清めの御酒
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お~、こーらくん。そちらのトンボ掛けは終わったかな? お疲れ様だったね。
場をととのえるという精神。これはおろそかにしちゃいけないものだと、私は思っているよ。
場がととのっていないことによって、転倒やイレギュラーバウンドが起こるかもしれないしね。それに、もしも競技はじめに場をととのえることをしていたら、大事な時間が削られてしまう。
集まった人は貴重な時間を削ってくれているわけで、一分一秒だって余計なことに費やしたくないはずだ。無制限に場を使えるとも限らないしね。
自分さえよければ精神でさぼりたい気持ちはあっても、もし自分がどこかの誰かに同じことをされたら……と考えたら、腹が立ちそうだろ? 怒りの矛先を向けそうになるだろ? へたにつながりがあると判明したら、なにされるかわからないぜ?
自分の身を守る意味合いもかねて、場の清めには力を入れたほうがいい。それによって守られるものは、ほかにもあるかもしれないしね。
私が以前、父から聞いた話なんだけど耳に入れてみないかい?
父もかつては運動部に所属していて、トンボ掛けには縁が深かったらしい。
縁、というと大げさに聞こえるかもしれないが、トンボ掛けは下級生に任される風潮であったし、同級生もなにかと要領がよくて父に押し付けることが多い。
貧乏くじには慣れている、とは父親の談。同時に、俺まで放り出したら誰がやる、という使命感もあって、その日もひとりでグラウンドにトンボをかけていた。
ほかにグラウンドを使う部活とバッティングしているなら、ある程度を負担してもらえることもある。しかし、その日の活動は自分たちが最後であり、自然と父親もぽつんと広い空間に残されたわけだ。
あたりは、すでに暗くなり始めている。先に帰った面々はすでに家へ帰り着いて、思い思いの時間を過ごしているのではないだろうか。
なにも気をやるのは、同じ部活の子たちに関するものばかりじゃない。
学校近辺の家から漏れてくる、夕餉の香り。これが問題だ。
父も育ち盛りの時分だから、この時間などは腹が減る減る。減りすぎて、お腹の皮が急降下するかと思う勢いだ。そこに注ぎ込まれる、食事の香り。
我が家のものではない、というのが重要だ。願えばすぐに手が出せるものと違い、望んでも手に入らないからこそ価値がある。
鼻はひくつき、よだれがにじみ、胃がくうくうとせつなげに鳴いても、もたらされることはない。ゆえにそこには限りない渇望と可能性が生まれるわけで。
――あ、今日は生姜焼きでも作ってんのかな。ふんふん、いい香りがする。
トンボを掛ける手足は止めず、匂いのみを自分の空腹感へ送り続ける父親。くたくたに疲れた手足も、これを抜けた先のご飯を思えばだいぶ楽になる。当時の男子の合言葉は、一にも二にも「腹減った~」だったのだから。
けれども、この日はそこからが妙だった。
これまで漂っていたしょうがの香りが、だしぬけにぱたりと消えてしまったんだ。で、直後に漂ってきたのは強い日本酒の香り。
料理でお酒を使う場面はなきにしもあらずとはいえ、これはいささか場違いなレベルだ。つんと鼻からのどへ詰まるひりつきは、祖父が愛飲している、どぎつい度数のものをほうふつとさせる。
どこの家からかは分からないが、文字通りにずいぶんと酔狂なことを……! と顔をしかめはじめた父がふと振り返ると。
いた。
自分のほんの1メートルほど後ろに、白い胴着を着た老齢の男性が立っていたらしい。
その顔に刻まれた深いしわから、相当の年配とは悟れたが、その白髪は現代日本でもめったにお目にかかれない、見事なべんぱつに結われている。少なくとも、父ははじめて見た。
「――気にするな。つづけろ」
中国語とか飛び出したらどうしようと、少しびびっていた父の耳に叩き込まれたのは、流暢な日本語だったとか。
軽く「どうぞ」と差し出された腕のサインにうながされるまま、トンボ掛けに移る父親だったけれど、すぐまた違和感を覚える。
酒の香りにひくつきながら、もう一度べんぱつ老人を振り返った。老人は腕を下げたこと以外は、先ほどの姿勢から変わらず不動を貫いている。
でも、問題はそこじゃないはず。
父はそのまま老人の足元へ目を移していき……気づいた。
足跡がいっさいない。
ここはグラウンドのほぼ中央部分。いずれの校門から入ってきたとしても、このトンボ掛けをした地面をまったく乱すことなく入ってくることはまずできない。
それをこの老人は、素足でやってのけている。彼の周囲に、ここまで至っただろう道筋がまったく読み取れなかったんだ。
天から降ったか、地から湧いたかのいずれかなら、あるいは……とも思うが、父は振り返るあのときまで一切存在に気付くことができなかった。人間業とは、とうてい思えない。
背筋が冷えてきたのは、近づいてきた夜の気配のためばかりではないだろう。刺激するべきでない相手だと判断し、父は残りの部分をトンボ掛けにかかる。
本当なら放り出してこの場を逃げたく思っていたが、いざそのような考えが頭によぎっただけで、鼻にする酒の臭いが急激に増したらしい。考えることをやめると、酒の臭いは消えはしないが、おとなしくなったという。
しかも、臭いが強くなると自分の頭も足元もぐらついて、せっかくかけたトンボ掛けを台無しに仕掛けるようなめまいを覚える。大人になってから、あれは自分が酩酊状態に入っていたのだと振り返られるようになったとか。
しかし、症状が尾を引く普通の酒飲みと違い、あのときはさっとシラフと切り替わり、また瞬時に酔うことができてしまったそうな。
――あのじいさんだかの機嫌、損ねちゃダメだ。
頭で思うより先に、体が素直だった。
すなわち、残りのトンボ掛けをすみやかに、かつ丁寧に終わらせるべき、という行動だった。
わき目もふらずトンボをかけ、ついにその端の端まで終えて顔を上げたとき。
あの老人はどこにもいなくなっていた。代わりに、老人が立っていたところの地面が真っ黒になったと思えるほど、湿り気を帯びているのが分かったのだとか。
少し近づこうとしただけで、わかる。嗅ぎ続けた酒の香りが、たちまち強まったからだ。この酒気の気配はあそこなのだ。
近づくべきではない。
そう察した父は道具を片付け、今度こそその場を去った。酒の酔いは、もう追いかけてはこなかった。
翌日にはあの湿り気も、酒の臭いもなくなり、いつも通りの一日が始まっていた。
あの老人について語るものはいない。生徒にも、先生にも。
ただ、もしあの老人が神や仙に通ずるものだとしたら、あの酒はお神酒のようなものだったのではないかと、父は考えているらしい。
欠かさず、掃き清めていたからこそ出会うことができた存在。果たしてそれがよかったものかどうかは、はっきりと断ずることはできない。
しかし、こう同年代の友達を見送ることも珍しくなくなった歳において、こうして元気でいられて家庭も持てたというのが、恩恵なのかもしれないとは話していたね。