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 「すっかり騙されたよ。あのひとは嘘が下手だったのに、巧いこと隠したものだ。君なんだな。僕がずっと探してたのは」

 「…放して…!」

 手を振り払おうと抵抗して揉み合う内に、ミフネ君に羽交い締めにされた。容赦なく押さえ込まれて、もがいても逃れられない。首元が圧迫されて呼吸が苦しい。

 助けて、壱己。

 心の中で叫ぶけれど、ここには壱己はいない。来れない。どうしよう。どうすれば──…


 「やめた方がいい」


 穏やかにミフネ君を制止したのは、天河さんだった。

 「この子に乱暴な事すると物凄く怒る子がいるんだよ。黙って見てたお前も同罪だって、絶対僕まで怒られるから、やめて」

 ミフネ君の腕にやんわり手を掛けて、絡まった紐をほどいていくように私を解放させた。どう見ても力は入っていないのに、ミフネ君は催眠にかかったみたいに天河さんの誘導に従った。

 「白崎さんはね、僕の頼みで、父さんを探してくれてたんだよ。ほら、父さんがこの子の母親を『見える人』だって勘違いして、騙してたぶらかして要らなくなったらさよならって、したんだろう?その縁でね」

 どんな縁だと問いただしたくなるような酷い言い草だったけれど、間違いではない。

 「偽名も使ってたんだろう?父さんのこと、この子達はミフネ君って呼んでるんだけど。誰それ?」

 天河さんがそう訊いて、私もようやく思い出した。そういえば、ミフネ君って誰だろう。私と壱己はここに来るまで、ミフネ君と天河さんの父親は別人かもしれないとも考えていた。でもミフネ君は間違いなく天河さんの父親で、そうしたらミフネ君は、本当はミフネ君ではない。ミフネ君もまた『天河さん』の筈だ。

 「…『ミフネ君』は万里子さんの同級生だよ。僕は名前を借りただけだ」

 服に付いた砂を払いながら、ミフネ君は苦々しい顔で答えた。

 「本土に嫁いだ親戚の、その子供の…と血筋を辿っている内に、万里子さんが天河の遠縁の子供である事がわかった。本人が能力を持たなくとも、何かしらの情報を持っている可能性がある。接触する機会がないかちょっと調べている内に、彼女が通っていた高校の同窓会がある事がわかって…各所に手を回してたまたま手に入れた卒業アルバムに、僕と似た顔立ちのクラスメイトがいると気付いた。卒業してから二十年以上経つし、雰囲気や体格…印象が変わってたって、さほど不思議はない。ちょっと調べてみたら本物のミフネ君は海外に移住していて同窓会があることすら知らないだろうって状況だった。ちょうどいいからなりすまして紛れ込んだんだよ。全くの初対面より、元同級生の方が打ち解けやすいだろう」

 たまたまとかちょっと調べたとか簡単そうな言い方をしているけれど、実際は相当入念に調査をしなければ知り得ないことばかりだ。どれだけ執念深く探していたんだろうと、空恐ろしくなる。

 「でも父さんは、僕の子供を産んでくれる人を探してたんだろう?父さんは初めその人が『見える人』だと思ってたんだから、自分が恋人関係になったら本末転倒じゃないか」

 「僕と朔夜は容姿が似ているだろう。朔夜の方が僕よりずっと顔立ちも綺麗だし、若くて才に富んでる。僕を好きになれるなら、その後朔夜に心変わりすることなんて容易たやすい事だ。とりあえず手懐けるのが先だと思った」

 ミフネ君の理屈は、頭では理解できるけれど、感覚的には全く理解しがたい──したくない類のものだった。この人にとって母は、本当に単なる子供を産む道具だったんだ。私たちの家庭を壊したことも、きっと通りがかりに、道路に張った薄氷を踏み割ったくらいの、些末なこととしか思っていない。

 圧倒的な理不尽に、怒りを通り越して、諦めを感じた。


 やっぱりこの父子は、容姿だけでなくよく似ている──倫理観、共感力の欠如というか──どこまでも、危ういところが。


 「なぁ、そんな事よりどうなんだ。この娘が本当に『見える人』なのか?朔夜と同じ力を持った…」

 「そうだとしたらどうするの?」

 ミフネ君は天河さんの手を掴んで、興奮気味に詰め寄った。感情を昂らせた父親を前に、天河さんは穏やかな微笑みを浮かべたまま問い返す。

 「決まってるだろう。お前の伴侶にして、子供を産んでもらう」

 「それは無理だな」

 天河さんは柔らかに、でもはっきりとそう答えた。

 「父さん。僕にはね、結婚願望も種族保存本能もない。だから伴侶も子供もいらないし家庭を持ちたいとも思わない。けどね、家族のことは僕なりに大切に思っていたんだ。父さんがいなくなって、まずお祖母さんが亡くなった。すぐにお祖父さんも後を追うように重い病に罹って死んだ。母さんは不安だったと思う。あの島は小さくて、二人で生活するだけの収入を得る仕事もなかった。僕とお母さんは島を離れて本土に移り住んだ。でもそのお母さんも僕が成人する前に、事故に遭って死んだ。僕は本当に一人きりになったんだ。その時はさすがに、寂しいってこういうことをいうんだって思ったよ」

 そう話す天河さんの声は、話の内容とは裏腹に、寂しさなどどこにも存在して無さそうに、いつも通り穏やかだった。どこかに微笑を孕んだような、やわらかな静けさに満ちている。

 「それは…すまない事をしたと思ってる。ずっと家を離れていたから知らなかったんだ。皆が亡くなった事もお前が一人残されている事も…」

 「いや、それは別にいいんだ。最初は寂しかったけどすぐに慣れた。それからずっと一人でいたけれど、特別困ったこともなかったしね。でも最近…そうだな、少しそれにも飽きてきたような気がするんだ」

 握り締められた手を少しずつ剥がしながら、天河さんはゆったりと語る。

 「飽きた?…それならちょうどいいじゃないか。お前に見合う生涯の伴侶…その子と一緒になって、今までとは違った生活を…」

 「いや、そういうんじゃないんだよね。何て言うのかな…伴侶も子供も面倒だから要らないし、一人でも別にいいんだけど、たまに気が向いた時に気軽に楽しく話せる友達がいたら、それはそれでいいなって」

 「友達?好きなだけ作ればいいだろう。それとこれとは別の話だ。その子を伴侶として迎えた上で友人を作れば…」

 「別じゃないんだよね。僕が友達になりたい子は、この子と結婚するつもりなんだ。死んでもこの子を渡さないって言ってるから、僕がその気になったら友達どころか生涯の敵になっちゃう」

 

 え?何、それ?


 私の頭の中に、ぽかんと疑問符が浮かぶ。

 私と結婚するつもりの人と友達になりたい?

 つまり、何か。天河さんは、壱己と友達になりたがってるということ?いやでも友達どころか厄介極まりない生涯の敵だと思われているのは、多分もう既に──…


 「誤解しないで聞いて欲しい。僕は父さんのこと決して嫌いじゃないよ。大事な家族だと思ってる。でもやっぱり、少し面倒臭いんだ。だから悪いけど、()()()()()()()


 天河さんがそう告げると、ミフネ君はさっと顔色を変えて駆け出そうとした。

 けれど天河さんはミフネ君の手首をぐっと掴んで、引き寄せる。思いきり引っ張られたミフネ君は、その場にどすんと尻餅をついた。


 「大丈夫。痛くも痒くもない。怖くないよ」


 天河さんはもう片方の掌を広げ、ミフネ君の頭を鷲掴みにした。


 「やめろ、朔夜、何を──それだけは──」

 「白崎さん。ちょっと時間がかかるから、先に戻っててくれる?僕の身体、よろしくね。雑に扱わないでちゃんと布団に寝かせておいてって芦屋君に伝えて」


 天河さんが首を回して私に微笑みかけた、その直後。

 

 私の足元で、ざぁっと音を立てて、()()()()()


 踏み締めていた砂浜が一息に消え失せて、私だけが切り取られ風に吹き飛ばされるように、暗闇に落ちた。


 暗い井戸の中を落下していくようなその時間は、一瞬のようでもあり、途方もなく続く長い時間にも感じた。


 不安と恐怖の中、私は固く目を瞑る───


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