44
何で。
何で、こんな状況になっているんだろう。
無駄に高級そうな和食料理屋の個室。隣に座る壱己は思わず逃げ出したくなるくらいピリピリした空気を発しているのに、向かい合った天河さんは春のひだまりのような微笑みを浮かべている。
その落差に私の胃はキリキリと絞られ、本気で中身が逆流してきそうだった。
「芦屋君、随分雰囲気のいい店知ってるんだね。よく来るの?」
「取引先との打ち合わせで使っただけだよ。あんたが指定したんだろ」
「僕は白崎さんの家でも良かったんだよ」
「ふざけんな。誰が許すか」
「芦屋君の家でも良かったのに」
「おもてなしされるとでも思ってるのか?お花畑も大概にしろよ」
「…壱己。あの、言葉遣いがちょっと…」
実際の年齢は知らないけれど、多分天河さんの方が歳上。つまり会社では先輩。いくら勤務時間外とはいえ許される口の利き方ではないんじゃないかと、私は横から恐る恐る口を挟む。けど、今この二人の間に割って入るのは恐怖しかない。案の定、壱己にジロリと睨まれただけで終わった。
会社のエントランスをくぐる直前に、私のスマートフォンが鳴った。天河さんからの着信だった。
「壱己!待って。ほんとに待って。天河さんから電話…!」
久しぶりに走って息切れしている私の声で、壱己はようやく足を止めた。壱己が私の傍まで戻って来る間に、私は電話に応答する。
「何であいつがお前の連絡先知ってんだ」
「そ…そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。天河さんが、壱己に代わってって…」
壱己の社用携帯に何度か掛けたけれど、出なかった。それで一緒にいるだろう私に掛けたのだと、天河さんは言っていた。
壱己は舌打ちして、私の手からスマートフォンを奪い取る。「あぁ」とか「わかってる」とか短い応答の後、壱己は「ふざけんな」とひときわ大きな声を出した。
「行っていい?じゃねぇよ。いい訳ねぇだろ。灯里の部屋に足を踏み入れていい男はこの世で俺だけなんだよ。あ?完全個室のある店?贅沢言ってんじゃ…」
後で聞いたところ、この時の二人の会話の内容は、こうだ。
天河さんが言うには、会社で大騒ぎするのは双方にとって望ましくない。場所を変えたいが、おおっぴらに出来る話題でもない。誰にも聞かれない場所がいい。だから私の部屋はどうかと。それを断固拒否した壱己に対して天河さんが代替案として提案したのが、駅から徒歩五分圏内の完全個室がある店、だった。基本的に自宅で食事を済ませる私は飲食店なんて勿論詳しくないし、天河さんも任せると言う。壱己が知っている中でその条件に合うのがここだったというわけだ。
何とか会社内での修羅場は避けることが出来て安心したけれど、これはこれで居た堪れない。一触即発の壱己を、天河さんのあまりに普段通りの平坦な態度と空気を読まない言動が逆撫でする。
「なんか芦屋君、普段と印象違うね。もっと爽やかな感じじゃなかったっけ?あ、でもそういえば白崎さんが言ってたっけ。外面はいいとかなんとか。でも僕は今の君の方が好きだな。ずっとそのままの君でいればいいのに」
「うるせぇ。あんたと無駄な雑談する気はない。灯里の夢について、何か知ってるんだろ?それを話せ。こっちの用件はそれだけだ」
「せっかちだな。どうせならもう少し交流を深めてもいいのに。もしかしたら僕と白崎さんは遠い親戚かなんかかもしれないよ?そうしたら君とも無関係じゃないだろう?」
「──遠い、親戚?」
私と壱己は声を揃えて、顔を合わせた。天河さんはふふっと微笑って首を傾げた。
「なくもない話ってだけで、本当のところはわからないけどね。仮にそうだったとしても追いかけられないくらいの遠縁だと思うし。ただ僕の知る限り、白崎さんの能力…体質っていうのかな。それは僕の家系で遺伝的に発生するものと同じだ」
天河さんの家系と同じ。ということは、つまり。
「…やっぱり天河さんも…」
「うん。その話を、しようか」
天河さんはそう言って、ふわりと微笑った。
夢に関する私の特殊な能力を、天河さんは遺伝的な特異体質だと言った。
「夢って未だに未解明な部分が多いんだ。けど脳の視覚野と密接な関係にあることはわかってる。レム睡眠の間に見られる脳波の経路が…」
「そういう細かい説明は後で聞く」
滑らかに語り出そうとした天河さんを、壱己がばっさり遮る。
「それよりも、夢に来いってのはどういう事だよ。灯里が出来るのは相手の夢を見ることだけだって言ってる。あんたはもっと色んな事が出来るのか?あんたの血筋は皆そうなのか?」
「いや、皆が皆って訳じゃない。人によるんだよね。同じ両親から産まれた兄弟姉妹でも見える人と見えない人がいるし、しばらく居なくて二世代空けて見える人が産まれることもある。僕の身近では祖母が、僕や君と同じ『見える』人だった。ただ、見える人はほぼ女性。僕みたいに男でっていうのは珍しいらしいんだ。そのせいかわからないけれど、僕はうちの家系の中でも殊に異質だった」
矢継ぎ早に質問する壱己をふんわりと躱して、天河さんは穏やかに語る。
「白崎さん、君は相手の目を一定の距離と時間見つめることによって、夢の記された書物を集めた書架を訪れる。その本を読めば、その人が見た夢を知ることが出来る。そうだね?」
天河さんは自分の眦をトンと指先で叩いた。私が夢を読むための一連の流れを、見てきたかのように話す。
私は躊躇いながら頷いた。壱己に話した時もそうだったけれど、長年隠していた秘密を人に晒すのは、勇気がいることだった。
「僕が何を出来るかっていう話だったね。僕が出来ることの範囲は、白崎さんよりもう少し深くて広い。僕は一瞬でも目が合えば相手の夢を見る事が出来るし、距離もそこまで近付く必要はない。夢を見ている間に意識を失うこともない。こうして会話をしながら芦屋君の夢を見る事だって出来る」
天河さんはテーブルに肘を置いて、壱己の顔を覗き込んだ。反射的に身を引いた壱己に向けて、にっこりと微笑む。
「自分の意思に関わらず見えてしまう白崎さんと違って、意識的に《《見ない》》事も出来る。だからそんなに構えないで。今は見てないから大丈夫」
「見る見ないに関わらず、あんまり顔近付けんな」
壱己は嫌な顔をして、虫を払うように手をひらひらと動かした。失礼極まりない態度なのに、天河さんは「そっちの方が嫌なんだ」と何故か楽しげに笑っている。
「まぁでもその辺りは、力の強弱というよりも単に慣れの問題だと思う。他人の夢を極力見ないようにしてきた白崎さんと違って、僕は日常的にこの力を使ってた。自分がどこまで出来るのか確認したかったんだ。頻繁に使って試す内にコントロールが上手くなっただけじゃないかな。僕の祖母も君と同程度の能力だったけど、見る見ないのコントロールは出来てたから」
それを聞いて、私は少なからずショックを受けた。
夢を見ないようにと苦心しながら目を逸らし続けていたのに、日常的に力を使っていた人の方が、結果的には『見ない』という選択肢を手にすることが出来ている。私の努力は、無駄どころか逆効果だったんだ。
「それで、他には?あんたに出来て灯里に出来ないこと、他にもあるんだろ」
私が消沈したのを察したのか、壱己は話の続きを促した。
「細かい事まで言えば色々あるけど…一番は、そうだな。白崎さんはわかるよね?僕は自分の夢を恣意的に操る事が出来る。芦屋君が言っていた通り、僕の夢は完全に僕の意識が支配する領域だ。いくつかの条件はあるけれど、僕はそこに誰かを《《招く》》事が出来る──君を夢に呼んだ時みたいに」
やっぱり、そうか。
私が彼の世界を訪れたんじゃない。私が『呼ばれて』いたんだ。
「夢の中で、僕の干渉力は最大限に高まる。僕はそこでなら、相手の記憶を読む事も出来る」




