06. ただ義理を通した。それだけです
引き続き、ビレッジ公爵邸のベッドの上。
セレーネが何かを思い出したかのように「あっ!」と声を上げた。
「メイドさん!客人が目を覚ましたこと、お父様にお伝えください!」
「はい。わかりました、お嬢様」
セレーネが部屋に待機していたメイドの1人にそうお願いすると、すぐにそのメイドは部屋の外に出て行った。
マーロンが目を覚ましてからというもの、セレーネばかりに目を奪われていたが、元々この部屋にはメイドが数人待機していたらしい。まったく気づかなかったマーロンである。
「少し待っててくださいね。すぐにお父様がいらっしゃるはずなので」
セレーネがそう言った次の瞬間、その言葉通りすぐにそのお父様は現れたようだ。
「客人が目を覚ましたというのは本当か!?」
ドアを蹴破るようにして入ってきたのは、ビレッジ公爵邸の門の前で見た、貴族風の男性だ。恐らくこの人がセレーネのお父様、ビレッジ公爵なのであろう。
「ビレッジ公爵!マナーがなってませんぞ!」
ビレッジ公爵に続くように部屋に入ってきた人物が三人。ビレッジ公爵に注意をしながら入ってきたフレデリックという初老の男性に、眼鏡をかけたメイド服の女性。そしてローブを着てラティスと呼ばれていた人物である。全員、ビレッジ公爵邸での門の前で見た人物たちだ。
部屋に勢い良く入ってきたビレッジ公爵は早速、マーロンに話しかける。
「ありがとう!君のお陰でセレーネの命が助かった!君は私の恩人だよ!」
「あなたが薬の材料を持ってきてくれたと聞きました。本当にありがとうございます」
ビレッジ公爵とセレーネが揃ってマーロンに頭を下げた。
「いえ。寧ろ礼を言うべきは自分の方です。自分はセレーネ様に命を救われましたから」
「胸の傷の事なら当然です!あなたは私の命の恩人なんですから!」
「違います。それだけではないのです」
マーロンの言葉にきょとんとするセレーネとビレッジ公爵。やはりセレーネはマーロンの事を覚えてはいないらしい。
当然だ。スラム街に倒れていただけの市民Aである。覚えていたら奇跡であろう。
「セレーネ様は覚えていらっしゃらないかもしれません。ですが今日だけでなく、以前も私は、セレーネ様に命を救われているのです」
マーロンはそう言って昔話を始めた。
「あれは5年前の事でした。スラム街で大けがをした私の前にセレーネ様が現れ、私の大けがを治療していただいたのです。そのお陰で私は、無事に一命を取り留めました。あの時の事は、今でも忘れておりません」
マーロンは昔の思い出を噛みしめるがごとく続ける。
「スラム街の床の上で冷たくなっていく自身の身体。ただ死を待つだけであった自分の元に、あなたは駆け付けてくれた。私にやり直しのチャンスを与えてくれました」
マーロンはセレーネの目を真っすぐに見つめた。ベッドから身を起こし、地べたに正座をする。そのまま上半身を倒し、手と額を地面に付けた。
「セレーネ様から受けた御恩、一生忘れることはありません!あなたは私の命の恩人です!我が生涯にかけて、義理を全うする所存でございます!」
仰々しいほどのマーロンの態度に、セレーネもビレッジ公爵も慌てる。まさかここまでこの男が、セレーネに対して恩義を感じているとは知らなかったのだ。
「か、顔を上げてください!そんなに大した事じゃないですので………!」
「セレーネ様にとっては大したことで無いのでございましょう。ですが、粗忽者の手前からしましては、一生をかけてでも返すべき御恩であると、そう感じております」
顔を地面に付けたまま更に礼を言うマーロンに、セレーネたちは苦笑いだ。
「こ、コホン………どうか顔を上げてくれ。まずは君の名前を聞かせてくれないか?」
「これは申し遅れました。私はマーロンでございます」
マーロンが顔を上げ、遅れながら自己紹介をする。そういえばまだ、名乗ってすらいなかった。
「マーロン君。君はセレーネに恩を感じているようだが、我々も君に恩を感じているのだ。恩を受ければ、恩を返すのが貴族の常。恩を返さぬは貴族の恥。なにか我々に望むことは無いか?」
「いえ。私はセレーネ様に恩を受けた身。恩を返すことはあれど、恩を望むことなどありません」
「ふむ。それでは我々が困るのだ。ここで何も返さずに君を返せば、我々が恩知らずだと罵られてしまう」
そう言われれば考えざるを得ないマーロンだ。マーロンとしては、自身がセレーネに恩を返す立場であると思っている。だが、向こうもマーロンに受けた恩を返さねば、それこそ外聞に響くのだ。
「―――わかりました。では、1つお願いがございます」
「おお!何でも言ってくれ!」
マーロンはそう言って、自らの願いを伝える。
「ここで働かせてはくれませんか?雑用でも、草むしりでも、便所掃除でも、何でもやります。ですからどうか私めに、セレーネ様へ恩を返す機会をいただけませんか?」
ここでようやく、マーロンの本来の目的に帰ってきた。セレーネに恩を返すため、ビレッジ公爵家で働く。これがマーロンの望むことであった。
「わかった、許可しよう!―――フレデリック。セレーネに執事を付けたいという話、覚えているか?」
「は、はい!ですが、スラム街出身の得体の知れない男ですよ!?」
「フレデリック!恩人に向かって、得体の知れないとはどういう了見だ!」
「は!申し訳ございません!旦那様!」
苦言を呈したフレデリックを叱りつけるビレッジ公爵。スラム街の得体の知れない男という部分は、確かに事実なので、否定し辛いのが辛い所だ。
「マーロン君。腕っぷしに自信はあるのかね?」
「はい。この世界の誰にも負ける気が無い程度には、腕っぷしに自信があります」
「ほう。おもしろい」
ビレッジ公爵が何やらニヤリと口角を上げた。
「マーロン君。君をセレーネの専属執事として雇い入れよう。そこでセレーネに尽くしてもらう」
「はい!謹んでお受けいたします!」
今まで真剣な表情であったマーロンが、ぱあっと表情を明るくした。良かった。これでセレーネに恩を返せる。
「執事になるからにはこの屋敷に住み込みで働いてもらう。いつから来れる?」
「今からでも!」
「そ、そうか。じゃあこれから屋敷の中を案内しよう。―――執事用の部屋はまだ空きがあったよな?」
「はい。まだ空きがございます」
どうやら早速今日から住み込みで働くことになるようだ。
「これからよろしくお願いしますね!マーロン!」
セレーネがマーロンに話しかける。
「はい、セレーネ様。よろしくお願い、お頼み申し上げます」
マーロンのそんな返事を聞き、セレーネは少し頬を膨らませた。何か気に入らぬところがあったのだろうか。
「もう、固いですよマーロン。これらか一緒に暮らすんですから、少しはフレンドリーにしてもらわないと困ります!」
「で、でも………」
「でもじゃありません!同年代なんですし、私の事はセレーネって呼んで構いませんよ?」
「それは流石に、主従関係が………」
セレーネとはあくまで主人と執事の関係である。呼び捨ては流石にできないのだが、セレーネは気に入らないのか、まだ頬を膨らませたままだ。
「で、では………妥協点で、『お嬢』というのはどうでしょう?」
「う~ん………」
セレーネが腕を組んで考え始めた。
「―――いいでしょう。今回はそれで妥協してあげます」
「ありがとうございます!お嬢!」
こうしてマーロンの就職活動は成功に終わった。これからマーロンは己が身一つで、未知の執事の世界に飛び込むのであった。