第13話 とある諜報員の死闘
シャルダンは目の前の魔獣から放たれる気配に、生唾を呑み込んでいた。数多くの修羅場を潜り抜けてきた彼の目には、それがホワイトタイガーではないことなど一目瞭然。
「お、お前は何者だ!」
「えっ、俺かニャー? さっき紹介してただろうがニャー。珍しい喋るホワイトタイガーニャー」
そもそも魔獣は種によって格が決まっている。人の言葉を解する魔獣など多くはない。そうでなくても、キャトラは規格外の体躯を持っている。これでホワイトタイガーと言い張るのは無理がありすぎる。
「お前は断じて、ホワイトタイガーなどではない! 私の目が誤魔化せると思うな!」
シャルダンが指を差して指摘すると、キャトラはわかりやすくため息をついた。
「だから無理だって言ったニャー。やっぱりバレるに決まってるニャー」
「やはり、ホワイトタイガーじゃないのか! だったら何なんだよ!」
「ん? 知ってるんじゃないのかニャー?」
「私にわかるのはホワイトタイガーではないということだけだ!」
「俺の正体がバレると怒られるから、それ以上は秘密ニャー!」
『もふもふ王国』には、このように危険な魔獣がたくさんいるのだろう。それをあえて弱い魔物だと言い張ることで、相手を油断させる。角ウサギは実物を見たから間違いないと分かるが、宿で聞いたグレイウルフが本当にグレイウルフなのか、という疑いが頭をもたげる。
何より恐ろしいのは、この魔獣が「怒られる」と言ったことだ。彼の推理によれば、この隠ぺいは『もふもふ王国』が主導になって行っていること。そこから導き出される目的は、魔国への侵攻に他ならない。
「もふもふしないのかニャー?」
「い、いや、私は……はっ!」
シャルダンのひらめきのような稲妻が脳裏をかけめぐる。『もふもふ』という謎の言葉、この意味が――。
「わかったぞ! 『もふもふ』とは侵略のことなのだな!」
「何、バカなことを言ってるニャー。あー、でも、言われてみればしっくりくるニャー。俺もアイツに侵略されたみたいなものだったニャー」
遠い目をしながら答えるキャトラ。その姿が、シャルダンには哀しみを背負っているように見えた。彼の心の中には、侵略されて服従を迫られた哀れなキャトラの姿が見えた。
だが、彼は第一線から退いたとはいえ、超一流の諜報員。情に流されて判断を誤ることはない。『もふもふ』が侵略という意味ならば、キャトラの言葉の意味もはっきりと理解できる。
キャトラはシャルダンに、こう尋ねたのだ。『侵略するつもりなのか?』と。
「危ないところだった……」
「お前の頭の中の方が危なそうニャー」
シャルダンの言葉に、たびたび能天気な反応を返すキャトラだが、侮ってはいけない。その実、シャルダンのハラを探っているのだ。もし、「もふもふする」と言ってしまったら、それを口実に『もふもふ王国』は魔国を殲滅しようとするだろう。
彼がすべきことは『もふもふ』を回避しつつ、敵の戦力の把握をすること。そうと決まれば、彼はもう迷わない。
「とりあえず、もふもふはしないでおくよ。それより、キャトラより強い魔獣って、『もふもふ王国』の周りで、どのくらいいるのかな?」
「いるわけないニャー。俺が、この辺の魔獣なら最強ニャー。他の奴ら、全員束になっても俺には勝てないニャー」
思わぬところから飛び出した値千金の情報。それを聞き逃すようなシャルダンではなかった。彼の誤算は魔獣に限定してしまっていたこと。よもやキャトラと互角程度に戦える人間が二人、圧倒する人間が一人いることなど、想像できなかったに違いない。
「なるほど……。それならキャトラの強さを想定する戦力を用意すれば、この辺の魔獣は問題ないということか……」
「王国全部でも大丈夫なはずニャー。だけど、何か勘違いしてないかニャー?」
王国全部、そこには戦力として魔獣をかき集めているという辺境伯領も当然ながら含まれる。逆に言えば、キャトラに匹敵する戦力を集めることができれば勝てる、ということだ。シャルダンの目には、確かな勝利への道筋が見えた。
「大丈夫だ。できれば、キャトラの全力を見せてもらえないか?」
「ダメニャー。そんなことしたら、お前、死ぬニャー!」
たやすく手の内を明かさないという意思が見え隠れする。しかし、シャルダンを躊躇わせるには、あまりに稚拙な言い訳だった。
「大丈夫だ、問題ない。私はかなり頑丈だし、結界も張れる」
「わかったニャー。やってやるニャー」
「さあ、こい!」
シャルダンは全力の結界を張って身構える。仮にキャトラが上位のアイシクルタイガーだったとしても、この結界を破って彼に致命傷を与えるのは困難だろう。
――パリーン。「ほげぇぇぇ!」
果たして、キャトラの放った猫パンチは、彼の結界をたやすく破って、彼の体を壁際まで吹き飛ばした。
「やっぱりニャー。半分の力にしといてよかったニャー」
そうつぶやいて、キャトラはポーションを加えるとシャルダンに駆け寄る。全身ズタボロで、どう見ても死にかけだった。
「死んじゃダメニャー。ポーション飲むニャー」
キャトラがポーションの瓶をシャルダンの口に突っ込んで強制的に飲ませる。かなり高級なポーションらしく、死にかけていたシャルダンは一瞬にして完全回復していた。
「ふっ、いいパンチだ」
「いいパンチだ、じゃないニャー。死ぬところだったニャー。怒られるところだったニャー!」
「大丈夫だ。私の頑丈さは、さっきのでわかっただろう。それに、まだブレスを見せてもらってない」
シャルダンは第一線を退いたとはいえ、超一流の諜報員。全てを明らかにする前に退くことなど許されない。
「それはホントに死ぬニャー! やめるニャー!」
「大丈夫だ、問題ない。私はかなり頑丈だし、結界も張れる」
「さっきはダメだったニャー」
「今度こそ大丈夫だ。私を信じてくれ!」
説得は無理だとあきらめたキャトラは、二割くらいの力でブレスを吐く。当然ながら、シャルダンの結界はあっさりと破れ、わずか数秒で物言わぬ氷像になった。
「やっぱりダメじゃないかニャー。ポーション飲むニャー。凍ってて口が開かないニャー!」
◇
奥が騒がしかったので、様子を見に行った私は目に映った光景に言葉を失う。キャトラのブレスによるものだろう。完全に氷像になった彼と、慌ててポーションをかけまくるキャトラの姿。
「キャトラ、何をやってるのですか!」
「違うニャー。こいつがやれって言ったニャー」
「それは後です。先にお湯を用意してください!」
私はキャトラに手伝ってもらいつつ、彼にお湯をかけて解凍していく。手加減をしていたのだろう。予想よりも少ないお湯で解凍できた。
「ん……。私は?」
「お客様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ。すまない、少しハッスルしてしまったようだ」
シャルダンは頭をかきながら苦笑する。
「あまりキャトラに無理を言うのはやめてください」
「すまない。ポーション代は払うから……」
そう言って、私の提示した額を渋る様子もなく支払う。ちなみに、ポーション代の方が遥かに高かったのは言うまでもない。
「それじゃあ」
「ご利用ありがとうございました! またのご来店、お待ちしております!」
私とキャトラは笑顔で挨拶をして、彼を見送る。
その日以降、彼が店を訪れることはなかった――。