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「一緒に住んでるんだって?」
不意打ちでそう訊かれて、私は口に運ぼうとしている最中のペンネを膝の上につるりと落とした。
向かいの席に座る益子さんが、あらあらと慌ててペーパーナプキンを束で渡してくれる。
「大丈夫?シミになっちゃったかな。ごめん、そんなにびっくりすると思わなかった」
「だ…大丈夫です」
履いていたのが黒のパンツで良かった。色の薄い服だったりしたら、真っ赤なトマトソースの跡が残ってしまうところだった。
「何で知ってるんですか?また壱…芦屋君が何か変なこと言い振らしてたり…」
壱己がここしばらく私の部屋に住み着いていることも、これから一緒に住むことも、知られていること自体は構わない。でも、ちゃんと自分から報告するつもりでいたのだ。益子さんは、親身になって話を聞いてくれた人だから。
だから思いきって今日、ランチに誘ったのに。もう知られていたなんて。
「ううん。直接聞いた訳じゃないんだけど、諸山くんと柳原くんから。噂にもなってるし」
「噂…」
「あっ…別に変な噂じゃないよ。いつも一緒に通勤してるしきっと付き合ってるんだろうね、一緒に住んでたりするのかね、くらいの。芦屋くん人気者だから、すぐ話が広がるんだよね…。でも最近は二人とも堂々と一緒にいるから、隠してはいないのかなって思ってた」
ごめんね、と益子さんは顔の前で掌を合わせた。
ニットを軽く拭きながら、私はこっそり溜息を吐く。別に堂々としているつもりはないのだけれど、壱己は元々見せ付けてやれと言わんばかりの態度だし、私はそれなりに人目を気にしつつも、元々目立たないタイプだから他人から見られているかもしれないという意識が常々低い。堂々としていると言われれば、そうなのかもしれない。でも、不特定多数に知られているのに益子さんに黙っていたと思われるのは、少し気まずい。
「…あの、益子部長にはちゃんと自分からお話ししようと思ってたんです。芦屋君に、その、結婚だとか付き合うだとかの話を出されて悩んでた時に話を聞いて貰ったし、心配してくださっていたので…」
「えっ、結婚もするの⁈」
「あっ…いえ、それはまだずっと先の話で」
「やだ…芦屋くん念願叶って…よかったねぇぇ」
私の否定を聞いているのかいないのか、益子さんは目を潤ませて口元を両手で覆う。就業中に見せる傾聴力はどこかに行ってしまったみたいだった。まるで可愛がっていた親戚の子供が結婚するかのようなリアクション。壱己と益子さんが実際に絡んでいるところを見たことはないけれど、一体どんな関係性なんだろう。よかったよかったと何度も呟く益子さんの興奮を抑える為に、私は努めて冷静に報告を続けた。
「…結婚はまだなんですけど、一緒に住むことにしたんです。この間引越先が決まって、来月の上旬には新居に移ると思います」
壱己名義の賃貸契約の審査は、すぐに通った。予定通り来月の上旬には入居可能になるそうだ。
「そうなんだ!それは楽しみだね。芦屋くん、浮かれて張り切りすぎてない?」
「すぎてます。すぐに引越業者手配して、今度は大型の冷蔵庫だのソファだの散財し始めて…車も買うって言ってるし、そこまで映画好きでもないくせにホームシアターまで検討し始めちゃって…」
「あはは。なんか目に浮かぶ。よっぽど嬉しいんだろうねぇ」
「いや、そんな微笑ましいみたいに言いますけど、正直不安なんです。これから家計も一緒になるのに大丈夫かなぁって…」
焦りが解消されたと思った途端、壱己は今度は純粋にはしゃぎ始めた。あれも置こうこれも揃えようと次から次へと提案してきて、その九割が不必要なものばかりだ。
「ホームベーカリーとか使う訳ないのに買おうとしてるんです。絶対置物になると思いません?」
「うち、なったよ。昔会社の忘年会のビンゴで当たったんだけど、あまりに使わなくて結局友達にあげちゃった」
二等のカタログギフトの方が欲しかったと、益子さんは朗らかに笑う。
「でも、白崎さんもなんだかいい感じになったねぇ。腹が決まった…腰が据わった?そんな、落ち着いた感じする」
「そうですか?…うん、でも、そうですね。そうかもしれないです」
私ははじめ、自分の気持ちがよくわからないままに、ただ壱己を失うのが嫌だという気持ちで流されていた。でも今は違う。
「目的も理由もわからないまま、何故か船に乗ってて波に流されてるような気分だったんです。でも壱己と一緒にいようって、それだけでも心が決まれば、とりあえず二人で安心して住める場所を探せばいいんだなとか…次にやるべきことがわかるから。相変わらずどこに向かってるのかはわからないんですけど、でも例えば転覆するってなっても、死ぬ時は一緒、一人じゃないって思うと、まぁいいか、なるようになるって気持ちに…」
上手く言えない。私の語りは段々独り言じみてきて、でも益子さんは満面の笑みでうんうんと聞いてくれている。
「白崎さんも芦屋くんが大好きって事ね?」
「え?そうなります?」
「なるなる。いいなぁ、両思いだ。私も彼氏欲しいなぁ。出来れば結婚もしたい。今更だけど合コンとか行こうかなぁ。この歳で参加出来る合コンなんてあるかなぁ」
「合コン行くんだったら結婚紹介所とか運営しっかりめのマッチングアプリとかの方が安心じゃないですか?身元もはっきりしてるし母数が多いから成功率も高いだろうし」
「それねぇ、前に芦屋くんにも全くおんなじこと言われた。あなた達、似てないようで似てるよね
職場の上司であることも二回り近くも歳上であることも忘れて、真剣に益子さんの相手探しについて語り合った。
でも、こんな長閑な気持ちで過ごしたのは、この昼限りだった。
「ミフネが見つかった」
夜、仕事を終えて帰宅した私に、壱己は開口一番そう告げた。




