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蒼き剣のアリス  作者: 門司柿家
2章
29/30

二十八.トゲツの町は普段とは違った喧騒が


 トゲツの町は普段とは違った喧騒が満ちていた。家財道具を抱えている者や、着の身着のまま、どこに行けばいいのかわからずうろうろしている者、何が起きているのか知らないけれど、皆が不安げに騒いでいるので自分もおろおろしている者もいるようだ。

 いずれにせよ、不安と焦燥が満ち満ちて、その場にいるだけで冷静さが失われるような気分だ。


 アリスたちは右往左往する人々に難儀しながらも、何とか市場町を抜け出して大橋を渡った。

 橋を渡る時に上流の方に目を凝らしてみたが、衛士隊のものらしい船が川を遡って行くのが見えただけで、どの辺りで魔獣を迎え撃つつもりなのかはわからずじまいだった。

 だがアリスも、今の自分の状態で助太刀に行くような無鉄砲さは持ち合わせていない。ともかく家まで引き上げて、家族を守るのが最優先である。


「あんたも来るの?」


 とナルミが怪訝な顔をして言った。一緒に走っていたカヤがふんと鼻を鳴らした。


「お姉さまは疲れてるでしょ! わたしが守ってあげるわ!」


 と自慢げに腰の剣の柄に手をやった。もはやお姉さまと呼んでいる事に自分で気づいていないらしい。アリスはふふっと笑う。


「ありがとう、カヤさん。頼りにしてます」

「……! ま、任せなさい! どーんと頼ればいいわ!」


 カヤは頬を染めて何だかにまにましている。ナルミが呆れたように肩をすくめた。

 鍛冶場町も騒ぎは同じだったが、市場町と違うのは、どこか殺気立った雰囲気が溢れていたところである。特に鍛冶工房の集まる辺りでは、職人たちが銘々に自分で打ったと思しき得物を携えて、一升瓶なんか傍らに置いて、家の前に仁王立ちしているのである。


「みんな、何か怖いね」


 とムツキが言った。ヒイラギがふんと鼻を鳴らす。


「工房を壊されちゃたまらんからな。俺も閉じこもるつもりはねえ」

「ヒイラギさん、戦えるの?」


 とナルミが言った。


「試し切り程度だが、扱いはわかる。一匹二匹なら何とかなるだろうよ」


 衛士隊の詰め所や冒険者ギルドの支所周辺は、避難して来た町人らしいのが大勢たむろして、ヒイラギの屋敷の方へ向かうにつれて人も少なくなって行く。

 長い石段を上がり、魔獣の姿がない事を確かめると、アリスはホッと肩の力を抜いた。

 ひとまず屋敷の中に入る。出た時と変わっていない。ムツキが囲炉裏の埋火を掘り起こし、小割をくべている。

 ヒイラギが荒い息を整えながら前髪をかき上げた。


「久しぶりにあの石段を恨めしいと思ったぜ……」

「俺、敷地に結界張ってみる。ないよりはマシでしょ」


 とナルミは符を出して、結界の術式らしいのをしたため始める。カヤがそれを覗き込んで、自分の符入れを出した。


「七番結界ね! 手を貸してあげるわ、ありがたく思いなさい」

「いらねぇよ、別に」

「うるさい、つべこべ言うな!」


 カヤは有無を言わさずナルミの横に座り、自分も符に術式を書き始める。ヒイラギが呆れたように呟いた。


「仲が良いのか悪いのかわかんねぇな……」

「仲良しだよ」


 とムツキが言った。ナルミとカヤは同時に顔を上げた。


「どこがだ」

「どこがよ!」

「ほらね」


 二人は口を尖らして再び符に向かった。馬が合わないと思っていたけれど、その逆だったんだなとアリスはくすくす笑う。

 ヒイラギは立ち上がってたすき掛けをし、髪を束ね、頭に手拭いを巻いている。男装の麗人が勇ましく武装したという風にしか見えないが、実際は男なのだから、見ているアリスは何だかちぐはぐな気分になった。

 ムツキが湯呑を出しながら言った。


「ヒイラギにぃ、お茶淹れていい?」

「いいぞ」


 ヒイラギがアリスを見た。


「お前は少し休んでろ。棚に湿布があるから使え」

「はい。でもヒイラギさん、一人で大丈夫ですか?」

「別に命をかけるわけじゃねえからな。やばそうなら呼ぶ」


 ヒイラギは壁に掛けてあった剣を腰に差し、薙刀を持って外に出て行った。

 ひとまず着たままだったアサクラ家の羽織を脱ぎ、糸鋼の帷子も脱いだ。軽いとはいえ金属だから、脱ぐと解放されたような気分である。


「湿布貼ってあげる」


 とムツキが棚から湿布と塗り薬の壺を持って来た。着物をはだけ、背中や腰に貼ってもらい、腕や足の湿布を取り換える。ひんやりして気持ちがいい。

 ムツキはそのままアリスの肩をとんとんと叩いた。


「アンジェと何話してたの?」


 とムツキが言った。アリスはちょっと面食らう。


「え、むっちゃん、アンジェリンさんの事知ってるの?」

「知らない。でもミリィちゃんが教えてくれた」

「ミリィちゃん?」


 曰く、観客席の横にアンジェリンのパーティメンバーのミリアムがおり、彼女からあれこれと教えてもらった云々。アリスはなるほどと頷いた。


「なんかね、鋼の木の実の剣が欲しいんだって」

「打つの?」


 とムツキは目を輝かした。アリスは苦笑した。


「そうだね……イスルギに帰って……仕事は叔父さんの工房か鍛冶師ギルドを通してもらわないといけないから、それ次第かな」

「そうなの?」

「うん。そういう条件で叔父さんの工房に入れてもらったからね」


 野鍛冶の仕事は勝手にやっても構わないが、武器の製造に関しては自分の勝手にはできない。

 ムツキは不満そうにアリスの肩を揉んだ。的確にツボを押して来るので、アリスは思わず身悶えした。


「うぐおぉ……むっちゃん、そこ効き過ぎ……」

「おねぇ、やりたくないの?」


 ドキッとした。


「そんな事ないよ、頼まれればちゃんとやるつもり」

「……そう」


 ムツキはそれ以上は何も言わなかった。

 アリスはふうと息をついた。

 アンジェリンが生きた剣を欲しがっていて、どうもそれを自分に頼んでくれそうだというのに、アリスの気持ちは妙に盛り上がらなかった。


 どうして自分は武器なんか作っているんだろう。


 オオツキ家の仕事をし、それがジャグマに渡り、その武器を自らの手で壊した。

 今回の一連の出来事が、今までがむしゃらに剣鍛冶師として迷いなく邁進して来たアリスに、強烈な問いを投げかけて来た。

 これまでは、Sランク冒険者が鋼の木の実の剣を頼んで来たりすれば、その事以外考えられなくなるくらいに嬉しかった筈だ。

 それが今はそんな風に感じられず、尻込みさえしそうな感じだ。今までように、迷いなく武器が打てるような気がしない。他の鍛冶師は、皆どう考えているのだろうか。


 わからない。

 疲れているのもあって頭が回らず、それもあるからか考えが下へ下へと向かって行く。

 あまりよくないな、とアリスは頭を振り、元の通りに冒険者装束を着た。


 屋敷の中は雨戸が閉めてあるから暗いが、何かあればすぐに飛び出せるようにしよう、とアリスは一枚だけ雨戸を開けて、その傍に、外に向かって寝転がった。

 工房の前に椅子をおいて薙刀を携えたヒイラギが座っている。

 符に術式を書き終えたナルミとカヤが、工房や屋敷の裏や表に回って符を貼り付けている。符を貼った後に何か詠唱して、それで結界を起動させるようだが、そのやり方が二人で食い違っているのか、また何か言い争っているような形勢で、見かねたヒイラギが「いい加減にしろ」と怒鳴っているのが聞こえた。


「おねぇ、寝てていいよ。わたしが見てる」


 と縁側に腰を降ろしたムツキが言った。アリスはもそもそと身じろぎした。


「ありがと、むっちゃん。じゃあ、何かあったらすぐに起こしてね」

「ん」


 アリスは体を丸めるようにして目を閉じた。

 頭は寝ている場合ではないと思っているけれど、体は素直に休息を享受する。たちまち意識が遠のいて、アリスはすうすうと寝息を立てた。



  ○



 トゲツの町を二分する川は広く、大型船も遡上できるくらいの川幅があるが、その流れ自体は多少蛇行しており、水量が増えれば川になるが、干潮時などには地面が見えるような部分もある。

 河口部はそうでもないのだが、上流に行けばそういった差が顕著になる。今は満ち潮だが、ここから潮が引くにつれて地面が見えて来るだろう。その今でも、浅瀬は歩く事ができる。


 川の両端に冒険者と衛士隊とが陣取って、山手の方から黒い雪崩のように押し寄せて来る魔獣の群れを待ち受けていた。川の深い所には連結した舟をつなぎ、その上を徒歩で渡って行き来できるようになっている。

 河川敷のあちこちで魔獣を忌避する薬草が火にくべられ、濃い煙が魔法使いの起こす風に乗って流れて行く。

 まだトゲツの町から衛士隊や冒険者たちは集まっている最中で、戦力がすべて集ったわけではない。

 なるべくこちらの戦力が整った上で戦いの幕を切って落としたい意図があり、こうして威嚇行動を取って魔獣を寄せぬようにしている。


 その背後に陣幕が張られて、主だった顔ぶれが机を囲んで作戦会議の真っ最中である。

 サキト・オオツキが地図上の結界の線を指で示した。


「現在、この部分の結界を意図的に薄くしてある。つまり川の上流部、今見えている所だ。他の部分には魔法使いを向かわせて、魔獣忌避の結界を強化するよう指示している」

「つまり、他から意図的にここに魔獣を集めるという事だね」


 ミサゴ・ミナモトが言った。サキトは頷く。


「左様です」

「こちらの戦力はどの程度集まっているのかな?」

「Sランク冒険者を筆頭に戦力は十分揃っていますが……魔獣の数はどの程度だと?」


 腕組みしたマルグリットが口を開く。


「二百は下らねえ。それだって、おれらが目で見た分だけだからな。な、アーネ?」

「ええ。大きいのはわかりやすいですが、小さいのは数がわかりづらい。倍の数を想定しておいた方が間違いはないでしょう」


 栗色の髪の女が後を引き取って言った。ミサゴがふむと頷く。


「その見立てが間違いなさそうだね。アネッサ殿、マルグリット殿、あなた方の見た感じでは、どのような魔獣が多かったかね?」


 マルグリットは肩をすくめて栗色の髪の女――アネッサの方を見た。アネッサは思案顔で眉根を寄せた。


「クロマシラやグレイハウンドが目立ちましたが、ロックゴーレムの亜種のようなのも見受けられました。基本的には動物系で、精霊やアンデッドの類はあまりいません」

「では物理攻撃は十分に通るな。魔法使いにはロックゴーレムを優先させた方がよさそうか……あー、アンジェリン殿。よければあなた方パーティに冒険者の指揮をとってもらいたいのだが」


 とサキトが言った。椅子にもたれていたアンジェリンは顔をしかめた。


「わたしはそういうタイプじゃない。そういうのが得意な人は他にいるでしょ?」

「いない事はないが……自分より下のランクの者に指図されて不愉快ではないかね?」

「全然。というよりも混戦状態になっちゃったら指示するのもされるのも無理。最初からわたしたちには遊撃させて欲しい。仕事はちゃんとこなすから」


 ミサゴがからからと笑った。


「確かに、それが一番手っ取り早そうだな。それに冒険者は兵士みたいに隊列組んで動くのは無理だろう。それは我々衛士隊が請け負う事にするよ。いいかね、サキト殿?」

「いいでしょう。ではトゲツの衛士隊を二つに分けて、それぞれの岸で町に魔獣が入るのを阻止する事とする。あちら側の指揮はミサゴ様、あなた様にお願いしてよろしいでしょうか?」

「任されよう。失礼するよ」


 ミサゴは颯爽と陣幕の外に出て行く。

 その時外で鬨の声が上がり、ミサゴと入れ替わるように陣幕の中に衛士が駆け込んで来た。


「第一陣、戦闘開始いたしました!」

「なに、もうか!? 忌避行動は!?」

「しばらくは様子見をしていたようですが、一匹が向かい始めるとまるで雪崩を打ったように……」


 マルグリットがぱしんと拳を手の平に打ち付けた。


「瘴気で凶暴さが増してんだな。アンジェ、おれもう行くぜ。いいか?」

「ん、よろしく。雑魚はみんなに任せて、強そうなのからどんどん潰して」

「おうよ!」


 マルグリットはマントをひらめかせて飛び出して行った。

 アンジェリンは立ち上がって地図を覗き込む。横に来たアネッサが言った。


「わたしらも二手に分かれるか」

「そだね。わたしとアーネが向こう岸に行こうかな。こっちの岸はマリーとミリィに……ミリィ?」


 ミリアムは難しそうな顔をして地図を睨んでいた。アンジェリンははてと首を傾げた。


「どしたの」

「ここ、結界が壊れてたって書いてあるけど、修復終わってるのかな?」


 ミリアムが指さした所は、確かに最近地崩れが起こって、結界が壊れたと書かれている。

 サキトが目を細めた。


「ああ、先日ここからクロマシラが一匹侵入したが……その後すぐに修復はさせた。問題はない筈だが?」

「結界の装置は東方魔術ですか?」

「俺は魔法にはあまり詳しくないが、その筈だ」

「うーん、原理はこっちの魔法と一緒だとすれば……隣の装置まで点検したって言ってました?」

「そこまでの報告は受けていないが……」

「それがどうかしたの?」


 とアンジェリンが尋ねた。ミリアムは片付かない顔をしている。


「んー、結界って隣接する装置の規格が同程度の方がいいんだよね。だから一度に全部構築すればすごく安定するんだけど、時間が立って劣化した装置とかが混じってると、その部分だけ不安定になったりしちゃうわけ」

「なんだと? では町の結界自体がまずいという事か?」


 とサキトが焦ったように言った。ミリアムは慌てて首を横に振る。


「いやいや、その修復した所以外は問題ないし、普通の魔獣はそもそも忌避効果で近づかないんだけど、瘴気の影響が大きな魔獣は……んー、取り越し苦労かにゃー?」


 アネッサが弓の弦を張って、肩に担いだ。


「ともかくもう動こう。魔獣は待ってくれないぞ」

「だね。ミリィ、マリーのサポートよろしく」


 アンジェリンはそう言って陣幕の布を払って飛び出した。



  ○



 庭の真ん中に魔法陣が描かれ、その中で向き合うようにしてナルミとカヤが立っていた。


「準備はいい?」

「いいよ」

「じゃあ行くわよ、せーの!」


 とカヤは抜き身の剣を頭上に掲げて詠唱を始める。ナルミは胸の前で印を組みながら、カヤと同じ呪文を詠唱する。次第に魔法陣が輝き出し、その光がカヤの身体とナルミの手元に集まって行く。

 光がぐんと強まった所で、ナルミがさっと両手をカヤの方に向けた。ナルミの手に集まっていた光がカヤへと流れ、カヤの持つ剣先から光が一気に上へと立ち上る。

 上った光は途中で幾本かの筋に別れ、さっき二人があちこちに貼った符へと向かう。

 傘の骨のようになった光の筋の間を、薄い光の膜がつなぐようになって、やがてすべてが薄れて消えた。


 カヤが息をついて剣を下ろす。


「成功、よね?」

「多分ね」


 とナルミは足元の魔法陣を見た。魔法陣の術式が淡く明滅している。

 カヤが自慢げに胸を張った。


「どうよ! 手伝ってあげて正解だったでしょ!」

「まあ、どの程度効果があるかはわかんないけど……」

「ふん! いざ来てもわたしが一匹残らず退治してやるわよ!」


 とカヤはひゅんひゅんと剣を振った。

 ヒイラギが立ち上がってやって来た。


「やるじゃねえか。これで何事もなく済んでくれりゃいいが」

「そうだね。でも油断してると危ないよ」


 結界も万能ではない。大魔導クラスの実力者の結界であれば話は別だが、ナルミとカヤ程度の結界では、せいぜい魔獣を忌避するのに多少役立つくらいのものだ。壁のように魔獣を踏み込ませないような代物は技術も魔力も足りない。

 それでも、魔獣が来る確率が減るだけでも随分違う。


 ナルミは石段の方に行って、下を見やった。あまり騒ぎは聞こえて来ない。もし魔獣との戦闘が始まっていれば、そういった気配はする筈だ。

 カヤがうずうずした様子で言った。


「それで? 次はどうするの?」

「別にどうもしないよ。魔獣が来れば迎え撃つけど、とりあえず川の上流で魔獣が撃退された、っていう情報が入るまでは待ちだね」

「なによそれ、詰まんないわね」


 とカヤは不満げに顔をしかめる。


「面白くなくていいんだよ、こういうのは。それにあんた、姉さんを守るって息巻いてついて来たんだろ? 本当に守れるか知らないけど、そのつもりなら大人しくしてろよ」

「いちいち一言多いのよ、あんたは!」


 カヤはナルミを小突くと、ぷりぷりしながら縁側の方に大股で歩いて行った。

 お茶の支度をしていたムツキが両手をぱたぱたさせてそれを迎えた。


「カヤねぇ、凄いね。魔法上手だね」

「そうでしょ! まったく、あのひょろメガネは見る目がなさ過ぎだわ」


 カヤは縁側に横座りになって、座敷の中で寝ているアリスを見た。ぐっすり寝込んでいて、少し揺さぶったくらいでは目を覚ましそうにない。


「お姉さま、大丈夫なの?」

「うん。でも疲れてるから寝かせてあげて」

「勿論よ。わたしがいるんだから、朝まで寝てたって安心よ」


 とカヤはふんぞり返る。ムツキは目をぱちくりさせた。


「カヤねぇは、いつから剣の練習してるの?」

「十歳のお祝いに剣を贈ってもらったの。それからよ」


 カヤはナルミと同い年だから、三年から四年ばかりという事になる。


「強い?」

「そりゃもう! ……と言いたいところだけど」


 カヤはヒイラギの横に座っているナルミの方をちらと見た。何やら手元の符に何か書き込んでいる。縁側からは遠いので声は届かないだろう。

 それでもカヤはちょっと声を潜めて、言った。


「そりゃね、雑魚って事はないわよ? でも、お姉さまとか、剣術大会に出てた人たちを見ると、まだまだだなあって思っちゃう」

「ん」

「あーあ……どうすれば強くなれるのかしら。うちは貧乏だから剣の先生も雇えないし……お姉さまって師匠がいるの?」

「ううん。でも最初だけ知り合いの衛士の人に習ってた」

「後は独学なんだ……うー、わたしだって才能はある筈なのにぃ」


 カヤはごろんと縁側に寝ころんで足をばたばたさせた。ムツキは囲炉裏にかかっていた薬缶を持って来て、急須に湯を注ぐ。


「……んっ」


 ムツキは手を止めて上を見た。急須を置いて庭に出る。


「おにぃ、何か来た」

「ん?」


 同時にまるで揺れる水を通して見るように風景が揺れた。結界が歪んだのだ。

 ナルミは驚いたように立ち上がる。ヒイラギも薙刀を構えた。


「来たな」

「やっぱり駄目だったか……ムツキ、家ん中入ってろ!」


 ナルミは符入れから符を宙にばらまいて何か詠唱した。ひらひらと舞っていた符がぴんと立って宙に浮かぶ。


「カヤねぇ、魔獣!」


 ムツキは叫びながら屋敷に戻る。カヤはさっと中庭に降りて剣を抜いた。


「むっちゃん、雨戸閉めちゃいなさい! お姉さまは寝かせておいていいわよ!」


 ムツキが返事をする前に、中庭に魔獣が降りて来た。トカゲのようで四つん這いなのだが、前肢の腕には鳥のように羽が生えており、それで空を飛ぶらしい。亜竜の一種、ハネリュウゲである。

 ぎゃらぎゃらぎゃら、と不愉快な声を上げて、ハネリュウゲは目をぎょろぎょろ動かした。


「馬鹿なやつ! 挟み撃ちよ!」


 とカヤが剣を振りかざして斬りかかった。同時にハネリュウゲにナルミが放った符が直撃して炎を上げる。

 ハネリュウゲは驚いたように暴れて、カヤは驚いて足を止めた。


「ちょっと! タイミングが悪い!」

「そっちこそ無暗に近づくなよ、危ないぞ!」


 ナルミも言い返した。その頭にヒイラギが拳骨を落とす。


「こんな時に喧嘩する奴があるか!」

「いてぇ……」

「おい! 牙と爪もそうだが、尻尾に気をつけろ!」


 ヒイラギは薙刀を構えて、ハネリュウゲを威嚇した。刃先がきらめき、ハネリュウゲの方もげっげっと声を上げながら、警戒したようにじりじりと動いている。

 羽や鱗が焦げているが、大してダメージがあるようには見えない。

 数の上では勝っているものの、魔獣との戦いには経験のない者ばかりだから、どうにも決め手に欠ける。

 どのように対処したものか知らないし、こういった化け物を目の当たりにすると腰が引けるというものだ。

 ヒイラギがじれったそうに言った。


「お前ら、俺と一緒に威嚇してる場合か! こいつがまだ動かんうちに魔法使え!」


 ナルミはともかく、剣でじりじりしていたカヤもハッとしたように腰の符入れから符を取り出した。

 ナルミが怒鳴った。


「同時に行くぞ!」

「わかってるわよ!」


 詠唱し、符を放つ。両側から放たれた符は途中で燃えて、その炎が鳥の形になる。それがハネリュウゲの目に直撃した。

 悲鳴が上がり、ハネリュウゲがのたうって暴れる。

 様子を見ていたヒイラギが、ハネリュウゲの動きが鈍ったところを狙って薙刀を突き込んだ。刃先が喉を捉え、ハネリュウゲは断末魔の声を上げて倒れ伏した。


「……やったあ! やっつけた!」


 カヤが両腕を振り上げてぴょこぴょこ飛び跳ねる。ナルミはふうと息をついた。


「魔獣ってやっぱ怖いな……冒険者ってすげぇ……」

「据え物とは勝手が違うな……くそ、掃除が面倒だ」


 ヒイラギはぼやきながら薙刀を引き抜いた。


 その時、頭上からぎしぎしと音がした。

 ハッとして目をやると、クロマシラや、額から角を生やしたツノマカクといった猿の魔獣が、工房や屋敷の屋根の上からこちらを見下ろしている。


「ひいっ、なんでこんなに……きゃっ!」


 咄嗟にカヤが構えた剣を鋭い爪が打った。ハネリュウゲの別個体が何匹も庭に降りて来た。どれもこれも目が血走って、口元からは唾液が垂れて、何とも凶暴な雰囲気だ。


「こっ、このっ! このっ!」


 カヤが慌てて剣を振り回すと、ハネリュウゲはぎいぎいと鳴いて警戒したように距離をとり、周囲を取り巻くように視線を逸らさず動く。

 三人は背中合わせになって、じりじりと距離を詰めて来るハネリュウゲに冷や汗を掻いた。


「……こりゃまずい」

「なんでこんなにいるんだよ、町の結界は直したんじゃなかったの?」


 ナルミは困惑したように符を手に持つ。ヒイラギが眉をひそめる。


「そう聞いていたが……どうも役に立ってねえみたいだな」

「どうする、ヒイラギさん」

「駄目だ、こりゃ手に負えん。アリスを起こすしかない」

「悔しいけど、そうだね……」


 屋敷の雨戸はぴったり閉まっている。ナルミは大声を出した。


「ムツキ! 姉さん起こして! 魔獣が多すぎる!」


 だがナルミが叫ぶと同時に、ハネリュウゲだけでなく、屋根の上の猿の魔獣までもが一斉に飛び掛かって来た。


 駄目か、と三人が身構えた時、急に魔獣たちに流星のように矢が降り注いだ。

 物凄い威力で、飛び掛かって来る魔獣を吹き飛ばすくらいなのに、正確に頭や心臓を射抜き、射られた魔獣はどれも絶命している。


「間に合ったか? みんな怪我は?」


 誰かが中庭に飛び降りて来た。どうやら周囲の木の上にいたらしい。

 セミロングの栗色の髪の毛にトラベラーズハットをかぶっている。

 アネッサが立っていた。


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― 新着の感想 ―
>一度に全部構築すればすごく安定するんだけど、時間が立って劣化した装置とかが混じってると、その部分だけ不安定に なるほど……そうすると、全体を一つで囲うよりも、頑丈な構造物を起点に小分けにした結界を繋…
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