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壱己の父親の葬儀は盛大だった。
仕事関係者や遠方に住む親族が入れ替わり立ち替わり何十人も訪れて、弔意と故人への賞賛を口にする。
始終涙を拭い続ける母親の横で、壱己は感情を欠いた顔でじっと立っていた。喪主の挨拶で涙を詰まらせて語れなくなった母親に縋りつかれて、代わりに礼式にかなった短い挨拶をした。立派な息子さんだ、お父さんも天国で喜んでいるだろう。誰かにそんなことを言われた壱己は、黙って微笑みを浮かべた。見たこともないような、温度のない笑みだった。
血を分けた父親の葬儀の只中で、壱己が感じているのが別離の悲しみではないことを、多分私だけが知っていた。
故人の為してきたことが、母親の言動が、今日ここに至るまでの彼等に纏わる記憶が、壱己に正当な哀しみを与えなかった。
そんな壱己を、私はただただ痛ましく思った。
壱己はあの夜起こった出来事を、私以外の誰にも話さなかった。
母親の嘘も、父親がその夜、妻にどんな振る舞いをしていたのかも。壱己の身体と心が、どれだけ彼等に踏み躙られてきたのかということも。
口を噤んで、一人で全部、飲み込んだ。
♢♢♢
壱己の母親は、夫を亡くして一年と少し経った頃、再婚した。
相手は亡夫の部下だった人だそうだ。壱己曰く「うちの母親には勿体ないくらいまともな人」で、卒業後の進路や去就について揉めることもなく、壱己の希望を尊重してくれた。
とは言え壱己ももうほとんど大人といってもいい年齢になっていたし、さすがに実の家族のようには思えない。あくまで母親の再婚相手であって自分の父親だという感覚はなかったようだ。学生の内は世話になるから最低限の礼は尽くすが、家族ごっこをしようとは思えない、と言っていた。
親の再婚に伴い、壱己は二つ隣の駅にあるマンションに引っ越して行った。一度だけ壱己に案内されて訪ねて行ったことがある。一流ホテルと勘違いしてしまいそうな、立派な高層マンションだった。
壱己はほどなくしてそのマンションを出た。大学進学を機に、学校の近くにアパートを借りてそこで一人暮らしをするようになったのだ。
それまで住んでいたマンションに比べたら見劣りするどころのものじゃない、ちっぽけな1DKの木造アパート。それでも壱己は晴れがましい顔をしていた。ようやく深海から陸に上がって呼吸が出来た、古代生物みたいに。
私たちは大学も同じ学校に進んだ。
二人とも、高校受験の時とは違って選択肢はいくらでもあった。それでも私たちは、お互いの学力や漠然とした将来の就職先の希望を擦り合わせて、どちらにとっても都合のいい、通える範囲の学校を選んだ。
あの日以来、私たちはそれまで以上に親密になっていた。生まれる前から寄り添って生きてきた双子みたいに、一緒に行動するのが当たり前になった。
高校で壱己と同じクラスになることは結局三年間なかったし大学でも学部は別々だった。けれど、もう誰の目も憚ることもなく、授業時間以外は常に一緒にいた。互いの部屋に寝泊まりすることも頻繁にあった。不安な時、落ち込んだ時、悲しい時──二人して迷子になった子供同士がそうするみたいに、手を握ったまま眠ってしまうこともあった。
周りの人から付き合ってるのかと訊かれることは多かった。否定はしたけれど、そんなのは焼け石に水だ。周囲の人達は私たちを仲のいい恋人同士だと見做しているようだった。
でもそれすら私たちにとっては、もうどうでもいいことだった。誰に何を言われようが、何と思われようが構わない。
あの頃の私たちは余分なものを全部排除して、熱心に編み上げた頑丈な繭の中で、二人きりで生きているようなものだった。
狭いベッドの中で手を繋いで嵐をやり過ごしたあの夜のあいだに、どこか互いの体の一部分が混ざり合ってしまったみたいに、離れられなくなっていた。
その頃の私が壱己に抱いていた感情がどういう種類のものだったのか、未だにまるでわからない。友情なのか恋愛感情なのか、それとも家族愛に近いものなのか。
私はただひたむきに、盲目的に、壱己のことを大切に思っていた。
壱己が困っていたら私が助けなければいけない。出来ることは何でもしてあげたい。出来ないことでさえも、何とかしなくちゃ。壱己が望めば私は何だって差し出すだろう。何を求められようと、喜んで全て手渡すだろう。壱己がそれで笑っていられるなら。
この感情に名前を付けて分類するなんて、とても出来ない。確かなのはただ、壱己は私にとって、世界で一番幸せでいて欲しいひとだった。
それは壱己も同じだと思っていた。
でも、違った。
私と壱己がそれぞれに抱える想いは、まったく違う種類のものだった。
私がそれを知ったのは、二十歳を迎えた少し後の、ある冬の夜のことだった。




