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蒼き剣のアリス  作者: 門司柿家
1章
7/30

六.次第に夏が色あせて来た。じりじりと肌を


 次第に夏が色あせて来た。じりじりと肌を焦がす暑さは健在なのだが、西に傾く日が少しずつ赤みを増し、重くなって来たように感ぜられる。

 ミサゴから受けた仕事を終えるのに、おおよそひと月半ばかりの時間を要した。材料を揃えるのにも時間がかかったし、一度に何本もの剣を打つのはアリスにとって初めての経験であった。


 鍛冶師として口を糊する以上、ただ丁寧なだけでは仕事にならない。丁寧に、かつ迅速に作業をしなければ仕事として成り立たないのだ。

 勿論、ただ早ければいいというわけでもない。質と速度を両立させてこそ職人を名乗れる。作り出す剣の見事さにばかり気を取られていたが、思えば父のゲンザの仕事は早かった。


 一本ものの仕事ばかりしていたアリスはこの点を見落としており、自分で思った以上に時間がかかってしまった事に驚いた。時間をかけて名剣を一本仕上げるのと、そこそこの品質のものを短時間で多く作るのとは違うと実感した。そうして、六本目を研ぎ上げる頃には、多少なりとも作業の段取りと手際が良くなった事に胸を撫で下ろした。


 納期にはまだ余裕があったので、ひとまず仕上がった剣を抱えて鞘師の所に赴く事にした。

 鞘まで自作する鍛冶師もいないではないが、鞘づくりは鍛冶とは別個の技術だ。

 餅は餅屋。鍛冶は鍛冶師。鞘は鞘師。というわけで多くの鍛冶師は確実な仕事ができる者に頼む。アリスもそうだ。


「こんにちは」


 鞘師の工房に入ると、奥の方で気難しそうな顔をした老人がちらとアリスを見、再び手元に目を落とした。鞘を削っているらしかった。


「やあ、アリスちゃん」


 開け放された脇の戸から、三十がらみの男が出て来た。


「ケイウさん、お久しぶりです」

「元気そうだな。何か御用かね」

「はい。鞘をお願いしたくて」


 アリスが持って来た剣を出すと、ケイウはおやおやという顔をした。


「へえ、剣鍛冶の仕事が入って来たんかい」

「ええ、衛士隊から」

「ははは、そりゃ景気がいい。ゲンザ親方も喜ぶな」

「そうだといいんですが……」


 と言いかけて、アリスはドキッとした。奥にいた老人がいつの間にかいて、剣を手に取って目を細めていた。表に裏にして見、刃の通りを見て、指先で刀身をはじいた。


「おめぇが打ったのか」

「は、はい……どうでしょうか、イワマツさん」


 ケイウの父親でこの工房の親方であるイワマツは、顔をしかめて剣を置いた。


「……悪かねぇが、ゲンザの足元にも及ばねぇ」

「黙ってろよ親父。アリスちゃんはまだ十七だぞ」


 とケイウがたしなめると、イワマツはふんと鼻を鳴らした。


「ゲンザは十五の頃からすごかったよ」


 そう言ってまた作業に戻ってしまった。アリスは頬を掻いた。

 ケイウが済まなそうに苦笑いを浮かべた。


「ごめんな。親父、ずっとゲンザ親方の鞘を作ってたから思い入れが強くてさ」

「ええ、わかっています。わたしも父に追いついたなんてちっとも思っていませんから」

「あんまり気にするなよ。十分いい剣だからさ、これ」


 とケイウは剣を手に取ってくるくると回した。アリスは努めて朗らかに言った。


「ありがとうございます。それで、いつごろまでにできそうですか」

「型が同じだからな。これなら四日、まあ余裕見てもらって五日ありゃ大丈夫だ」

「わかりました。では五日後にまたお伺いしますね」

「ああ、任せときな」


 それで工房を出た。

 熱気を帯びた空気がどことなく重苦しい。

 アリスはぐっと握った拳を見つめた。

 既に職人を名乗れる腕を持っている、と自負してはいるが、ゲンザの仕事を知る年配の職人たちの目は厳しい。ただ腕のいいだけの職人では駄目なのだ。背負っている看板の何と重い事か。


 つつがなく仕事はできた筈なのに、どうにもすっきりしない気持ちでアリスは帰路に就いた。盛りの過ぎた昼下がりの太陽の光は体にまとわりつくようだ。

 田は既に中干しの時期を経て、稲穂は頭を下げて少しずつ黄色く染まっていた。

 籾一つ一つがぷっくりと膨らみ、黄金色に染まる頃には収穫だ。この分ならきょうだい三人が一年食べるには十分な米がとれるだろう。


 坂を上り切ると、家の外にナルミがいた。何やら符を何枚も出してぶつぶつ呟いている。壁に寄りかかったムツキがそれを面白そうな顔で眺めていた。


「ただいま」

「おかえり、おねぇ」

「ナルミは何してるの?」

「魔法の実験だって」


 とムツキが言った。アリスが見ていると、ナルミは手に持った符をさっと宙に投げた。そうして何か唱える。

 花吹雪のようにひらひらと風に漂った符は途中でしゃんと立ち、ナルミの前で曼荼羅でも作るように円形を作る。


「やっ!」


 ナルミが右手を突き出すと、円形を作って宙でぴたりと止まっていた符が、まるで矢のような勢いで飛んだ。向こうに立ててある丸太に殺到し、たちまち燃え上がる。

 ムツキが「おお」と言ってぱちぱちと拍手した。


「おにぃ、すごい」

「ナルミ、あんたいつの間に……」

「ああ、姉さん、お帰り」


 きょうだいたちは揃って屋敷に入り、何ともなしに座敷に腰を降ろす。腹の中の昼食がこなれて来ていて、何となく眠いような気がする。日差しの下を鞘師の所まで出かけたから、その疲れも手伝っているのだろう。

 ムツキが切り分けた羊羹とお茶とを持ってやって来た。


「あれ、それどうしたのむっちゃん」

「マナミおばちゃんの手伝いしたらくれた」

「へえ、よかったねえ」


 ムツキはむふんと鼻を鳴らし、畳の上にお盆を置いた。


「ケイウさん、元気だった?」


 と湯呑を手に取りながらナルミが言った。


「うん。相変わらずだった。ナルミ、何だか魔法上達してない?」

「そう? まあ、前よりはね」


 ナルミは懐から符を出してひらひらさせた。


「冒険者ギルドに売ろうかなって思ってるんだ。魔力さえあれば使えるからさ」

「魔道具って事だよね?」

「そう。武器と違って工房が独占したりしてないからね。姉さん、今度探索に持って行ってみてよ。実地で使えるか試してみて欲しいんだけど」

「いいけど、咄嗟に出して使えるかなあ」


 とアリスは頭を掻いた。

 基本的に剣士であるアリスは、魔獣との戦いで符を使うのが想像できない。わざわざそんな手間をかけるくらいなら斬ってしまった方が早いからだ。

 そう言うと、ナルミは腕組みしてぼそっと呟いた。


「それもそうか……姉さん脳筋だもんな」

「なんだよう」


 とアリスは頬を膨らました。ナルミは肩をすくめる。


「まあまあ。というかさ、実際探索であったら便利な魔道具ってどんなのがある?」

「そうだなあ……戦闘系はわたしは使わないからわからないけど、照明はあると嬉しいかも。あと今みたいな攻撃用じゃなくて、着火用の弱めのやつとか……あとは魔獣が近くにいたら反応するやつ、とか?」

「おねぇの剣みたいに?」


 とムツキが言った。確かにそうだ。アリスの剣はあまり喋らないが、ダンジョンに潜った時はいつも危険を察知してアリスに知らせてくれる。

 ナルミはふむふむと頷いた。


「なるほどね。戦闘系よりも補助系の方がよさそうって事か……」

「まあ、みんなが使えるのはそういうのじゃないかな。あと、戦闘系にしても、符よりもボールみたいに咄嗟にすぐ投げられるような形の方がいいと思うよ。ひらひらしてて投げにくそうだもん」

「ああ、確かに。そうだよな。符は魔法使いの道具だから……参考になった。ありがと」

「それを仕事にするの?」


 とアリスが言うと、ナルミは頭を掻いた。


「まあ、手っ取り早いからね。将来的に何を本業にするかは、もっと勉強してからかな」

「魔法のお仕事って何なの」とムツキが言う。

「魔道具とか術式の開発か、あるいは冒険者か……風の(つかさ)もありだけど」


 魔法を習得した者には様々な仕事がある。

 魔法で風を制御し、航海の手助けをする事を専門とする風の司は、海で生きる者の多いブリョウでは一般的な魔法使いの職業だ。島と大陸を行き来するような大型の船や、何日も海洋巡回をする衛士隊の大型戦艦には必ず一人は風の司が乗っている。


「……やっぱり鍛冶師は嫌なの?」

「嫌だ」


 とナルミはにべもない。

 アリスはやれやれと頭を振った。


「昔は色々手伝ってくれたのにねぇ。この前だって術式をやってくれたじゃない」

「やれるのとやりたいのは違うでしょ。鍛冶師じゃ何やったって父さんと比べられるし……姉さん、今それで大変なんじゃないの?」


 アリスはドキッとした。今まさに自分はそういう状況にいた。


「それはそうだけど……」

「俺は父さんに追いつこうなんて努力をする気にもならないし、そもそも別に鍛冶仕事は好きでも何でもないからね。魔法の方が好きだし、性に合ってる」


 とナルミは澄ました顔でお茶をすすった。

 それはそうかも知れない。アリスは嘆息した。


「まあ、あんまり夜更かししないようにね。体壊しちゃ元も子もないよ」

「はいはい」


 受け流すようなナルミの返事にアリスは口を尖らしたが、追及はしなかった。ムツキが面白そうな顔をしている。



  〇



 久しぶりに雨が降って、洗われたような空が広がっていた。青空の下で草木はきらきらと光っているように見えた。


 中庭ですらりと剣を抜いたミサゴは、夏の日を照り返して輝く刀身を見て目を細め、それから振りかぶって上段から切り下した。

 眼前の巻き藁が袈裟に斬られて落ちる。断面は美しく、端が毛羽立ったりもしていない。


「見事だ。素晴らしい」


 ミサゴは満足げに頷いて、剣を鞘に収めた。


「流石だね、アリス。期待以上だよ」

「恐れ入ります」


 アリスは頭を下げた。

 ケイウは首尾よく鞘を仕上げてくれ、いよいよ納品という段になった。

 アリスは一度剣を携えて衛士隊の詰め所を訪れたが、ミサゴは外回りの任務についていて留守だった。預かろうかという申し出を固辞し、ミサゴに言伝を頼んで待つ事四日、ふらりと現れたミサゴに剣を渡して今に至る。


 アリスは日陰になった縁側にミサゴと並んで腰を下ろした。

 ムツキが湯呑と茶菓子を載せたお盆を持ってぽてぽてとやって来た。


「お茶」

「ありがとう、むっちゃん」

「おねぇの剣、いいでしょ」


 ミサゴはニッと笑った。


「ばっちりだよ。君の姉さんは流石だ」


 ムツキもミサゴの隣に腰を下ろして、盆の上の砂糖菓子をぱくりと頬張った。


「お忙しい中ご足労いただいてすみませんでした、ミサゴ様」

「いや、構わないよ。むっちゃんにも会えたしね」


 とミサゴはムツキを撫でた。ムツキはくすぐったそうに身を捩じらしてミサゴを見た。


「ミサねぇ、日焼けした」

「そう? まあ、確かにずっと甲板を動き回っていたから焼けたかもね」

「忙しいの?」

「うむ。仮にも小隊を率いているからね。しばらく巡察船に乗っていて、今しがた戻って来たばかりなのだ」

「海賊いるの?」

「いや、最近は大人しいね。まあ、いないに越した事はない。むしろ魔獣の方が活発だよ。この前も魚人系の魔獣がいくらか出たな。近場の島も魔獣の被害の報告が多いし、巡察の度に魔獣に出くわすが……アリスの剣が実に役立ってくれたよ」


 とミサゴは傍らの雷石の剣に手をやって笑った。アリスははにかんだ。

 どこかから蝉が飛んで来て軒下にとまったのか、近くでけたたましい声が聞こえ出した。

 ミサゴが懐から紙に包んだ金貨を出してアリスの前に置いた。


「これは代金だ。足りるかな?」

「……十分です。頂戴します」

「礼を言うよ、アリス。これならばボクの隊の連中も喜ぶ」

「ご満足いただけたようで、ホッとしました。いただいた代金以上の剣に仕上がっていればいいのですが」

「なに、大丈夫だろう。まあ、使い手の技量もあるかも知れんが、この剣に恥じぬ剣士になれと叱咤する事にするよ」


 そう言ってミサゴは立ち上がった。


「また来るよ。あ、単に遊びに来るだけでもいいかい?」

「ええ、勿論。お待ちしています」

「ふふ、楽しみだ。体に気を付けてな」

「ミサゴ様も」


 ミサゴを玄関まで見送り、その背中が見えなくなるとアリスはかくんと肩の力を抜いた。


「はあぁ……」


 緊張の糸がぷつんと切れたような気分だった。

 昔ゲンザに剣を見せる時も緊張したが、依頼主が満足してくれるかどうかも同じくらい緊張する。ミサゴを待つ四日の間、アリスはずっとそわそわしっぱなしだったのが、今になってようやく解放された気分である。

 座敷まで戻って腰を降ろした。すっかり脱力しているのに、自分の事ながらアリスはちょっと驚いた。随分根を詰めていたようだ。


「ミサねぇ、喜んでたね」


 とムツキが言った。アリスはムツキを捕まえてぐりぐりと頬ずりした。猫でも愛でるような具合である。

 とにかく今は何かに引っ付いてぐだぐだしたかった。嬉しさと解放感を何かで発散したいのである。


「やったよぉ、むっちゃん。緊張したぁ……」

「うぎゅぎゅ」


 ムツキはもそもそ身じろぎした。

 そこに本を抱えたナルミが現れた。


「あれ、ミサゴさん帰ったの?」

「うあー、ナルミー」


 アリスはムツキを解放するとナルミに躍りかかった。


「うわっ」

「へへへへ、姉さんやったぞぉ。ミサゴ様、すっごく喜んでくれたよぉ」

「それでなんで俺に抱きつくんだよ! 本が曲がる!」


 ナルミは嫌そうに抵抗したが、やはりアリスの方が力は強い。姉に散々撫で繰り回されて、ようやく腕から抜け出した時には髪の毛がくしゃくしゃに跳ね散らかっていた。

 弟と妹を思う存分愛でて、ようやく落ち着いたアリスは、座敷に大の字に寝転がった。

 ナルミがうんざりした顔でずれた眼鏡を直した。


「くそ、力ばっかり強いんだから……いちいち俺に絡むのやめてよ」

「いいでしょうがー、一仕事終えた姉さんを労ってよう」

「はいはい。お茶淹れ直そうか?」

「ありがとぉ」


 アリスはごろんと寝返ってうつぶせになった。その背中をムツキが足で踏む。


「あー、そこ……むっちゃんの体重、丁度いいなー」

「おねぇ、おけつでっかくなった」


 と言ってムツキはアリスの大転肢の辺りをかかとで押した。股関節を外側から刺激されて、アリスは足をばたばたさせた。


「ぅおうッ……! そ、そこ効き過ぎ……」

「ここがいいってシラバのおっちゃんが言ってた」


 近所の整体師から習ったらしいのを、ムツキは容赦なくアリスで試している。確かに効いている感じだが、刺激も強いからアリスはうつぶせのまま悶絶した。

 お茶を淹れ直して来たナルミが呆れた顔でお盆を置いた。


「姉さん、年寄り臭いよ」

「いいのー」

「はい、お茶」

「ありがと。むっちゃん、もういいよ。ありがとね」


 アリスは体を起こしてふうと息をついた。濃い目に淹れられたお茶をすする。喜びの波が過ぎた後は、何となく気抜けするようだ。

 ナルミは本を抱えて行ってしまった。ムツキはアリスの後ろに回り、今度は肩をぐいぐい押している。意外に力が強く、的確にツボを押さえて来るから、アリスは時折身を捩じらした。


 この調子で少しずつでも仕事が増えて来れば、剣鍛冶師として身を立てて行けるかも知れない。

 商人でこそないがミサゴは華族だ。しかもイスルギの衛士隊で部隊を率いている。その繋がりで依頼が来てくれればありがたいな、と思っていると再びムツキの指がツボを捉え、アリスはくぐもった声でうめいた。


 蝉の声が外からけたたましく聞こえて来る。

 縁側の向こうに見える夏空に雲が流れて、照らされた庭木の葉が光っている。


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