0 プロローグ
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ボコッ。バキッ。バシッ。バキッ。
「おい!何やってるんだ!止めろよ!暴力ふるっても解決しないだろうが!」
穏やかな日の差さす学食の一角で、場違いな怒りを宿した男が、同じ学生と思われる男に対し、一方的に暴力を振るっている。
「おいハウル!だからもう止めろって!」
一方的な暴力を、周りにいる人間は一人を除き誰も止められない。
暴力を振るう、この凶悪な見た目の男…ハウルと呼ばれる男が起こしている暴力事件を、やさ男が怒声をあげながら懸命に制止しようとしている。
しかし、言葉でハウルと呼ばれた男の暴力は止まらない。
無理だと思ったやさ男は、殴りかかるハウルに自分の体を無理やり割って入らせた。
強制的に殴る事を中断させられたハウルは、止めに入ったやさ男を憎々しげに睨んで吐き捨てる。
「ローレン…チっ、クズが…」
ハウルは殴っていた相手以上に蔑んだ目を、ローレンと呼んだやさ男に向けた。
「お前はいつもいつも…何で暴力で解決しようとするんだよ!」
ローレンの言葉は、ハウルの暴力を絶対に許さない。
そんな意志を宿していた。
ハウルの昂っていた感情が、ローレンの横槍によって行き場を失っていく。
「うるせぇんだよ!この偽善者が!」
場の空気は完全に冷めている。
興ざめしたハウルは興味を無くし、その場から離れようと考えた。
非難めいた表情を向けてくるローレンの顔が気に入らないが、これ以上関わる方がもっと気に食わない。
「どけよクズ!」
ハウル怒鳴りながら、自分が通るスペースをローレンの肩をドンッと、押しのけて作った。
いつもそうだ。
ハウルはローレンが偽善でお節介をするのが気に食わなかった。
とはいえ、普通の大多数の人間は、ハウルでは無くローレンを支持する。
というか、ハウルが孤立するのを好んで見ているのだ。
怒りをぶつける場所を奪われたハウルは、今回も、ただただイライラを募らせるハメになった。
「全く…。大丈夫か?」
怒り肩で立ち去っていくハウルを呆れながら見送り、ローレンは放置されている、殴られた男の様子を確認し始めた。
「怪我は…まぁ大したことは無さそう…かな…?」
「くそっ!お前の連れ、イカれてんじゃねぇのか!?」
殴られていた男は、ハウルがいなくなった途端に威勢良くなった。
「おいおい、現金なやつだな。まあ、それだけ元気なら大丈夫そうだな。とにかくすまなかったな」
かなり一方的に殴られていたが、男の様子から取り返しの付かない事態ではないと分かると、ローレンは一気に男への興味を無くした。
いや…殴られていた男への興味など、初めから持っていなかったのだろう。
「酒でも飲んで忘れるといい」
慰謝料代わりの小銭を男に渡し、ローレンは見えなくなったハウルを追いかけようと、尚も不満を口にする男を置き去りにする。
「お、おい!これで終わりかよ!?」
モブ扱いを受けた男は憤っているが、ローレンは無視して校内に設置された時計をチラリと見た。
「急がないと飯の時間終わっちゃうな」
ローレンの様子に、ボヤきほどの焦りは感じられない。
それどころか、余裕のある感じで人をスイスイと躱しながら食堂の方へと進んでいく。
ローレンの中にあるのは、せっかくの休憩時間を無駄な争いで消費させた、その原因のハウルへの興味だけだった。
目的の食堂に入ると何やら不穏な空気で張り詰めている。
またハウルが何かやらかしたのかと渦中の方向に視線を向けるが、どうやら今回の騒動は、ハウルが原因では無いようだった。
「ちょっと!貴方のせいで私の服が汚れたって言ってるのよ!?それが謝ってる態度なの!?」
やれやれ、あっちもこっちもトラブルか…。
声を荒らげる女子生徒が、自分の上着を持ち上げながら汚れた(らしい)部分を指差して抗議していた。
「私もザハグランロッテさんの態度は良くないと思うわ…」
怒っている女子生徒の周りには友人と見られる女子生徒が数人見える。
それに対してザハグランロッテと呼ばれた女子生徒は一人、側には誰もいないようだ。
「私の落ち度で貴方の服を汚したのは確かよ。悪かったわね。服は新しい物を用意して送らせるわ」
感情のこもらない口調、興味の無さそうな冷めた態度。
謝罪を口にするザハグランロッテと呼ばれた女生徒だが、これでは相手が怒っても仕方ないように思える。
彼女の姿は第三者であるローレンが、客観的に見ても謝罪しているようには見えなかった。
「どうしてみんな仲良く出来ないのかな…」
争いはローレンにとって理解できない事柄の一つだった。
お互いに一歩引けば仲良くできるだろうに…。
争いは大抵回避できるもの。
そう信念めいたものをローレンは持っている。
ハウルと揉めるのは自分が一歩引いてもハウルが一歩も引かないからだ。
少なくとも、ローレンはそう考えている。
さて…。
ハウルと揉める言い訳はともかく、しばらく様子を見て、解決しないようなら女生徒の争いに自分が介入しようとローレンは決めた。
「だから言っているでしょう!私が欲しいのは貴方の心からの謝罪です!服の弁償なんて当然の事でしょう!」
女子生徒の怒りは、ザハグランロッテがきちんと謝罪しなければ収まりそうもなかった。
対するザハグランロッテは、これ以上の謝罪をするつもりが無いように見える。
このままではお互いに平行線が続くだけだろう。
「仕方ないか…」
双方が一歩も引くつもりが無い。
そう判断したローレンは、両者の間を取りなそうと声をかけた。
「ねぇ、そろそろ終わりにしようよ」
自分が無関係でお節介なのはローレンも自覚している。
それを少しでも和らげる手段としてローレンがよく使う手段が、温和な雰囲気と敵意の無い笑顔。
「ローレンさん…」
怒っている女子生徒はそう呟いて少し嫌そうな顔をした。
しかし、それはローレンを嫌っての反応では無い。
「私はザハグランロッテさんが謝ってくれればそれで良いのです」
女子生徒は先程と同じ言葉をローレンに向かって繰り返した。
「それは見ていたから理解しているよ。ごめんね、盗み聞きするつもりは無かったんだけど、自然と聞こえちゃったからさ」
ニコニコしながらローレンは少しだけ申し訳なさそうなパフォーマンスを加える。
女子生徒が部外者のローレンを排除できず戸惑うのを確認し、ローレンはザハグランロッテと向き合った。
「僕も一緒に謝るからさ、仲直りしようよ」
ローレンもザハグランロッテが難しい性格なのを実は知っている。
けれど、彼女もこのまま争いが続くのは流石に嫌だろうとローレンは判断した。
「は?貴方には関係無いことよ」
スパッとローレンの提案は拒絶された。
この場が解決に向かうなら話に乗ってくれるかもという淡い期待は、切れ味のいい言葉でバッサリと拒否された。
「うーん。こんな時なら多少は耳を傾けてくれると思ったんだけどな…。不本意かも知れないけど、仲直りする為だと思ってさ」
ある程度、予想していた反応だ。
ローレンは焦らず言葉を続ける。
このまま俺とザハグランロッテさんの争いにすり替えればこの問題は解決……。
ローレンは、このザハグランロッテと女子生徒の争いを、自分とザハグランロッテの争いにすり替えてしまおうと考えていた。
そうすれば休憩時間さえ終われば問題は自然に解消…いや、有耶無耶にできる。
休憩時間が終わった後、ザハグランロッテさんに俺が譲ればいいだけ…別に争う意味も無いしね…。
自分でもこれ以上無い完璧な作戦だと考えていたローレンを、ザハグランロッテの発言が根底からぶち壊す。
「仲直り?仲を取り持つつもりかしら。それなら尚更必要無いわ。そもそも取りなす仲など最初から無いのだから」
冷めた表情でザハグランロッテは平然とそう言い放ったのだ。
「ちょっ…」
人がせっかく…そう言いかけたローレンだが言葉を口には出来ない。
それは解決への遠回りを意味するからだ。
「だから!貴女がきちんと謝ればいいだけでしょう!!」
大人しく聞いていた女子生徒が、ザハグランロッテの言葉を聞いて益々怒りを募らせてしまった。
周りの人間もザハグランロッテの発言にかなり引いている様子だ。
明らかにヒソヒソとザハグランロッテを非難する声が多くなったのだ。
しまったな…どうすれば……。
ローレンの作戦は、ザハグランロッテが粉々に砕いてしまい、このままだと状況は更に悪化しそうだ。
悩むローレンがどうしたものかと後ろ頭をポリポリと掻いていると背後でなにか大きく動く気配を感じた。
『ガンッ!!』
大きな音がしてそちらを見ると椅子が食堂の端に転がっていた。
「お前らうるっせぇんだよ!」
男の怒声が食堂に響いた。
これはアイツだなと予想しながらローレンは声の主を見る。
そこには予想通り、ハウルが怒りの形相でこちらを睨んでいた。
これは俺もいるから…余計に怒りが増してる感じか……?
ハウルの様子からその心情をローレンは予想する。
「人が静かに食べたいと思ってりゃピーチクパーチク大声で囀りやがって!」
「あ、貴方には関係ないでしょう!!」
ザハグランロッテに怒っていた女子生徒がビビりながら、果敢にもハウルに言い返した。
「それに!あ、貴方の方がうるさいじゃない!!」
「そ、そうです。貴方の方が静かにしてください」
「椅子を投げるなんて…」
「野蛮な人は黙っていればいいんです!」
「投げてねぇよ!蹴り飛ばしただけだッ!!」
女子生徒とその周りの友人達がハウルに向かって一斉に非難を始めた。
なるほど、仲間がいるから立ち向かえるのかとローレンは思った。
「うるせぇ!!そんな事はどうでも良いんだよ!!」
対するハウルだが、残念ながら相手の数に影響される性格ではない。
今にも殴りかかりそうな勢いで女子生徒たちを恫喝し始めた。
「おら!お前らのせいでこっちは不愉快な思いをしたんだ!謝罪しろよ!!」
あまりにも自分勝手と思えるハウルの謝罪要求に周りの人間は、唖然とし、硬直している。
そこに、一番謝りそうにないザハグランロッテが謝罪の言葉を口にするではないか。
「すまなかったわね」
そしてチラリと時間とハウルのテーブルを確認した。
「そこの食べられなかった分の費用は私が出すわ」
そう言ったザハグランロッテをハウルは一瞥してから視線を女子生徒達に戻した。
あの謝罪でいいのか…?
適当な謝罪に文句を付けなかったハウルをローレンは意外に思う。
先にザハグランロッテが謝ってしまったので、女子生徒たちは謝らない自分達に非があるような雰囲気を感じているようだ。
「おら!謝れよッ!!」
そのプレッシャーに負け、女子生徒は渋々謝罪を口にした。
「な、何よ!謝れば良いんでしょ!悪かったわよ、五月蝿かったのは事実ですもの!」
その瞬間、ハウルは隣にあった椅子を思い切り蹴り飛ばした。
椅子は大きな音をたて、弧を描きながら食堂の端まで吹き飛んでいく…。
『ガシャァァンッ!!』
「きゃあぁぁッ!!」
椅子の立てる大きな音が食堂の人間に恐怖を植え付ける。
「あぁ…?てめぇはそれじゃ駄目だろうが!?」
女子生徒も周りの人間も完全にハウルの雰囲気に飲まれている。
「偉そうに気持ちが篭ってないだの何だのほざいてただろうが…あぁ?お前の謝罪のどこに悪かったって気持ちが入ってんだよ…!」
なるほど、ハウルはどうやら一連の流れを全部聞いていたらしい。
確かに、ハウルの言い分は一理あるが…やり過ぎだ…!
「やり過ぎだぞハウル!それに暴力で相手を思い通りにしようとするのは違うだろ!?」
ローレンはハウルを止めようと、それが自分の役割だと前に出た。
「あぁ?お前がそれを言ってんのか?頭わいてんのかよ…!」
ハウルにされた反論に、ローレンは疑問を感じた。
一体何の事だろうと…。
そして、ハウルの怒りをローレンは理解できなかった。
いったいハウルは何が気に入らず、何に怒っているのか…。
「お前はそこの女に味方して数の暴力を振るって思い通りに動かそうとしてただろうが!だからてめぇはクズなんだよ!!」
そう言ってハウルは近くの椅子をおもむろに掴んだ。
「あ?ダメだ!みんな逃げて!!」
ローレンは女子生徒たちに咄嗟にそう言ってハウルの投げる椅子を防ぐ姿勢を取った。
「こいつは俺が抑えるから!早く行って行って!!」
女子生徒たちはどうしようかと戸惑っていたが、実際に椅子がかなりの勢いでローレンに投げつけられると悲鳴を上げながら食堂から逃げて行った。
「ほら!も、もういいだろ!?ハウル、落ち着けよ!ま、待っ…!」
椅子を投げ終わったハウルはズカズカと、肩を怒らせながらローレンに歩み寄ると思い切り殴り飛ばした。
「クズが…!」
ローレンを殴って少し落ち着いたのか、ハウルは散らかった食堂を眺めていた。
そして休憩の終わりを告げる鐘が鳴った。
「あの食事なら銅貨10枚ね…ここに置いておくわ」
そう言って逃げていなかったザハグランロッテが、近くのテーブルに食事代を置きスタスタと食堂から出ていった。
まるで何事も無かったみたいに…。
ローレンはザハグランロッテの胆力に感心しながらハウルに向き合った。
ハウルは銅貨を回収し、近くのテーブルと椅子を軽く直した後「残りはお前が直しとけ!」そう言い残して食堂から出ていった。
そうして静かになった食堂でローレンは先程の事を考える…。
「はぁ…流石に今回は俺の方が分が悪いかなぁ…」
ザハグランロッテと女子生徒の争いに余計な茶々を入れ、それをハウルに正論で非難された…。
「確かに…ザハグランロッテさんは謝罪してたしな…」
ハウルの言うようにあの場面は、女子生徒の方が暴力を振るっていた…。
そう考える事も出来たのだ。
正しさを尊び、暴力を嫌う自分が、見誤って強い側で取りなそうとしていたとは…。
介入した事に後悔はしていないが、内容と結果は大いに反省すべきだと、食堂を片付けながらローレンは反省する。
それにしてもザハグランロッテさん…。
彼女は伝統ある名家のお嬢様だ。
しかし昨今の時勢で家の力が変化し、没落寸前の家と噂されている。
そういった背景もあり、学内で難しい立場に追いやられている。
強者に対し、劣等感を持っている者の恰好の標的にされているのだ。
かつては誰からも羨まれていた家柄の人間が、あり得ない所まで落ちぶれ、今や自分と同じかそれ以下の所まできているのだ。
そういった人間を、この『地の街』は決して見逃さない。
弱った人間に対して、追い打ちをかけたいと思う人間が多いのである。
「俺やハウルの方が一般的な地の街の住人より穏やかに生活してるかもな…」
ザハグランロッテの家柄と比べれば、自分もハウルも何の取り柄もない准男爵の子供だ。
けれど彼女に比べれば風当たりはよほど緩やかだなと、そう思いながらローレンは食堂を後にした。




