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 全部投げ出して眠りたい。

 うっかり引き受けてしまったモニターの仕事も、壱己との歪な関係も、不可解な夢も厄介な夢を読む力も全部、全部最初からなかったことにしてしまいたい。


 そう思いながら眠りについて、気付いたら、私はまたあの扉の前にいた。

 今度は初めから、扉はあった。書架は背後に広がっている。でもそこには白紙の書物しかないことをもう知っているから、いつものようには興味が湧かない。

 夢の中の私は、欲望に忠実だ。躊躇ためらいなく扉を開ける。そこにあの海が、あの人が待っていると信じて。


 けれど扉の向こうに広がる景色は、あの海ではなかった。

 雑木林の中にぽつんと建つ、古びた平屋の家の庭。年季は感じられるけれど、しっかりした造りの家屋だ。庭木はどれも見上げるほど大きく育っていて、部分的に竹製の垣根が設置されているけれど、それがない場所は雑木林との境界がはっきりわからない。

 天河さんはその家の縁側で、長い脚を持て余すように組んで座っていた。私を見つけると、にっこり笑って手招きする。

 私は蜜に誘われる虫のように、ふらりとそちらに吸い寄せられていった。彼の隣にそうっと腰を下ろして、周囲を見回す。私達の他には誰もいない。

 

 「また会えた」


 天河さんがそう笑うので、私はなんだか気恥ずかしくなって、小さくお辞儀をした。

 「おやすみのところお邪魔してすみません」

 「こちらこそ。夜分にお呼び立てして」

 夢で交わすには随分とリアルな挨拶だ。でもそれより、天河さんの選んだ言葉が気にかかる。でも何がどう引っ掛かるのか、すぐにははっきりとわからなかった。私がそれについて深く考え込む前に、天河さんが動いた。すっと縁側から上がり、奥の部屋に入っていく。戻ってきた天河さんの手には、グラスが二つ握られていた。

 「麦茶しかないけど、いい?」

 まさか夢でもてなされるとは思っていなかった。差し出されたグラスを受け取ると、中の氷がからんと鳴る。グラスの表面に付着した水滴が、私の手のひらを少し濡らした。

 「あ…ありがとうございます」

 「あったかい飲み物の方がよかったかな」

 「いえあの、充分です。それより天河さん…ここはどこですか?」

 主のような振る舞いを見れば、ここもまた、天河さんのよく知った場所であることがわかる。

 「あぁ、そうか。白崎さんは初めて来たんだもんね。ここはね、僕が昔住んでた家。あの海の近くだよ」

 天河さんは伸ばしていた両脚を縁側に引き上げて、ゆったりと胡座をかいた。

 「祖父母と両親と僕、五人で住んでた。今はもう、誰も住む人はいないけど」

 首を動かして家屋を見渡し、天河さんは懐かしい場所と人をいとおしむように淡い微笑みを浮かべた。彼にとって、この土地で過ごした時間はきっと、優しく満たされたものだったんだろう。

 この縁側を見るだけでもわかる。ところどころ色褪せて、染みや傷もある。でも綺麗に磨かれていて、必要な箇所は補修もされている。この家に住む人が守り、この家に住む人を守ってきた立派な家だ。

 「…いいな」

 思わず呟いた私を、天河さんは不思議そうに、首を傾げて見つめる。

 「そんなふうに懐かしく思い出せる場所って、私にはないんです。小さい頃のいい思い出、あんまりなくて…」

 いい思い出どころかむしろ、忘れてしまいたい記憶ばかりだ。ひとつ思い出せば蔓を手繰たぐるように次々と掘り起こされ、頭の中から爪先まで、負の感情で満たされてしまう。

 ほら、今だってそう。生まれ育った自分の実家を、そこで起きた出来事を思い出すと、胸の奥がいぶされるように、くすんだ気持ちが湧き上がってくる。

 くい、と優しく髪を引かれ、私ははっとして顔を上げた。天河さんが、私の毛先をくるくると指に巻き付けて遊んでいた。

 いつのまに、と、私はびっくりして目を丸くする。目が合うと、天河さんは悪びれもせずにこっと笑った。

 「髪、触ってもいい?」

 いいも何も、もう触っている。戸惑って返事に詰まっている私の無言を了承と取ったのか、耳の横から手を差し込んで、手櫛で髪をく。

 嫌悪感は不思議となかった。でもまだ慣れない手だ。嫌ではないけど、緊張する。

 「今日は少し、元気ないね」

 指の隙間からぱらりと髪を落として、天河さんはそう言った。瞳から滲む淡い色彩が、柔らかな光を放って私の奥の奥まで届く。

 その光のせいか、ここが夢の中だからか、私は幼い子供のように、ほろりと素直な気持ちを零してしまう。

 「元気がある時なんてほとんどないです。でも今日は…友達と喧嘩をしました。それで、いつもよりもっと」

 あぁ、と天河さんは頷いた。

 「友達、いるんだ」

 聞きようによっては失礼な言い方だけれど、まったく悪気は無さそうだった。

 「…いないようなものです。でも一人だけ、昔からの付き合いの人がいて…」

 「そうなんだ。僕はいないんだよね、そういう人。いなくて当たり前って感覚かも。友達って言えるような相手が一人いるだけでも凄いと思う」

 けろりとした顔で天河さんはグラスに口をつけた。

 「いなくて当たり前、ですか」

 「うん。必要だと思ったこともない。知り合うだけなら簡単だけど、繋がりを維持するのって大変じゃない?時間や機会も作らなきゃいけないし、気持ちを汲んだり譲歩して要望に応じたり、手間だし煩雑だなあって思う。それほどの労力を割いてまで親しくなりたいと思える相手なんて、そういない」

 天河さんが率直な見解を淡々と述べるので、私は少し驚いてしまった。私の目の具合や体調を気にしてくれた天河さんは、それほど厭世的には見えなかったから。とはいえ私も人付き合いを億劫だと感じる類の人間だから、天河さんの主張には共感する。

 「私もそう思います。そう思うのに、一人ではいられなくて…中途半端なんです、凄く」

 完全に遮断することも出来なくて、中途半端に関わろうとするから上手くいかない。わかってる。

 人と人が関わりを続けようとする時、誰もが無意識に相手に何かを要求している。それは物質的なものとは限らなくて、一緒に過ごす時間だったり、気遣いだったり、遠慮のない意見だったり視野を広げるきっかけだったり。信頼だったり好意だったり、与えられるものを自分の拠りどころにするために、繋がり続ける努力をするんだろう。どれだけ手間がかかっても。煩雑で、面倒なものだったとしても。

 私はその努力を怠っている。拒んでいる。友達なら友達、家族なら家族、恋人なら恋人。本来それぞれに割り振る筈の要求をほんの少しずつ削り取って、たった一人の友人である壱己に、纏めて押し付けている。だから私たちはいつも歪んでいるんだ。一つの箱に許容量以上の荷を詰め込めば、当たり前に形は歪む。壱己が私に対してだけ、いつも苛立って悪態をつくのは、そのせいだ。

 「白崎さんの友達は、どんな人?」

 肩を落としてじっと考え込んでしまった私の気を逸らすように、天河さんは尋ねた。

 「どんな…?うーん…口が悪いです。意地も悪いし図々しくて、いつも偉そう」

 「短所が多いね」

 「外面はいいです。でも愛想よく付き合いながら、心の中では毒吐いてるんですよ。私に対してはその毒の部分を普通に出してくるから、腹立つことが多くて、よく喧嘩に」

 「ねぇ、何で友達なの?」

 壱己の人柄を思い浮かべながら唸る私を見て、天河さんはおかしそうに笑った。

 「何で…?」

 少しの間、私は考え込んだ。でもそう訊かれたら、答えはひとつしか思い浮かばない。 

 「…見捨てないからです。私がどんなに卑怯で弱い人間でも、どんなに酷いことをしても」

 「……そう」

 天河さんは穏やかな表情のままで短く呟き、頷いた。春の日向のようなあたたかい風がふわりと私達の間を吹き抜けて、緑の葉がひとひら、足元に落ちる。

 「じゃあ、僕もなれる?」

 天河さんは私の髪の先を摘んで、そう尋ねた。

 「え?」

 思わず私はぽかんと口を開けた。

 なれるって、何に。「じゃあ」の文脈もよくわからない。その疑問は顔に出ていたらしく、天河さんはまたふと微笑った。

 「僕も君の友達になれるかな」

 「…友達…え…何で…?」

 「何でだろう。君と君の友達の話を聞いてたら、なんとなくいいなと思って。駄目かな」

 「だ…駄目、というか…」

 駄目というか、違和感が凄い。天河さんは私にとって未知の人だ。私はこの人のことを何も知らない。夢は読めず、なのに夢で会うことは出来て、その理由もわからない。今まで見てきた他の誰とも違う。謎めいていて、それでいて清廉で。私には遥か遠く、手を伸ばしても決して届かない世界に住んでいる人。そんな人と対等な友達になんてなれない。

 「…天河さんは目上の方だし。同じ会社とはいえ、私には天河さんの業務上の専門的な話は全くわからないし、かといって仕事以外の面白い話も出来ないし…。私と友達になっても、楽しいことなんて何もないと思います。だからその…そもそも私が駄目とかいいとか言える立場ですらないというか…」

 そもそも友達というのは、なろうと言ってなるものだっただろうか。経験が少なくてわからないけれど、私も少なくとも私と壱己はそんな約束を交わしたことはなかった。

 「別に君に楽しませて貰いたい訳じゃないよ」

 「でも、あの…とにかく私には、分不相応で」

 私は完全に及び腰だった。しどろもどろに拙い説明をすると、天河さんは「ふぅん」とわかったようなわからないような顔をして頷いた。

 「まぁ、白崎さんが乗り気じゃないなら無理にとは言わない。よく考えたら友達になっても、何をどうすればいいのかよくわからないし」

 あっさり引き下がったことに、私はほっと胸を撫で下ろす。

 「その代わり、また会いに来て」

 「え?」

 「会いに来て欲しい。今みたいに、夢の中に」


 天河さんが言い終えるのと同時に、私の意識は電源を落とすように、ふつりと途絶えた。


 ♢♢♢


 次に目を開けた時、部屋はカーテンの隙間から差し込む早朝の光で、うっすら明るくなっていた。

 会いに来て。

 夢で聞いた天河さんの声が、頭の中で繰り返し再生される。

 どこへ、どうやって。それに、何だっけ。たしか他にも引っかかっていたことがあったはず。

 ぼんやり靄がかった頭で、さっき見た夢をはじめから順を追って思い出す。

 そしてすぐに行き当たった。

 お邪魔します、と挨拶をした私に、天河さんは「こちらこそお呼び立てして」と言った。

 私は、私が自分の意思で天河さんの夢に通じる扉を開き、訪れた──侵入者のようなものだと思っていた。でも、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。

 天河さんがそう言ったということは、もしかしたら私は、()()()()方の立場なのかもしれない。

 そうだとしたら──あの人は、なんでそんなことが出来るんだろう。それについてはすぐに考えるのをやめた。だって私自身、どうして自分が他人の夢を読めるのかなんて知らない。

 けど、それよりも。そうだとしたらあの人は、どうして私を呼んだんだろう。


 その疑問は、アラームが鳴り身支度をして会社に向かい、仕事に集中する振りをしても尚、頭の中から消えなかった。


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