十五.工房のあちこちから鎚音が
工房のあちこちから鎚音が響いている。
熱せられた鉄が叩かれ、鋭い音と共に延びて行く。薄暗い中で熱気がもうもうと立ち込め、職人たちの額には玉のような汗が浮かんでいた。
アリスは頭に手拭いを巻き、片手で鉄を挟んだ鋏を持ち、もう片方に持った鎚を勢いよく振り下ろした。心鉄と皮鉄の組み合わされた細長い鉄が、次第に剣の形へと打ち延ばされて行く。火造りの工程である。
しばらく手鎚で作業をした後、鑢やセンを使って細かく形を整える。そうして大方形のできた剣を裏にして表にして見たアリスは、傍らに置いてある見本の剣と見比べた。片刃の剣で、しかし長柄武器の刀身部分らしい事が窺えた。
アリスは立ち上がり、近くの炉に腰を据えていた職人に声をかけた。
「マキノさん」
四十半ばというくらいの女の職人は、日に焼けた顔をアリスに向けた。左の頬に火傷の痕がある。
「なんだ」
「火造りが終わりました。どうでしょうか」
アリスの打ち上げた刀身を見たマキノは、ふんと鼻を鳴らした。
「焼き入れて砥ぎに回せ」
「はい。そろそろ昼ですよ」
「わかってる」
アリスは会釈すると自分の炉に戻り、刀身に土を塗る。刃になる部分には薄く、それ以外の部分は厚めに。そこまで済ますと、土がある程度乾くまで待たねばならない。
丁度昼休憩の時間になりそうだし、一息入れようかとアリスはふうと息をついて立ち上がった。
工房の外は真珠色の空がかぶさっていた。もうじき正午で太陽は天頂に上っている筈だが、雲に覆われてしまっているせいで姿は見えない。空全体がただ明るいという感じだ。
港の鐘が響いて来た。正午を知らせる鐘である。
冬の乾いた寒風が吹いて来て、汗ばんだ体を容赦なく冷やす。上着を羽織ったアリスは身震いし、うっすらと白い息を吐きながら軒下の椅子に腰を降ろした。
「もう冬か……」
と呟いた。
○
時間はさかのぼり、これはキオウでの騒動が終わって少し経った頃である。自宅の工房の工事をしている最中に、アリスはユウザの工房を訪ねていた。
眼前には叔父が座っていた。最近は体が悪く、基本的には床に就いているとの事だが、こうやって相対するとそうはとても見えない。面長気味の顔立ちで額は広く、一目見ただけではゲンザとは似ていないが、よく見れば所々に面影があり、特に眉の形はゲンザによく似ていた。
「……うちで働きたいか」
「はい」
アリスは頭を下げた。ユウザは何を考えているのかわからない顔でアリスを見ている。
傍らにいたコテツが馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「なんだ今更。今まで散々こっちに迷惑かけておいて、厚い面の皮だな」
「コテツ、静かにしろ」
ユウザに言われ、コテツは苦々し気な顔で黙った。
「……どうして今になってここに来ようと思った? アリス」
「考えた末にです。父の跡を継ぐには、わたしはもっと色々な世界を見なくてはいけないと」
「まだゲンザの跡を継ぐなどと言っているのか」
「はい」
まっすぐにユウザを見返すアリスに、ユウザは目を伏せて嘆息した。
「拾われっ子とはいえ、やはり兄貴の子か……よかろう」
コテツが驚いたように目を見開いた。
「親父!」
「ただし、ゲンザの跡を継ぐ為の道程と考えるのはやめろ。お前は一介の職人でしかない。余計な事を考えず、目の前の仕事に集中するように。いいか」
「はい」
「それから、ここで働くという事は、お前は鍛冶師ギルドに所属する事になる。仕事はすべてギルドと工房を通して卸される。以降、自分で勝手に仕事を受けて武器を作る事は許さん。仕事が来たならばギルドか工房を通すよう依頼人に言え。いいな」
「……はい」
ユウザは、話は終わったとばかりに立ち上がった。
「コテツ、事務所に連れて行って手続きしてやれ」
「本気かよ親父!?」
コテツは食い下がるように言ったが、ユウザはそれを一瞥しただけで座敷を出て行った。
「……チッ!」
コテツはアリスを見て舌を打つと、くいと顎で立つように促した。
「来い」
アリスは立ち上がってコテツの後に続いた。コテツは不満げにぼやいている。
「くそ、何でこいつなんか……」
「……コテツ」
「あ?」
コテツは顔をしかめたまま振り向いた。
「あんたがわたしを嫌いなように、わたしもあんたが好きになれそうもないけど」
「あーあー、そうかよ。そりゃ願ってもないぜ」
「……でも、あの時、工房を貸してくれたのと、シガさんに砥ぎを頼んでくれた事、感謝してる。ありがとう」
コテツは面食らったように目を白黒させ、眉をひそめたまま前を向いた。
「礼なんぞ要るか。偉そうな口利くんじゃねえ」
まだぶつぶつ言っているコテツは、少し速足になった。アリスは肩をすくめてその後を追っかけた。
○
ユウザの工房で働く、というのはナルミにもムツキにも、ヤスハにまでも大反対された。
しかしアリスの意志は固かった。ともかく、このままではただ漫然と日々が過ぎて行く事になってしまうという事や、工房に勤めれば収入も安定するという事、一生そこで骨をうずめるのではなく、あくまで修行の為だという事などを丁寧に言い聞かせ、それで弟妹も幼馴染も納得してくれた。
それで工房に通うようになって、確かにアリスは着実に何かを得られていると感じていた。
ユウザの工房はさすがにイスルギ最大手とだけあって、仕事が途切れない。それも量産品だけでなく、特殊な形をした武具なども注文に入り、新しい技術を得る機会が多い。さらに自分の打ったものを検分してくれる先輩も多く、そういった点で安心感がある。
無論、良い事ばかりではない。
アリス自身が優れた剣士で喧嘩にも強いという事は知れ渡っているから、暴力的に突っかかって来る者はいないが、馬の合わない相手も多いし、コテツを筆頭にアリスの事を蔑みの目で見る者もある。
特にアリスが野鍛冶をしていた事を執拗に言う者たちには辟易したし、新参という事であれこれと雑用を押し付けて来る者もあった。
それでも、アリスはここで働く事を選んだのに後悔はしていなかった。自分の世界は確実に広がった。そう実感していたからだ。
弁当の包みを広げる。毎朝ムツキが作ってくれる弁当は量もたっぷりだ。
「相変わらず凄い量だな」
見るとマキノがいた。同じく弁当箱を下げている。
「しっかり食べないと体ができませんので」
「太らずにいられるのが大したもんだ。まあ、わたしらも体力仕事だし、剣も振ってりゃそうなるか」
冒険者としてダンジョンに出向く機会こそ激減したが、アリスは今でも朝夕の一人稽古は欠かしていない。
「マキノさんも結構な量だと思いますけど」
広げた弁当箱を見て、アリスは言った。アリスほどではないが、マキノの弁当も中々の量である。
「腹が減っては戦はできぬってね」
とマキノは笑った。
この女鍛冶師はユウザの工房でも中堅どころの立場にいた。仕事は丁寧で確実だが、打つ武器に個性があるわけではない。しかしマキノはそれを求めている風ではなかった。
家族を養う母親でもある彼女は鍛冶を自己表現と捉えず、あくまで仕事だと割り切っているところがある。だからこそ、単純な技術的な面においては信頼できる相手であるし、何よりも鍛冶をあくまで仕事としてしか見ていないから、野鍛冶を見下していない。
作業する炉が近いというのと、面倒見のいい性格とで、いつの間にかアリスはマキノにあれこれと頼るようになっていた。
マキノもぶっきらぼうながらそれに応えてくれ、彼女の仕事の時に向こう鎚を握る機会も増え、今ではこうして昼食を共にするくらいに仲良くなっている。
昼休憩に出て来た職人たちが、ぞろぞろと外に出かけて行く。アリス達のように弁当を持参する者もあれば、外に出て屋台や振売りで済ます者もある。この工房は町に近いので、多くの職人は外で済ましていた。
「家族は元気かい」
とマキノが言った。
「はい。わたしがここに出ている分、家の事を色々やってくれて……ありがたい限りですよ」
「支え合う相手がいるのはいいもんだ。あたしも家族がいるから頑張れる」
「わかります。マキノさん、お弁当は自作ですか?」
「いいや、最近は息子が作ってくれる。何でも料理屋に入りたいとか言ってね、練習がてら作ってくれるんだ。ちょっと味見してくれよ、感想が聞きたい」
そう言って、マキノは煮しめをいくつかアリスの弁当箱に入れた。
「どうも……あ、おいしい」
「そうかい」
「はい。上品な味付けですね」
「あたしはもっと濃くていいんだが。汗も掻くし」
「それはそうかも知れませんね……でもわたしは好きですよ」
「ふん、そうかい」
素っ気ない物言いだが、息子が褒められるのは嬉しいらしく、マキノの口端は緩んでいた。
アリスはふふっと笑い、芋に味噌を塗ったのを頬張った。
「そういやあんた、下請けの仕事も来てたね。明日はどうするんだい」
とマキノが言った。
「んぐ……家で仕事をしようかと。なんだかんだ言って、使い慣れた工房ですから」
「材料やら燃料やらが足りなけりゃすぐに申請しな。頼んですぐ来るもんじゃないからね」
「はい」
工房の見習い職人として入った者や、独立した工房を持たない職人は、ここの作業場に毎日通って仕事をするが、自らの工房を持ちつつもユウザの工房で働く鍛冶師には、ここには姿を見せず自宅の工房で作業をするという者もいる。
アリスは契約の段階で、ユウザの工房直営の武器屋で売るものを作る以外に、個別製造依頼下請け業務の契約を結んでいる。
特殊加工のものや、特別な材料を使うものなど、店頭に並ばないものを作る仕事を工房から卸されて、それをこなして納品するという仕事だ。
個人の工房を持つ鍛冶師の多くがその契約を結んでおり、自分の工房で作ったものをユウザの工房に納品している。
アリスも半ばそういった契約だが、自らの修業という意味合いもあるので、なるべく積極的にここに出向いて仕事をした。工房の維持管理が面倒だといって、自らの工房を使わずにここに通って来る鍛冶師も多いので、それに関しては別に奇異の目で見られてはいない。
修行というのを念頭に置くならば、毎日他の鍛冶師に囲まれて仕事をした方がいいが、どうしても生活はついて回る。
畑や田んぼの面倒を見る必要もあるし、掃除や洗濯もある。
ムツキとナルミが分けもってくれるとはいうが、自分の都合で負担を押し付けるのは気が引けたし、弟の魔法の勉強の時間を取ってしまうのも嫌だった。
そういうわけで、半分はユウザの工房、半分は自宅の工房で仕事をするようになってふた月近く経つ。台風とキオウの件のごたごたで荒れてしまった工房も、近所の人たちの助けで使える状態に復旧した。今は前の通りに仕事をする事ができる。
ストイックに道を求めるというのとは程遠いけれど、昔よりは武器を打つ機会が増えたし、製作物を検分してくれる相手がいる。数をこなすのも確かに成長に必要な事だと思い知った。
もしユウザの工房だけでしか作業をしてはいけない、という契約であれば少しつらくなっていたかも知れない。
だが時には自らの工房に戻って、きょうだいの手を借りながら仕事をする時間も取れるから、それが良いバランスを保てているのかも知れなかった。
ユウザはこの辺りの感覚が上手く、鍛冶師を強硬に囲い込むような事をしない。基本的に鍛冶師の自由意思を尊重しつつ、適度にサポートしつつ義務を与え、そうして利益をきっちりと自分の所に流れるようにしている。
苦手な叔父だが、商売の感覚は父より優れているな、とアリスは感心したものだ。
昼休憩を終え、午後の仕事も済まし、アリスは帰路に就いた。明日からしばらく自宅で仕事だ。素延べか火造りの段階でマキノかシガ辺りに意見を聞きに来る必要があるかも知れないが、慣れた自分の工房での仕事は気楽なものである。
もう辺りは暗い。随分日も短くなった。
市場で買い物をし、稲刈りの済んで平らになった田んぼのわき道を上る。大豆の収穫も終わり、虫の声ももうまばらになって来た。
「ただいま戻りました」
玄関でアリスが言うと、ムツキが座敷からひょこっと顔を出した。
「おかえり、おねぇ」
「ただいま、むっちゃん。油揚げと鰯買って来たよ」
「ん。お風呂沸いてるよ」
「わ、ありがと。じゃあぱぱっと入っちゃおうかな」
アリスは買って来たものをムツキに預け、風呂場に行った。
服を脱ぎ、首のペンダントを外す。アリスがこの家に拾われる前の唯一の持ち物のペンダントには、主神ヴィエナの紋章が彫られている。
外に仕事に行くようになってから、アリスは何となくお守りのような気分で、このペンダントを首から下げて行くようになっていた。
熱い湯に浸かると、一日の疲れが溶けて流れて行くように思われる。アリスはぎゅうと目をつむって気持ちよさげに唸った。
水を汲んだり火を焚いたりと面倒なので毎日沸かすわけではないが、こうして入るといいものだと思う。弟と妹が何度も井戸と風呂場を行き来してくれたのだと思うとありがたかった。
一人で膝を抱えたらぎゅうぎゅうになるくらい小さな風呂釜だが、実に気持ちがいい。
ずっと幼かった頃は、きょうだい三人で無理やりに風呂釜に詰まった事もあったな、と何だか懐かしい気持ちになった。
出て、体を拭いて、着替えを持ってこなかった事に気づいた。
汚れたのをそのまま着るのは嫌なので、アリスはタオルを巻いて廊下に出る。台所から音がするから、ムツキはそっちにいるだろう。
「お風呂ありがと、むっちゃん。今朝洗った姉さんの襦袢もう乾いたかな?」
と台所に顔を出した。菜っ葉を刻んでいたムツキが顔を上げた。
「畳んで、置いたまま。座敷にある」
「わかった、ありがと」
それで座敷に行くと、ナルミが本を読んでいた。
「ただいま、ナルミ」
「ああ、おかえり……うわっ」
顔を上げたナルミは嫌そうに顔をしかめた。
「そんな恰好でうろつくな!」
「えー、いいじゃない別に。家でくらいくつろがしてよー」
「うるさい! さっさと着ろよ、だらしないんだから、もー……」
ナルミはうんざりしたように言った。アリスは肩をすくめる。
「はいはい思春期男子さま。そろそろ晩御飯だよ」
「ったく……たまに風呂なんか焚くとこれなんだから……」
ナルミは顔をしかめたまま再び本に目を落とす。アリスはくすくす笑いながら襦袢を拾って風呂場に戻った。
食器を持って入って来たムツキがぼそっと言った。
「おにぃ、スケベ」
「な!」




