パール
本当に約束を守る人間というのは果たしてどのくらい、いるのだろうか?
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とある国のとある州のとある入り江。 洞窟のような隠れ家的な場所に僕はいる。
ここは僕のお気に入りでもある。
このあたりは観光名所でもあるビーチの一角なのだが、おそらく観光客にはほとんど知られていないと思われる。ガイドブックに載っていないというのも大きいだろう。ふだんから人気も少なく近くに何もないため、僕を含めた限られた地元の住民しかここへは来ない。そんな彼等も物騒だと思っているのか夕暮れ時などはここへはほとんど近づかない。
とはいえ、この場所はとても美しく神秘的な所である。
夕暮れ時に浜辺に押し寄せる波は沈む陽に照らされてキラキラと虹色に輝いている。
あたり一面がピンクに染まり、ヤシの木がそろって穏やかな風に凪いでいる。静かな波音を聴きながら僕は入り江の岩壁の突き出た部分に座っていつものようにスマホゲームをしながら鼻歌を口ずさんでいた。
その時、ビーチサンダルを履いた足先に何かが触れた気がした。
思わず腕時計を見る。
(もうこんな時間か。)来るとしたらだいたいいつもこの時間なのだ。
何とはなしに目線をずらし、水面をちらっと見ると魚の鱗が横切るのが見えた。そしてものの数秒後、パシャンという軽い音とともに彼女が水面から顔を出した。
「・・・・やあ。」と画面を見つめたまま声をかけた。相変わらずゲームに没頭している僕をじっと見た後、よいしょ、とでもいうように岩に手をかけると体を持ち上げて座り、僕の横ににじり寄ってきた。
「そんなに面白いの?いつもしてるわね。」と彼女は言った。
「ああ、もうこれが無いと生きていけない。」と僕は画面に釘付けのまま答える。
「ふ~ん。」パシャンと脚、というかヒレで海水をすくいあげる彼女。水滴が飛んで顔とスマホにかかったので僕は彼女を軽くにらみつけた。が、彼女はそんな僕におかまいなしに長い髪の毛を梳かしながら、さっきの僕のように鼻歌を歌い出した。
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僕とパールが出逢ったのは1年ほど前のことである。
あ、「パール」という名前は僕が勝手につけたもの。なぜなら初めて会った時に頭に白く光る真珠をつけていたから。(いつもではない。その日によって髪飾りは変えているようだ。貝殻の時もあれば、今日はハイビスカスをつけている。)
本当の名前は知らない。本人も名乗らないし、僕もなんだか聞いてはいけないような気がしたのだ。
ちょうど6月に入ったばかりで、初夏の風が爽やかに吹き抜ける季節だった。
今日みたいに岩に座ってスマホゲームに熱中したのち、さてそろそろ帰ろうか、と立ち上がりかけた際、バランスを崩しかけた。幸い、海には落ちなかったものの、ポケットに無造作につっこんでいた自転車の鍵を落としてしまった事があった。その時、たまたま入江に来ていたパールが鍵をキャッチして僕に返してくれたのだ。
・・正直、最初は何が起きたかわからなかった。急に大きな影が近づいて来たかと思うと、身構える間もなく、いきなり海面から自分と同じ年頃の女の子がザバッと上がってきて「はい。」と言って右手を差し出して鍵を渡してきたのだから。そして、開いた口がふさがらない僕をよそに再び潜っていったかと思うとそのままこつぜんと姿を消してしまった。そしてそのまま戻って来なかった。
この先はもう海しかない。彼女は・・いったい、どこへ行ってしまったのだろうか。
去り際に一瞬だけきらりと光る青緑色の鱗が見えた気がするのは気のせいか。いや、まさかな。そんなことあるもんか。
震える手でぐしょぐしょに濡れた鍵をつっこみ、混乱した頭で自転車に乗って家を目指した事はまだ記憶に新しい。
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その後も僕は例の入り江でパールを見かけた。
パールによるとここはずっと前から自分の秘密基地であったが、僕が来るようになりしばらく姿を隠して様子を見ていたらしい。
たしかにここは昼間から人気が無く、隠れ家にはうってつけだ。でもまさか彼女のような存在・・おとぎ話や絵本でしか見聞きした事のない存在が来るなどと、誰が予想できただろう?
悪い事をしてしまったな、と思う。 しかし、パールの方は僕が普段から一人でいるのと(そうさ、たしかに僕には友達と呼べる者など一人もいないが、それが何か?)近づいても平気なタイプだと思ったらしく何度も姿を現した。
現れるのは決まって夕方。先に着ているのが僕で陽が沈みかけると同時に彼女はやってくる。
今日もいつものように僕らは過ごしている。
僕は相変わらずゲーム。パールは僕の横で聴いた事のあるようなないような歌を口ずさんでいる。
腰まで届く長い長い髪を両手で梳かしながらパールは僕にたずねた。
「いつも・・遅くまでいるけど家の人は心配しないの?」
僕はふっと笑う。
「母さんは夜から働いていて朝方に帰ってくるんだ。・・それとも帰ってほしい?」
「そうじゃないけど。」「なら問題ないだろ。」「うん。」
それきり会話が途切れる。
パールはまた歌い始めた。僕はゲームを再開する。いつもこんな感じ。ずっと会話しているわけではない。
逆にそれが心地よくもある。沈黙が苦にならない事がお互いによくわかっているから。
しかし・・僕は平静を装いながらパールにいつ切り出そうかタイミングをうかがっていた。
黙ってやり過ごしてしまおうかな、とも考えた。だって所詮、得体の知れないこいつは今後の僕の人生に何ら関係もないのだから。
が、パールの方を見ると今日に限ってなんだかそわそわしている気がした。
なにか僕に対していつもと違う何かを感じ取っているのだろうか。”動物的勘(失礼)”というやつだろうか?
・・ポーカーフェイスは得意だがこいつには通用しないかもしれないので、僕は腹を決めて打ち明ける事にした。
「なあ、話があるんだけど。」「え。」 パールはびくりと肩を震わせた。やはり、なにか勘づいている・・・・。
僕は小さく息を吐くと言い放った。「ここに来るの今日で最後なんだ。」
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本当に約束を守る人間というのは果たしてどのくらい、いるのだろうか?
自分はいい加減なほうだと思っていたけど、案外そうではなかったみたいだ。
母親の再婚を機に引っ越してから10年。
僕は休暇を利用して生まれ故郷に車で来ていた。海沿いをドライブしている時の風は気持ちが良く、少年だった頃に自転車をこぎ、ほぼ毎日、入り江に来ていた時を思い出した。
そして約束の10年後の今日。僕は再びこの場所を訪れていた。・・いや、白状しよう。もうどうせばれているだろうしな。
10年ぶりどころか、それ以前にも何度かこの入り江を訪れている。最後に来たのは去年の秋頃だったか。
暇を見つけては来て、がっかりして帰っていく。いつも、そのくりかえしだ。何度も来ているが彼女にはいつも逢えなかった。
しかし、もう僕の事を忘れていてもなんら不思議はない。僕に逢いたい気持ちがもうすでになくても驚かない。(来ていても姿を現さなかったとも考えられる。)
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最近では、あれは僕の見ていた夢だったのかもしれないとすら疑うようになった。
今では僕自身もすっかり諦めに似た気持ちになり、今日を境にけじめをつけることにしたのだった。
”本当の約束の日”である10年後の今日、この場所で彼女にもう一度逢えなければ、二度とこの場所には訪れない。パールの事も忘れる・・と。
果たして彼女は現れるのか? 僕はズボンのポケットから布に包んだ”例の物”を取り出す。
最後の日、彼女にもらったもの。
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<もしも、今後もずっとあたしとお友達でいてくれる気があったらこれ・・10年後に返しにこの場所にまた来て。>
<なにこれ、真珠?>
<うん。私たちのお守り。すごい効き目なんだから。>
<・・いいの?そんな大事な物を人にあげて。>
<うん。新しい所に行っても頑張ってね!友達・・いっぱいできるといいね。>
<・・どうもありがとう。>
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偶然かもしれないがその後の僕の人生は激変した。
まず、母親の再婚相手は以前の父とは違い、とても優しくて良い人だった。むこうの連れ子の義弟も良い子で今も家族仲良くやっていけている。
学校でも不良たちに目をつけられることがなくなり、友達もでき、さらに医者からは絶対に治らないと言われていた生まれつきの持病まで治ってしまった。
これを機に運動ができるようになり、食べ物も何でも受けつけられるようになり、自信がついてきた僕は、努力もあいまって顔つきや体型まで変わり、なんと、クラスで一番の美人から告白されてしまったのだ!(自分でもこれには本当に驚いた。)・・が、彼女とはすぐに別れてしまった。その後も、何度か彼女ができたりしたのだが、どの子ともすぐに長続きせずにあっという間に別れてしまった。
みんなそろいもそろって、可愛かったり美人だったりするのだが、いつも同じ結果になる。ひょっとして呪いか?他の事は上手くいきすぎるからその代償なのだろうか?
(違うな・・。)大人になるにつれ、僕には少しずつその理由がわかってきた。
砂浜を下りていく途中、おもわず笑みがこぼれる。
真珠を手渡してくれた時のパールの笑顔を今でも鮮明に覚えている。
君ほど優しくて、君ほど美人なんていなかったよ。
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あのあと結局パールは現れなかった。
子供の頃していたようにごつごつした岩に腰かけ、スマホを出しゲームをする素振りをしながら待った。
時が経ち、スマホゲームも進化したものよ!
それ、何がそんなに面白いの?と言いながら彼女がやってくることを期待しながら。
・・しかしどれだけ待っても彼女はいっこうに現れなかった。
パシャン、と水音がするたびはっとなり、足元を見るが毎回、小魚が通り過ぎるだけである。
1時間・・2時間。 ついに完全に辺りは夕闇に包まれ、空には月が出た。風が静かに吹き抜け、いくらか肌寒さを感じた僕はついに観念して車に戻ることにした。
ふう、とため息をつき入り江を後にする。後ろ髪を引かれる思いだったが、おおかた覚悟はしていたためか、妙に晴れやかな気分だった。
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「・・今、何て言ったんだい?」友人は僕に尋ねる。
まあ、信じられないのも無理はないか。僕は声をさっきよりも大きくして宣言する。
「ジョン。僕は君と結婚したいんだ。いや、してくれ。」
ジョンは大慌てで身を乗り出し向かいの僕の口をふさいだ。「ここはレストランだぞ!公共の場だ。わかってるのか?ブライアン!」
僕は気にもせず続ける。「聞こえやしないさ。奥の席だからな。で、返事は?」「・・・・。」
友人は困ったように黙ってしまった。 そして数秒の沈黙の後、ぽつりと言った。
「・・僕は男なんだぞ。」 僕は今、知り合って間もない同じ年頃の男性に高級レストランで求婚している最中だ。
彼は二か月ほど前、僕の職場から近い行きつけのバーに新しく入ってきた男性従業員だ。
彼はバーの従業員として働きながら歌も歌っていた。
歌う彼を見ているうちに僕は気が付いた。まるで雷にでも打たれたかのような衝撃が走った。
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「どうも、魔法が不完全だったみたいだ。”その場で”真珠を受け取らなかったから。・・でも出ていく勇気が無かった。だからこんな姿に。」
「・・なあ、あの時、君は真珠になんて願い事をしたの?」
「君が幸せになれますように。あと、君のいちばんの友達になれますように。」
「ちゃんと叶っているじゃないか。」
「・・・・でも。」
うつむく彼に僕は静かに言った。
「なあ、性別なんか魚か人かに比べたら大したことないと思わないか?」
「・・・・・・。」
「君が気になるのなら結婚しなければいい。表向きは友人という事にしておけばいいじゃないか。いくらでも一緒にいる方法はあるさ。」
「しかし、また君から人から離れていく事になったらどうする?僕のせいで。」
なんだそんなことか、と僕は微笑んだ。
「かまわないさ。一番大切なものを手に入れたんだから。そうだ、これを受け取ってくれ。」
「?」
「まあ・・君にとっては今更かもしれないけどね。」
僕は肩をすくめながら目の前に小さな包み(といっても僕のハンカチだが)を置いた。
恐る恐るハンカチを広げた彼は思わず声を漏らした。
「これは・・。」 「友人の知り合いにアクセサリーの職人がいてね。加工して作ってもらった。」
得意気に言う僕に、まだ持っていてくれたのか、と今日、初めて彼が笑った。
「あたりまえじゃないか。・・これで返したからな。」
ハンカチの中から出てきたのは、僕が昔、彼からもらったパールを加工して作った指輪だった。
それは今もあの時と変わらない輝きを放っている。
完