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追放聖女は獣の皇帝に愛される  作者: 宮野
第二章:芽生える想いと聖女の目覚め
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第16話:救いの光、痛みの影

「ご案内いたします」


グラハルドの低く落ち着いた声が、静かな廊下に響いた。


その背を黙って追いながらその一歩一歩がやけに重く感じられるのは、エリス自身が緊張しているからだろう。


歩くたび、足裏から胸の奥まで何かがじわりと張り詰めていく。手のひらは気づかぬうちに汗ばんでいて、握った指先に力が入っていた。


「(落ち着いて……)」


そう自分に言い聞かせても、呼吸はどこか浅くなる。


今、ラシェル様の命を救える可能性があるのは――自分しかいない。けれど、それは重すぎる役目だった。


「(本当に私にできるの……?)」


エリスはそう、思わずにはいられず不安は拭いきれなかった。


しかし、この国に来てからの日々を思い返せば――それでも、やらなければならないと、自然と心が決まっていく。


冷たい水のような空虚の中を生きていたあの頃。生きる意味を見失い、誰にも必要とされず、ただ流されるままに日々をやり過ごしていた。そんな自分に、手を差し伸べてくれたのが、レオンだった。


温かいお風呂。柔らかいベッド。優しいご飯の香りと、人々の笑い声。

それらすべてを、自分に教えてくれたのは――あの人だ。


命を救い、生きることの意味を教えてくれた恩人。その人が、大切に思う存在が、今もなお、命の危機に晒されているのなら―――


「(……今度は、私の番)」


報いたい。少しでも、役に立ちたい。

その一心で、エリスはグラハルドの背を追い続けた。





「ここが、ラシェル様のお部屋です」


グラハルドが足を止め、扉の前で振り返った。静かに頷くと彼は無言で取手に手をかけ、そっと扉を押し開ける。


部屋の中は静かで、張り詰めた空気が漂っていた。光を抑えた照明のもと、数人の治療師が控えており、皆一様に硬い表情を浮かべている。明るい声も笑顔もない。希望の欠片すら、そこには存在しなかった。


まるで喪の空間に足を踏み入れたかのように、胸が圧迫される。


そして、目に入ったラシェルの姿にエリスは言葉を失った。


ベッドの中央で眠るその少女の身体は、あまりにも痛々しかった。頬はげっそりと痩せこけ、健康的な色を失った肌は、毒の影響か土気色にくすんでいる。布団から出た腕は、あまりにも細く、まるで乾いた枝のようで、触れれば砕けてしまいそうだった。


思っていた以上に、容態は深刻だった。これが、命の火が今にも消えそうな者の姿――現実の、重み。


「……っ」


視線を逸らしそうになった自分を、エリスはすぐに叱責した。


「(駄目。逃げちゃ……)」


背後からは、治療師たちの視線。静かだが、その期待の気配が、痛いほどに突き刺さる。


――本当に、自分にできるのだろうか。


聖女としての力は何度か使っているが、こんなにも重い状態の人を救えるかは分からない。もし、もし失敗したら?もし悪化させてしまったら? 


そんな不安が、渦のように胸の中を巻いていく。足が、少し震えていた。

怖くないと言えば嘘だった。自分の力が、本当に誰かを救えるのか――そんな確信など、どこにもない。けれど、それでも。


エリスはベッドの脇まで歩み寄り、そっとラシェルの枯れ枝のような手に、自分の手を重ねた。氷のように冷たく、命の気配はほとんど感じられなくてキュッと心臓が締め付けられる。


しかし、何かを感じ取ったのかほんの少し動いたラシェルの指先。そのわずかな反応に、エリスの心が揺さぶられた。助けたい。救いたい。彼女の時間を、止まったままにさせたくない。


エリスはそっと目を閉じ、胸に手を当てた。


「(お願い。どうか……この想いが、届きますように)」


次の瞬間――

エリスの身体の内側から、あたたかく柔らかな光が沸き起こるのを感じた。

胸の奥で灯ったその光は、やがて手のひらから流れ出し、ラシェルへと注がれていく。


「……!」


誰かが、小さく息をのんだ音がした。


眩しくも、どこか懐かしいような光。まるで春の陽だまりのような、それはただの魔力ではない、人の祈りそのものだった。


ラシェルの身体が、少しずつ変わっていく。


こけていた頬が、徐々に丸みを取り戻し、痩せ細っていた腕にもわずかに血色が戻っていく。土気色だった肌は、ゆっくりと、もとの透き通るような白さを取り戻していった。


「うそ……ラシェル様のお身体が……!」


誰かが、呆然とした声を漏らした。


エリスの瞳もまた、黄金色に染まっていた。それは覚醒の証。眠っていた力が、今、彼女の強い意志に応えるように、完全に目覚めたのだった。


やがて、光がゆっくりと消えていく。エリスはまだ、ラシェルの手を離さない。


その瞬間――


「……うっ……わたし、は……?」


ラシェルが、ゆっくりとまぶたを開いた。

かすれた声。長い眠りから目覚めたばかりの、弱々しい声だった。


だが、それでも――


「ラシェル様……!」


グレイが思わず駆け寄り、ベッドの傍に膝をついた。肩を震わせ、こぼれそうな涙を必死にこらえていた。


「ああ、ラシェル様……!良かった、本当に良かった……!」


歓声と、安堵のため息と、涙の声が重なる。

メイドたちは泣きながら手を取り合い、治療師たちも呆然と立ち尽くしたまま、それでも、口々に「奇跡だ」「本当に……」と囁いていた。


それを――エリスは一歩、後ろから見ていた。


「(……良かった。助かって……本当に)」


心から、そう思っていた。偽りなど一つもなかった。嬉しいはずだった。陛下の大切な人が救われて、城中が喜びに包まれて。


けれど、なぜだろう。胸の奥で、何かがちくりと痛む。この場にいたくないと、そう思ってしまう自分がいる。


そして、自分でも気づかぬうちに、その場を離れようとしていた。

扉の近くに控えていたグラハルドとフィーリアの方へ静かに歩み寄ると、顔色を隠すように微笑む。


「…すみません。少し、体調が……優れないようで。部屋に戻っても良いですか?」


その瞳が、黄金色に染まっていることに気づいた二人は、静かに目を見開いた。


「……すぐに、お部屋を整えます。どうか、少しでもお休みを」


「本当にありがとうございました、エリス様。心より、感謝いたします」


フィーリアとグラハルドは何も追及しなかった。ただ、深く頭を下げ、エリスと共に部屋を後にした。

 




扉が閉まり、人気のない自室に戻ったエリスは、ようやく息を吐いた。


フィーリアに「しばらく一人にさせてほしい」と頼み、返事を聞くと、ゆっくりとベッドへ向かう。シーツの感触がやけに冷たく感じた。枕に顔を埋めた瞬間――堰を切ったように、涙が溢れ出す。


ラシェルが助かったことは、心から嬉しかった。あのまま失われていたらと思うと、胸が潰れるような思いだった。


けれど、長い間眠っていた大切な存在が目覚めた今、レオンは以前のように自分に微笑んでくれるだろうか。―――そんなことを思ってしまった。


「……最低だ、私……」


自嘲のように、声が漏れた。黄金に染まった瞳から流れる涙が、枕を静かに濡らしていく。誰かの幸せを、心から喜べない――そんな自分を、許せなかった。


エリスはただ、そっと目を閉じた。部屋の中は静かで冷たい。自分の心の奥底と、どこか似ていた。

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