07. 執事生活初日
マーロンがビレッジ公爵家の執事に就職した当日。早速フレデリックに寝泊まりする部屋に案内され、その後に新人執事の教育のため講習部屋まで通されたマーロン。椅子にお行儀よく座り、フレデリックの講習を大人しく受けている。授業なんて前世の中学以来である。
部屋の中には講師であるフレデリックの他に、眼鏡をかけた女性のメイドも一緒である。
「私の名はフレデリック。執事長である。お前の上司に当たるのでな。ビシビシと指導させてもらうぞ」
フレデリック。執事服をびしっと決めた、初老の男性執事だ。体格はどちらかと言えば細めで、髪は白の短髪だ。執事長ということは、ビレッジ公爵家に仕える執事の中で、最も偉い執事という事であろう。
「私の名前はヒルダ。メイド長をさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします」
次に自己紹介をしたのは眼鏡の女性であるヒルダだ。年齢は見た所20代後半くらいで、透き通るような黒のショートカットである。身長も平均的で、体型も普通であるのだが、1つだけ大きく主張しているのが胸である。恐らくGカップくらいはあるだろうという巨乳だ。素晴らしい。
「マーロンよ。ビレッジ公爵について教える前に、まずこの国の事は知っているか?」
「ウェスト王国。この世界に2つある国の内の1つです」
マーロンが転生したこの世界は、通称イストウェストと呼ばれている。
地球には196か国の国があったが、イストウェストには2つの国しかない。それがイースト帝国と、ウェスト王国だ。イストウェストには巨大な大陸が1つあり、そこの東か西かで国が別れているのだ。イースト帝国は東、ウェスト王国は西、みたいな感じだ。
「その通りだ。じゃあ、ビレッジ公爵が治める街、ビレストはウェスト王国のどこにある?」
「ウェスト王国の南東にある街です」
「うむ、そうじゃ。中央にある王都からかなり離れておるため、辺境の領地というわけじゃ」
ウェスト王国はその名の通り、王国制の国である。国王を始めとした王族が国を治め、いくつかに別れた領地を、貴族が治める。そんな感じの国だ。
その中でビレッジ公爵は、ウェスト王国の南東にあるビレスト地方を治める貴族で、いわゆる辺境貴族と呼ばれる貴族である。公爵であるため地位は高いが、辺境貴族であるため少し舐められている、という話を聞いたことがある。
「では、次はビレッジ公爵とその娘、セレーネお嬢様についてじゃ。どうしてビレッジ公爵に奥様がいらっしゃらないか、知っておるか?」
「はい。ビレッジ公爵の妻であったアルテミス夫人ですが、セレーネお嬢を産んだその日に亡くなっていると聞き及んでいます」
「ほう。そこまで知っていたか」
セレーネの母に当たるアルテミス夫人であるが、セレーネを産んだ瞬間に亡くなったとされている。この情報は、栗原組の情報網を私的利用して手に入れた情報だ。マーロンは事前にビレッジ公爵家の事は頭に叩き込んでいる。
「旦那様はアルテミス夫人を今でも愛しておられでな。第二夫人や愛人さえも作っておられなんだ」
「一途で素敵な男性ですね。ビレッジ公爵様は」
「うむ。お主の言う通り、一途で素晴らしいお方なのだが、その弊害が1つだけあってな。ビレッジ公爵家の跡継ぎはセレーネお嬢様ただ1人なんじゃ」
ビレッジ公爵の血を受け継いだ子孫はセレーネただ1人である。つまり、ビレッジ公爵家を継ぐ権利を持っているのもセレーネただ1人という事だ。
「その所為で、最近はお嬢様の命を狙う刺客が出始めたのじゃ。ビレッジ公爵家の領地を狙う、不届き者じゃ!」
「―――なるほど。じゃあ、セレーネ様がコカトリスの毒に侵されていたのも………」
「うむ。セレーネ様のお命を狙う輩の仕業じゃ!」
どうやらセレーネは、どこかの誰かにその命を狙われているらしい。
マーロンは拳を握り締める。どこの誰かは知らないが、自分の命の恩人を狙うとは。見つけたらただでは済まさないと、1人心の中で呟く。
「毒を盛った輩は捕まえたんですか?」
「それが誰に盛られたのか、見つかってすらおらんのじゃよ………」
「つまり、まだ付近に潜んでいる可能性もあるという事ですか?」
「そういうことじゃ………」
これは思ったよりまずい状況なのではと考えるマーロン。まだ刺客の正体すら掴めていないというのだ。いつ狙われるかわからない以上、刺客が次のアクションを起こすまで突き止められないとなると、どうしても一歩対策が遅れてしまう。
周囲に目を光らせておく。怪しいものを洗う。これくらいしか現状はできる事はない。
「だというのに、新たに執事を招き入れるなど!それも、スラム街出身のガキを………!」
「フレデリック様。抑えてください。旦那様に報告しますよ?」
「こ、コホン!」
なるほど。道理でフレデリックの視線が痛いと思ったわけだ。どうやらフレデリックは、スラム街出身のマーロンをセレーネを狙う刺客ではないかと疑っているのだ。
「それに、マーロン様はセレーネお嬢様を助けてくれたんですよ?そんな彼が刺客なわけありませんよ」
「お嬢様を狙う刺客でないとしても、旦那様や財産を狙っている可能性も捨てきれぬのじゃ!」
「それは考えすぎですよ………」
暴走するフレデリックをヒルダが嗜める。どうもフレデリックは心配性なきらいがあるようだ。まあ、それくらいビレッジ公爵やセレーネの事を想っているという事なので、マーロンからの印象は良い。
「すみませんマーロンさん………」
「いえ、怪しいのはわかります。それはこれから払拭していきますので」
マーロンとヒルダは同時に苦笑いをした。
「よし!これから執事の心得を叩きこむ!覚悟しておけ!」
「はい!よろしくお願いします!」
こうしてマーロンの執事生活は始まったのであった。
その日の夜。ビレッジ公爵家の食堂にて、ビレッジ公爵とセレーネが食事を取っている。物語の中でしか見たことないような縦に長いテーブルと、お上品なテーブルマナーで食事を続ける2人の姿を、マーロンは他の執事やメイドたちと並んで見ている。
これは当然であるが、主人が執事やメイドと一緒に食事を取ることはない。主人の食事は姿勢を正して黙って見守る。それが執事の心得だと先ほどフレデリックに叩きこまれたばかりだ。
「マーロン君」
「はい。どうなさいましたか、旦那様」
ビレッジ公爵の声掛けに、少しぎこちない顔で緊張しながら答えたマーロン。まだ執事初日で、ガチガチに緊張してしまっている。元極道とは思えない姿である。
「そう緊張するな。君は我々の恩人なのだから」
「お心遣い、痛み入ります」
それでも緊張した面持ちが変わらないマーロンに、ビレッジ公爵は苦笑する。
「マーロン君はどうやって竜の逆鱗を手に入れたんだい?そう簡単に手に入る代物じゃないはずだ」
ビレッジ公爵がマーロンに尋ねる。確かにビレッジ公爵の言う通り、竜の逆鱗は簡単に手に入るものではない。竜は逆鱗に触れられるのを大いに嫌う。その理由は痛いからであったのだが、そんな竜を倒す、もしくは殺して手に入れないといけない以上、その入手難易度はかなり高いのだ。もちろん、市場になんて流通もしていないだろう。流通があったとしても、偽物であるか、もしくは物凄い値が付くのは必至だ。
「ヴォルカニ火山に住んでいた竜に譲り受けました」
「譲り受けた?」
「はい。ヴォルカニ火山に住むフランマという竜をしばいたら、快く譲っていただけました」
「しばいたら………?」
「えっと、痛めつけたらって意味でございます」
「りゅ、竜を痛めつけた!?」
ビレッジ公爵とセレーネがマーロンの言葉に驚きを露わにした。
「ほ、本当かね?」
「はい、旦那様に嘘は付きません。まあ、フランマは子供の竜でしたので」
「子供と言っても、竜はSランクの魔物だぞ!?」
なるほど。竜というのはどうやらSランクの魔物であるらしい。どうりで強かったわけだ。
「わかった!数十、いや、数百人規模で向かったのだろう!?」
「いえ。1人です」
「ひ、ひとりぃ!?」
ビレッジ公爵に話すマーロンに、嘘をつく様子は見受けられない。だが、言っていることがあまりにも非常識すぎる。どうしても信じ切れない。
食堂に立つ他の執事たちやメイドたちは、クスクスとマーロンを見て笑っている。旦那様に気に入られようと話を盛っている。そんな新人執事に見えているのだ。
「嘘をついている様子はないが………うーん、どうにも信じられん」
ビレッジ公爵が顎髭を触りながらマーロンを見る。見た感じは普通の成人したての青年だ。鍛えてあるのか身体の線自体は太いが、それでも竜を1人で倒せるほどだとは思えない。
だが、そんな空気の中で、セレーネ1人が違った。
「私は信じます」
一人マーロンを信じるセレーネに、ビレッジ公爵が問う。
「どうしてそう思う?」
「なんとなくです。それに、彼は私の専属執事ですから。執事の言うことを信じるのも、主人の役目です」
セレーネは驚いているマーロンの顔を見て、にっこりと笑った。天使の笑顔だ。
「ありがとうございます、お嬢。光栄の極みです」
「ふふ。どういたしまして、マーロン」