01. 狂犬は異世界に転生したようです
組が所有する倉庫の一角。そこでの銃撃戦は、遂に終わりを迎えていた。
周囲に何十と転がる、組員の死傷者達。床に転がる大量の薬莢と、壁には蜂の巣かと見紛うほどの大量の銃弾の跡。鼻を突くのは人が流した血の匂いと、硝煙の匂い。この日本では珍しい、戦場の匂いだ。
栗原恭一、28歳。日本の極道で、またの名を『狂犬』。
普段は従順な犬。だが、いざ殺し合いとなると、そいつは途端に顔を出す。殺し合いを愛し、殺し合いに愛された男。一度暴れ始めた栗原は、同じ組員や兄貴、組長ですら制御できない、そんな圧倒的な『狂犬』であった。
生まれた時代が悪かった。もし、もう少し早く生まれていたのであれば、彼は英雄になれたであろう。それほどの喧嘩と銃の才能を持っていた。
だが、もう時代は令和だ。極道であっても、ほとんど腕っぷしなど必要無い時代へと成り果てた。
暴対法で締め付けられる暴力団。組の名を出すだけで警察を呼ばれるほど、日本という国は暴力団に厳しくなった。堅気に手を出そうものなら、一発でお縄である。
そんな時代に生まれた栗原は、常に探していた。自らが命を賭けられる存在を。
自らの命をベットし、自らの命尽き果てるまで戦える、そんな存在を。
栗原は憧れていたのだ。
怪我を恐れず球に向かって飛び込むプロスポーツ選手。青春も何もかもを捧げて頂点を目指すプロ棋士。
そんな、自らの全てを賭けて戦う男に、栗原は憧れていたのだ。
だが結局栗原は、最後の瞬間まで見つけられなかった。
自らが命を捧げるに足るような存在に、出会うことはできなかった。
何発も受けた銃弾の跡が、栗原の身体に風穴を何個も空けている。流れ出る血はどくどくと、自らの体温を奪って行く。
もう終わりの時は近い。最後は結局、栗原を持て余した親に裏切られた。ろくでなしには相応しい末路である。
最後に栗原はぽつりと漏らした。
「―――クソったれな人生だった」
それが、栗原が最後に覚えている記憶だ。
地球という惑星に生まれ、日本という国に生まれ、死んだはずの栗原。
だがなぜか、自分の目は世界を映している。暗く打ち捨てられた路地裏に、ネズミだらけの地面。自身の鼻には腐敗臭と腐乱臭がこれでもかと攻めてくる。
混乱する頭を整理しようとする栗原。自身の頭の中には、何故か2つの記憶が混ざっている。
1つ目は、栗原という日本人の記憶だ。銃で撃たれ、死んだはずの人間。
そしてもう1つは、マーロンという、身寄りのない孤児の記憶だ。
マーロン。10歳。幼い頃に両親に捨てられ、それからは何とか盗みと乞食で食いつないできた、スラム街の小汚い子供。
自らの身体を見る。壁に力なく寄りかかっている自分の身体は、ボロボロの布切れを着た、ガリガリの子供の身体であった。皮膚の下には骨しかなさそうな身体に、見るからに栄養失調の肌色。
どうやら自分は、このマーロンという人物で間違いないようだ。
だったら、栗原という男の記憶は何なのだろうか。しばらく考え、この考えに至る。
転生。それも、地球という惑星や世界ではなく、異世界への転生。『異世界転生』。
若衆に最近の流行りを聞いた時に教えてもらった人気ジャンルの1つである。
異世界に転生して、現世の知識を利用して無双したり、ハーレムを築いたりする、人気のアニメのジャンルだ。
どうして異世界だと思ったのか。それは、この世界には魔法というものがあるからである。スラム街のガキであるマーロンにはまだ使えないが、この世界には戦いに使ったり、生活に使ったり、様々な用途で魔法という技術が使われているのだ。
また、魔物と呼ばれる存在も、元の世界には無かった概念であろう。元の世界の動物とは違い、空想上の生き物とされていたケンタウロスやミノタウロス、グリフォン、果てにはドラゴンなんかもこの世界には存在しているらしい。
こういったことから、今マーロンが生きる世界は異世界であると判断した。
神はろくでなしであった栗原に、マーロンというやり直しのチャンスを与えてくれたのだ。
だが、マーロンの意識は少しづつ遠のいていく。マーロンは死にかけているのだ。
その理由は、自らの後頭部にあった。
いつも通り、パン屋で盗みを働いた際に、パン屋の店主に盗みが見つかり、ボコボコにされたのだ。
その際に後ろに大きく吹き飛ばされ、後頭部を壁に激しくぶつけてしまった。
自らの後頭部を触ると、ぬるりと生暖かい触感が手に付いた。
後頭部を触った手の平を確認すると、そこにはべっとりと紅い鮮血が付着していた。
「クソ………結局俺は死ぬのかよ………」
折角与えられたチャンスだった。恐らく、頭をぶつけた衝撃で、マーロンは栗原という前世の記憶を思い出したのだろう。死ぬ間際になって思い出すとは、何とも皮肉な結末だろうか。
「―――死にたくねえな………」
そんな事をぽつりと呟いた、その時――――。
「大丈夫ですか!?」
幼い少女の声が、マーロンの耳に届く。
声のした方向に目を向けてみると、そこには腰付近まで伸びた長い銀髪を携えた、可愛らしい少女がこちらに向かって駆けて来るところであった。
見た感じは8歳か9歳、といった所であろうか。
「どこか怪我しているのですか!?」
その少女はマーロンに駆け寄ると、マーロンの身体をまさぐり始めた。どうやら、怪我をしている個所を探しているようだ。
「後頭部………」
マーロンは薄れゆく意識を押して、怪我の個所を伝える。それを聞いた少女は、マーロンを俯けにして怪我の具合を確かめる。
「酷い怪我………」
少女はそう言って、マーロンの後頭部に両手をかざした。
「今、治しますから………!」
そう言って少女は、マーロンに向かって何らかの魔法を行使し始めた。
暖かい光がマーロンの後頭部を包み、パックリと割れていた後頭部の傷を塞いでいく。
時間にしてほんの数秒。
いつの間にかマーロンの後頭部の傷は、完全に癒えていた。
マーロンは後頭部に手を当てて確かめてみる。
ぬるりとした血は付着したままであるが、パッカリ割れていた後頭部のくぼみは完全に無くなっていた。
「な、治ってる………」
マーロンは驚愕の顔で少女を見た。栗原の記憶が蘇って初めて魔法という超常現象を見た。これが魔法かと、マーロンは感動する。
「ありがとう、お嬢さん………」
マーロンは少女に早速お礼を言うが、そのマーロンの声は少女には聞こえなかった。
何故なら、少女の近くに、その保護者のような人物が現れ、彼女の身を引き始めたからだ。
「お嬢様!こんなとこにいたんですね!早く帰りましょう!」
「あ、フレデリック!」
その少女はフレデリックと呼ばれた初老の男性に腕を引かれて、マーロンから離れていく。
まずい。あの少女は命の恩人であるのに、名前すら知らない。せめて名前だけでも、聞いておかねばならない。
「おい!あんたの名前は………!?」
マーロンの精一杯の大声。その声が聞こえたのか、腕を引かれている少女が振り返り、最後に言う。
「私はセレーネ。この街の領主の娘です」
この瞬間、マーロンの運命は決まった。
セレーネ。命の恩人である彼女の為に、我が人生を捧げようと。自分の人生の全てを、彼女のために費やすのだと。
遂に見つけた、栗原が命を賭せる存在。どうやら自分は、このセレーネという少女に出会うために生まれ変わったんだと、そう結論づけた。