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蒼き剣のアリス  作者: 門司柿家
2章
17/30

十六.底冷えがすると思ったら


 底冷えがすると思ったら、庭先が雪景色だった。雨戸を開けたアリスは、綿入れの前を合わせ直しながら白い息を吐いた。

 雨と違って雪は音がない。夜のうちに降るとそうと気づかない事も多い。


 初の積雪である。今年は遅いと誰もが言っていた。島の水源は限られるので、冬に雪がしっかりと降らなくては、翌年の畑や田んぼに差し支える。

 激しい雨は地表を流れてしまうが、雪はゆっくりと地面に浸透するので、地中の水分量の維持に一役買う。特に森の木々が水を捕まえ、それらがいずれは湧き水となって人々を潤すというわけだ。

 それなりに厚く積もってはいるが、かなり柔らかいので、日中に大半が溶けてしまうだろう。それでも今朝は日課の素振りもやれなさそうだな、とアリスは思った。


「雪だ」


 ムツキが嬉しそうにそう言って、草履をつっかけただけで庭に飛び出した。


「ちょっとむっちゃん、足が冷えちゃうよ」

「大丈夫」


 ほとんど裸足同然で庭を跳ね回る妹に苦笑しながら、アリスは台所に行ってかまどの埋火を熾した。炭を足して、火の点いたそれを座敷の火鉢に移す。

 ナルミが懐手をしながらのろのろと起きて来た。


「姉さん、おはよう。寒いね今日は」

「おはよ。うん、やっと雪が積もったよ。外真っ白」

「だね。かなり遅いよね、今年」

「そうそう。雪自体は降ってたけど、いつも積もる前に溶けてたもんね。でも一安心だ」


 アリスは火鉢の熾きに炭を足した。


「最近早起きだね、ナルミ」

「夜寒いから長く起きてられないんだよ。炭勿体ないし」

「ああ、そういうこと……」


 夜に火鉢の傍らで夜更かしするのがはばかられるようだ。尤も朝に布団から出るのも抵抗のある季節ではあるが、ナルミはそっちは苦にならないらしい。

 縁側から上がって来たムツキが火鉢に駆け寄った。


「ぬくい」

「あーあー、足が赤くなってる」


 とアリスはムツキの足を手のひらに包み込んだ。


「こしょばい」

「もう、冷たいなあ。ほら、こっちおいで」


 とアリスはムツキを抱き寄せて、自分の綿入れで包むように後ろから覆いかぶさった。

 手足は冷えていても、ムツキの体は温かい。肌もすべすべ、髪もさらさらなので、アリスはそのまま頬ずりするようにムツキを抱きしめる。


「んー、むっちゃんは可愛いなあ」

「うぎゅー」


 ムツキは姉のするがままになっている。ナルミは肩をすくめて台所に入って行った。

 朝食を済まし、諸々の家事を一段落させ、アリスは家を出た。いいお天気である。明け方はまだ雲の残っていた空は青く澄み渡り、照る日差しが雪に跳ね返って目に眩しい。


 工房も雪化粧であったが、既に溶け始めていて、軒からは水滴がぼたぼたと垂れていた。

 どうやら日中は気温が高くなりそうな気配である。今朝は雪でみんな出足が遅いのか、まだ鎚音も聞こえて来ない。

 いつものように自分の炉の前に陣取って、あてがわれた仕事に手をつける。今日は店売りの剣を作る予定だ。型も同じ、品質もなるべく同等のものを作らねばならない。

 前に衛士隊の剣を請け負った時と同じである。あの時は不慣れで少々手間取ったが、ここでふた月ばかり働くうちに、そういった仕事もかなり手慣れて来た。尤も、あの時と違って、ここには既に延べ棒になった材料が揃っている。折り返し鍛錬からしなくてはならない状況とはだいぶ違う。


 午前中に二本を仕上げて砥ぎに回し、昼休憩になった。

 外に出ると雪はほとんど解けて、日陰にうっすらと残るばかりであった。しかし朝には晴れ渡っていた空にはふたたび灰色の雲がかかり、ともすればまた雪でも降りそうな空模様である。だが雲がかぶさっているせいで却ってぼんやりと暖かいようにも思われた。

 今日はマキノの姿がない。休みだろうか。風邪を引いていなければいいな、と思いながら弁当を頬張っていると、コテツがやって来た。


「ここにいたか」

「なにか用?」

「仕事だ」


 とコテツはぶっきらぼうにアリスの前に依頼書らしいのを放り出した。

 アリスは手に取ってしけじけと見る。槍の穂先らしいが、刺突の為の先端の他に、分かれた部分が鉤爪のように手前に向かって湾曲し、根元の方は鎌のように刃を付けるが、先端は刃を付けるのではなく細長く尖らせるとある。


「……変な形状だね」

「冒険者からの依頼だ。戦闘に加えて採集に使える形状だとよ。武器以外のもんはうちは扱っちゃいないが、武器にも使うもんだし、野鍛冶のお前にはお似合いだと思ってな」


 アリスはムッとしてコテツを見返した。


「野鍛冶ってわけじゃないよ」

「まだやってんだろうが。剣鍛冶師の恥さらしがよ」


 とコテツは吐き捨てるように言った。アリスはぐっと押し黙って依頼書を懐に入れた。


「用が済んだらさっさと消えて」

「雇い主に生意気な口利くんじゃねえ」


 コテツはアリスを小突くと大股で去って行った。アリスは嘆息して青菜の胡麻和えを口に運んだ。

 コテツの言う通り、アリスは今でも時折自分の工房で野鍛冶の仕事をする事があった。

 鍛冶師ギルドやユウザの工房を通さねばならない仕事はあくまで剣鍛冶の仕事であり、野鍛冶は対象外だから契約違反にはならない。しかしそもそも剣鍛冶師が野鍛冶をするなどという事が、剣鍛冶師にとっては非常識な事なのだ。


 自分は剣鍛冶師として生きるのだと決めているアリスではあるが、今まで仕事を受けていた百姓や漁師から道具の新調やメンテナンスを頼まれるとどうしても断れない。大変な時期に助けてくれた人々が多いし、そんな人たちを相手にこれからは剣鍛冶師だから野鍛冶はやらないなどと言うのも憚られる。

 頼まれた仕事をして、鍬の使いやすさや鎌の切れ味、漁具の具合の良さなどを嬉しそうに言われるとアリスとしても悪い気はしない。そういう風に役に立てる事は素直に嬉しい。


 しかしそのせいで剣鍛冶師からは中々認めてもらえない。

 アリスは先達の鍛冶師たちに敬意を抱いていてはいるが、だからといって卑屈になろうとは思っていない。ゲンザの看板は重いままだが、自分の腕は他の職人と比べても遜色ないものだという自負はある。

 だからこそ余計に野鍛冶が自分の足を引っ張るようにも思われて、ここ最近は野鍛冶の仕事を持って来る人の事を憎々し気に思ってしまう場面もあった。その度にアリスはハッと我に返り、自己嫌悪に陥った。

 ゲンザが野鍛冶をやって、それでもブリョウ最高の剣鍛冶師と認められていたのは、まず剣鍛冶師としての名声があったからだ。ゲンザも若い頃は剣鍛冶一本で修行を積んでいただろうし、野鍛冶をするなどとそしられる場面もなかったに違いない。


 順序がめちゃくちゃになってしまっているんだ、とアリスは思った。

 生活の為に行い、そうして家計を助けてもらっていた野鍛冶が今となって邪魔者になりつつある。それが辛かったし、何よりも邪魔者だと思ってしまう自分の心が辛かった。

 だからといって、今すぐ何かしらの答えが出るわけではない。他人を黙らせるだけの武器を作る事が出来れば、野鍛冶云々と言われようが気にはならないだろうが、そこまでの技はまだ持っていない。


 耐えるしかない。今は耐えるしか。


 アリスは残った弁当を掻き込んで水筒の水で流し込み、立ち上がった。

 ともかく腕を磨こう。がむしゃらにでも仕事をこなして、工房やギルドの世話にならずに済むくらいの名声を手に入れる。そうすれば……。


「それで……どうする?」


 その頃には自分は何歳になっているんだろう。家庭を持つ事はあるんだろうか。ムツキやナルミは……。

 アリスは小さく首を振った。


「立ち止まってる場合じゃない」


 漠然とした未来の事を思い描いて足踏みしている場合ではない。

 アリスは発奮するようにぱしんと拳を手の平に打ち付けた。



  ○



 そこここの日陰に残る雪は汚れて灰色になり、溶けた雪と土が混ざった地面は踏むとぐしゃぐしゃして、泥が足に付いた。

 ひんやりとした空気は、吸い込むと胸の奥を突いて来るようだ。

 本の包みをぶら下げて通りを歩くナルミは吸った息を白く吐き出した。そこいらを行く人たちは誰もが口から白い息を漂わしている。

 イスルギの港周辺は賑わっており、ブリョウでも名だたる武器の名産地で良品を見繕おうとする冒険者らしいのが、武器屋の軒先に散見された。


 大陸は広く、様々な土地に様々な人種が暮らしている。生活様式や価値観も様々ながら、現在は大陸中を旅する者も少なくない。

 船による移動の方法が年々発達しているから、ブリョウの群島部にも外国人が増えて来た。


 通りの裏の、日があまり当たらない所に一軒の本屋がある。普通の本から魔導書まで雑多に取り揃えている店で、ナルミは何かとここに来る事が多かった。


「こんにちはー」


 戸を開けて入ると、所狭しと並べられた本棚の向こうにカウンターが見え、ナルミと同い年くらいの少年が顔を上げた。日焼けした肌に、黒髪を短く刈っている。


「お、ナルやんけ、久しぶり」

「あれ、ヨシキが店番? おじさんいないの?」

「外から本売りの船が来たちゅうて、商談に行っとる」

「サクラコさんは」

「姉ちゃんは親父のお供」

「マジか。じゃあそれが済んでから来た方がいいかな……」

「なんや、売るもんあるんけ?」

「うん、読み終わったので要らないやつ」

「そりゃ親父が来ねえとわからんなあ……あ、この前アカバネから仕入れた本があるで。魔導書もあった筈やが」

「え、見して」


 カウンターの後ろにガラス戸があり、開け放されたその向こうは畳敷きの上がり座敷になっていて、そこには分類されていない本が雑然と積み上げてあった。

 ナルミは膝立ちに上がり込んで、適当な本を手に取ってぱらぱらとめくった。


「この辺がそう?」

「多分……」

「何だよ、わかんないの?」

「俺、お前と違って本とかあんま読まんし……」

「本屋の息子としてそれはどうなのさ……まあいいけど」


 ナルミは呆れ顔で、魔導書らしいものを探して本をごそごそと漁った。

 かつて異端の大魔導ソロモンが大陸全土を支配した際、ほとんど強制的に言語が統一された為、方言的な多少の訛りや差異こそあれど、東のブリョウから西のローデシアまで、人々は意思の疎通が可能である。冒険者ギルドが国の枠を超えて存在できるのも、こういった部分が大きい。

 ブリョウは身分の分け隔てなく基礎教育を無償で受ける事ができ、読み書きと四則演算は基礎教養とされている。

 各地には公費で賄われる学び舎があり、大体十歳ぐらいまで子供たちは無料で勉強をする事ができる。

 それ以上の高等教育は安くない費用がかかる為、多くの人々は基礎教育だけだが、そのおかげで書類のやり取りや計算などができるから、様々な業種がより活性化していた。


 当然、ナルミもアリスもムツキも学び舎には通った。

 ヨシキはナルミの同級生で、在学中に遊んだり、勉強を教えたりしてやった間柄で、学び舎に行かなくなった今でも、こうして付き合いがある。

 とはいえ、ヨシキは本屋の倅でありながら体を動かす方が好きらしく、店番もあまり楽しそうではない。ナルミが来て何だが嬉しそうだ。


「最近どうしてん、お前。魔法の勉強しとるんか」

「してるよ。だから魔導書を見に来てるんだろ」

「そらそうだわな。魔法使いって資格とか要るんか?」

「別に要らないけど、身を立てるなら技術を身につけないと」

「へえ。身に付いとるか、技術?」

「まあそれなりには」


 ヨシキはあぐらを描きなおし、本を漁るナルミを眺めた。


「魔法ってあれやろ、何かもにゃもにゃ唱えて、ばーんって火柱上げたり雷落としたりするんやろ」

「そういう魔法ばっかりじゃないよ。衛士とか冒険者ならそうもなるけど、そうじゃない魔法使いもいっぱいいるから」

「冒険者ねえ。ナル、アリスさん元気かいな?」

「姉さん? 元気だよ。最近は外に働きに出てるし」

「外ってなんよ? 冒険者を沢山しとるっちゅう事?」

「違う違う、鍛冶。ユウザ叔父さんの工房に行ったり、そこから仕事もらったりしてる」

「へぇー、とうとうゲンザ親方の跡を継ぐっちゅう事かいね」

「さあね」


 ナルミは素っ気なく言いながら、魔導書らしい分厚い本をめくっている。ヨシキはナルミの事を気にせずに続けている。


「アリスさん、真面目で美人でええよなあ。あんな人が姉ちゃんなんて羨ましいで」

「外面だけだよ。家じゃひどいもんだぜ」

「え、そうなん? ひどいってどういう風によ。ナル、お前いじめられとるんか?」

「そういうわけじゃないけど、いつまでもこっちを子ども扱いしてさ、むやみやたらに抱き着いて来たり撫で回して来たり……風呂上がりに薄着でうろついたりするから、だらしなくて嫌になるよ」

「……え? 自慢?」

「ちがわい! なんでそうなるんだよ!」

「いや、だってお前、あんな金髪ないすぼでーな美人姉ちゃんが薄着で抱き着いて来るとか……今度お前んち遊び行ってええ?」

「来んな!」

「えー、そんくらいええやんけ、お前ずっこいのう」

「うっさい。大体お前が来たら姉さんは外行きの顔になるっつーの。そもそもヨシキにはサクラコさんがいるだろ。優しい姉さんじゃんか」

「ああー? 馬鹿言え、あんな人型魔獣。俺はいじめられとんのぞ。飯のおかず取られるし、雑用押し付けられるし、理由もなく殴られるし。知能が足りてねえくせに力ばっかり無駄にあるから手がつけられん。ああも乱暴だから男もできねえんだ」

「ほほー? 言うやんけヨシキ」


 別の声がした。ナルミとヨシキがぎょっとしてそちらに目をやると、セミロングの黒髪をうなじで束ねた少女が、日焼けした額に青筋を立てて仁王立ちしていた。ヨシキの姉のサクラコである。


「ね、ね、姉ちゃん、お早いお帰りで……い、いやー、今日もお美しい!」

「じゃかあしい! 誰が人型魔獣や、この山猿が!」

「うぎゃーっ、勘弁! 勘弁やでえっ!」

「あ、ナルミ君、ゆっくりして行ってなー。うちはこの猿を人間レベルに教育してやらにゃならんけ」

「ナル、助けてくれーっ!」


 ヨシキは喚き声を上げながらサクラコに引きずられて行った。

 ナルミが呆れ顔でそれを見送ると、入れ替わりに本を抱えたおじさんが入って来た。ヨシキとサクラコの父親である。


「おや、ナルミ。来てたんかい」

「どうも。行商が来てたんだって?」

「うん。魔法関係の本もあるで。見てみるかい」


 どさりと降ろされた本を、ナルミは物色した。店の外からはヨシキの悲鳴が聞こえていた。


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