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番外編・彼と彼等の長い午睡(4)

 その日から仔猫の飼主探しが始まった。

 まずは警察で確認をしたけれど、この子に該当する猫の捜索願は出ていないようだった。近所の店も散々回った。普段は利用しないスーパーや公民館まで手分けして見て回ったし、数駅離れた土地まで足を伸ばしたけれど、あの子と面差しの近い迷い猫を探している人はどこにもいないようだった。SNSは私も壱己もやっていなくて、普段からよく利用しているという益子さんや壱己の同僚の柳原さんの手を借りて情報を集めたり拡散して貰ったりしたけれど、これと言って有益な情報は見つからなかった。

 そうしている内にも仔猫は順調に成長していく。ほんの数日でトイレを覚え、ほどなくして離乳食をやめて固形のフードに移行した。動きも活発になってきて、仔猫用のおもちゃを買って帰ったら、楽しそうにじゃれついている。まだむっくりした短い手足をばたつかせてぬいぐるみと絡み合う姿は、胸が詰まるほど可愛らしい。

 こんな可愛い子が自分の家にいるなんて信じられない。この子がずっとうちにいると想像すると、それはまるで夢のようで──いや、駄目だ。これ以上、情を移しては──…


「もういいじゃん。うちで飼えば」

 

 あまりの愛くるしさに涙を滲ませながら仔猫を見つめる私を白い目で見て、壱己は呆れたようにそう言った。ネクタイをほどきながら、この子が来てからというもの定位置となったリビングの隅で膝を抱えて座り込んでいる私を見下ろして。

「充分探しただろ。それでも見つからないんだからしょうがねぇよ」

「い…いやでも、そう簡単に諦める訳には…」

「別に簡単でもないだろ、散々手は尽くした。それにお前、今さら元の飼主見つかったからってそう簡単に返せるの?思いっきり情移しやがって、今日だってそいつが昨日一日ウンコしなかっただけで、心配過ぎて離れられない、離れたくないって有休取ったりしてんじゃん」

 壱己の遠慮のない突っ込みに、私はうっと言葉を詰まらせる。ちなみに便は、午前中には健康な状態で出た。

「だ、だって今日は急ぎの仕事もなかったし、有休だって貯まってるから消化しなきゃいけないし…」

「重症なんだよお前。もうほとんど手遅れじゃねぇか。どうせ離れられないんだったらここで腰据えて暮らす環境整えてやった方が、そいつの為にもいいんじゃないの」

「そ……」

「どうしても飼えないっていうなら早めに里親探しに切り替えた方がいいだろ。小さければ小さいほど引き取り手も見つけやすいだろうし、ここでの暮らしに慣れきってから手放すんじゃそいつも可哀想だろうよ」

「……う……」

 その通りだ。壱己の主張は全面的に正しい。

 でも──でも、だ。

「何をそんな悩んでんの?」

 ほどいたネクタイをだらんと首に掛けたまま、壱己は私の前に片膝を立てて座り込む。近距離で顔を覗き込もうとするから、私はふいっと目を逸らした。その顎を壱己が片手で掴んで、元の位置に引き戻そうとする。

「ちょっと、やめて。あんまり目を合わせたら…」

 夢に、落ちる。

 抵抗する私を、壱己はさらに強い力でぐいっと引っ張った。私はぎゅっと目を閉じる。

「もう、やめてってば」

「目ぇ合わせたくなけりゃ正直に言ってみな。何をそんなに迷ってる?」

「どういう脅しよ…」

 私は伏せた瞼を細く開けて、壱己の表情をちらりと窺う。意固地に結ばれた口元が目に入り、深い溜息を吐いた。こうなったら壱己はしつこい。観念して、話すしかないのだ。

「……この子がどう思ってるのか、わからないから……」

「………なんて?」

「この子がどう思ってるのか、聞けないから。わからないから。飼主が私じゃ不満だって思うかもしれない。もっといい飼主がいるかもしれない。ましてや前に住んでた家があってそこに家族がいるんなら、本当の家族に会いたい、帰りたいって思ってるかもしれないし、いくら可愛いからって、私が勝手にここに引き留める訳には、いかない…」

 私の言葉は尻すぼみに小さくなっていった。壱己が眉間に寄せた皺が、みるみる深くなっていくのがわかったからだ。

「いや…そんなのわかる訳ないだろ」

 馬鹿にしているとか呆れているとかを通り越して、唖然としている、といったような声だった。

「だから言いたくなかったの!わかる訳ないのはわかってる。でもだからって、この子の気持ちを無視して勝手に決めるのは…」

「わかった。じゃあこいつに聞いてみよう」

「え?」

 壱己は突然立ち上がりさっとキッチンに行った後、すぐに戻ってきた。

「右手が灯里、左手がその他の飼主だ。どっちがいいかお前が選べ」

 仔猫に鼻先を近付けて、真正面からゆっくり言い聞かせるように告げる。そしてぐっと握った両手の拳を、仔猫の目の前に突きつけた。

「ちょ、ちょっと、何してるの?何考えてるの?」

 焦る私を尻目に、仔猫は「ミ」と短く鳴いて、ふくよかな手の肉球面を壱己の右手にぽてりと落とした。壱己はうんと満足そうに頷く。

「右だな。よかったな灯里。こいつはお前を選んだぞ」

「嘘!何か細工したでしょ。右手に何か──」

 慌てて壱己の右手をこじ開けると、手のひらからミニサイズのカルパスが出てきた。壱己がよくビールのつまみにしているものだ。

「子供みたいなインチキしないで!」

「お前が面倒くさい事ばっか言ってるからだろ。さっさと腹決めろよ」

「そんな簡単に言わないで…!」

「みぃぃあーーー!」

 仔猫はいい匂いのする食べ物欲しさに、カリカリと壱己の手を引っ掻く。


 猫の気持ちなんて、わかる訳ない。

 私も壱己もそう思っていたけれど、それは半分間違いだった。

 その時の私達は気付かなかったのだ。気持ちはわからなくとも、この子について知るすべはある。

 私達には無理でも、そう、例えばあの人なら───。

 

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