74 epilogue1
「白崎さん、すっごく綺麗」
小さなデジタルカメラを手に、小さな益子さんがにっこりと微笑む。
「ありがとうございます…?」
カメラなんて向けられ慣れていない私は、思わず目を逸らし、俯いてしまう。
「ほら、ちゃんとこっち向いて。後でプリントして経理部の皆に見せるんだから」
「え…それは嫌…」
「嫌じゃない、笑え。幸せいっぱいの笑顔をカメラに向けろ。何の為に式を挙げたと思ってるんだ。俺らが幸せな結婚をした事実を、周りの奴らに知らしめる為だろ」
「え……そんな動機だったっけ?」
「じゃあこの写真、社内報に載せような」
「うんうん。うちの会社、社内婚ってあんまりないもんね。貴重な機会だから、社長からのお祝いコメントも貰おうね」
「絶対やめて下さい…!」
私が悲鳴をあげると、諸山部長と益子さんが顔を見合わせて笑う。
慣れてないのは写真撮影だけじゃない。
裾を引き摺る純白のドレスを身に纏って丁寧なメイクを施した自分も、艶のあるライトグレーのタキシードに包まれた壱己も、見慣れなさ過ぎて目を覆いたくなる。両手で握った可憐なブーケの花びらを毟りたくなる。
私は嫌だと言ったのだ。婚姻届を提出すれば婚姻は成立する。それで充分じゃないかと。
なのに、壱己が。
「一生に一度でいい、お前が全力で着飾った姿を見たい。俺らが結婚した証拠を写真にして後世に残したい。奥さんどんな人って聞かれた時に見せびらかす写真が欲しい。あとドレスは俺が脱がせたい」
俗な欲望を剥き出しに、写真だけでも撮ろうと主張した。
私は拒んだけれど、婚姻届の保証人欄の記入を頼みに実家を訪れた際、父がぽつりと「灯里の花嫁姿も見たかったけどな」と漏らした。
それを聞いて、壱己は我が意を得たりと怒涛の勢いで私を説得し始めた。ほどなくして、写真だけなら撮ると私は折れた。
そう、初めは写真だけという話だったのだ。
ところが撮影の相談に行った写真館が、隣接した式場と提携しているスタジオだった。ついでに家族だけの小さな式を挙げたらどうかと強く勧められた。その方が自然な写真が撮れるし家族も喜ぶ。金額も大して変わらない。営業担当者の巧みな話術に流されて、気付いたら私も同意していた。
多分壱己は最初から挙式をしたくて、そのスタジオに連れて行けば押しに弱い私が流されてうんと言うのをわかっていて、そこを選んだのだ。卑怯者め。
大体、式を挙げると言っても誰を呼ぶというのか。
きっかけになる一言を漏らした父を呼ばない訳にはいかない。でもそうなったら壱己の両親も、となる。壱己には、私と父の間の微妙な気まずさどころではない、もっと根深い確執がある。それでもいいの?と私は心配したけれど、当の壱己は「いいよ。別に今さら」とけろっとしていた。
「母親は今は圭伍さんが上手く操縦してる。無難に終わるだろ。圭伍さんには義理があるからな。どっちも呼ばないって訳にいかないし、義理の父親だけ呼んで実の母親呼ばない訳には、もっといかねぇだろ。圭伍さんもお前に会いたがってるしな。改めて顔合わせする機会設けるくらいなら、いっぺんに済ませた方が楽だろ」
圭伍さん、つまり壱己の継父は、聞くところによると本当にまともな人らしかった。親子の実感はさらさらないけれど一人の大人として信頼はしていると、壱己が言うくらいには。
諸山部長と益子さんも呼ぶことにした。
お互いの部署の代表という体だったけれど、内情は違う。
「俺らと親たちだけじゃ息が詰まる。あの二人はそういう場の緩衝材としてはこれ以上ないくらい優秀だ。呼ぼう」
ひどい。招待する理由が酷すぎて、とても益子さんには伝えられない。でも来てくれたら、確かに心強い。
ごめんなさい益子さん、と心の中で謝りながら招待状を渡すと、益子さんはいたく喜んで「絶対行くよ」と言ってくれた。心底申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
披露宴はなし、挙式後にほんのささやかな会食の場を設けただけ。準備は手間取らなかったけれど、当日まで、なんなら式の真っ最中も、私は不安でいっぱいだった。
いざ式が始まると、壱己の母が派手に泣き出した。どこからどう見ても最愛の一人息子の晴れの日を喜ぶ母親に見えた。
その涙には一体どんな想いが含まれているのだろう。いつかそれを私たちが知る時は、来るのだろうか。
ちなみに二番目に泣いていたのは益子さんだ。壱己の親戚か何かだったっけ?と疑いたくなるほど泣いていた。こちらはわかりやすい、感動と祝福の涙だった。
「芦屋くん、よかったね。積年の、重っったい片思いがようやく実って…よかったねぇぇ。粘り勝ちってこのことだよね」
「次は益子部長の番すね」
「えっ、厭味?既婚者マウント?マッチングアプリで会った人、全滅だったの知ってるよね?」
「益子さんはアプリとか向いてないよ。時間を掛けて育んだものに価値を見出し見出されるタイプだ」
「時間かけてる場合じゃない歳なんだけど」
益子さんは可愛らしい膨れっ面を諸山部長に向ける。長年身につけて体の一部みたいになった薬指の指輪を、ほんの一瞬、恨めしそうに見つめて。
そういえば諸山部長は学生結婚だったって、壱己が言っていたっけ。
この優しいひとが、いつかまた他の誰かを好きになれますように。想いの通じる人が現れますように。おこがましくも、私はそんなふうに思った。
式が終わった後、圭伍さんから深々と頭を下げられた。
「灯里さん、これからも壱己をよろしくお願いします。しなくてもいい苦労を山程味わってきた子だ。それでも君があの子に将来への希望を与えてくれた。その事に感謝します」
私は驚いて目を瞠る。壱己が実の両親から受けた仕打ちは、継父であるこの人は何も知らないものだと思っていたから。
「…壱己が話したんですか?」
「いや、あの子は何も。自分の弱いところを人に見せるのを嫌うから。妻から聞いたんだ。彼女も彼女なりに、反省も後悔もしてる。せめてこれからの壱己が幸せでいられるよう、僕達も手を尽くすつもりだよ。困った事があれば君の方から教えてくれないか。あの子が僕らを頼ってくれる事は、多分一生ないだろうから」
圭伍さんは真摯な口調でそう言った。
「僕らは家族になるのが遅過ぎた。父と子の情で繋がる事は、多分今後もないだろう。でも僕は一人の人間として、あの子の事が好きなんだ。僕に出来る事は何でもしてやりたいと思うくらいには」
私は何も言えず、ただ黙って深く頭を下げた。
父と子ではないと言いながら、二人して同じようなことを言うんだな、と思った。
そうして私たちの結婚式は、穏やかに恙なく終わった。
そして、その日の夜。
私と壱己は、テーブルを挟んで真顔で向かい合っていた。
「灯里。お前の希望通り、式が無事に終わるまで待った。今日こそちゃんと話し合うぞ」
「……はい」
私は進路希望票を白紙で提出した生徒みたいに、萎縮して頷いた。
壱己は別に怒ってる訳ではない。ただ私が話し合いを避けて先延ばしにしていたから、待ちくたびれているだけだ。
「お前の能力を消す。それを実現する為に、いつから動こうかって話だよ。つまり…」
私の能力を消す方法。
天河さんには不可能で私には可能かもしれない、命懸けの儀式。それは──…
「いつになったら生でしていい?」
「そういう言い方しないで…‼︎」
『妊娠・出産』──だそうだ。




