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 母から聞いた話はこれまでの経緯を知る上で重要ではあるけれど、ミフネ君を探す為の情報としては役に立たない。結局のところ、自分たちだけでミフネ君を見つけ出すのは難しいだろうと壱己は結論づけた。


 「ふぅん。なるほどね。それならこの辺りで打ち切りかな。僕の父親探しも」

 壱己の向かいに座った天河さんはそれほど残念そうな様子も見せず、クリームがたっぷり乗った甘ったるそうなカフェラテに砂糖を加えて、ゆっくりと混ぜた。

 「いや、灯里の力を消す方法はきっちり教えて貰わなきゃならない。何としてでも見つけるよ。けど、もうプロに頼もうかと思う。俺達もそう暇じゃないし、片手間に探しても見つからないだろうから」

 「そうなんだ。父を見つけて貰えるなら手段は何でもいい。君たちに任せるよ」

 カフェラテを一口飲んだ天河さんは、どこか物足りなさそうな顔をしてさらにもう一本、スティックシュガーを加える。甘いものがそれほど得意ではない壱己は、それを見て薄気味悪そうに口を歪めた。

 「頼んだものは持って来たか?」

 プロに頼もう、と私たちが話し合って決めたのは、数日前のことだ。それにあたり依頼先に渡すミフネ君の情報、特に写真が欲しくて、天河さんに用意するよう、壱己が頼んでいた。今日はその受け渡しと進捗状況報告のために、終業後、会社付近のカフェに集まっている。

 天河さんと顔を合わせるのは久しぶりだった。

 どこか別世界の住人みたいな異質な空気を纏った彼が店に現れた時、私の胸は一瞬、どくんと脈打った。

 でもそれは、以前に感じた闇雲に惹きつけられるような感覚とは違った。自然の中を歩いていたら蛇が現れて、それが人に害なす毒のあるものなのかそうでないものなのか判別出来ないから、とりあえず避けろと本能が危険信号を鳴らす──例えは悪いけれど、そういう感覚に近かった。

 そしてそのことに、私はひどく安堵していた。

 顔を合わせて、またあの強烈な引力を感じてしまったら。衝動が、よみがえってしまったら。私は今度こそ自分の気持ちを見失ってしまって、どこにも戻れなくなる。

 「うん。写真は持って来たよ。でもこれしかない」

 そう言って天河さんが差し出したのは、ほんの二枚の写真。どちらも古い写真だ。一枚はおそらく二十代のミフネ君と、同じ年頃の女性が並んで映っている写真。もう一枚はそれから十年後くらいだろうか。年を重ねたミフネ君とその女性、小学生くらいの男の子が三人で映っている。服装でなんとか男の子だろうなと判別できる程度の、中性的な顔立ちの少年。今もその面影は残っている。

 「これ、あんた?」

 その男の子を壱己が無遠慮に指差すと、天河さんは頷いた。

 「うん、そう。女の人が母だよ」

 子を真ん中にして、屈んで息子の方を抱く女性と、片側で後ろ手に腕を組んで立つミフネ君。いかにも仲睦まじそうな三人家族。こんなに幸せそうなのに、今では大きくなった息子が行方知れずの父親を探してる。バラバラなんだと思うと、なんとなく物寂しい気持ちになった。

 「失踪前の職業は?灯里の母親は、あんたの父親から大学で脳科学を研究してるって聞いてたらしい。灯里があんたに聞いた話と違うんだよ」

 感傷に浸りかけた私を、壱己の事務的な声が現実に引き戻す。

 そう、そうだ。天河さんは夢の中で、父は橋梁の建設に携わっていたと話していた。私の母が聞いた話とはかけ離れている。

 「大学に勤めてたのは本当。当時僕らは瀬戸内の離島にある父の実家に住んでいて、父は本土の大学に勤務してた。でも専門は建築、都市デザインだよ。脳科学を研究してたなんて初耳だな」

 他人事みたいな顔のまま、天河さんは柔らかく微笑んだ。

 「そうか。じゃあ灯里の母親には、夢の話を不自然にしない為に嘘ついてたってとこかな」

 「どうかな。初耳だけど、あり得なくもない」

 「…どういう意味だ?」

 「生業としてはいなくても、個人的に研究していたっていう意味ならおおいにあり得るね。昔、父が親しくしている同僚の人と時々会う機会があった。その人の専門は確か脳科学だった筈だ。自分も趣味で研究していると言えば、知識や情報、多少の器具くらいは提供してくれただろうね」

 「…そいつの素性はわかるか?」

 「うーん…もう名前も忘れちゃったな」

 「役に立たねぇな。記憶読めるなら自分の記憶拾ってこいよ」

 「随分昔の記憶だしね。見つかるかなぁ」

 「あとミフネって何なの?何であんたと苗字違うの?偽名?」

 「さぁ。僕に聞かれてもね。失踪する前は普通に天河姓だったよ」

 その後も壱己は、生年月日だとか交友関係だとか、ミフネ君についての詳細な質問を続けた。壱己は周到な性格だから、多分こういう時に必要とされる情報は何か、あらかじめ調べて臨んでいる。同席していても私はほとんど何も発言する必要がなく、添え物のように隣に座っているだけだった。

 「芦屋君は意外と…綿密というか几帳面というか神経質というか、重箱の隅をつつくような性格をしてるよね。そろそろ帰っていい?」

 「飽きたからって急に悪態つくんじゃねぇ。あんたの父親探しに必要なんだよ。わかってんのか」

 質問責めに疲弊したのか飲み物が空になったせいか壱己の言うように単に飽きたのか、天河さんはあからさまにやる気を失い始めていた。

 「白崎さん、考え直した方が良くない?この子と一緒に住んだらきっと大変だよ。毎日細かいこと口うるさく言われるに決まってる」

 「何であんたが俺等の同棲の予定まで把握してんだよ。話してないだろ。あとこの子って呼び方やめろって何回言えばわかるんだよ」

 幼稚な言い争いを始めた二人に、私はやっぱり何一つ口を挟めなかった。挟みたくなかった。巻き込まれたくないから。

 私を彼と関わらせたくない一心で、壱己はここしばらく天河さんとのやり取りを自ら直接行っていた。知らない内に随分仲良くなったものだと呆れながら、私は「そろそろ帰ろう」と席を立った。


 最寄駅までは天河さんとも同じ経路だ。必然的に三人並んで帰らざるを得ない。

 壱己は気乗りしないのを隠そうともせず、私と天河さんを接触させないように真ん中を歩く。

 「灯里に近付くなよ」

 「芦屋君は本当に嫉妬深くて口うるさいね。そういえば白崎さん、モニターももうすぐ終わりだね。調査結果を被験者に知らせる事はないんだけど、白崎さんはすごく理想的な数値に近付いてたよ。こうして見ても、すごく綺麗になった──」

 天河さんが私の髪に向けて伸ばした手を、壱己はバシッと払い落とす。

 「灯里に触んな。あんた自分が灯里に何したか忘れたのか?あんたに人並の倫理観や道徳観が備わってりゃ俺もここまで警戒しねぇよ」

 「心配しなくても、一度種明かししたらもう前みたいに簡単には呼べないよ。夢だの記憶だのを覗かれたと知って、それでもなお相手に好感情を抱き続ける人間なんて滅多にいない。ねぇ白崎さん、そうだろう?」

 壱己を挟んだ向こう側から、天河さんは含みのある微笑みをこちらへ向ける。

 (君も夢を覗いてうとましがられたことがあっただろう?)

 (自分の夢や記憶を覗いた僕に、恐怖や嫌悪感を抱いただろう?同じ力と経験を持つ、君でさえ)

 天河さんの問いは二重の意味を持って、私に投げかけられる。

 私は答えに詰まったけれど、質問がどちらの意味だとしても、その通り。天河さんの言う通りだ。

 「…あんたの父親は、その能力を持つ仲間を探してるのか?」

 慎重な口振りで、壱己はそう尋ねる。

 未だ会ったこともないミフネ君の真意は勿論わからないけれど、きっとそうだろうと、私も考えていた。

 能力がないと判明した直後に母と別れ、他に持っている可能性がある人を知らないか尋ねる。夢読みへの執着心も相当強かったようだし、他に目的なんて思い浮かばない。

 「さぁ。僕もよくわからないな。前にも話したけれど、夢読みが出来るのは僕等の家系の中でも女性ばかりだ。僕だけが異端なんだよ。『読める人』だった祖母の血が流れる父にも、その能力はなかった。だから同じ能力を持つ白崎さんのような人がいたとしても、僕や祖母はともかく、父にとって仲間とは言えない。ただ…」

 天河さんは遠い記憶を手繰り寄せるように目を細める。

 「僕にとっては当たり前だったそれを、父は神からの贈りギフトのように思っていた。選ばれた人間だけが持って生まれる、人智を超えた貴い力みたいに」

 貴い力?あれが?私は心の中で首を捻った。

 見たくもないことを見て、気味悪がられたり疎ましがられたり。誰かと正面から向き合うことも出来ず目を逸らし続けて、不必要に遠回りばかりして生きてきた。私はこのおかしな能力で得をしたことなんて、一度もない。今だってこの力を失うために、時間と労力を割いて右往左往して頭を悩ませているのに。

 「…ひとつ約束してくれるか。あんたの父親を見つけても、灯里の事は話さないで欲しい」

 「嫉妬深いだけじゃなくて過保護だね」

 「約束しないなら父親探しはここで終わりだ」

 茶化すように笑う天河さんに、壱己は真顔で返した。

 天河さんは微笑んだまま肩を竦める。

 「多分、君に言われなくても話すことはなかっただろうな。僕が見ているものは父にとっても君にとっても、世界中を見回しても異質なものかもしれない。でも僕にとってはただの日常なんだ。君は白崎さんを誰かに紹介する時に『この子は目が見えるんだ。空に浮かんでる月見える』ってわざわざ伝える?僕ならわざわざ言わないね」

 夜の空を指差して、天河さんは悠然と微笑んだ。

 指し示された先には、白く輝く半月がくっきりと浮かんでいた。

 『天空の天にさんずいの河。天の河って書いて、天河だよ』

 初めて会った日にそう説明されたことを、何故か今、思い出す。

 夜の闇に染まらない白い肌。彼がただそこに佇んでいるだけで、その場の空気がまるきり別のものに入れ替わる気がする。


 このひとは確かに異質だった。

 まるで月から降りてきた、別の世界の生き物みたいに。

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