十四.視界が明瞭になってから意識が
視界が明瞭になってから意識が覚醒するまでに少しばかり差があった。アリスは寝かされた寝床の上で身じろぎした。
疲労していた体に柔らかな布団が心地よく、本能のままにまどろみに身を任せようとしたが、不意に理性が持ち上がって来て、アリスは跳ね起きた。
「わたし……寝ちゃったのか」
夜は明けていた。光の加減からして、まだ朝になったばかりという風だ。体の節々にまだ疲れが残っているらしく、アリスは嘆息した。
寝息が聞こえるので見ると、近くで座布団を枕にカンナが寝息を立てていた。傍らに水の入った木桶が置いてある。
気づけば、どうやら額に乗せられていたらしい濡れ手拭いが膝の上に落ちている。ここに寝かされて、カンナが傍についていてくれたようだ。
アリスはほうと息を吐いて、再びぱたんと横になった。
思い起こせば夢の中の出来事のように思う。嵐の最中にカンナが現れ、仕事を頼まれ、ノロイを退け、ユウザの工房で剣を打ち、息つく暇もなく荒れた海を越えてキオウへと向かって、悪路を進みつつ魔獣と戦った。
あまりに怒涛の勢いで物事が起こると、頭の方がイマイチ追いつかない。あれだけ目の前で確かに起こった事でさえ、今は奇妙に隔たった記憶として浮かんだ。
「……そうだ、ナルミ!」
アリスは再び体を起こした。衛士たちと一緒に船に残った弟はどうしたのだろう。
カンナがふみゅふみゅ言いながら寝返りを打った。アリスはそれを揺すぶった。
「カンナさん、カンナさん」
「んん……」
カンナはぐーっと伸びをして、目を開けた。
「アリス様……アリス様!?」
がばっと飛び起きてアリスの手を握った。
「大丈夫ですか!? あの後ずっと眠ったままで……お怪我は? 頭痛がしたりはしませんか?」
「わたしは大丈夫です。あの、船は大丈夫でしょうか? ナルミの事が気になって」
「船……ああ、衛士隊のですね。封印が戻ってすぐにコノハ様たちが様子を見に行って、無事が確認されたそうです」
アリスはホッと胸を撫で下ろした。
「よかった……これでひとまず終わったんですね」
「はい。本当に、アリス様にはなんとお礼を申し上げてよいか……」
カンナは兎耳をぺたんと伏せて、ぎゅっと目を閉じた。今になって感情が溢れて来たという感じである。震えている肩を、アリスは優しく撫でてやった。
そこに廊下を踏む音がして、ミサゴがひょっこり顔を出した。
「おや、起きたかねアリス。まだ寝ているかと思ったよ」
「ミサゴさん、ご無事で」
「はっはっは、ボクもそう簡単にやられりゃしないさ。しかしお手柄だったようじゃないか。トラジ殿は随分へこんでいたよ」
何でも、トラジはパーティメンバーからしこたま怒られて、返す言葉もないままむっつりと黙り込んでいるらしい。アリスは頭を掻いた。
「いや、トラジさんが悪いんじゃないんです。わたしがもっと上手くやれていれば」
「今になってそういうのは言いっこなしだ。さて、腹が減っていないか? 食事の支度があるそうだから、眠くなければありがたく呼ばれようじゃないか」
それで連れだって部屋を出た。多少足はふらつくけれど、歩けないほどではない。
ここはあの巨木に設えられた屋敷だった。渡り廊下や小部屋を抜けて行くと、座敷のような所に出た。木の床の上に筵が広げられていて、冒険者や守り人たちが銘々に座ったり寝ころんだりして体を休めている。握り飯に猪肉の汁、魚の干物や種々の漬物などが振舞われていた。
アリスも遠慮なくぱくついていると、コノハが駆け寄って来た。
「アリスさん」
「あ、コノハさん」
「この度は本当にお世話になりました。さすがはゲンザ殿のご息女だ」
「いえ、そんな……船の様子を見に行っていただいたそうですが、ナルミは……弟はどうしていましたか?」
「ああ、わたしが訪ねた時には眠っている様子でしたので、お連れはしませんでしたが、特に怪我などはしているわけではないそうです」
「そうですか……よかった……」
ナルミも気が高ぶっていたのか、アリスがユウザの工房に籠っている最中も寝ていなかったらしい。それが今になって出て来たのだろう。
そういう点では、ミサゴもあまり寝ていない筈なのだがぴんぴんしている。
鍛え方が違うのかな、とアリスは握り飯を頬張った。
「アリスちゃん」
そこにトラジのパーティメンバーがやって来た。申し訳なさそうな顔をしている。
「悪かったねえ、あの馬鹿が」
「ほら、なに不貞腐れてやがる、直接謝んだよ!」
頭をひっぱたかれながら、トラジがむすっとした顔でやって来た。
アリスは口に入っていた握り飯を慌てて飲み下して立ち上がった。
「んぐ……トラジさん、この度は」
「……すまなかった。Sランク冒険者にあるまじき失態を見せたな」
トラジは深々と頭を下げた。アリスは却って恐縮して頭を下げた。
「いえ、そんな事はないです。トラジさんがあの剣を振ってくれたから、あの蜘蛛も素早く倒せたわけですし……ああでなければ封印地に辿り着くのももっと手間取っていたと思います。そうなったら本拠地だってどうなっていたかわからないし……」
口から出るままに喋るアリスに、トラジはバツが悪そうに頭を掻いた。
「……娘みたいな年のにフォローされちゃ余計に面目が立たんな」
「あっ、すみません、そういうつもりじゃ……」
「だがアリスが言うのも事実だ。正直、本拠地もかなりギリギリの戦いだったのでね」
とミサゴが猪汁の椀に箸を突っ込みながら言った。
アリス達が封印地へと出発してから、魔獣の攻撃は苛烈さを増した。壁越しの戦いも限界に近く、ミサゴは冒険者を中心に門から打って出、魔獣を相手に剣を振い続けたらしい。
最初は勢いもあって押し気味だったが、減らしても同じだけの数が再び寄せて来る魔獣相手に、次第に押され気味になって来た。
「それでまあ、退却の潮時かと思った時に封印地の方からパッと光が走って来てね。それに照らされた魔獣はみんな溶けるみたいに消えたよ。瘴気も薄れて、息苦しさもなくなって……それで、ああ封印に成功したんだなと思ったわけさ」
とミサゴは猪汁をすすった。アリスはトラジを見た。
「ね? だからトラジさんが悪いわけじゃないんですよ」
「……敵わんな、お前には」
珍しくトラジが苦笑を浮かべてどっかりと腰を降ろした。アリスもホッとして腰を降ろす。
トラジが湯呑を手に取りながら呟くように言った。
「言い訳に聞こえるかも知れんが……あの剣にも悪意があったわけじゃない。ただ、若かったんだろう。自らの力を過信していた。そうして本当に魔王を倒せると思っていた。そして島を守るんだと……俺の中の未熟な、若い気持ちがそれに感応して引っ張られちまった。剣士が剣に引っ張られるなんぞ情けない話だ」
「……心鉄に、古い剣を使ったんです。父が打って、ずっとここで封印を守っていた剣を」
「ゲンザの剣か」
「はい。ボロボロになって、意思がなくなりそうになっても守ろうという気持ちが強かった。それが……変な方向に働いてしまった側面もあったのかも知れません」
「難しいものだな、鋼の木の実は」
トラジはそう言って白湯をすすった。
「守ろうという純粋な心でさえ、時には妄執となってしまうのだね」
別の声がした。見ると微笑みを浮かべたミクリヤが立っていた。
「ミクリヤ様」
「うん」
ミクリヤはにっこり笑い、部屋の中の冒険者たちに頭を下げた。
「皆さん、この度はありがとう。おかげでキオウは救われた。守長ミクリヤの名において、相応の礼をする事をお約束する。今はひとまずゆっくりと体を休めて欲しい」
「そんなら酒の一杯も欲しいトコだがなぁ」
「お酌してくれよ、ミクリヤちゃん」
「エルフの酌で飲んだなんていい土産話になるからよ」
と冒険者たちがいたずら気に言った。ミクリヤは苦笑いを浮かべた。
「そうしたいのは山々だが、守り人の掟で飲酒が禁じられているせいで酒自体がないものでね。礼ははずむから、それは帰ってからの楽しみにしてもらいたい」
冒険者たちは「しょうがねぇなあ」などと楽しそうに言いながら、再び食事に舌鼓を打った。ミクリヤはにっこりと笑って座敷を出て行った。
腹がくちくなったアリスは水を飲み干すと立ち上がった。カンナが目をぱちくりさせた。
「アリス様、どちらへ?」
「歩いて来ます。少し外の空気を吸いたいので」
それで外に出た。もう日はすっかり上り、穏やかな秋の日差しがそこいらに降り注いでいた。
明るい所で見ると緑は褪せ、赤や黄色に染まろうとしている木々が多いのがよくわかる。大きく息を吸うと、しっとりと湿気を帯びた空気が肺を満たした。
足の向くままぶらぶらと歩いていると、池に出た。
周囲の地面は苔に覆われて、向こうにごぼごぼと清水を吐き出す岩があって、冷たく澄んだ水が湛えられている。
そのほとりにミクリヤが立って、水面を見つめていた。
何となく声をかけるのがはばかられて、アリスはしばらく突っ立っていた。するとミクリヤが振り向いてにっこり笑った。
「いい所だろう? わたしのお気に入りの場所なんだ」
「美しい場所ですね」
「そう思ってくれると嬉しい。靴を脱いでごらんよ。気持ちがいいから」
見ればミクリヤも裸足である。
では、とアリスも素足になって苔を踏んだ。しっとりと冷たく、くすぐったいような感じだが確かに心地よい。
アリスと並ぶと、ミクリヤは本当に子どもにしか見えない。背丈もムツキと同じかそれより低いくらいだ。
アリスはそのまま池のほとりにかがんで、水をすくって顔を洗った。気持ちが引き締まるくらいに冷たく、すっきりする。
「ふう……」
「本当に大儀だった。改めて礼を言うよ」
「恐縮です。けれど、もっと上手く打てたんじゃないかと、そんな事を思ってしまいます」
「その答えは誰にも出せない。人間である以上、完成形などありはしない。行き着く時は、終わりの時だけだろうね」
とミクリヤは水にちゃぽんと素足を浸して「うー」と言った。
「はあ、部屋にこもりっぱなしの座りっぱなしだったから、実に爽快だ」
アリスもミクリヤに並んで足を水に浸した。どこかまだ火照っているようだったのが落ち着くような心持である。
「ミクリヤ様、封印の剣は、父が打つ前は誰が?」
「ゲンタツだ。その前は……どうだったかな。だがイスルギの鍛冶師だ。どれも実の剣だよ。あなたはその系譜に連なったというわけだ」
とミクリヤは笑った。
アリスは後ろ手を突いて上を見た。池にかぶさる木々の隙間から、木漏れ日が目にちらちらした。
「……わたしは父の跡を継げるんでしょうか」
「継げないと思うかね」
「いえ、そう思ったりはしていません。けれど、父の仕事を知る人々の目は厳しいんです。トラジさんも、まだわたしの腕を完全に認めてくれたわけではないでしょうし」
「あなたはゲンザになりたいのかい?」
「……父のような剣が打ちたいとは思っています」
ミクリヤは水から足を出して、土踏まずの所を指でぐいぐい押した。
「あなたは決してゲンザになれない。ゲンザが決してあなたになれないように」
「それは……そうです。でも、わたしは父自体になりたいわけじゃない」
「けれど、あなたを見ているとどうしてもゲンザの代わりをしなくてはいけないと思い込んでいるように感じる。背中を追って、どうしても同じ道を行かねばならぬと」
「……そう、かもしれない。わたしは父から技術をきちんと学びきれなかったので」
ミクリヤは再び足を水に浸した。
「アリス。色んな世界があると言っただろう? そして色んな道がある。ゲンザは道ではなく場所を示してくれたのではないかね? だとすれば、そこへ至る道は決して一つではない筈だ。背中を追ってばかりではいけない。自らの道を歩んでも、ゲンザのいた場所を目指す事はできる筈だよ」
アリスはミクリヤを見た。ミクリヤは苦笑して頭を掻いた。
「っと……いやはや、年寄りは説教臭くていけないね。まあ、戯言だと聞き流しておくれ」
「いえ、そんな事……違う道か」
最近漠然と考えていた事に、何だかどんどんと背中を押されるような気持ちだ。
ゲンザと同じように孤高の存在でいようとしても、それは難しい。前にトラジが言っていたように、ゲンザもかつては他の工房で修行をしたという。
今、一つの分岐点に立っているような気がする。父を師にと、数少ない教わった事を工夫しながらやって来たが、少しずつ限界が見えて来た。
家族はかけがえのない宝物だ。同時に、鍛冶師としてやっていくという自分の意志も大事なものだ。
考えるんだ。本気で考えろ。
アリスはばしゃっと足を跳ねさして、向こうに水滴を飛ばした。
「ありがとうございます、ミクリヤ様。少し、道筋が見えた気がします」
「おや、そうかい? 年寄りと釘頭は引っ込むがよしなどと言うが、お役に立てたならよかったよ」
「お若いですよ。ミクリヤ様は」
「そりゃ見た目の話だろう。ふふ、ちょっと元気が出たかい」
「ふふ、おかげさまで」
アリスは水に足を浸けたままごろんと横になった。
柔らかな苔の感触が気持ちよく、アリスは両腕を伸ばしたまま目を閉じた。
○
アリス達が出かけている間、ムツキは家を片付け、雨戸を直し、荒れた畑や庭先を整えた。
十一の娘が一人は不安だと、留守番の間はヤスハがずっと泊まり込んであれこれ手伝っていたが、くるくる働くムツキの勢いに、多少くたびれ気味の顔をしていた。
「むっちゃん、ちょっと休もうよー」
「これ終わったら」
とムツキは集めた落ち葉を畑の隅に運んで行った。
二人は縁側に腰を降ろし、屋根に大穴の開いた工房を眺めながらお茶をすすった。
「工事、いつから?」
「んー、父ちゃんは早めにできるようにするって言ってたけど、具体的な日にちは聞いてないや」
「直してあげないと、おねぇがお仕事できないね」
「そうだね。アリスも剣鍛冶仕事が来そうだって張り切ってたし……むっちゃんもそれで張り切ってるの?」
「おねぇ、わたしとかおにぃの為にやりたい事できてないから」
とムツキは切り分けた柿をかじった。ヤスハはふむと腕組みした。
「そうかも知れないけど、むっちゃんとかナルちゃんの為に何かするのも、アリスにとってやりたい事だと思うよ」
「おねぇはもっと剣を打つべき。わたしもやりたい」
「え? むっちゃんもゲンザ親方みたいに鍛冶師になるの?」
「ううん、おかぁみたいになりたい」
「シヅさんみたいにって……」
とヤスハが首を傾げた時、ムツキがぱっと立ち上がった。そうしてぱたぱたと庭の外に駆けて行く。
「むっちゃん、どうしたのー」
とヤスハが言うのも構わず、ムツキは家の前の下り坂の所まで出た。そのまま坂を駆け下りて行く。
後からやって来たヤスハがおやおやという顔をした。
「わ、帰って来た」
坂の下からやって来るアリスにムツキは飛びついた。
「おかえり、おねぇ」
「おっとぉ! ただいま、むっちゃん。留守番ありがとね」
そう言ってアリスはムツキを抱き上げて頬ずりした。ムツキは嬉しそうにアリスを抱きしめる。
ナルミが嘆息した。
「お前はいっつも元気だなあ」
「おにぃ、どうだった? 戦った?」
「俺は戦ってないよ。船動かす手伝いしただけ」
「なぁんだ」
「何だよ、その顔は。いいだろ別に」
とナルミはムスッと口を尖らした。
アリスがくすくす笑って、ムツキを抱き上げたままナルミも抱き寄せた。
「ナルミのおかげで順調にキオウまで行けたよ。頑張ったもんね、ナルミー」
「撫でるな! もう、さっさと家に帰ろうよ……」
きょうだい三人、坂の途中でわちゃわちゃしている所に、ヤスハがすたすたとやって来た。
「おかえりー、大丈夫だった? 怪我してない?」
「ああ、ヤスハ。何とか無事だったよ。こっちは変わりなかった?」
「うん。むっちゃんが張り切って掃除して、必死に手伝ったわたしはくたくただよー。お礼を期待してますぞー」
「あはは、わかった。今度ご飯食べ行こ。依頼料、すっごく弾んでもらったから、工房の修理費も出そうだよ」
剣の製作に加え、キオウでの戦いの分も支払いがあり、アリスの懐はかなり温かくなった。今回参加の冒険者たちは勿論、衛士たちにも臨時ボーナスが支払われたとかで、参加者はみんなほくほく顔である。一体どこから予算が出たのかというくらいで、ミクリヤと何か話していたミサゴは何とも片付かない顔をしていたが、自分がしゃしゃり出る場面でもない、とアリスは特に何も聞かないでいる。
ムツキがアリスの背中の方におぶさった。
「よかったね、おねぇ」
「うん、色々あったけどね。それに、ちょっと考えてる事があるんだ」
「なに? 何か始めるの?」
とナルミが言った。アリスは苦笑気味に笑った。
「まあ、ゆっくり話すよ。とりあえず帰ろう。わたし、まだちゃんと寝た気がしないんだ」
とアリスはムツキをおぶい直して歩き出した。
高い秋の空の下で、鳶の声が鋭く響いて消えて行った。
○
大きな港に、いくつもの船が停泊している。漁船もあれば交易船もあるようだ。無論、客船もあり、それらも等級によって大小や装備の良し悪しが変わるらしい。
ブリョウは群島部に首都を置いているが、大陸にも領土がある。キータイやティルディスなどの他国の文化が交じり合ったブリョウ大陸部は、群島部とはまた違った独特の雰囲気にあふれていた。
「……遅い」
港の端の方に広場があって、モニュメントらしき石の造形物が立っている。その前に女が一人腕組みして立っていた。茶色い髪の毛をセミロングに整えて、頭には銀飾りのついたトラベラーズハットをかぶっている。弓を携えているところから狩人か冒険者の類であろうか。
人待ち顔でしばらく立っていた女だったが、やがて諦めたらしく、広場に面する酒場らしき店のテラス席に腰を降ろした。さっきまで女がいた所が見える場所だ。店員がやって来た。
「ご注文は」
「麦酒。それから何か適当に軽いものを」
女が麦酒を飲みながら椅子の背にもたれていると、モニュメントの所に魔法使い然とした女がやって来るのが見えた。薄紫の癖っ毛を三つ編みの二つ結びにしている。頭にはとんがった三角帽子をかぶり、大きな杖を携えていた。
しばらく魔法使いの女を眺めていた茶髪の女は、やがて大きく手を振った。
「おーい、ミリィ。こっちこっち」
魔法使いの女はハッとしたように酒場の方を見、「あーっ」と言って駆け足でやって来た。
「なんでアーネお酒飲んでるんだよう」
「お前らが来ないからだよ。アンジェとマリーは?」
「わかんにゃい。別のお店見てたし」
茶髪の女は呆れたように麦酒のジョッキを置いた。
「こっち方面に来てからはぐれる事多過ぎだろ……目移りし過ぎだよ」
「仕方ないじゃん、ローデシアと全然違うし、食べ物おいしいし。楽しいんだもーん」
「まあ、それはそうだけどさ。でも旅に出て何年経ったと思ってるんだよ……」
「二年くらいじゃないの? 店員さーん、わたしも麦酒くーださい! あと押し寿司も!」
「同じ港町だけど、エルブレンとはやっぱり雰囲気が違うよな」
「だよね。料理も全然違うし。わたし、お寿司大好き!」
「ずっと食べてるからな……また太ってないか?」
「あ、マリーだ! マリー!」
魔法使いの女が呼ばわると、エルフの女がとっとっと走って来た。銀髪を頭の後ろで束ねて、肌にぴったりつく丈の短いキータイドレスを着て、その上から毛皮のマントを羽織っている。
「おー、何だこっちにいたのかよ」
「迷わず来れたか?」
「うんにゃ、迷った。あちこちで道聞いてようやく来れたぜ」
「アンジェと会ったー?」
「会ってねぇ。なにあいつ、まだ来てねぇの?」
とエルフの女はマントを脱いで椅子にかけた。キータイドレスは体の線がはっきり出る上に、このエルフが着ているのは袖なしで、裾も膝くらいまでしかない。
魔法使いの女が顎に手をやる。
「むむぅ、やっぱりその服セクシーですにゃあ」
「動きやすくていいんだぜ、これ。ミリィも買えば?」
「駄目だろ、肉が目立つから」
「そこまでデブじゃないやい!」
いきり立つ魔法使いの女を見て、他二人はからからと笑った。
運ばれて来た蒸留酒の瓶を手に取りながら、エルフの女が言った。
「いよいよ鋼の実にお目にかかれるのかぁ」
「だな。マリーも作ってもらうんだろ?」
「もちよ! どんな剣になるのか、今から楽しみで仕方ないぜ」
「杖とか弓とかはどうなんだろうね?」
「さあねえ。それは聞いてみない事には」
と雑談をしていると、そこにぬうっと人影が現れた。女である。長い黒髪をポニーテールに結い上げ、前髪には銀の髪飾りをつけている。赤い甲冑のようなガントレットに、丈の長い立て襟コートを羽織っていた。
「待ち合わせ場所はここではないぞ……」
「うわっ」
「わ、アンジェだ! びっくりしたぁ」
「よお、遅かったじゃんか。お前も迷ってたのか?」
「違う。ギルドにいた」
黒髪の女は椅子に腰を降ろした。魔法使いの女が首を傾げる。
「ギルドに? なんで?」
「仕事を頼まれた」
黒髪の女は何となくムスッとした表情で、依頼書らしきものをテーブルの上に置いた。他三人が覗き込むように見る。
「……うわ、長くなるやつじゃん。受けたの?」
「受けざるを得なかった……わざわざわたしを捜し出して土下座までして頼んで来るんだもん」
茶髪の女が頬を掻いた。
「まあ、Sランク冒険者だからな……じゃあ島行きは延期か」
「そういう事」
「えーっ、おれ、もうそのつもりでいたのによぉ」
とエルフの女がぶうたれる。黒髪の女はふんと鼻を鳴らした。
「仕方がない。困ってる人を放って行くのも嫌だし、それにもっとブリョウの大陸部も見てみたいし」
「まあ、それもそうだな。急ぐ旅でもないし、仕事しながらブリョウ観光といくか」
「じゃあ今日はのんびりだね。ここでご飯も食べちゃおっか」
「お前もう寿司食ってんじゃん」
「これはおやつですぅ!」
「だから太るんだよ……まあいいや。アンジェ、何か頼むか?」
「うん。お品書き見せて」
沖の方でほら貝の鳴る音がした。船が入って来るのだろう。
秋の風は心地よく、時折冷たく肌を撫でて行った。
第一章終了です。
書き溜め期間に入りますので、少しお休みします。
小説投稿サイトには沢山の小説がありますよ、みなさん。




