08. 執事生活は大変です
執事の仕事というのは思っていたよりも大変であった。
執事という言葉を聞くと真っ先に思い浮かぶ姿は、主人に常に付き従い、主人の為に紅茶を淹れ、主人のスケジュールを管理する。マーロンが思い浮かべていたのはそんな秘書のような姿であった。
だが、実態はそうでは無い。新人の執事にそんな仕事は当然回ってこないし、そのような花形の仕事は、上位の執事だけに許されたものであった。
ビレッジ公爵の場合は、フレデリックが常に付き従っているし、セレーネの場合は、メイド長のヒルダが常に付き従っている。専属執事と呼ばれるその人専属の執事は、一部の執事にのみ許された特権であるのだ。
では、マーロンはどんな仕事をしているのか。それは洗濯!掃除!食事の配膳!これに尽きる。
まず洗濯であるが、新人執事のマーロンに、ビレッジ公爵やセレーネの服の洗濯は回されない。マーロンに回ってくるのは、他の執事やメイド、屋敷を警備する兵士など、使用人たちの服の洗濯である。
辺境であるとは言え、ビレッジ公爵邸は領主の屋敷だ。当然、大量の使用人が住み着いている。そんな彼らの服の洗濯を行うのが、新人執事や新人メイドの役割なのだ。
掃除はその名の通り、掃除である。この広い屋敷を隅々まで掃除する。これも新人執事の役割である。言うまでもなく大変な仕事で、一日の大半をこの屋敷の掃除で消費してしまうのだ。
そして最後は食事の配膳。これも当然、ビレッジ公爵やセレーネの食事の配膳ではなく、同じ執事やメイド、兵士などの使用人たちへの食事の配膳である。
ビレッジ公爵やセレーネが使用人と共に食事を取ることはない。だが、使用人も当然、食事はとらなければいけない。その為に、マーロンを含めた新人の執事やメイドが食事の配膳を行うのだ。
そんな大変な生活であるが、マーロンは一度も音を上げない。
これらのいわゆる雑用は、前世の極道時代でもあったからだ。暴力団員の若衆は大体、こういった雑用をさせられる。
所属したばかりの若衆には自力で稼ぐ能力も伝手もない。だが、当然ではあるが、若衆も金を稼がねばならない。その為、昨今の暴力団では、給料制を採用して若衆に雑用をやらせるのだ。若衆が自力で稼ぐ力を身に付けるまでの繋ぎであるし、そこで兄弟分に気に入られれば、シノギの一部を任せてもらえたりもする。そうやって最近の暴力団は何とかやって来れているのだ。
マーロンにも当然、若衆時代があるし、こういった雑用の経験がある。この程度で音を上げるほどやわではないのだ。
そういった理由から、マーロンは大変ではあるが、充実した執事生活を送っていた。
「―――よく働いていますね、マーロンは」
「そうじゃの」
マーロンが執事として働き始めて一ヶ月。今も窓の縁に溜まった埃を綺麗に拭き取っているマーロンを見ながら、ヒルダとフレデリックが話す。
「紅茶の腕はまだまだですが、掃除や洗濯に関してはもう言う事がありません」
「確かにそうじゃの。掃除は最初から隅々まで目が行き届いておったし、洗濯も初めは勝手がわからなかったようじゃが、今では何も言う事は無いからのう」
ヒルダのマーロン寸評に、フレデリックが同意する。
フレデリック自身も、この一ヶ月間のマーロンの働きっぷりは評価している。それこそ、純粋にセレーネに恩返しをしたいだけの男であると信じきれる位には、マーロンの事を評価していた。
一か月前に持っていたマーロンへの疑いは、ほとんど晴れていると言ってよいだろう。
だがそれでも、どうしてもマーロンの事を疑ってしまう自分がいるのだ。
もう50代後半になるフレデリックだ。その経験の中で培ってきた勘が、マーロンという男を疑ってしまうのだ。
裏社会の人間。裏に生きてきた者特有の匂いを、マーロンから感じてしまうのだ。
そしてそれは、あながち間違いではない。
「もうマーロンが働き始めて一ヶ月ですし、執事としての仕事も覚えてきました。そろそろ彼を、セレーネお嬢様のお傍に付けてみてもいいんじゃないでしょうか?」
「うむ………そうじゃの………」
セレーネ専属の執事として雇ったはずのマーロンであるが、働き始めて一ヶ月経った今まで、一度もセレーネのお世話をしたことが無い。今までずっと、フレデリックが止めてきたのだ。
新人の執事であるマーロンを専属の執事として雇ったのは理由がある。
セレーネにはメイド長のヒルダがほとんど付きっきりになっているのだが、ヒルダに戦闘能力は無く、セレーネの命が狙われた場合、ヒルダにはセレーネを守りきる力が無いのだ。
その為にビレッジ公爵は新たな執事を募集していたのだが、セレーネに毒を盛られたことで、外部から執事を新たに雇うのも危険となった。
今のセレーネはほとんど無防備な状態であるのに、新たに戦えるものを近くに付けることもできない。そんな状態に陥っているのだ。
今は兵士に護衛もお願いすることで何とか急場をしのいでいるが、それも長くは続かない。兵士も四六時中共にいるわけではないし、セレーネの心も休まらないだろう。
だが、そこで現れたのがマーロンである。腕っぷしに自信があり、セレーネに恩義を感じているマーロンの忠誠心も抜群だ。これなら万全とまではいかなくとも、多少は現在の危険な状態をマシにできるだろう。
マーロンをセレーネ専属の執事として雇ったのは、そういう理由である。
「仕方ないか………」
そう言ってフレデリックは溜息をつく。
裏社会の人間であるという疑惑は晴れないが、マーロンのセレーネに対する忠誠心は疑うべくもない。なにせ、胸に大怪我を負ってまで、竜の逆鱗を届けに来たのだ。竜を1人で倒したなんて話は疑わしいが、セレーネを救おうとしたことは紛れもない事実なのだ。
「よかろう。マーロンには明日から、セレーネお嬢様の専属執事になってもらおう」
「フレデリック様!ありがとうございます!」
ヒルダが我が事のように、マーロンの専属執事化を喜ぶ。マーロンがこの一ヶ月間、地道に頑張ってきたことを知っている。彼の努力が報われて、ヒルダも嬉しいのだ。
「早速マーロンに伝えてきますね!」
こうして一ヶ月の執事修業が終わり、マーロンは晴れてセレーネの専属執事になることができたのだった。
翌日から待ちに待った、セレーネの専属執事としての生活が始まる。