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 ぐらりと傾いた天河さんの体が土間に倒れ込む寸前、壱己ががしっと肩を鷲掴みにして支えた。屈んで二人の様子を確認し、はぁと気が抜けたような溜息を吐く。

 「…大丈夫。眠ってるだけだ」

 それを聞いて私も胸を撫で下ろした。その場に座り込みたくなるのを何とかこらえて、三人のいる土間に上がる。

 壱己は天河さんの体をぐいぐい引き摺って玄関先の床まで引き上げ、壁に寄り掛からせる。倒れて頭を打ったりしないようにと、一応の配慮だろうけど、扱いは随分と雑だった。

 そこまでされても、天河さんは気が付く様子がなかった。引き摺られてもぽいと壁に放り出されて肩をぶつけても、目を覚ます様子が全くない。それはミフネ君も同じだった。土間にぐったりと転がったまま、耳を澄まさねば寝息も聞こえないほど、深く眠り込んでいる。


 「天河さんがミフネ君を、眠らせたみたいに見えたけど…」

 「『見てくる』って言ってたしな。多分そうだろう。自分の夢に無理矢理引っ張り込んで、ミフネの記憶を探るつもりなんじゃないか」

 「…そんなことまで出来るの?」

 私が天河さんの夢に呼ばれたのは、自ら眠りについた後だった。誘導はされたかもしれないけれど、これほどの強制力はなかった筈だ。

 「わからない。でもあいつが俺等に手の内全部明かしてる訳ない。どんな手口を使って何をしでかすつもりなのか、想像もつかねぇよ」

 お手上げだ、と言いたげに、壱己は肩を竦めた。

 

 今日ここに来るまで、天河さんと父親の関係は至って良好なものだと思い込んでいた。ミフネ君の行動に疑問は数多くあれど、再会さえすれば穏やかに、積もる話でもするのだろうと。

 でもさっき目の当たりにした光景は、私の想像とは遠くかけ離れたものだった。心温まる父子の再会、なんていうのとはほど遠い。むしろ何かしらの因縁があるようにも──ミフネ君が、息子である天河さんを恐れているようにも見えた。

 死んだように眠る二人を眺めている間にも、私の中の不安な気持ちはどんどん膨らんでいく。


 このままこの二人が目覚めるまで、私たちはただここにいればいいのか。何もせず、ただぼんやり待っているだけでいいのか。夢の中で彼等が何をしているのか、何一つ知らないままで。


 ──それじゃきっと、駄目だ。


 「…壱己、ごめん。私も行ってくる」


 壁にもたれて眠るミフネ君の前にひざまずいた私を、壱己は目を見開いて見つめた。

 「行ってくる?…何言ってんだ。あいつらがいるとしたら、夢の中だろ?どうやって…」

 「忘れたの?私は『見える』人なの。こうやって…」

 私は手を伸ばして、閉じたミフネ君の瞼を、親指と人差し指で強引にこじ開けた。

 「…こうしてよく目を見れば、その人の夢を見ることが出来る。それは眠っている人にも有効なの。まだ悪気なく夢を見てた小さい頃、試したことがあるから確かだよ。天河さん達はきっと、夢の中で一緒にいる。上手く辿り着けるかわからないけど、私、この人達が今いる場所を、探しに行く」

 「馬鹿言うな」

 壱己は即座にそう吐き捨てた。

 「見つけてどうすんだ。お前、あいつに何をされたかわかってないのか?勝手に記憶を漁ってバラして組み替えるだなんだ、完全に感情操作じゃねぇか。あいつを見付けたとして、もしお前がまた…」

 苛立ちに任せて怒鳴る壱己は、そこで言葉をふつりと切った。


 壱己の言いたいことはわかってる。

 もしまた何らかの操作をされて、今のこの壱己に繋がる感情を、記憶を、別の形に組み替えられたら。私がようやく気付いた壱己への気持ちは、全く違うものに変わるか、誰か別の人へと対象を変えるか。あるいは、消えてしまうかもしれない。

 長い間遠回りして、迷子になって、ようやく今、同じ未来を望み始めたところだったのに。全て元の木阿弥もくあみだ。壱己はそれを恐れてる。

 「…あいつの能力の全貌を、俺等は知らない。想像以上の事をされるかもしれない。そんなところに、はいそうですかってお前を送り出すなんて出来ない」

 壱己の不安は理解出来る。壱己の言う通りだとも思う。 

 「でも私、行かなきゃいけない。ずっと、色んなことを見て見ぬ振りしてやってきた。家族のこともこの力のことも壱己のことも。みんな、目を逸らして生きてきたの。でももうそんなのは嫌。ちゃんと見て、知って、向き合っていきたいの。じゃないと何も変わらない。前に進めない」

 二人を見つけたとして、何も出来ないとは思う。私は天河さんとは違う、ただ『見える』だけ。あの人に比べたら弱い、あまりにも劣った存在だ。きっと何も出来ない。

 でも、それでも。せめて見届けたい。

 知っていれば、目が覚めた後、何か出来ることがあるかもしれない。知らなければ何も出来ないままなんだ。

 

 「…お前にはわからないよ。ようやくなんだ。何年も掛けてようやく、お前が俺を選んだ。俺の傍にいるって言ってくれた。それが失くなるかもしれない、それがどれほどのことか、お前には…」

 わからないんだ、と繰り返して、壱己はぎゅっと拳を握った。苦渋に満ちた顔で唇を噛み締める。


 ごめんね、壱己。私は心の中で、謝った。


 「そうだよ。わかんないよ。私、全然不安じゃない。だって壱己がいるんだもん。もし私の気持ちが変わっても、壱己がちゃんと元に戻してくれる。万が一消えてしまったって、取り戻してくれる。私は絶対にここに戻ってこれる。だから私は何も不安じゃない。怖くない」


 壱己はまた黙り込んだ。深い苦悩が伝わってくる。それでも私は引かない。壱己もそれをわかってる。

 

 「…この件片付けて戻ったら速攻、婚姻届提出してやるからな。お前が俺の事を綺麗さっぱり忘れたって、勝手に出してやる」

 「うん。いいよ。帰ったら出そう」

 「絶対だぞ。覚えてろよ」

 悪役の捨て台詞みたいに壱己が吐き捨てるから、私はつい状況を忘れて笑ってしまう。

 その場しのぎで言った訳じゃない。本当に、いいと思った。どうせその内出すんだから、それがこの後すぐでも構わない。そのくらい、もう私は腹をくくってる。

 

 「不安にさせてごめん。行ってくるね」

 

 ミフネ君の瞼をこじ開けるのは、壱己がやった。顔を近付けて、目を見る。じっと見る。瞳孔と虹彩がくっきり見分けられるくらい近付いて、じっと見る。


 ふっと意識が遠のく。


 落ちる、と思ったその時、頭の奥で、聞き覚えのある柔らかい声が遠くから響いた。


 『おいで。こっちにいるよ』


 ───天河さんが、私を呼んでいた。


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