【第一章】春冷えて療きざす
我生まれし町、崑陽は蓮岫の麓の都である。四季の移ろいに我、玄岱は詩を残し書を教え、言葉とともに生きる。
世には疎く名誉は望まぬが、我が筆には幾らかの誇りを持っている。師に伝えられし古典を解き、若き門人にそれを講ずる日々が我が人生の芯であり、意である。
とある雨上がりの日である。講義のさなか、喉の異変を感じる。風邪とたかを括るも、日が増すごとに異変も増した。痛みはいずれ熱となり、夜な夜な嘔吐を模様していた。
とある門人に声をかけられる。
「師、顔色が優れませんな」
蒼餘であった。まだ幼さを感じる彼の目には素直な心が宿る。我は微笑み、
「老いの候よ」
と答えたのだった。ただ、心には沈む何かがあった。
数日が経ち、とある噂が流れる。
「北の郭で、障に冒された者が出たらしい。目も鼻も崩れ、皮膚は赤黒くただれ、口から血を吐きながら笑っていたと。」
皆が戸を閉め、寺に香を焚き、僧共は鐘を鳴らす。だが、人の口に戸はないようで赤瘴なる名が囁かれている。
やがて、我が背に赤黒き斑が現れた。指の関節は朝になるたびに固く熱を持ち、骨が内側よりうねるような疼きを放つ。
恐る恐る訪ねた市中の老医、壌賢は、長く我の脈を取ったのち、何も言わずただ筆で紙に一文字だけ記した。
『嶺』
すなわち、山に行けということだろう。丹瘴に罹った者は、理を失い人を襲い獣と化す。理性を保ちたいのならば人のうちに死にたければ、山に消える他ないという意なのだ。
我はその夜、一つ詩を綴った。
春寒筆難走
瘴烈肉自裂
人形尚猶在
心魂已非昔
字は歪み、墨は紙を滲ませ、筆は折れた。だが、その一首が我が中の人である証のように思われ涙が溢れた。
その夜、夢に昊蓮が現れた。昊蓮、我が若き日の友、同じ書院に学び、詩を争い、笑いあった文友である。三年前、彼もまた丹瘴に冒され誰にも告げず、自ら喉を裂いて果てた。
夢の中で彼は、あの頃と変わらぬ穏やかな目をしていた。だがその奥にあるは、静かな諦めと、哀しき予言である。
「玄岱、おまえはまだ人である。だが、いつまでそう在るのだ?」
目覚めたとき、布団は汗で濡れていた。我が中の何かが、静かに確かに崩れていた。
やがて、門人たちは顔を見せなくなった。隣人は目をそらし、犬は吠え寺の僧すら門を閉ざした。もはや、崑陽に我が居場所はない。この街で詩を詠むことも、誰かと語らうことも許されぬ。
我は静かに決めた。筆を持てるうちに、人として終わると。