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何て恐ろしい人だろう。私の頭は、ただそれだけでいっぱいになる。でも壱己はそうじゃなかった。
「…それで本当に大丈夫なのか?あんた、灯里の時は弾性がどうとか…そんなに保たないとか何とか言ってたじゃねぇか。今回も…」
畏怖はあれどちゃんと頭の中を整理して疑念を晴らそうと、無理矢理に頭と口を動かしているのがわかる。
「あの時は記憶の断片を表層的に重ねただけだったからね。今回は回路そのものに手を加えてるから根本的に違う。それに幸い──いや、彼にとっては不幸にも、かな。父はこれまでに何度か、妄想癖のある狂人扱いされた経験…記憶があった。まぁそうだよね。実際父の執着は、けっこう偏執的だと思うしね。その時の記憶が案外根深く残ってたからさ。それも利用させてもらった。フィルター部分に据え置いて、能力に関して想起する度に再現されるようにしたんだ。つまり能力について思い出そうとする度に、頭のおかしい変態呼ばわりされた過去がリンクして、やっぱり自分は病気なんだって認識が強化される仕組みになってる」
「今さらだけど、あんた自分の父親相手に随分エグい事するな…」
壱己はそれこそ変態を見るような目付きで天河さんを見たけれど、彼は泰然と微笑むだけで話を続けた。
「今回の回路の繋ぎ替えはね、実を言うと僕も初めてやったんだ。さっき思い付いたばっかりの策なんだよね。僕もこれまでは夢の仕分けとか、感覚的にやってたんだ。でも父が親しくしていた大学教授から聞いた話を、記憶を探ってる内に見付けてさ。あぁこういう理論なんだ、これ使えるなって思ってやってみたら上手くいった。でも時間はかかるし疲れるから、もうやりたくないな。お祖母さんにも怒られるだろうし」
天河さんはふいっと席を立ち、ガムシロップとマグカップを手に戻ってきた。缶コーヒーをマグに移し替え、ガムシロップを何個も注ぎ足す。
「今後の経過観察も兼ねて、父の事は僕が見張っておくよ。とりあえず数日後、目を覚ました頃合を見計らってもう一度会いに来る。その後は専門の病院に連れて行くって体で、東京に呼び寄せようと思うんだ。病人の自覚が強化されてちょうどいいんじゃないかな。面倒なところはあるけど家族だから、近くに住んでた方が僕も安心だしね」
どう受け止めればいいのか、さっぱりわからなかった。
父親に対して残酷にさえ思える仕打ちをしておきながら、傍にいた方が安心だとか、お祖母さんに怒られるからやりたくないとか、普通の子供みたいなことを言う。
倫理も道徳も情も愛も、あるのかないのか、まるでわからない。でもきっとこの人なりにそれらはあって、傍から見れば歪で矛盾していても、彼の中では自然な形で同居しているのだ。世間の断ずる善悪に拠ることはなく、ただ、天河さんの中の正しさによって。
「説明も終わったし、帰ろうか。明日も仕事だしね。父を向こうに連れてくなら、色々やる事あるし、何日か有休でも取ろうかな」
突然現実的なことを言って席を立とうとした天河さんを、壱己が「待て待て」と引き留める。
「一番大事な話をまだしてないだろ」
「何だっけ?まだ何かあったっけ」
「俺らが何のためにここまで巻き込まれてやったと思ってんだ。灯里の能力を消す方法を教えろ。父親を見つけたら話すって約束しただろ」
「あぁ、そうだったっけ」
天河さんは心底忘れていた様子だった。いや、でも、気持ちはわかる。正直私も今の今まですっかり忘れていた。他に衝撃的な話が多過ぎて。
「大体さ、何であんたは消す方法を知ってて自分のその傍迷惑な能力をそのままにしてるんだ。どうせ、あったらあったで結構便利くらいに思ってるんだろ」
壱己の指摘に、天河さんはあははと楽しげに笑った。
「まぁそういう気持ちもなくはないけど。そもそも僕には無理なんだよね。絶対無理」
「何だそれ。この期に及んでまさか、実現不可能な方法だっていうのか?生贄が必要な怪しい儀式とか…」
「どうかな。生贄とは少し違うけど、命懸けなのは確かだよ。僕には不可能だけれど、白崎さんなら出来るかもしれない」
「勿体ぶってないでさっさと教えろ」
苛立つ壱己を楽しそうに見つめて、天河さんは内緒話を打ち明けるみたいに「それはね」と小声で告げた。




