68. 破壊の魔王
この世界イストウェストには、アリス聖教という世界最大規模の宗教がある。女神アリスを唯一神とし、かの女神の教えを絶対とする宗教だ。
定期的に女神アリスから神託が下され、その神託に従えば人は救われると、アリス聖教の信者たちは信じている。
その教えは様々であるが、アリス聖教の一番大きな教えは何といっても、「人間以外は人にあらず」という教えである。
人間以外の人族は全て魔族と定義し、その存在自体を否定する過激な教えだ。
魔族に人権は存在せず、魔族を奴隷として飼ったり、誰かの所有物でなければ自由に殺すこともできる。畜生と同じような扱いである。
また、転生者に対する扱いも、アリス聖教によって定められた教えである。
転生者の自由を奪う誓約。これは女神アリスから授かった力であるのだ。ウェスト王国の王と、イースト帝国の皇帝にのみ代々受け継がれる、女神アリスの秘術である。
この両国は誓約の力を使い、転生者を捕獲し、支配することを義務付けられているのだ。
この世界の転生者の扱いの酷さは、アリス聖教が原因だと言っても間違いでは無い。
そんなアリス聖教であるが、ウェスト王国とイースト帝国、程度の差はあれど、どちらの国にも深く根付いている。
ウェスト王国はマシな方ではあるが、それでも魔族に人権は存在せず、転生者にも誓約が義務付けられ、王家によって管理されている。
イースト帝国の場合は、市勢にもアリス聖教は広まっており、街中にはアリス聖教の信者たちが溢れかえっている。
当然、魔族に対する風当たりもウェスト王国よりも強く、奴隷でなければ街中で見られただけで殺されるなど、その教えは広く深く根付いてしまっているのだ。
人間だけを至上とし、魔族と転生者を差別する。それこそがアリス聖教の姿であるのだ。
アリス聖教はそう、魔族を排斥している宗教であるはずだった。
「アリス聖教の女神アリス。奴こそが我々魔族の裏切り者、『破壊の魔王』アリスなのです!」
エルムから発せられた言葉。その内容に、セレーネたちは一様に凍り付いた。
「ど、どういうこと………?アリス聖教の女神が実は魔族で、魔王だってこと………?」
「はい、その通りです!アリスは双子の妹であったセレス様を裏切り、魔族を裏切り、人間側に付いた、我々魔族の敵なのです!!」
話を聞いている全員が頭を抱える。そう簡単に信じられるような話では到底ない。
アリス聖教は人間だけを至上とする宗教である。魔族どころか、同じ姿形の転生者ですら排斥しているのだ。そのトップが魔族であると、魔王であると、そう簡単に信じられる話では無い。
また、アリス聖教とは人間社会に多大な影響を及ぼしている宗教でもある。イースト帝国は言わずもがな、国自体がアリス聖教に支配されていると言っても過言ではないし、ウェスト王国でもアリス聖教の影響は大きい。転生者を縛る誓約という魔法自体、アリス聖教よりもたらされた力でもあるのだ。
つまりこれを言い換えると、人間社会のトップは、「実は魔王でした」という事になるのである。
「待ってよ!じゃあ私たちの国は、魔王によって支配されてたって事!?」
同じ事を思ったのか、レヴィエが狼狽えた様な様子でエルムを問いただす。
「はい、そうなりますね」
「嘘でしょ!そんなの、簡単には信じられないわ!」
レヴィエの気持ちはわかる。自身が生まれ育った国が、実は魔王によって支配されていたと言われているのだ。特に貴族は、国に、王に忠誠を誓っている身である。その王の裏には、実は魔族がいたとなると信じがたいことであろう。
「―――にわかには信じられんな………」
ビレッジ公爵も同様に、エルムの話を信じられないようだ。今までの常識が覆るほどの事であるのだ。その感想も仕方の無いことであろう。
「あなた方が信じようが信じまいがどうでもいい。ですがセレーネ様、あなただけは信じてください」
エルムがそう言って、セレーネの事をじっと見てくる。それはまるで捨てられた子犬のように、懇願する目であった。
だがセレーネは、そんなエルムの物言いに少しムッとしていた。
「私の父と、尊敬する貴族の先輩ですよ?そのような物言いは不快です」
セレーネの怒りの表情と言葉に、エルムが慌てて弁明する。
「も、申し訳ありません!人間には恨みがあり、ついきつくなってしますのです………!」
エルフ、というより、現存する魔族にとって、人間というのは忌むべき存在である。見つかるだけで殺される。奴隷にされる。人間に自由を奪われてきた魔族は当然、人間というものを忌避しているのだ。
「前世が魔王であったとしても、今の私は人間ですよ?私はいいのですか?」
「他のエルフや魔族からすれば、思う所は少しあるでしょう。ですが、人間への憎悪より、魔王様への忠誠心の方が何十倍も大きなことです。私にとってセレーネ様は既に、尊敬する我が主君です。人間であることなど些細な事です」
セレーネはそのエルムの言葉に少し驚く。多少は思う所はあるだろうに、彼女は些細な事であると切り捨てたのだ。今まで人間から受けてきた仕打ちを考えると、そう簡単に割り切れるものではない筈である。
「それに、私も人狼族の彼、マーロンと同じく、運命めいたものをセレーネ様から感じました。私の主人はあなたであると、直感でわかったのです」
エルムはマーロンの事を指差しながら、そう口にした。
「あ~………、悪い。俺は人狼族って奴じゃなく、あくまで人間だ。転生者のユニークスキルで人狼化できるだけだ」
「えっ………?」
エルムはマーロンの事を人狼族、同じ魔族の仲間だと思っていたのだろう。マーロンから言葉にきょとんとした様子である。
「だ、騙してたのか!?」
「騙してねえよ!お前が勝手に勘違いしたんだろ!」
確かにマーロンの人狼の姿を見れば、人狼族だと勘違いしても無理はない。
「というか、話を戻しましょうお嬢!取っ散らかってしまってます!」
「え、ええ。そうですねマーロン」
マーロンからの指摘で、セレーネも元の話題に戻ろうとする。確か、アリス聖教の女神アリスが『破壊の魔王』と呼ばれる魔族であるという話であった。
「その、女神アリスが本当に魔王であると仮定して、どうして彼女は魔族を裏切ったのですか?」
「それが未だにわかっていないのです。しかし、アリスが妹のセレス、現セレーネ様を殺したがっているのは事実です。セレーネ様はこのままでは、アリスによって殺されてしまうでしょう」
エルムが唇を噛み締めながら言う。その顔にはアリスへの憎悪が浮かんでいる。嘘を付いているような表情にはどうしても見えない。
やはり本当の事なのであろうか。
「だからこそ私は、セレーネ様に会いに来たのです。あなたを、精霊の森に導くために」
「!?」
精霊の森。確か、現存するエルフが集落を築いているという、巨大な森の事だ。ウェスト王国とイースト帝国の南にある緩衝地帯にあり、エルフ以外の種族が入ると必ず迷ってしまうという、いわくつきの森である。
「私を、精霊の森に?」
「はい。精霊の森に、転生前のセレス様、再生の魔王時代の記憶が記録された魔道具が封印されております。セレーネ様がそれを手にすれば、あなたは記憶を取り戻し、1000年前の真実を知ることができるでしょう」
1000年前まで勃発していたとされている、人間と魔族との戦争。人間側が受け継いできた歴史書には、人間は魔族に勝利し、勇者と双子姫の2人によって魔王は討伐されたとされている。
だが、エルムが話していることは、人間側が持っている歴史の認識といくつかの齟齬がある。
まず第一に、双子姫はどちらも人間だと伝わっていたのに、エルムはどちらも魔族であったという。
そして第二に、その双子姫はどちらも魔王と呼ばれていたらしい。
極めつけは、現在人間社会に浸透しているアリス聖教。そのアリス聖教が唯一神と崇める女神アリスが、実は双子姫の姉のアリス、破壊の魔王であったと言っているのだ。
この認識の齟齬が何故あるのか、どちらが正しいのかは現状、セレーネには判断がつかない。
しかし、もし前世の記憶を、再生の魔王の記憶を取り戻すことができたならば、1000年前の真実を知ることができるかもしれない。
「それに、セレーネ様が記憶を取り戻せば、再生の魔王の力も本来の姿を取り戻すことができるでしょう」
エルムのその言葉に、セレーネは驚く。
再生の魔王の力。セレーネが持つ強力な治癒魔法。あれはまだ、本来の力を取り戻していない、仮の姿であるというのだ。
「あれよりもさらに強力な力なのですか!?」
「はい。再生の魔王が持つユニークスキル『再生』は、まだまだあんなものではありません。それこそ周囲の生物や物体、全てを再生できるほど強力な力であったと聞きます」
再生の魔王はその名の通り、『再生』というユニークスキルを持っているらしい。
セレーネが治癒魔法だと思っていたあの力は、実は治癒ではなく、生物の肉体を再生していたという事なのだ。
齟齬がある人間と魔族の歴史。『再生』のユニークスキル。その2つの事を考えると、セレーネは迷わなかった。
「―――私、精霊の森に行ってみたいです」
セレーネはそう、自らの意思を口にした。
「1000年前の前世の記憶。それを取り戻せれば、今どうして私の命を狙われているのか、その理由を知ることができるかもしれません」
ウェスト王国の王、バーナス王に狙われているセレーネの命。今までは何故命を狙われているのか見当もつかなかった。だが、記憶を取り戻すことができれば、その理由を知ることができるかもしれない。何か対抗策を講じることもできるかもしれないのだ。
それにエルムの話では、セレーネの命を狙っているのはアリス聖教の女神アリスだという。つまり、アリス聖教の影響が強いイースト帝国でも、セレーネの命は狙われている可能性があるのだ。むしろ、その可能性の方が高いであろう。エルムの話が本当なのであれば、このままイースト帝国に長居するのも危険かもしれないのだ。
「それに、私が持っている再生のスキル。これが本来の力を取り戻すことができれば、私も強敵と戦えるようになるかもしれません。もう今みたいに、守られて、後ろで隠れているだけなのは嫌なのです」
これはセレーネがずっと抱えてきた思いだ。
父であるビレッジ公爵。ヒルダやフレデリック、フランマなどの従者たち。栗原組。そして、大好きな専属執事のマーロン。
セレーネはずっと、この人たちに守られてきたのだ。ずっと、庇護されて生きてきたのだ。
それは昔も、今も変わらない。
セレーネは、そんな現状を打破したいのだ。もう守られるだけの存在ではない。共にマーロンと、大切な人たちと、肩を並べて戦えるようになりたいのだ。
セレーネから発せられた本音。彼女のそんな意思を聞いて、真っ先に応えたのは父のビレッジ公爵であった。
「そうか。なら共に精霊の森とやらに向おうではないか!」
ビレッジ公爵がおもむろにそんな事を言いだす。
それに続くように、セレーネの大切な家族たちが、次々と声を上げる。
「旦那様とお嬢様が向かうのであれば、わしが向かわないわけにはいきませぬな」
「ですね。私もお供します、お嬢様」
フレデリックとヒルダだ。
「私も一緒に行きます!私だって、セレーネ様の家族なんですから!」
次に声を上げたのはフィーネだ。元気いっぱいに、手を上げて言う。
「がっはっは!そろそろ隠れるのも飽きて来たしのう!エルフに会いに行くのも良いかもしれん!」
今度はフランマが、大声で笑いながら言う。
そして最後に――――――、
「当然私もお供いたしますよ、お嬢。何せ私は、お嬢の専属執事ですので」
そう、マーロンが言った。
何があるかわからない。精霊の森など、人間にとっては未知の領域だ。エルフによる罠であるかもしれない。
それなのにセレーネの家族たちは、セレーネの意思を尊重し、共に精霊の森へと向かってくれるという。
そんな彼らの優しさに、セレーネは涙を堪える。
今見せるべきは涙ではない。たぶん、最上級の笑顔と、感謝の気持ちだ。
セレーネは溢れ出て来そうな涙を拭い、自身の最大の笑顔で言う。
「みんな………!ありがとうっ!」




