6 世知辛い世界…後編②
「何でベッドを移動させるのよ!」
少し酔っ払ったザハグランロッテは、不満そうにロスに理由を聞いている。
「ここは前線基地だし!念を入れておいて損はないからね!」
相手が酔っているからか、ロスの声もなぜか大きくなっていた。
壁際までベッドを移動し、ロスは満足気に凝った肩をほぐす様に軽く回した。
気に入らない…!
結局、私は酒場が閉まるまで楽しみ、いまは宿屋で寝る準備をしている。
「これで何かあっても直ぐに気が付ける。俺は隣の部屋だから。何かあったら呼ぶか壁を叩いてくれ」
何かあれば壁を叩く…。
ああ…そういう…。
手の届かない位置だと咄嗟に叩く位置に壁が無い。
それを解決する簡単な方法がベッドの移動というわけだ。
酔った頭で意図は把握したけれど、それ以上に眠たくなってきた。
「もう眠いだろうし…俺ももう自分の部屋に戻るよ。それじゃ、おやすみ。鍵を忘れないように」
最後に何か嫌味を言ってやろうと思ったのだけど、何も思い浮かばなかった。
これで終わり……?
「……おやすみなさい」
えらく静かだな…。
冷めた表情は変わらないが、いつもの様な毒舌が返ってこず、ロスは寂しさを覚えた。
普通の返事が物足りないなんて…自然に頬から力が抜ける。
まぁ…素直な彼女も可愛いな…。
ロスは彼女に手を振り、ゆっくりと扉を閉める。
「鍵、忘れないように」
「………」
最後の念押しの後、返事は聞こえなかったが、鍵を掛ける音は聞こえた。
外から確認するとちゃんと掛かっていたので安心だ。
色々考えてしまって眠れないかもなと思っていたが、部屋に入ると疲れていたのか早々に意識を手放した…。
翌朝…。
目を覚ました二人は支度を終え、今は街の門が見える所まで来ていた。
「俺はここで見てるから」
犯罪者のロスは絶対に通れない。
それどころか拘束される恐れがあるので近づく事さえできない。
「お前の罪状って…そのだらしない顔だったかしら?」
「それだと、俺は悪くなくても捕まっちゃうじゃん?」
「そんな事はどうでもいいわ。お前のせいで森を通らされたけど…世話にはなったわね」
「なんか全然有り難さが伝わって来ない感じだけど…」
「二度と会うこともないだろうから精々意地汚く生きてなさい」
「いやいや、後でギルドに行くから!割と直ぐだから!」
まるで今生の別れの様な言葉を投げてくる彼女に、ロスは笑いながら反論した。
気に入らない…!
笑いながら話すロスに、私はイライラが止まらない。
『最後の夜』と言ったのはこの男なのだ。
私はここまで生きてきて、ここまで長く人と関わった事が無い。
手放し難いと思うくらい新鮮な経験だった。
なのに…!
「俺は前線基地の様子を見て暗くなったら街に行くよ。早ければ明日の昼、遅くても明後日にはギルドに顔出すから」
門を通れないロスは、夜の隙をついて街に入るつもりだった。
「ふん…」
具体的な日時を聞いて、私は渋々納得する事ができた。
不機嫌な様子を演出し、そして歩き始める。
心の中で『この男は会いに来ない』と予防線を張りながら…。
「やれやれ。最後まで強情だったなぁ」
門に向かって歩く彼女の後ろ姿を見ていると我が子の巣立ちってこういう感じなのかなと少し目頭が熱くなった。
子供がいた事は無いけど…。
門に着いた彼女が門番と何かを話している。
門番の様子から、彼女がまた悪い口で怒らせているのだろうと想像する。
「おっ?通れたか?」
門の横にある小さな扉が開いて彼女が扉に向かって歩き始めた。
見えなくなる間際、こちらをチラリと見たのが分かった。
ロスは手を振ってみたが、
見えたかな…。
「……………んー。問題無さそうだな…。」
扉が閉まってからしばらく、トラブルで彼女が出て来ないか待機していたが問題無かったようだ。
期待って……。
「まぁ、問題が起きても何も出来ないんだけどな…」
この場所で問題が起きれば兵隊を相手にする事になる。
そんな状況で権力を持たないロスにできる事は一か八か逃げる事くらいだろう。
そうすれば大方捕まって牢屋に入る羽目になるだろう。
だが、実際そうなっても俺は彼女を助けない……助けないはずだ………。
「さてと…ボスへの土産を見に行くかぁ…」
無事にザハグランロッテを街に送り届けたロスは達成感と彼女が居なくなった寂寞感を感じていた。
いつもの日常に戻っただけ…!
頭を振り、地に足を付けようと後ろ髪を引く感情を振り切る。
「それにしても相変わらずな感じだなぁ…」
一人になって余裕ができたロスは前線基地を歩きながら呆れていた。
下品…とにかく下品な場所なのだ。
暗がりとか少し裏の路地には例外なくダメな奴らが獲物を狙っているし、表通りでは酔っ払い狙いのスリがあちらこちらに散見している。
視界に入る範囲だけで三件の喧嘩に、地面に倒れている人間もチラホラいる。
しかも倒れた人を平気で踏みつけて歩いて行くし懐を弄っている。
店では価格をふっかけようとする店員や店主が、客と大声で揉めている。
「ここの人間より山賊の方がマトモな気がする…何か下の人間見ると自分はまだ大丈夫って安心するなぁ…」
ちょいちょいぶつかってくる人間を避けながら通りを歩いていく。
「オヤジ!これいくらだ?」
目ぼしい物を見つけたロスはすれ違いざまにスリから盗った財布を取り出そうと懐を確認する。
「んん??…俺も盗られてるな…」
盗ったり盗られたりしているが…、
「トータルでプラスだから問題無し!」
「物に変えるのは正解の一つだが、それを盗られない事だな!がはは」
ロスの様子を見ながら店主は愉快そうに笑った。
滅茶苦茶な前線基地だけど、最低限のルールはある。
それは働いている者から物を盗ってはならないというものだ。
これを許すと店をやる人間がいなくなり、全員が困るのだ。
このルールを破れば私刑が行われ、壮絶な死を迎える事になる。
「うん…結構買ったし早速送っとくか」
ロスは宿屋に戻ると樽の中に買った物を入れ、外側に大きく自分のサインを入れた。
「後は荷馬車屋に運搬を頼んで…」
この荷物は道中で山賊が出た時に渡される荷物だ。
この荷物が載っていたら、他の荷物は無傷で見逃されるので、荷馬車屋には喜ばれる。
ちなみに山賊といってもあまり強引な事は好まない。
荷馬車が魔物に襲われるのを待って、助けて感謝料をせびったり、困っていない荷馬車なら荷物の一部を奪う程度に収めている。
困っていない荷馬車を無理やり手伝って親切料をせびる事もある。
親切の押し売りとも言える。
ゴネても持っていくので間違いなく山賊は嫌われているのだが。
この親切の度合いが要求の度合いにも比例する。
ザハグランロッテのように女一人で脚もなく装備も無ければ死ぬのは確定路線なわけだ。
つまり死ぬのが嫌なら言う事を聞けって事になる。
山賊の情婦にされたり、奴隷として売られたりってのが定番だ。
それでも死からは助かってるでしょ?
そう言わんばかりに利益に変えてしまう。
この過度な要求癖がロスの自分ルールとどうしても合わない。
ザハグランロッテへの助け舟はそういったロスの心情が大きく作用していた。
「とりあえずボスへの土産も送ったし一仕事終了って事で…」
そうと決まれば宿屋に戻って夕方まで一眠りしようと考えた。
起きてから飯食って、夜になったら街に潜り込む。
「明日の昼にはギルドで働くザハグランロッテちゃんを見られるのか」
嫌そうな顔をする彼女がありありと想像できて笑えてきた。
「あぶなっ…」
人とぶつかりそうになって慌てて避ける。
当然スリなのだが、今回はお互いの手が当たって双方不発に終わった。
「ちっ!」
相手の舌打ちが聞こえてロスはうんざりした気持ちになった。
「さっさと宿に戻ろ」
外にいたら気が休まらない。
ロスは足を早めて宿屋に向かった。
「ふぁ…あ…ぁ…」
宿屋で目を覚ましたロスは、あくびをしながら外の明るさを確認する。
外は紅く染まっている。
「んあ?朝か………?」
………寝起きでボケッとした頭がゆっくりと回り始める。
「いや…飯食って街に行くんだった」
まだ時間に余裕があるので、いまいち気が引き締まらないが、ロスは支度を整えると外に出た。
「おっと…」
早速人がぶつかってきたので、ロスの目は嫌でも覚めた。
「ホント糞だな…」
ここにいる人間全員碌でもないと言い切っても間違いじゃ無さそうなところが問題なんだよなとロスは思った。
「とりあえず飯だな…」
ロスが近場の飯屋に入って腹ごしらえを終わらせた頃には、外はすっかり暗くなっていた。




