05. 竜の逆鱗をお届けにまいりました
竜の逆鱗を手に入れ、復路も一日かけてビレストの街まで戻ってきたマーロン。
上半身は裸のままで、深々と斬られた胸の傷が今もまだ塞がっていない。マーロンが身体を動かすたびに、血が少しずつ流れ出る。
そんな状態であったマーロンであるが、そんな事お構いなしだとでも言うように、急いでビレッジ公爵邸へと向かう。
毒に侵されているというセレーネ。命の恩人である彼女に、その毒を治すための薬の素材となる、『竜の逆鱗』を届けるのだ。それこそ、今マーロンに与えられた天命なのだ。
訪れるのは2度目となるビレッジ公爵邸。前回は門前払いにあったが、今回はそうならないようにと切に願う。
前回と同じくマーロンは、門の前にいる見張りの兵士に話しかける。
「おいあんた!」
「なんだお前、また来たのか………って、なんだその傷は!?」
兵士がマーロンの胸の傷を見て驚きの声を上げるが、今はそんな事気にしている暇は無い。一刻も早く、竜の逆鱗をセレーネの元に届けるのだ。
「そんな事どうだっていい!セレーネ様を救うには、竜の逆鱗が必要なんだろ!?」
「貴様!?何故それを知って!?」
「ここに竜の逆鱗がある。これを今すぐ、あの子の元に!」
マーロンは竜の逆鱗を兵士に付きつける。紅く光り輝く、綺麗な鱗である。
「ここで待っていろ!すぐに責任者を呼んでくる!!」
マーロンが見せつけてきた鱗を見た兵士は、急いで屋敷の中に入って行った。
しばらく待つこと数分。屋敷から急いで駆けてきた人物が5人。
先ほどの兵士。豪華な服を着た貴族風の男性。執事服を着たフレデリックと呼ばれる初老の男性。メイド服を着た眼鏡の女性。魔術師風のローブを着た男性。の計5人だ。
その内、貴族風の男性がマーロンに話しかける。
「竜の逆鱗を持ってきたというのは本当か!?」
「はい。こちらに」
そう言ってマーロンは再び竜の逆鱗を貴族風の男性に見せた。
「これが………。ここで鑑定してもいいか?」
「大丈夫です」
そう言ってマーロンは竜の逆鱗を貴族風の男性に渡す。
竜の逆鱗を受け取った貴族風の男性はすぐに、竜の逆鱗をローブの男性に横流しする。
ローブの男性は竜の逆鱗を受け取ると、すぐに竜の逆鱗を観察し始めた。表から裏、隅々までローブの男性は観察する。
「ほ、本物です!本物の竜の逆鱗です!!」
「本当か!?」
「はい!取れ立てほやほやの、竜の逆鱗です!!」
ローブの男性が興奮したように言うと、貴族風の男性が喜びを露わにした。そしてマーロンに向き直り、こんな事を尋ねてくる。
「いくらだ!?いくらでこれを売ってくれる!?」
マーロンはその言葉を聞き、心外だという風に言い放つ。
「金なんて要りません!!早くこれでセレーネ様を!!」
「な………!?本当にいいのか!?」
「はい!時間もそう、残されてないんでょう!?」
思わぬマーロンの剣幕に、貴族風の男性は驚く。
どれほどの額を請求されるかと冷や冷やしていたのに、まさかの無償である。寧ろ怪しいとさえ思えてくる。後から法外な請求をされる可能性もある。
だが、背に腹は代えられない。あの子の命を救うためである。
「―――わかった。ラティス!すぐに薬の調合準備に取り掛かれ!」
「はいっ!」
貴族風の男性に命令され、ローブの男性が返事をした。竜の逆鱗を持ったまま、急いで屋敷の中に戻っていく。
「これでセレーネ様の命は助かりますか?」
「ああ。君のお陰でな」
「そうか。良かった………」
マーロンは安心し、ほっと息を撫で下ろした。どうやらセレーネの命はこれで助かるようだ。
安心し、緊張が解けてしまったのか、マーロンをふと眩暈が襲った。
「君は一体………って、おい!どうしたんだ!?」
貴族風の男性がマーロンに慌てて話しかける。マーロンが突然に、地面に倒れ込んだのだ。
徐々に薄くなっていくマーロンの意識。どうやら自分は、血を流しすぎたらしい。徐々に視界も意識もぼやけていく。
地面に倒れ込んだマーロンは、暗くなっていく意識の流れに身を任せ、視界はすぐに暗転した。
目を覚ますと、そこには見慣れぬ天井があった。高く白い天井につり下がった、高そうな照明器具。魔力を消費して光を発する、魔道具であろう。
マーロンの身体は、ふかふかの枕とふかふかのベッドの上に寝かされていた。お高い枕とベッドであるのだろう。ふんわりと漂ういい香りが、人狼化のスキルによって強化された嗅覚を刺激する。
マーロンは記憶を整理する。確かマーロンは、竜の逆鱗をビレッジ公爵家の誰かに渡し、安心してその場で気絶したはずだ。ということは、ここはビレッジ公爵邸であるという事であろうか。それとも別の場所まで運び込まれたのか。
そんな事を考えていたマーロンの元に、透き通るような少女の声が聞こえてきた。
「目を覚ましたのですね………!」
マーロンは声がした自身の右側に目を向ける。
そこにいたのは――――――、
天使であった。
不純物の全く混ざっていない、純銀のように綺麗に光り輝く長い銀髪。透き通るように綺麗な肌。誰もが一目で目を奪われるような美しき顔立ち。
彼女を見たもの全てが、天使と見間違えてしまうような、そんな少女がそこにいた。
5年前に見た時より少し大人びて、美しく成長したその少女の名は――――――、
セレーネ。
マーロンにとって命の恩人であり、生きる目的となったその人が、目の前にいる。
毒に侵されていたからか、少しやつれてはいるものの、マーロンは一目でセレーネであると気付いた。
ああ。こんなにも人は美しく、可憐に成長するのかと、感嘆の声を漏らさずにはいられない。
「あの………大丈夫ですか………?」
再び聞こえてきた、天使のささやき。
セレーネは心配そうに、マーロンに声を掛ける。マーロンがセレーネの姿に見惚れてしまい、硬直してしまったからであろう。硬直して動かぬマーロンを心配しているのだ。
マーロンは慌てて自身の硬直を解く。セレーネの美しい姿に見とれるのは人類として仕方のない事であろうが、だからと言って天使の言葉を無視するわけにはいかない。
「はい、大丈夫でございます」
掠れる声で何とか返事をしたマーロン。
マーロンのその返事を聞いて安心したのか、セレーネの表情がぱあっと明るくなった。
「そっか!それは良かったです!………胸の具合はどうですか?」
セレーネにそう問われ、マーロンは思い出す。そうだ、自分は胸の傷が原因で意識を失ったのだったと。
マーロンは胸の具合を確かめようと、右手を動かそうとする。だがそこで、自身の右手が誰かに握られていることに気付く。
そう。セレーネが祈るように、両手でマーロンの右手を握っていたのだ。柔らかく、温かい手だ。
「あ、すみません………」
右手を握りっぱなしだったのにセレーネも気付いたのか、彼女はマーロンの右手を解放した。少し恥ずかしそうに顔を赤面させ、顔を俯ける。はにかむ彼女の姿も、小動物のように可愛らしい。
解放された右手を名残惜しく思いながらも、マーロンは聞かれた通りに自身の胸の具合を確認する。すると、パックリと割れていたはずの胸の傷は跡形もなく消えており、残っていたのはがっしりとした胸板だけであった。
「傷が、無い………」
マーロンの両眼は驚愕で見開かれた。あれ程の大けがであったのに、そこには傷跡1つも無いのだ。魔法という技術のすさまじさに戦慄を覚える。
「よかったぁ………」
安心したかのように、ほっと息を撫で下ろすセレーネ。彼女が治療してくれたのだろうか。
「セレーネ様。あなたが治療を?」
「はい。治療が間に合って、本当に良かったです」
そう言ってセレーネは、にっこりとマーロンに微笑んだ。
マーロンはまたもセレーネに命を救われたのだ。1度目は5年前のスラム街で。2回目はビレッジ公爵邸で。
何と数奇な運命なのであろうか。彼女を助けるために併走したと思ったら、結局最後は彼女にまた命を救われた。もう、自分はそういう宿命なのであろう。
マーロンは決意する。自分は彼女の為に生きると。彼女の為に、この生を使い切ると。彼女を守るために、この命を使うと。
そうマーロンは、再び心の中で決意した。