76. 親子の盃
「セレーネの事、お前に任せてもいいか?」
ビレッジ公爵からのそんな言葉に、マーロンは目を見開いた。ビレッジ公爵らしくない言葉であったからだ。
その真意はわからないが、マーロンを信頼してセレーネを預けるとも取れるし、セレーネを捨てるとも取れる。そんな言葉に、マーロンは驚きの目でビレッジ公爵を見つめる。
マーロンの視線から勘違いしていることに気付いたのか、ビレッジ公爵は慌てた様子で補足し始める。
「すまない、勘違いさせてしまったようだな。セレーネの事は今までと変わらず、私の一番大切な娘だ。それは変わらない」
ビレッジ公爵からの補足にマーロンはほっと息を撫で下ろす。どうやらセレーネを捨てるというような話では無いみたいだ。なら先ほどの言葉の真意は一体何なのか、更にマーロンに疑問がわく。
「―――マーロン。今の私はどんな人物だ?言ってみてくれ。忖度なくな」
ビレッジ公爵からの問い掛け。濁すことも考えたが、ビレッジ公爵の真剣な表情から中途半端な気遣いは望んでいないことがわかる。だったら、マーロンは正直に今のビレッジ公爵の状況を話す。
「わかりました。忖度なしに言いましょう。―――今のビレッジ公爵はウェスト王国を追われ、逃亡生活中の、何の力も権力もない没落貴族です」
マーロンからの容赦ない現状分析。ビレッジ公爵は苦々しげな表情をしながらも、マーロンのその言葉に強く深く頷く。
「そう、お前の言う通りだ。今の私は、何の権力もないただの中年だ。財力はまだ少しあるが、少し金持ちなだけの没落貴族なんだよ」
ビレッジ公爵が自らをあざ笑うかのように、苦笑しながら言う。今まで言葉にしなかったが、ビレッジ公爵にはちゃんと現状が見えていたらしい。
「今まではマーロンやフレデリック、ヒルダ、フランマたち従者の皆や、栗原組に助けられて何とか生き延びて来れた。それは裏を返すと、お前たちがいなければ野垂れ死んでいただけの存在なんだよ」
「それは旦那様の人徳のお陰です!あなたという男だったからこそ、我々は旦那様とお嬢に変わらず尽くせるのです!」
「そう言ってくれるのは嬉しい。だが、もう今の私に力は無いことは明白だろう?お前たちの好意が無ければ、死んでいたことに変わりはあるまい」
「そう、ですが………」
マーロンは否定することはできなかった。
ビレッジ公爵という人だったからこそ、マーロンたちは彼に仕えてきたのだ。よく考えればマーロンやフレデリックたちに何の得もない。なのにいまだに彼に仕えるのは、それこそ彼の人徳のお陰なのだ。
だが、確かにビレッジ公爵の言う通り、今の彼に何の力も無い。地位も、権力も、領地も、何もかも失っている。誰も口にはしなかったが、今の彼はただの没落貴族だ。
「そんな私に、セレーネを守る力があると思うか?」
ここでビレッジ公爵の話は、セレーネの話に戻ってくる。
「今の私には、セレーネの事を守る力など無いのだ。父親だというのに、情けない限りであるがな………」
ビレッジ公爵はそう言いながら、ふっと自嘲気味に息を吐く。
「―――だからマーロン。お前にセレーネの事を任せたいのだ」
そしてビレッジ公爵の言葉は、先ほどの言葉に戻ってくる。
「私ではセレーネの事は守れない。力不足なのだ。だが、お前ならセレーネの事を守れる。何の力も無い私が死んだとしても、お前ならセレーネの事を守り続けられるのだ」
ビレッジ公爵はそう言って、マーロンに真剣な目を向けてくる。お前にならセレーネを任せられる。そう視線で語る。
「マーロンは我が娘であるセレーネを愛してくれていると言ってくれた。その言葉でようやく決心がついたのだ。お前にならセレーネを任せられると。セレーネの事を守り通してくれると」
「待ってください!それじゃあ、任せるって意味は………」
「お前の想像通りだマーロン。お前ならセレーネの夫として相応しい。我が娘を、幸せにしてやって欲しい」
「!?」
マーロンはここでようやくビレッジ公爵が言いたいことを理解した。先ほどのセレーネをどう思っているかの話から始まり、「セレーネを任せる」という言葉。ようやくそれは、マーロンにセレーネと結婚してくれという話であったのだと気付いたのだ。
「それは早急すぎる気がします。まずはお嬢の気持ちが大切かと………!」
「お前も既に気付いているのだろう?セレーネの気持ちには」
「………」
ビレッジ公爵からの言葉は図星であった。時折セレーネから向けられる熱い視線に、一緒に居る時のセレーネの態度。恋愛経験皆無のマーロンであってもわかる。セレーネに好かれていることくらいは。
「しかし、そう勝手に決めて良いものでもないでしょう?」
「お前の世界がどうであったかは知らないが、ウェスト王国の貴族の世界では親が決めた相手と結婚するのが普通だ。寧ろ好いている相手と結婚できるのだ。セレーネも喜ぶだろう」
そう言われるとぐうの音も出ないマーロン。前世とは違い、この世界は異世界である。当然、日本という国とウェスト王国では常識もしきたりも違う。それがこの世界の常識であると言われれば、それを否定することはできない。
だが、それでもセレーネも交えずに結婚を決めることに抵抗があるマーロン。確かにマーロンはセレーネの事を愛している。だが、だからと言って彼女の意思も聞かずに決めるのは、筋に反するとやはり感じてしまうのだ。
「―――セレーネ様には、できればちゃんと自身の口から気持ちを伝えたく存じます。申し訳ありませんが、旦那様からのお願いであったとしても、そこは譲れません」
マーロンは自身の気持ちをはっきりとビレッジ公爵に伝える。マーロンという男は、義理人情を大切にしたい男である。勝手に結婚を決めてしまうなど、それこそマーロンの主義に反する。ましてやその相手は命の恩人なのだ。例えビレッジ公爵からのお願いだったとしても、そう簡単には受け入れられない。
「そう………か………」
マーロンからの否定の言葉に、ビレッジ公爵の表情が暗くなる。見るからに落ち込み、目を伏せてしまう。
そんなビレッジ公爵の表情から、マーロンは彼の心情を推測する。
たぶんビレッジ公爵は安心が欲しいのだ。
自らにセレーネを守る力がない。愛娘を守る力を持たないのだ。だからこそ、近くにいるマーロンにそれを託したいのだ。マーロンならセレーネを守れる。再生の魔王であるという残酷な運命から、セレーネを救い出してくれる。そう信じたいのだ。
だが、マーロンとの繋がりは主人と従者という、いわゆる雇用契約しかない。マーロンは常日頃からセレーネの傍に命尽きるまで付き従うと公言しているが、それを保証するものが無いのだ。
だからビレッジ公爵は、夫婦という契りを結ばせて、マーロンにセレーネを託したかったのだろう。
「―――旦那様。1つ提案があります」
「―――なんだ?」
落ち込んだ様子から抜け出せないビレッジ公爵が、マーロンの言葉に耳を傾ける。
「親子の盃を交わしてくれませんか?」
「親子の盃?………なんだそれは?」
「文字通り、旦那様と私が義理の親子になる契りの事です」
「親子?やはりセレーネと結婚してくれる気になったという事か?」
「いえ。そういう事ではございません」
少し期待を込めたビレッジ公爵の言葉を、マーロンはちゃんと否定しておく。
「ではどういうことなのだ?」
「親分と子分。旦那様の事を私は親分と慕い、付き従う。旦那様は私の事を庇護する。今とそう変わらぬ関係ではあります」
「確かに今と変わらないが、提案したからには意味があるという事だろう?」
「はい、その通りです」
親子の盃。この意味がマーロンにとってどれほど重いものなのか、ビレッジ公爵に説明する必要がある。
「盃というものは、私の前世で伝統として受け継がれてきた、契約の1つの形です。親子や兄弟、その種類は様々あれど、盃というものは私が属していた裏社会において、最も重要な契約であると言っても過言ではありません。この契約を結べば、そう簡単に破棄できない。裏切りは絶対に許されない。自らと相手に課す、最も重い契約です。それこそ、組織を抜けるだけで指を切り落としたり、最悪の場合は命を取られたりします。それほど、裏社会の人間にとっては厳守すべき契約なのです」
親子分、兄弟分。契約の種類は多々あれど、その契約を結べば最後、そう簡単に抜け出せなくなる。そうやって暴力団は、裏社会の人員を確保してきたのだ。
「盃の繋がりはそれほど太く強固なものです。それこそ、実の血縁よりも太い繋がりだと私は思っております。親分のために子分は命を賭し、親分が白を黒と言えばそれを信じる。転生者を縛る誓約なんかよりも、もっと固い契約なんです」
親に捨てられたマーロンにとって、家族の繋がりというものは暴力団内の関係だけだった。マーロンにとって家族は、親父や兄弟分たちだけだったのだ。
前世のマーロンは後悔していた。坂下の親父と盃を交わしたことを。結局マーロンは親父に裏切られ、命を落とした。だからこそ現在のマーロンは、盃というものに慎重になってしまっていた。
だが、そんなマーロンがビレッジ公爵に、親子の盃を交わしたいと提案したのだ。
「そんな重要な契約を、私と交わそうというのか?」
「はい。そうすれば私は、晴れて旦那様の子分となります。旦那様が白と言えばそれは白になり、黒と言えば黒になる。そして………、お嬢の傍にいて守れと言われれば、私はその命を賭してお嬢を守り続けるでしょう」
その関係は今とは変わらない。だが、1つだけ違う所がある。それが、ビレッジ公爵とマーロンが親子になるという事である。そこには断ちたくても断てない、強固な親分子分の繋がりが築かれる。マーロンは絶対に、ビレッジ公爵を裏切れなくなるのだ。
ビレッジ公爵は、マーロンの瞳を覗き込む、その男の瞳には、ビレッジ公爵に、そしてセレーネに、一生仕えるという覚悟と決意が宿っていた。
それをビレッジ公爵は、マーロンの瞳から読み取った。
「本当にいいのか?」
「はい。覚悟はできております」
マーロンは即答する。覚悟は既にできている。後はもう、盃を交わすのみだ。
「わかった。その親子の盃とやらを交わそうではないか」




