09. お嬢のための専属執事
翌日。執事長であるフレデリックに認めてもらい、今日から遂に名実ともにセレーネの専属執事になるマーロン。彼の顔色は真っ青で、どう見てもいつもの様子ではない。
マーロンが仕える予定のセレーネは、ビレッジ公爵の14歳の娘である。この世界での成人は15歳であるので、まだギリギリ成人していない年齢だ。
マーロンがセレーネに命を救われてから5年。この間に美しく成長したセレーネ。対するマーロンは15歳の少年の見た目をしているが、その実は28歳の時に死亡した極道である。実年齢にして40歳以上、自身の前世の記憶を思い出してからだと5年なので、少なくとも33歳程度の精神年齢を持っていることになる。
そんな自分が14歳の少女に仕えることになるのだ。しかも相手は命の恩人で、マーロンはまともな職場で働いたことすらない。マーロンにとって完全に未知の領域なのだ。
そんな色々な要素が重なり、マーロンは今までにないほど緊張してしまっている。精神年齢が30歳を超える極道が情けないものである。
「うう………緊張する………」
「肩の力を抜いてください。やる事は今までとほとんど変わりません」
緊張するマーロンに優しい言葉を掛けたのは、メイド長であり、セレーネの専属メイドでもあるヒルダだ。
「それに、お嬢様は少しのミスで怒ったり嫌ったりする人物ではありません。心配しなくて大丈夫ですよ」
「そう、ですよね………」
ヒルダの言葉で多少は緊張が解れたマーロン。ヒルダはよくマーロンの事を気にかけてくれているので、マーロンとしてはいつも助かっている。フレデリックがマーロンに厳しい分、ヒルダは優しく接してくれているのだろう。鞭のフレデリックに飴のヒルダ。こんな感じだ。
「ヒルダさん、ありがとうございます。少しだけ緊張が解れました」
「ふふふ。そうですか。それは良かった」
ヒルダはそんなマーロンの言葉に少し笑いながら、マーロンをセレーネの部屋まで案内する。
「いいですか?ノックは3回で、必ずセレーネ様の返事を待ってから入ってください」
「わ、わかりました」
そう言ってマーロンは、セレーネの部屋の前で深呼吸をする。先ほど解れた筈の緊張がぶり返してきたのだ。
だが、こんな所で静止しているわけには行けない。マーロンは自身の緊張を抑え付け、扉に右手の甲を近づけた。
そして、コンコンコンと3度ノックを行った。
その瞬間――――――。
「きゃあああああああああああああ!!!!!!!!!!」
セレーネの部屋の中から悲鳴が聞こえてきた。間違いなくセレーネの声だ。
マーロンは先ほどのマナーの事など完全に忘れ、すぐにドアノブに手をかけて扉を開いた。
「お嬢!!!!ご無事ですか!?!?」
そう叫びながら、一気に部屋に踏み込む。
マーロンが踏み込んだ部屋の中にあったのは―――――、
「あははははは!!引っ掛かった~!!」
と、大声で笑うセレーネであった。
どうやらマーロンは、セレーネが上げた嘘の悲鳴に騙されたらしい。
完全にマーロンはポカンと呆けたように大口を開けて制止してしまった。
そんなマーロン差し置いて、マーロンの後ろから現れた人物が1人。
「お嬢様~~~~~??」
放心しているマーロンの後ろから、般若の顔をしたヒルダが入ってくる。
「新人執事をからかうのはお辞めなさい!!」
「きゃ~~!ごめんなさい!」
ヒルダがセレーネを叱るが、セレーネに反省しているような様子は見られない。この様子では、このような出来事は日常茶飯事なのであろう。ヒルダも諦めたかのように、「やれやれ」と首を振っている。
セレーネは放心しているマーロンを見て、「てへっ」なんて言いながら少しだけ舌を出した。
新たに知るセレーネの一面。
どうやら自分のご主人様は、かなりの悪戯っ子である様だ。
「ごめんなさい、マーロン。揶揄いすぎちゃった」
「いえ。ご無事でよかったです、お嬢」
現在セレーネは、メイド長のヒルダに着替えを手伝ってもらっている。どうも主人の着替えというものは、異性である執事が居ても関係なく行われるようだ。セレーネはマーロンの目の前で、その綺麗な裸体を晒している。
透き通るようなハリのある肌を隠すように伸びた、綺麗な長い銀髪。身体の起伏は少なく、発展途上であるためか、胸も少し控えめだ。
マーロンはそんな天使の身体を、何でもない様子を装って見る。執事らしくピンと背筋を伸ばし、山のように、仁王のように、動じぬ心で静止する。主人の身体を邪な目で見てはならない。ただ動じずに、直立することのみを考える。
「マーロン………そんなに見られると照れてしまいます………」
じっと無心で主人の着替えを待っていると、セレーネがそんな事を言ってきた。気にしていないと思っていたのだが、どうやらマーロンに見られるのは恥ずかしいようだ。
「マーロン!異性の主人が着替える時は見ないようにするのがマナーですよ!!」
「えっ!?あ、はいっ!」
ヒルダの叱責でようやく自身の失態に気付く。どうやら主人の着替え中は目を逸らさなければいけないらしい。まずい、ガン見してしまった。
すぐにマーロンはくるりと半回転し、後ろの壁を見る。
セレーネはそんなマーロンに、悪戯な顔で話し掛ける。
「私の身体はどうでしたか?マーロン」
「はい。この世に天使が舞い降りたのかと思いました。それほど綺麗な身体でした」
「ふふっ。ありがとう」
見て感じたままを伝えたまでだが、どうやらセレーネを喜ばせることに成功したようだ。日本では完全にセクハラ扱いされていただろう。というか実際にセクハラだ。
着替えも終わり、しばしの雑談タイムに入る。
セレーネのスケジュールはびっしりと午後まで埋まっており、空き時間はかなり少ない。ゆっくりする時間は限られているのだ。
セレーネは貴族である。それも、公爵令嬢であり、領主の娘でもある。学ぶべきことは多いのだ。その為、セレーネの一日はびっしりと講義で埋まる。
言語学に始まり、数学、歴史学、経済学、政治学、社会学などの学問に加え、魔法や剣術などの自身のみを守るための技術。そして、紳士淑女としてのマナーなどの講義を毎日受けているのだ。
マーロンは想像しただけで目が回りそうになる。
「この屋敷での生活には慣れましたか?」
「はい。お嬢のお陰で、毎日楽しく過ごせております」
「私は何もしていませんよ。ヒルダから話は聞いてます。かなりの働き者だと」
「いえいえ。お嬢の為に働けるこの環境こそ、私にとって光栄の極みにございますので」
事実、マーロンはこの屋敷で働けるだけで満足しているのだ。セレーネの為に働ける。それが嬉しいのだ。
今までマーロンは、あまり義理人情なんてものに縛られて生きてはこなかった。だが、セレーネに命を救われてようやくわかったのだ。自分がこんなにも、義理人情を感じる人間だと初めて知ったのだ。
「そんなに大したことしてないんだけどなぁ………」
「お嬢にとって大したことで無くとも、私にとっては一生忘れられぬ出来事です」
「ごめんなさいねマーロン。私、覚えてなくて………」
「いえ。私が覚えている。それでいいのです」
5年前の出来事であるし、優しいセレーネは普段からあのような事は頻発しているのであろう。覚えていなくて当然である。
「マーロンはスラム街出身の孤児であると言っていましたね?今までどのようにして生きてきたのですか?」
「―――お恥ずかしながら、物乞いや盗みで何とか食い繋いできました。スラム街の子供には、生きる術がそれくらいしかありませんので………」
「そう、なんですね………」
セレーネが悲しげな表情を浮かべる。マーロンの境遇を憐れんでいるのだ。
「スラム街の孤児たちは、皆そのように生きているのですか?」
「はい、大体同じ感じだと思います。物乞いに盗み。質の悪い大人に捕まれば、一生その大人の言いなりになる子供も少なくありません」
セレーネの問いに、この街のスラム街の現状を話す。濁すこともできたが、彼女はこの街の領主の一人娘だ。濁さず伝えた方が、彼女の為になると判断した。
「―――大変だったんですね………」
「いえ。私の場合は幸運でした。同じような境遇の子供たちで集って、自身の身を守れましたから」
マーロンが組織した徒党、栗原組の事だ。
「そう言えば、マーロンと同じように子供だけで徒党を組んで、この街一の闇ギルドまで成長した組織がありましたね。確か名前は………クリハラグミ」
ヒルダの言葉に一瞬だけドキリとするマーロン。自身がその栗原組の元ボスだったとは、流石に言えない。
「お父様が言ってました。『最近はスラム街の治安の少しずつ良くなっている』って。確か、スラム街の覇権が『暁闇の梟』って闇ギルドからクリハラグミに移ってから、スラム街での小競り合いや重犯罪が減少傾向にあるって」
「クリハラグミはスラム街の孤児を囲い込んで、自警団のような事もしていると噂ですから。それで犯罪が減っているのでしょう」
セレーネとヒルダが栗原組について話すのを、マーロンは冷や冷やしながら聞く。
「じゃあ、クリハラグミは良い闇ギルドって事ですか?」
「いえ、闇ギルドは闇ギルドです。汚いこともやっているはずです。―――そこの所、何か知ってますか?マーロン」
突如ヒルダに話を振られたマーロン。どこまで話すか迷うが、まあそこらのスラムのガキが知っている程度の事であれば問題ない。
「そうですね。栗原組は確かに自警団のような事もしていますが、本質はあくまで闇ギルドです。彼らが奪い取ったシマも、元々は他の組織との抗争で奪い取った物ですので、血生臭いものですよ」
「シマ………?」
「あ、縄張りの事ですね」
マーロンがボスであった時代の栗原組は、売られた喧嘩は必ず買っていた。構成員が子供ばかりなのに大きくなっていった栗原組は、周囲の組織からは目障りに映っていたのだろう。
舐められたら終わりの世界だ。当然、ちょっかいを出されれば報復をする。そんな感じで売られた喧嘩を買って抗争を続けていく内に、いつの間にかビレストの街で一番大きな闇ギルドにまで成長してしまっていたのだ。
「なるほど、結局は同じような組織なのですね………お父様はなんでそんな組織を野放しにしているのでしょう?」
「キリが無いからだと思いますよ。栗原組が潰れた所で、今度は別の組織が台頭してくる。それじゃあイタチごっこです。だったら、まだ制御しやすい栗原組を残していた方が良いという判断を旦那様はしているんでしょう」
たぶん、今の状態が一番丁度いいのだ。スラム街の治安は安定しつつある今の現状が。
栗原組を潰せば、その後を狙って他の組織が活気づく。その後に待っているのは、またしても血生臭い抗争の始まりだ。スラム街の治安がまたしても悪化する。そしてまた、栗原組のような組織が誕生するのだ。
結局、今の栗原組を残しておいた方が、領主としては助かるのだろう。もちろん、栗原組は力を持ちすぎると問題なので、ある程度は削る必要はあるが。
「マーロン。良く知っていますね?」
ヒルダによって若干の疑いの目がマーロンに向けられる。まずい。話過ぎただろうか?
「自分はスラム街でその様を実際に見てきた当事者ですから。それくらい知らなければ生きてはいけません」
「確かにそうですね。疑ってしまい、失礼しました」
「いえ。スラム街出身のガキなど、信じるに値しない者ばかりですので。メイド長や執事長のように、疑ってかかるのが正解です」
結局、マーロンのような人種は疑ってかかる方が丁度いいのだ。ビレッジ公爵やセレーネは自分の事を信用し過ぎな気がするマーロンである。裏切る気なんて更々無いが、自身の事を疑われたとて、それは当然であるとしか思わない。
「おっと。もう時間ですね。お嬢様、マーロン。行きましょう」
「そうですね。2人とも貴重なお話、ありがとうございます」
そんな事を話していると、セレーネの貴重な空き時間が終わる。スラム街の話などで潰してしまって良かったのだろうかと、少し申し訳なくなってくる。
これからセレーネは経済学の講義だ。今日からセレーネの専属執事になったマーロンであるため、当然、セレーネが講義を受けている間もマーロンは傍にいなければならない。
マーロンは寝てしまわないだろうかと心配になりながら、セレーネのすぐ後ろを歩くのであった。