四.工房から鎚音がしている
工房から鎚音がしている。
八歳のアリスは工房の外の壁に寄りかかるようにして、その音を聞いていた。鋭く突き刺すような響きは、鎚と鉄のどちらからしているのだろうと思った。
しばらくして音が止む。ああ、また炉にくべたんだなと思う。
ごうごうと鞴を動かす音に耳を澄ましていると、中からシヅが出て来た。額の汗を拭きながら、おやおやという顔でアリスを見下ろす。
「どうしたの、こんな所で」
「べつに……」
「中で見てもいいんだよ?」
「でも、じゃましたくないから……」
とアリスはもじもじした。
普段は鍛冶場の中をうろちょろしているけれど、打ち上げの時などの特に張り詰めた緊張感がある時は、何となく邪魔をするのがはばかられる気分になって、いつも鍛冶場から出て、入口から盗み見るような風になった。
シヅはくすくす笑いながらアリスを抱き上げた。母は背が高くはないが、しっかりした体つきで力もあった。
「ナルミとむっちゃんはどうしてるの?」
「おひるねしてる」
「そっか。母さんたち、もう少しでお仕事終わるからね」
と言って撫でてくれた。アリスはくすぐったそうに身じろぎして、甘えるようにその胸元に鼻先を擦り付けた。母からは汗と炭のにおいがしたが、嫌ではなかった。
シヅ。と中から呼ぶ声がした。
シヅはアリスを降ろすと、ぽんぽんとその頭を撫でてから松炭の袋を抱えてまた鍛冶場に入って行った。
アリスはそっと入口のむしろをずらして中を見た。真っ赤な剣が金床に載せられて、シヅが向こう槌を両手でしっかと握った。
「ねえさん」
声がした。向こうからナルミが、眠そうな顔をしたムツキの手を引いてやって来た。
「なにしてるの」
「おしごとね、見てる」
ナルミはふあとあくびをした。
ムツキがぽてぽてとやって来てアリスにすがるように抱き着き、そうしてぐりぐりと頬ずりした。まだ少し寝ぼけているらしい。
ムツキの背中をさすりながら、アリスは再び響き出した鎚音に耳を澄まし、薄暗がりの中の両親をジッと見た。
あれを手伝えるようになるのはいつだろう、と思った。
〇
鎚が鉄を打つ度に、柄を伝って来る振動が胸の奥底まで響いて来る。
アリスは片手で梃子を持ち、もう片方に鎚を握り、鍛冶場で汗を流していた。コテツから請け負った剣の新造である。
何だか剣を打つのも久しぶりだと思う。
幼い頃からゲンザの傍で仕事を見、実際に鎚を握って暮らして来たけれど、本格的に弟子入りする前に独り立ちせざるを得なくなってしまった。だからゲンザの技術を十全に受け継いだとは到底言えない。
昔、自作の剣を打った時はいつもゲンザに検分してもらい、質を認めてもらって初めて人に売り渡した。まだ鎚を握り始めたばかりの頃は、何十本とゲンザから没を食らったものだ。
父に剣を見せる時は緊張したけれど、逆にゲンザが認めてくれさえすれば顧客が文句を言う事は絶対になかったから、そういう意味では安心だった。今回はそれがない。剣の出来も自分で判断しなければならないのだ。
アリスは右手の鎚を見た。ゲンザの鎚だ。アリスがずっと使っていた鎚よりも武骨で重い。
この鎚だけは野鍛冶で使う事はせず、武具の仕事の時だけ持ち出して使うようにしている。それもあって使いこなすのに随分時間がかかった。
今では自分の鎚と同じように振るう事ができるし、何よりもこの鎚を振うと、ゲンザと一緒に仕事をしているような気分になれた。
鉄を打ち延ばし、鏨で切れ込みを入れて折り曲げる。その度に藁灰をまぶし、泥をかけ、再び打つ。
何度も折り返す事で鉄の層が重なり、同時に夾雑物が打ち弾かれて、次第に強靭な鋼になって行くのである。これが粘りと強靭さを兼ね備えたブリョウ産の武器の強みだ。
思ってもいなかったナルミからの糸口を元に、アリスは材料を厳選し、ダンジョンに何度か行って素材を揃え、嫌そうな顔をしていたナルミを再び交えて、細かく剣の設計図を描いた。
今回は三種類の鉄を重ねて、折り返し鍛錬を行った。
一つはイスルギ産の鉄、もう一つはアリスの取って来た矢車貝の殻を精製した魔導鉄。さらに良質の砂鉄の生産地トコエの鉄を加えた。
まずイスルギの鉄とトコエの鉄とを打ち合わして一つにし、それと矢車貝の魔導鉄を重ねて折り返し鍛錬を行う。
これらの鉄が層になる事により、魔導鉄の層に細かく魔力が通じ、それによって埋め込まれた雷石の効果をより高める。
皮鉄の方は普通の鉄の比率を多くし、心鉄に使う方は魔導鉄の比率を多くした。その二つを組み合わせて平たい棒状へと打ち延ばし、剣の形に整えて行くのである。
今回は魔石を埋め込むから、その為の加工も忘れてはいけない。
刀身の、鍔に近い辺りに丸型の楔で穴を穿ち、剣全体を歪ませないように注意しながら、手鎚で穴を打ち広げて行く。ここは特に神経を使うところだ。
苦闘の末、剣の形を作り終えたアリスは、鍛冶場から出て一息ついた。
今日は梅雨の晴れ間といった風で、ぎらぎらした夏の日差しがそこいらを照らしていた。濡れた大地から湿気が立ち上っているけれど、薄暗く熱気のこもった鍛冶場から出ると、昼下がりの陽気さえ涼しく感じる。
アリスは上っ張りを脱いで袖なしの肌襦袢とズボンだけになり、水場で顔を洗った。吹き抜けるそよ風が汗ばんだ肌に心地よい。
「ふう……」
右手をぎゅっと握りしめる。
昨日、今日は朝からずっと鍛冶場に籠っていた。鎚を握り、鉄を叩く振動がまだ骨の底に残っているような感じだ。腕が疲労して来ると、まっすぐ打つべき鎚がぶれる事もある。こればかりは経験を積むしかない。
縁側からムツキが下りて来た。
「おねぇ。ビワ」
と言って籠を差し出した。みずみずしいビワがたくさん入っている。
「ありがと、むっちゃん」
赤みがかった黄色のビワの実は、皮をむくと指を伝って果汁が垂れるくらいだ。中心の大きな種の周りの果肉を歯でこそぐようにして食べる。ぷっくりとしてよく熟しており、かなり甘いけれど後味は爽やかである。汗をかいた体に嬉しい。
「おいしいね」
「ん」
ムツキと並んでビワをかじっていると、洗濯籠を抱えたナルミがやって来た。
「姉さん、ひと段落したの……うわっ、服着ろよ」
「着てるでしょうが」
とアリスは肌襦袢の合わせをつまんだ。汗を掻いたせいで肌に張り付いているから、体の線がはっきりわかる。
ナルミは顔を逸らしながらぶつぶつ言った。
「そんな下着で……品がないんだから。恥ずかしくないの?」
「別に家族なんだからいいでしょ。ナルミもビワ食べる?」
「さっき食べたよ。どうなの。間に合いそう?」
「何とかね。ナルミのおかげだよ」
「そ、そっか」
ナルミは照れ臭そうに頬を掻いた。
アリスはビワの種を吐き出して立ち上がった。
「あと一息だから、仕上げちゃおうかな。コテツの奴、目にもの見せてやるんだから」
と上着を羽織って鍛冶場の方に歩いて行く。
頬を染めたまま嘆息するナルミを見ながら、ムツキが呟いた。
「おにぃ、スケベ」
「な!」
アリスは鍛冶場に戻ると、猛然と鞴を動かした。赤々とした炉が火の粉を吹く。そこに剣を入れて松炭を重ねる。
火の具合、刀身の赤みの具合を見ながら、じっと背中を丸めているのは、なんだか思考が堂々巡りするようだ。手元は動くけれど、慣れている分だけ頭の中で色々な事が浮かんで来る。
いい剣になる筈だ。ずっと集中したし、材料だってしっかり厳選した。
この剣を見せてやったら、コテツはどんな顔をするだろう。面食らって言葉をなくすだろうか。
どんなもんだ、という先走った気持ちと一緒に、コテツ達親戚に対する苛立ちがむくむくと鎌首をもたげて来る。
ゲンザとシヅが死んだ時も、さすがにユウザだけは神妙な顔をしていたが、他の連中はアリス達を見てひそひそと陰口ばかりささやいていた。その後も事あるごとに嫌がらせをして来る。今回だってそういうつもりだろう。
特にアリスに対する風当たりは強かった。
見た目からして明らかに養子だとわかってしまう分、拾われっ子の癖にゲンザの名を笠に着ているなどと吹聴された事もあるし、それを理由に剣鍛冶の仕事を回して来ようとしない。
わたしはわたしだ。生まれた所や髪の毛や目の色でいちいち判断されなくてはいけないのが、アリスには面白くなかった。
むかむかする。
一度そういう感情がささくれ立つとどうにも消えない。
黙って座っている分、そういう思いは輻射熱のように高まって、アリスは眉間のしわを深くした。
「おねぇ、怒ってる?」
不意に声がした。驚いて見ると、ムツキが傍らに立ってアリスを見ていた。
「別に」
と言いつつも、むっつりと顔をしかめているアリスを、ムツキはぽんぽんと撫でた。
「火が濁るよ」
アリスはドキッとした。鞴を動かす手つきが雑だったかも知れない。
この寡黙な妹は、時折大人さえたじろぐような事をあっさり言ってのける。
アリスは深呼吸した。
一人で苛立っていてどうする。父さんなら、他人からの評価や悪口など一顧だにしない筈だ。
少し表情がほぐれた。口元に笑みを浮かべてムツキを見た。
「ありがと、むっちゃん。もう大丈夫」
「ん」
ムツキはぽてぽてと鍛冶場を出て行った。
気を取り直したアリスは剣をジッと見つめながら、慎重に鞴を動かした。時折剣を動かして、一番強く火の当たる場所を調節したりする。
剣全体が蕩けたような赤色になった時、アリスは魔石をはめ込む穴に雷石を入れた。表にし裏にし、魔石の出具合とバランスを見る。はめ込む時に少し歪んだ刀身も、手鎚で直す。
そうしてタイミングを見計らい、一気に水に入れて急冷した。
「……よし」
急冷された剣は引き締まったように見えた。片刃剣であれば峰の方に反りが入るのだが、両刃剣だからそうはならない。中心に向かってぎゅっと締まりが出た風だ。
腕の悪い鍛冶師だと片方に反り返ったり、歪な形になったりするのだが、この剣には寸分の狂いもないように見える。
刀身が締まった事で、魔石も周囲からかっちりと押さえられてぐらつきもしない。少し汚れてはいるが、磨けば輝きは戻るだろう。アリスは息をついた。
「砥ぎは……少し待とうかな」
ホッとした事で集中が途切れてしまった。だが、一番難しい工程は抜けたのだ。後は刃にやすりをかけて鋭く砥ぎ上げ、魔石を美しく磨き上げればいい。
アリスは腰を下ろして、まだ赤々と燃えている炉の火を眺め、ぼんやりした。
〇
布に包まれた剣を持って、アリスは往来を辿っていた。
イスルギの町は日に照らされて、家々の甍が光っていた。ここ数日は雨もなく、もう梅雨も明けたのではないかと思われた。道は乾いて、人々が歩いたり、馬車の車輪がそこを撫でたりする度に細かな砂埃が舞った。
町を山手の方にいった所にユウザの工房があった。表は武器を扱う店で、裏手が工房になっている。
槌音が聞こえて来る中、アリスは店の横を抜けて工房の方に向かった。
大きな工房である。門の向こうの中庭では手ぬぐいが干されてひらひらしており、張り出された軒の下に松炭や鉄の入っているらしい俵や箱、袋が積まれている。商談に来ているらしい商人らしいのが、庭の隅に植えられた木の下の木陰で、店の者とテーブルを挟んで向き合っていた。
休憩中らしい職人たちが、アリスの姿を見ておやおやという顔をした。にやにやしている者や、ふいと顔を逸らす者など、いずれにせよ歓迎されている風ではない。
「よう、ゲンザさんとこの。何か用かい」
「納品に来ました。コテツはいますか」
「コテツさんなら中だよ」
アリスはぺこりと頭を下げて、事務所の方に足を向けた。
「包丁でも持って来たのか?」
とヤジが飛んだ。どっと笑いが起こる。
アリスはくっと唇を噛んで、速足で建物の中に入った。
中は納品されたらしい武器などが整然と並べてあり、その奥に事務机が幾つも並んでいて、納品書だとか契約書だとか会計帳だとか、そういったものに事務員たちが向き合っていた。
その奥の方にコテツが退屈そうな顔をして椅子にふんぞり返っている。
アリスはつかつかとコテツの前に行くと、手に持った剣を机の上に置いた。
コテツはアリスを見た。
「へぇ、できたのか? てっきり納期の延長を頼みに来たと思ったよ」
「いいから、確認して」
アリスは素っ気なく言った。
コテツはふんと鼻を鳴らし、剣を包んだ布を取った。鋭く砥ぎ上げられた刀身がぎらぎらと光り、柄に近い方に埋め込まれた雷石の中で、小さな電光がちらちらと瞬いた。
勝った、と思った。コテツの目が間違いなく驚きに見開かれたからだ。
事務机に向かっていた筈の職員たちも、剣を見て驚いたようにひそひそと囁き交わしている。
「鞘は鞘師に頼んで」
「……ふん。見た目は立派だな」
コテツは乱暴に立ち上がって、アリスに剣を渡した。
「切れ味を試してからだ。来い」
それで中庭に出た。丸太や巻き藁が置かれた一角があって、どうやら試し切りをするスペースらしい。
コテツは近くにいた職人に言いつけて巻き藁を立てさした。
「そら、斬ってみろ」
コテツは馬鹿にしたように言ったが、空威張りだという事がわかる。
アリスはつかつかと巻き藁に歩み寄り、剣を構えた。夏の陽光を照り返す刀身が目に眩しい。
すうと息を吸い、ふっと吐くと同時に剣を振り下ろす。ぱんっと音がしたと思うや、巻き藁が袈裟に斬られて落ちた。切り口は電光で焼け焦げたように黒くなり、煙を上げている。
見物していた職人たちが感心したようにざわめいた。
アリスはコテツを見、剣をぐいと押し付けた。
「満足?」
「ぐ……」
コテツは何か言いたそうに職人たちを見回したが、職人たちも何も言わない。それで観念したように剣を受け取り、アリスを睨んだ。
「いいだろう。まぐれにしちゃ、いい出来だ」
「負け惜しみは見苦しいよ」
アリスが言うと、コテツは憎々し気に舌を打った。
「事務所で納品書を書け」
アリスは返事もせずに、さっさと事務所の方に足を向けた。
コテツは苛立たし気に、興味深げに剣をためつすがめつしている職人たちに怒鳴った。
「お前ら、どうして何も言わない! あの拾われ女を認めるのか?」
「いや、コテツさん。実際この剣は悪くありませんよ」
「俺らもいっぱしの職人ですから、良いものを悪いとは言えませんや」
「見た感じ、イスルギとトコエを上手く組み合わしてありますし、魔導鉄ともいい感じに折り返してあります」
「魔導鉄も矢車貝かなんかでしょう。雷石と好相性だとわかっての仕事ですよ」
「魔石もぐらつかねえ。焼き入れがしっかりできてる証拠ですわ」
「魔術式まで刻んである。これなら間違いないでしょうな」
「難しい仕事ですが、隙なく仕上げてある。うちの工房の若手が打ったとすりゃ、手放しで褒める出来でさぁね」
「ちとなめてましたが、あの小娘も腕はいいみたいだ」
「ぐう……」
予想外の職人たちの称賛に、コテツは悔し気に歯噛みした。
「ただまあ、ね……」
と、特に年配の職人たちが顔を見合わせた。コテツは怪訝そうに目を細める。
「なんだ」
「あくまで、普通の鍛冶師としての話ですわ」
「良い剣ですけどね、ゲンザの看板背負うにはまだまだですな」
「こう言っちゃ何ですが、このレベルなら俺らにも打てます」
「ゲンザが打ったとすりゃ、巻き藁は丸焦げになってるでしょうからね」
「おまけに魔術式なんぞなくてもその威力が出るでしょうよ」
「それに、野鍛冶の炉と鎚で打たれたんじゃね……」
と職人たちは肩をすくめた。