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蒼き剣のアリス  作者: 門司柿家
2章
19/30

十八.雪化粧の町は、そうでない時と違う


 雪化粧の町は、そうでない時と違う表情のように思われる。何だか家々がいっときに年を取ったみたいだ、と八歳のアリスは思った。

 砂利道は所々がぬかるんで、気を付けて歩かないとくるぶしまで汚れる。

 前を行く父の後を追いながら、アリスはおっかなびっくりといった風に右に左にふらふらした。


 往来を行くと、町の人々が挨拶して来る。ゲンザは軽く会釈して応えるばかりでにこりともしないが、人々は気にした様子もない。


「やあ親方、こんにちは」

「お買い物ですか。納品? それはそれは」

「おや、アリスも一緒かね。お父さんの手伝い? 偉いねえ」


 手には布に包んだ剣を抱えたアリスは得意げに胸を張った。

 今日は納品に出かける日だった。遠方からわざわざやって来た顧客からの注文だった。

 首尾よく仕事を仕上げ、品物を携えて宿へと向かおうとするゲンザに、アリスは荷物持ちをとせがんでついて来たのだ。

 父は相変わらず笑いもしなかったが、アリスに大事な品物を預けてくれた。名工である父の仕事の結果を持っていると思うと、何だかアリスは自慢げな気分だった。


「父さん」


 ゲンザが肩越しに振り向いた。


「どこまで行くの?」

「あと少しだ」


 歩みは緩まらない。アリスは遅れないように速足でその後をついて行く。

 やがて宿へと着いた。港の傍にある三階建てである。

 受付で案内を乞うゲンザの後ろで、アリスは物珍し気にきょろきょろと中を見回した。初めて入る所であるし、高級宿なのか、設えや調度品も高級そうだ。

 やがて二階の部屋に通された。畳敷きの広い部屋である。

 華族か貴族らしい中年の男がいた。ゲンザに促され、アリスは剣を男の前に置き、布を取った。


「おお……」


 男は剣を手に取ってすらりと鞘から抜き放った。直刀の片刃で、刀身には複雑な波模様が走っている。鋼の木の実の剣ではないが、良質の鉄を組み合わせた業物である。鋭く砥ぎ上げられたそれは、触れただけで切り裂かれそうな剣気を発していた。

 男は満足げに剣を収めた。


「見事だ。さすがは名工ゲンザ」


 ゲンザはにこりともせずに小さく会釈しただけだった。


 支払いの事や、剣の手入れの事などを話す大人たちを、アリスは傍らに控えながら眺めた。

 顧客は嬉しげである。

 いつか、自分もああいう風にお客さんを満足させてあげる事ができるだろうか。アリスはそんな風に思った。



  ○



 そこいらを覆っていた雪が段々と溶け始め、寒気は緩まっていないけれど、どことなく日差しが春の気配を漂わせて来た。まだまだ朝晩は氷も張るし、服や布団の数を減らせるわけでもないのだが、それでも人々は不思議と春が近いのを感じている。

 とはいえ、薄暗い工房の中は相変わらずだ。

 赤々と燃える炉の前に腰を降ろすアリスは、鎚を振り下ろして鉄を打つ。

 蕩けるような赤色に熱された延べ棒は、火花を散らしながら少しずつ剣の形へと延ばされて行く。ただ力を込めればいいというものでもなく、鉄の状態を鑑みながら適切な力で鎚を振らねばならない。


 打ち延ばされた鉄が剣の形へと変わるのも随分早くなった。

 火造りを終えた剣を裏に表にして見、アリスは立ち上がった。


「マキノさん」


 隣の炉に座るマキノに見せる。マキノはちらと剣を見て、そうして頷いた。アリスも頷き返し、焼き入れの工程へと移る。


 日々の仕事は繰り返しだが、繰り返すうちに覚え、感覚として身について来たものが実感できるようになって来た。手を抜く事はしないが、力の抜き加減を覚え、無暗に全力で当たる事も減った。最初から全開で行くと、いざ必要な場面に集中が切れてしまう事だってある。それで何度か失敗した事もあった。

 今でもマキノに検分してもらうが、さっきのように一瞥だけで良しとされる。いちいち見せなくていいとまで言われた時もある。

 認めてもらえて来ているのだろうか、と思うとアリスはちょっと嬉しかった。


 ここからまた次の段階があるんだろうか、とアリスは思う。

 自身の腕前は自負があるが、職人として生きる事に関しては入口にいるようなものだ。幼い頃には漫然と眺めていただけだった父がどうやっていたのか、今となっては気になる事ばかりである。

 とはいえ、ゲンザの仕事はさらに早かったように思う。決して手を抜く事はなかったが、無駄な力は一切入っていなかった。そうして、するべき事をすべて熟知して、的確にそれをこなしていたように思う。


 アリスはまだ手探りの部分も多い。基礎は十分だが、特殊な技術や工夫を取り入れるとなればまだまだ経験が足りない。そういった事も含めて、他者に判断を頼まずに済むようにならなければ、鍛冶師として独り立ちするのも難しいだろう。

 ともかく今は数をこなし、様々な武器や技術に触れて身に着けて行くしかない。


 焼き入れを済ませ、砥ぎの方に回し、アリスは工房を出た。

 薄雲が刷毛で塗ったように広がってはいたが、空は明るかった。その分寒気がしんしんと沁みて来るようで、汗で濡れた体がぐっと引き締まる。ふうと息を吐くと離れた所で白く漂った。

 マキノが隣にやって来た。薬缶をぶら下げている。


「ふう、汗掻くと余計に冷えるね。茶、どうだい」

「ありがとうございます」


 湯気の立つお茶をすすると、何だかホッとするようだった。


「仕事が早くなったじゃないか」

「そ、そうですか?」

「前にも言ったが、普段の仕事はいちいちあたしに見せなくたっていい。そういう仕事の時は言うよ」

「わかりました。でも、どうにも自分の判断だけじゃ不安で……」


 と言うと、マキノは苦笑いを浮かべた。


「あんたは気が強いのか弱いのか、よくわからん時があるね」

「いえ、しくじりたくないだけで……」

「まあ、別にいいけどさ。けど、自分の感性を信じられるようにならなきゃいけないよ。いずれ自分の工房に戻った時には、全部自分で判断しなきゃいけないからね」

「そうですけど……」


 もじもじするアリスを見て、マキノはふっと笑った。


「ま、何もかもあっという間にはできないもんだ。だからこそ練習と勉強が必要だ。天才だろうと凡人だろうとね」

「……マキノさんには、師匠はいたんですか?」

「まぁね。近所の小さな工房の爺さんだったよ。といっても、あたしは鍛冶師にこだわってたわけじゃなくて、ともかく手に職をつけたかったからってのが大きかったから、その職人が鍛冶師じゃなくて鋳掛師とか木工細工師だったら、そうなってたかもね」


 と言ってマキノは笑った。

 鍛冶師誰もがストイックに道を追求する者ばかりではない。生きる為の手段として選んだに過ぎない者も大勢いる。しかし、そういった者であっても、より収入を得る為に腕を磨く事は当然である。

 マキノはそういったタイプらしい。だから却って堅実な仕事を旨としている部分があり、不必要な冒険をしない。それが人からの信用を得るに至っているのだ。


「まあ、剣鍛冶に夢を見た事はないけど……そんなあたしにもゲンザ親方は凄い人に映ったよ。あの人の剣を見ると、自分ももっとなんて柄にもない事を考えたりしたもんさ」

「父と話した事は?」

「いや、ない。勿論見かけた事は何度もあったよ。だが緊張するもんでね。しかも無口な人だっただろ? おっかなくて、声なんかかけられなかったよ。家でもそうだったか?」

「愛想がいい時はありませんでしたよ。わたしも緊張する事が多かったけど……でも子ども心にも優しさみたいなものを感じてました。すごく不器用だったけど」

「そうかい」


 マキノはにっと笑い、立ち上がった。


「そろそろ炭を補充しときな」

「はい、わかりました」


 それでマキノは母屋の方へ行き、アリスは軒下で大きく伸びをした。


 小休止とばかりに腰を降ろしてぼんやりしていると、じゃくじゃくと日陰の霜柱を踏み折りながら、コテツがやって来た。


「おい」

「なに」

「来い」


 とコテツは傲然と顎をしゃくる。アリスは顔をしかめた。


「まだ仕事の途中なんだけど」

「お前の仕事なんぞ代わりはいくらでもいらぁ」


 嫌だけれど、一応雇い主である。何かしら別の仕事にかかわる用事である可能性も否めない。

 アリスはムスッとしたまま立ち上がった。

 事務所に行くのかと思ったら屋敷の方に連れて行かれた。

 はてと思っていると、通された座敷にユウザがいた。


「来たか」

「ユウザ叔父さん? 何か?」


 アリスは怪訝な顔をしたまま尋ねた。ユウザは座るように促し、それから手紙を一枚取り出してアリスに手渡した。


「わたしにですか?」

「読んでみろ」


 それで手紙を広げた。



  ○



  親父殿。


 長らく無沙汰をした。先日イスルギ衛士隊のミナモト殿が訪ねて来た。そちらの工房で買ったという剣を見せてもらったが、アリスが打ったのだと聞いた。いい出来だ。鋼の木の実の剣も打ったと聞いた。正直、少し嫉妬したよ。

 そのアリスがそちらの工房で働いているらしいな。どういう風の吹き回しだか知らんが、親戚同士の確執が多少なりとも解消されたのならば喜ばしい限りだ。


 今俺はトゲツの郊外で工房を持っている。大工房の下請けを中心としながら、個人でも依頼を受けるようになったが、それで少々難しい仕事を頼まれている。一人でするには少し手に余るが、助っ人がいれば心強い。

 そこでアリスを少し貸してはくれまいか。

 トゲツは大勢の職人がしのぎを削っている。腕のいい職人は枚挙に暇がないが、互いに競い合う相手であるだけに協力を頼める相手がいない。仲の良し悪し関係なく、同業は好敵手ばかりだ。借りを作ると後々響く。

 幸い資金には余裕がある。彼女の旅費や給金は用意できる。


 今の仕事が落ち着いたら、少し顔を見せに帰郷する事も考えている。その為にも、アリスの助力を乞いたい。彼女にその意思があるかどうか、尋ねてみてもらいたい。

 久々の手紙がこんな事で申し訳ないが検討願う。


  ヒイラギ拝。



  ○



 アリスは顔を上げた。


「これが、ヒイラギさんから?」

「どうだ。行く気はあるか」


 とユウザはアリスを見ている。コテツがつまらなそうに鼻を鳴らした。


「行くつもりじゃねえだろうな? ここの仕事を放り出して行くなんぞ、許されねえぞ」


 アリスはコテツを睨んだ。


「さっきわたしの仕事の代わりはいくらでもいるって言ったのはあんたでしょ」

「チッ……」


 コテツは舌を打ってふいと目をそらした。

 アリスは逡巡した。つい先日、味噌づくりの時に話したばかりだから、何だか不思議な気がする。

 行くとすれば、旅程も含めて最低ふた月は考えねばなるまい。ヒイラギの仕事を手伝う事になるならば短期間というわけにもいかないだろうから、み月になる事も考えられる。その間に家を空けておくのは少し不安だ。特に弟と妹だけ残して行くのは。


「……その、わたし一人でなければいけませんか?」

「なんだ、誰を連れて行きたい」

「えっと……ナルミとムツキを……」

「はっ、家族旅行かよ。お気楽なもんだな」


 とコテツが言った。アリスは唇を噛んだ。ナルミもムツキも仕事とは何の関係もない。自分の事情でしかないから、否を突き付けられればそれまでだ。

 ユウザは静かに言った。


「ヒイラギは、お前の事だけ書いている」

「そう、ですが……」


 アリスは俯いた。


「だが一人でなければいけないとも書いていない」


 アリスはハッと顔を上げた。コテツも目を丸くしている。


「親父!」

「だが、こちらがナルミとムツキの面倒まで見てやる義務はない。連れて行きたいなら好きにしろ。だが渡航費や滞在費は自分で何とかしろ。それが筋だ」


 ユウザはそれだけ言って煙草盆を引き寄せ、煙管に煙草を詰め始めた。

 アリスは予想外の事に一瞬呆けていたが、すぐに頭を下げ、嬉々として席を立った。


 足早に座敷を出て行くアリスを苦々し気に見送り、コテツは憤然とした表情で父を見た。


「どういうつもりだよ、親父。少しあの拾われっ子に甘いんじゃねえのか?」

「……お前も俺の跡を継ぐつもりなら、個人的な好き嫌いで物事を見るのを改めろ」

「ああ? あいつと仲良しごっこしろってのか? 冗談じゃねえぞ」

「そうは言っていない。だが、あの年にしてはアリスの仕事が確かなのは認めねばならん。工房の利益になる以上、ぞんざいに扱う理由も意味もない」


 ユウザは煙管を咥えながらコテツをまともに見た。


「俺やお前のように鍛冶の才能がない者は、ある者を上手く使わねばならない」


 コテツはカッとしたように立ち上がった。


「ふざけんな!」

「事実だ」


 ユウザは煙を吐き出した。コテツは畳をどんどんと足で鳴らした。


「俺だって努力はしてるだろ!」

「努力家も天才には敵わん。お前は自分が努力していると言うが、本物の天才は努力家が努力と思う事を努力と思わず、当然の事として消化してしまう」

「アリスが天才だってのか?」

「いいや、あいつは違う。だがひたむきで愚直だ。お前はそうはなれん。人の目を気にして夜中に鍛冶場に籠るようではな」


 コテツは歯噛みしながら拳を握り締めた。ユウザは目を細める。


「悪い事ではない。誰でもやり方がある。だがいいか、お前は俺の跡を継いで工房を動かして行かねばならん。それには鍛冶の才能は関係がない。アリスが愚直に鍛冶仕事に向き合えるのは、今の俺や、いずれお前が背負わねばならんものがないからだ。兄貴も同じだった」


 ユウザはそう言って煙管を灰皿に打ち付けた。


「ヒイラギは鍛冶師として独り立ちできるだけの腕があった。尤も、あいつに商才があるとは思えん。いずれはここに戻って来ざるを得ないだろう。そうなった時、あいつに仕事を回してやるのはお前の役目になる」

「俺は……」

「話は終わりだ。仕事に戻れ」


 ユウザはそう言って目を伏せ、咳を二つばかりした。

 コテツはしばらく黙っていたが、やがて乱暴な足取りで座敷を出て行った。


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コテツくんは御曹司のように見えても自分なりに真面目で、ちょっと屈折していて味のあるキャラクターですね。
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