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蒼き剣のアリス  作者: 門司柿家
1章
6/30

五.本格的に梅雨が明けて、すっかり


 本格的に梅雨が明けて、すっかり夏本番という風になって来た。

 ぎらぎらとした陽光は容赦なく地上を行き交う人々を照り付け、歩いているだけで額から汗が流れ落ちる。


 首尾よく仕事を仕上げ、コテツの鼻も明かしてやったアリスは、これを皮切りに剣鍛冶の仕事が入って来る事を期待した。

 しかし結局それ以来音沙汰はなく、アリスの剣を誰が買って行ったとか、そういう話も聞こえて来なかった。

 それが面白くなかったが、アリスの思惑とは関係なしに日常は続く。

 日々伸びる草を刈り、野菜に支柱を立ててやって、田んぼの草を取ったり水を入れたりする。

 毎日畔を歩き、モグラ穴から水が漏れていれば踏んで潰す。

 家を掃除し、洗濯物を干し、野鍛冶の為に鎚を握り、包丁や鎌を研ぎ、時には冒険者装束に身を包んでダンジョンへと赴いた。


 そんな事をしているうちに稲の穂が出て来て、田草取りが一段落した。

 精を出した分、イヌビエの姿もまばらで、稲もよく分けつして充実している。今年は豊作になりそうだ。


「はい、むっちゃん」

「ん」


 渡された竹笊を抱えたムツキが庭先に出て行った。

 台の上に竹笊を置いて、塩漬けにしておいた梅を干す。今日で二日目だ。明日までしっかり干してから壺に保管する。そうすれば何十年と持つ保存食の出来上がりだ。


「これで最後?」

「うん。少し休もうか。暑いし」


 ムツキは頷いて、ぽてぽてと台所に入って行った。

 ナルミは港の古本市に出かけている。魔導書や魔法の論文を手に入れようと目を皿のようにしている筈だ。

 アリスはふうと息をついて、庭の向こうの青空と、その下できらめく海原とを見やった。

 風はずっと吹いているが涼風とは言い難い。アリスはしばらくぼんやりと視線を泳がしていたが、やがて踵を返して室内に入った。

 外が明るい分、屋敷の中は薄暗く感じた。そこいらの戸や窓が開け放されているから、屋敷の中にも風が抜けている。外で受ける風よりもどことなく心地よい。


 アリスは廊下を踏んで、鋼の木の実の置いている小部屋に入った。

 壁際に棚があって、そこに大小の木箱、布に包まれた実、あるいはむき出しのまま鈍く光っている実が並べられていた。かつては棚一杯の実があったが、今は閑散としている。

 きょうだい三人だけになってから、暮らしの為に質の良い実から少しずつ売ってしまった。

 ゲンザは常に良い実だけを選んでいたから高値で売れ、おかげで三人は飢えずに暮らす事ができた。仕方がなかったとはいえ、閑散とした棚を見る度にアリスはいたたまれない気持ちになった。


 座布団も敷かず、木の床に直接腰を降ろして棚の方を見た。この部屋はいつもひんやりしているように思われた。


「……あなたたちを打てるようになるのは、いつだろうね」


 ゲンザがいなくなってから、鋼の木の実の武具は作られなくなっていた。

 依頼も来ないし、アリス自身もまだ自らの腕だけで実の武器を打つのは不安があった。鋼の木の実は高価だ。練習の為に消費するには痛手である。


 自分の剣を打った時の感じを思い出せば、と考える。

 しかし、あれは自分自身が実との縁を感じて打ったものだ。炉にかける時も、鎚で伸ばす時も、実の声が聞こえていた。一方この部屋の実たちは黙して語らぬ。怖気づいた心で鎚を握れば、鋼の木の実はなまくらにしかならないというから、アリスはいつも尻込みした。


 とりとめもなく思考していたら、いつの間にか眠っていたらしい。ハッと目を開けると、口端から唾液が垂れて着物の胸元を濡らしていた。


「もう……」


 アリスは何となく恥ずかしい気持ちで口元を拭った。

 その時、廊下をぽてぽて踏む音がして、ムツキがひょっこり顔を出した。


「おねぇ」

「むっちゃん。ごめん、ちょっとうとうとしてた……」

「お客さん」

「え?」


 ムツキの後ろにすらりとした人影が突っ立った。

 女である。黒髪を肩辺りで切って整え、衛士隊の制服を着ている。歳は二十かそこらというくらいだ。鼻筋の通った顔立ちは真面目そうであるが、目つきはどこかいたずら気で、それが不思議と親しみを覚えさせるような気がした。


「こんにちは。お休みのところ申し訳ないね」

「い、いえ……」


 アリスは慌てて立ち上がってぺこりと頭を下げた。


「ようこそいらっしゃいました。アリスと申します」

「ああ、ボクはミサゴ・ミナモトという。昨年からハブカ、イスルギ周辺の衛士隊に配属されているんだ。よろしく、アリス」


 とミサゴは親し気な笑みを浮かべて手を差し出した。その手を握りながら、アリスは覚醒しきっていない頭で聞き覚えのある名前に困惑した。


「ミナモト……しゅ、守護四家の?」

「ああ。といっても分家筋だがね」


 とミサゴは鷹揚に笑った。

 ブリョウは有力豪族の集合した連邦ではあるが、ブリョウという国の旗頭としてハクザンの都の帝を立てている。その帝を守護する一族として最も力を持つ四家がある。帝直属の臣下として、ブリョウ各地にある直轄地の統治を任されており、ブリョウの政治にも強い権力と発言力を持つ殿上華族だ。


 その守護四家の一角であるミナモト家はブリョウ本島の北西部を治める大領主で、ハクザンの都で政治に携わる者も多くおり、文字通りブリョウの政治中枢の一角を担っているといっても過言ではない。

 アリスは恐縮し、改めて頭を下げた。


「し、失礼しました。知らぬ事とはいえ不躾な態度を……」

「いやいや、気にしないでくれ。言っただろう、ボクは分家筋なのだ。それに着飾って社交会に出るより剣を握る方が好きな性分でね。あんまり改まられるのも得意じゃないんだよ」


 とミサゴは慌てたようにアリスの肩に手をやって顔を上げさせた。

 ムツキが面白そうな顔をしてミサゴを見上げている。


「お姉さん、強そう」

「おや、そうかい? はは、嬉しい事を言ってくれるね」


 ミサゴはそう言って、壁際の棚を見た。


「そうか。これが鋼の木の実……」

「ええ。長い事、これらを使って武器を作る事はないですが」


 とアリスは言った。ミサゴは頷いた。


「ゲンザ殿の事、お悔やみ申し上げるよ。本家のご当主もゲンザ殿に誂えた剣を持っている。ボクもいつかは、と憧れたものだ」

「そうですか……」


 アリスはうつむいて頬を掻いた。父があちこちから仕事を受けていた事は知っていたが、守護四家の当主の剣を打った事もあったとは。追う背中がさらに遠くなったような気がした。

 ムツキがアリスの袖を引っ張った。


「お茶淹れようか」

「あ、そうだね。ミサゴ様、立ち話も何ですから、こちらにどうぞ」

「ああ、すまない。お構いなく」


 それで座敷に移って、座布団を引き出して膝を突き合わした。

 すっかり目の覚めたアリスは、落ち着いた気持ちでミサゴの顔を見た。


「それで、どういったご用件でしょうか」

「うん」


 ミサゴは携えていた剣をすらりと抜いた。

 アリスは息を呑んだ。それはまさしく、先日アリスが打ち上げた剣に間違いなかった。鋭い刀身には雷石が光っている。


「これを君が打ったと聞いたのだが、間違いないかね」

「え、ええ。確かにわたしが打った剣です」

「そうかそうか。うん、よかった」


 ミサゴは剣を鞘に収めた。

 曰く、ミサゴはユウザの工房でこの剣を購入し、実際に何度か魔獣との戦いで振るってすっかり気に入ってしまった。それで職人を捜して工房に問い合わせたものの、何だか要領を得ない事ばかり言うので埒が明かなかったそうだ。

 コテツは剣を売る際にアリスの名前を一切出さず、さも自分の工房の手柄のように振舞っていたらしい。

 ミサゴからの問い合わせにも、工房の職人がどうだの、数ある剣のうちの一つだから誰が作ったかはどうとか、そんな事ばかり言っていたそうだ。

 それを変に思ったミサゴがしつこく追及したので、ようやく先日になって職人の一人からアリスの事を聞き、こうして訪問したという事らしい。


「良い剣だよ、これは。海では水生魔獣が多いから、雷石の剣はとても役立つんだ。もうすっかり手に馴染んだよ」


 とミサゴは愉快そうに言った。

 きちんと剣は売れていたのだ。それも剣の価値をわかってくれる剣士の手元に届いた。アリスは胸がいっぱいになりながら、期待を込めてミサゴを見る。


「あの、それではもしかして今日は……」

「ああ、剣を注文したくて伺った次第だ」


 やった! とアリスは思わず表情がほころぶのを誤魔化すように頬をむにむにと揉んだ。そんなアリスを見てミサゴがくすくす笑う。


「何だか可愛いねえ、君は」

「も、申し訳ありません」


 アリスは恥ずかしくなって下を向いた。

 そこにムツキがお茶を持って来た。


「お茶」

「あ、ありがとう、むっちゃん」


 ムツキはそのまま腰を降ろしてミサゴを見た。


「おねぇの剣、いいでしょ」

「ちょ、ちょっと」


 物怖じしない妹にアリスは慌てたが、ミサゴはからから笑うばかりである。


「ははは、そうだね。そういえば妹ちゃん、まだ名前を聞いてなかったな。むっちゃんって呼ばれてたね? ボクはミサゴだよ」

「ムツキ」

「よろしくね。むっちゃんって呼んでいいかい?」

「うん」

「ふふふ、何だか姉妹揃って可愛いな」

「ミサねぇはカッコいいね」

「え? ミサねぇ?」

「うん」


 どきどきしているアリスをよそに、ミサゴはにへっと顔をほころばした。


「そ、そうかあ。ボクをお姉ちゃんと呼んでくれるんだね」

「あ、あの、お嫌でしたら」

「嫌なもんか。ボク末っ子でね。お姉ちゃんって呼ばれるの、ちょっと憧れだったんだよ」


 と言いながらミサゴはもじもじしながらムツキをちらちら見た。ムツキはちょこちょこと膝で歩いて、ミサゴの膝に座った。ミサゴは嬉しそうにムツキの頭を撫でた。

 たちまち客の心を鷲掴みにしてしまった。

 我が妹ながら恐ろしい子、とアリスは半ば呆気にとられた気分になり、ハッとして深呼吸した。舞い上がっている場合ではない。華族が依頼を持って来たのだ。浮ついた気持ちではいけない。


「えっと、内容をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 ゆるんだ表情でムツキを撫でていたミサゴは、ハッとしたように居住まいを正した。ムツキもそそくさと膝から降りる。


「おほん……そうそう。ボクの隊の連中の剣を新調しようと思ってね。同じ規格の長剣を六本頼みたいのだが、可能かね?」

「はい。予算はどの程度で考えましょうか」

「そうだな、量産ものよりも質は高くしてもらいたいが……」


 しばらく予算と経費の兼ね合いを話し合う。高価な素材を使えば当然質の良い剣になるけれど、一衛士の剣にそこまで予算は割けない。しかし仕事として受ける以上、アリスもそれなりの対価をもらわねばならない。質もよく、比較的安価な素材を提案し、それで話がついた。


「ではイコマの鉄を使いましょう。六本分なら、この予算内で十分に収まるかと」

「うん、問題ない。これで頼むよ」


 ミサゴは満足げに頷いてお茶をすすり、ふと思い出したようにアリスを見た。


「そういえば、ここには君が打った剣を置いてあったりはしないのかい」

「注文を受けない限り、武具は作っていないんです。わたし個人の持ち物ならありますが」

「へえ、アリスは剣士なのかい」

「ええ、一応冒険者登録もしています」

「その剣、見てみたいな。見せてくれるかね」


 アリスは立ち上がって部屋に行き、愛用の剣を持って来た。


「どうぞ」

「ありがとう。拝見するよ」


 ミサゴはすらりと剣を抜いた。透き通るような青い刀身がきらりと光った。驚きに目を見開くミサゴの顔が映るようだ。


「見事だな……これを自分で?」

「はい。十二の頃に」

「十二? なんとまあ……」


 ミサゴはうっとりした顔で剣を見た。剣は黙っている。少し澄ましているらしいのがわかり、アリスには可笑しかった。

 しばらく剣を眺めたミサゴは、鞘に収めてアリスに返した。


「いいものを見せてもらった。君に仕事を頼んで間違いないと確信できたよ」

「きょ、恐縮です……」


 アリスはもじもじした。ミサゴはニッと笑い、身を乗り出した。


「手合わせしないか?」

「はえ!? い、いや、そんな、恐れ多い……」

「やりなよ、おねぇ」


 ムツキが言った。アリスはうろたえた。


「で、でも……」

「いいじゃないか、何も殺し合いをしようってわけじゃないんだ。木剣でいいからさ。これだけ見事な剣を打つ職人が剣士でもあるだなんて、どんな剣筋なのか興味が湧くというものじゃないか」


 アリスは逡巡したが、やがて首肯した。


「では、胸をお借りします」

「そう来なくっちゃ」


 それで二人は庭に下りた。

 いつの間にかムツキが木剣を二本、持って来ていた。アリスが昔から稽古の為に使っていたものだ。ミサゴが木剣の感触を確かめるように握りながら頷いた。


「使い込んであるな。随分鍛錬したものと見える」

「いえ……」


 アリスはすっと剣を構えた。

 ミサゴは目を細め、こちらも剣を構えた。一瞬で雰囲気が変わった。ぴんと張り詰めた空気が漂い、そこいらを響かせる蝉の声が急に遠くなったように思われる。

 緊張感もあったが、アリスは驚くほど冷静だった。眼前のミサゴのほんのわずかな動きも見逃さぬように集中する。

 対してミサゴは自然体だ。ちっとも力まずに肩の力を抜いて、しかし一切の隙もなくアリスを見ている。

 強い。手加減などと考えるのがおこがましい相手だ。


 不意に、じじっとひときわ大きな声をさして、二人の間を蝉が横切った。

 二人は同時に地面を蹴った。数瞬の事である。木剣の打ち合わされる乾いた音が響いた。

 ぐんと押し返されて、アリスは二歩三歩下がり、再び剣を構えた。

 ほんの二合ばかり剣を合わせただけだが、ミサゴの剣撃は強烈で、木剣を持つ手がびりびりと痺れている。

 やにわにミサゴがからからと笑い出して剣を下げた。一気に緊張が解け、アリスもふうと息をつく。


「ははは、ありがとう。いや、凄いな。アリス、冒険者ランクはいくつだね?」

「Bです」

「え? おいおい、AかAAはあっておかしくないぞ。ボクの一撃で剣を落とさない奴は久しぶりだもの。うちの隊の連中より腕が立つんじゃないか?」

「おねぇは強いよ」


 と縁側からムツキが言った。


「確かに。惜しいなあ。鍛冶師じゃなければ衛士隊にスカウトするのに」

「い、いえいえ、わたしはそんな……」


 ミサゴはくつくつといたずら気に笑いながら木剣をアリスに渡した。


「しかし不思議だね。ボクは冒険者の事はよく知らないが、Aランクになれば固定給も出るし、依頼料も上がるんだろう? 腕を活かそうとは思わないのかい?」

「高位に入ってしまうと固定給や特典は色々ありますが、義務も色々と課せられるようになるんです。おそらく、依頼の難易度的に一人で続けるにも厳しくなるでしょうから、パーティを組む事になるでしょうし、そうなったら冒険者の方に時間を多く割く必要が出てしまうかと。わたしは鍛冶師としてやっていきたいですし、それに……」

「それに?」

「なるべく家族の傍にいたいので」

「……そうか」


 ミサゴは微笑んでアリスの肩をぽんぽんと叩いた。


「邪魔したね。剣の仕上がり、楽しみにしているよ」


 そう言って、ミサゴはさくさくと帰って行った。

 ムツキと二人で見送りに出たまま、門の所でぼんやり立っていると、本を抱えたナルミがのぼって来るのが見えた。ナルミは怪訝な顔で肩越しに見返ってからアリスに声をかけた。


「ただいま。なんか衛士の人とすれ違ったけど、何かあったの?」

「へへ……えへへへ、ナルミぃ」

「うわっ」


 急に抱き着かれてナルミはたたらを踏んだ。アリスはにへにへと笑いながらナルミを撫でまわす。


「仕事だあ! 剣鍛冶仕事だよ、ナルミ! あの剣が売れて、それのおかげでまた注文が来た!」

「そ、それはよかった……抱き着くなっ! 撫でるな!」


 ナルミはわたわたと抵抗したが、ミサゴの前での緊張が解け、ため込んでいた歓喜の情を発散するつもりらしいアリスは腕の力を緩めない。さらに面白がったらしいムツキが反対側から抱き着いて来たから埒が明かなくなった。

 きょうだい三人、もつれあったまま右に行ったり左に行ったり、ふらふらした。

 アリスとムツキの笑い声と、ナルミの怒り声とが夏空の下で蝉の声と交じり合って溶けた。


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[一言] ムツキ、おそろしい子! 膝にのせて、あたまなでなでしたい。
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