30. 日常の中に潜む影
グレイスとリッツの決闘から1か月が経過した。
この1ヶ月間のセレーネたちは、いたって平和な学園生活を送っていた。
平和な学園生活の要因は何と言っても、リッツの態度の変化である。
マーロンによってバチボコにぶち壊されたあの代理決闘以降、リッツが全くセレーネたちに絡んでこなくなったのだ。
決闘の約束事項に組み込んでおいたので守るのは当たり前なのだが、恐らく理由はそれだけではない。
たぶん、セレーネに常に付き従っているマーロンの事が怖いのだ。リッツがセレーネとすれ違う時はいつも、肩をビクリと震わせる。怯えるリッツの視線の先にはいつも、セレーネの後ろに控えるマーロンがいるのだ。
多少可哀想にも思えてくるが、結局は自業自得である。
変わったのはそれだけではない。
マーロンに対する学園の生徒たちの目が、以前とはまるで違っているのだ。
どうやらあの決闘はそれほどの衝撃だったらしい。
マーロンがセレーネと廊下を歩くたびに、すれ違う生徒が道を開けるのだ。
怯えた目でマーロンを見る生徒たち。前世から似た様な視線は浴びてきたのでマーロン自身は何とも思っていないが、セレーネたちにとっては少し不満であるようだった。
「なんであんなに怯えられるんでしょうか………?」
「あの決闘を見ちゃうと、気持ちはわからなくもないですわ」
「うん。マーロンを知らない人から見たら、めちゃくちゃ恐怖」
セレーネ、ヘレン、グレイスの3人がマーロンについて話す。
「顔も少し強面ですわ」
「身長も結構高いし、身体の線も太い。怖い要素は見た目にもある」
ヘレンとグレイスがマーロンを観察しながら言う。
現在のマーロンは16歳。以前と比べて身長はかなり伸び、180センチ近くになっていた。顔も幼さが少しずつ無くなっていき、堀の深い顔つきに鋭い目。イケメンではあるが、アイドル的なかっこよさではなく、渋めの俳優に近い顔立ちである。
また、身体もよく鍛えられていて、身体全体に程よい筋肉がついている。彼の見た目が与える威圧感はかなり大きいのだ。
「もう!そんなにマーロンの事怖いって言わないでください!怒りますよ!!」
「ご、ごめんですわ!」
「ごめん」
自身の専属執事が言われっぱなしなのが気になったのか、セレーネがヘレンたちに怒る。
「私はかっこいいと思ってますからね!?」
「はい。ありがとうございます、お嬢」
「わかってるならよろしい!」
マーロンとしてもセレーネに評価されるだけで充分なのだ。他者の評価など気にならない。
「見た目の話と言えば最近、上級生に話し掛けられましたわ。『簡単に痩せれる方法があるんだけど?』って。わたくし、そんなに太って見えます?」
「ヘレンが?全然太ってないと思いますけど」
「うん。寧ろ痩せてる」
マーロンもヘレンの体型を見る。
身長は160センチくらいで、全体的に細身だ。グレイスの言う通り、寧ろ痩せて見える。
「その上級生はどうしたんですか?」
「怪しかったので逃げましたわ。その上級生、少し目が血走ってましたし………」
ヘレンの判断は正解だ。おそらくそれは危ない誘いであったはずだ。
「恐らくその上級生が言っていたものはドラッグでしょう」
「「ドラッグ?」」
ヘレンとグレイスが初めて聞く単語に首を傾げた。
「ドラッグって、以前話していた?」
「はい、そうですお嬢。ドラッグとは、精神に大きな影響を及ぼす物質の事です」
ドラッグはこの世界ではまだ広く認知されていない代物だ。流通し始めてからまだ10年も経っておらず、ようやく最近流行り出した嗜好品という位置づけだ。
まだその存在自体を知らない者も多く、当然、その危険性もあまり認知されていない。その為、国の法律でも規制されていない代物なのだ。
だが、この世界のドラッグも、元の世界のドラッグとそう変わらない成分で出来ている。依存性の強さも、その作用も、ほとんど変わらないのだ。
この3人の御令嬢たちにはちゃんと、ドラッグの危険性を説明しておくべきだろう。
「ドラッグの大きな特徴は2つ。精神への影響と、その依存性です」
マーロンがドラッグについて話し始めると、3人の令嬢たちはマーロンの話に一気に集中し始めた。
「ドラッグは使用した人物に多幸感を与え、その人物を興奮状態に陥らせます。非常に大きな幸福や満足感を感じ、極度の高揚感で心が満たされます」
「じゃあ、ドラッグって良いものってこと?」
「これだけ聞くと、そう思うのも無理はありません。ですが、それが大きな罠なのです」
大人しくマーロンの次の説明を待つお嬢様方。
「この多幸感や高揚感というものは、わずかな間しか持続しません。ドラッグの効果が消えた後は、効果中とは真逆の不安やイライラが募ります」
「先ほどまでのプラスが、すぐにマイナスになってしまうんですね」
「そうです。そしてその不安やイライラを打ち消すために、その人はまた新たにドラッグの使用を求めてしまうのです。それが先に上げた特徴の1つ。依存性です」
「依存性………」
個人差はあるものの、ほとんどの人間は一度でもドラッグに手を出したら簡単にはやめられなくなる。
「強い依存性に支配された人物は、定期的にドラッグを使用してしまいます。依存性が強く、そう簡単にはやめられないのです」
「そうなると、どうなるんですか?」
「ドラッグを長期的に使用してしまった場合に訪れるのが、先に上げた残りの特徴である精神への影響です。食欲の減衰に不眠症、躁鬱、幻覚。様々な影響を精神に与えます。食欲が減衰すれば栄養失調になりますし、不眠が続けば疲労の蓄積に繋がります。痩せるという謳い文句はあながち間違いではありませんが、その実はただの栄養失調です」
3人の御令嬢たちがゴクリと唾を飲み込む。
「それだけではありません。ドラッグというものは、その人の性格にも影響を与えます。その人の暴力性が増し、誰に対しても攻撃的になります。誰彼構わず噛みつく、私のような狂犬になってしまうでしょう」
「………」
マーロンがそう締めくくると、3人の御令嬢たちは黙りこくってしまった。少し脅かしすぎただろうか。
当然、ドラッグにも強弱はある。興奮剤として使用されるような強いものもあれば、嗜好品程度で済むものもある。だが結局、そういったものは使用しない方が自然でいられるのだ。
この3人は心優しい少女たちである。彼女たちはこのまま自然体でいる方が絶対に良い。
「わ、わたくしは危なかったのですね………」
ヘレンが両手で肩を抱きながら言い、そんなヘレンをセレーネとグレイスが慰める。
確かにその誘いに乗っていたら、今頃ドラッグに夢中になっていたかもしれない。
マーロンはふと、教室の端に座るリッツを見る。
かつての元気そうな彼の姿は既に無く、2か月前よりかなりやつれて見えた。
どうやらリッツもドラッグの魔の手にかかっているようだ。
幸福感を味わえるなんて誘い文句に釣られ、手を出してしまったのだろう。
王都で蔓延しているとアンナは言っていたが、この学園内でもドラッグが流行ってきているようだ。
ドラッグ嫌いのマーロンは、密かに不快感で眉間に皺を刻んだ。




