っているザハグランロッテにロスは手を差し出した。
まだ彼女の返事を聞いていない。
不安でどうしようもなく落ち着かなかった。
頼む…。
ロスの想いを汲み取ってくれたのか、彼女はやや不本意そうにロスの手を掴み…「不本意ね」と言い切った。
必死に気遣ってくるロスに、私は何も言えなかった。
この男は私を放ってしまえば簡単に問題を解決できるのだ。
そうすればいい…。
その一言が言えなかった…。
そして私は流されるまま…申し訳ない気持ちを抱え…この男と水の街を目指すことになった。
どうしようもなくホッとした気持ちと共に…。




