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蒼き剣のアリス  作者: 門司柿家
1章
10/30

九.刃はギラギラと光って


 刃はギラギラと光っていた。目の前に座る初老の男は、目を細めてその刀身を見つめている。

 十五歳のアリスは、緊張した面持ちでそれを見守った。男は全身から刃物のような雰囲気を放っている。かつて黒かったのであろう髪の毛は灰色で、顎と口元を覆う髭も同じだ。


 トラジ。“山断ち”の異名を持つ、Sランクに列せられているベテラン冒険者である。

 かつてゲンザに剣を頼んだ事があるとして、再びここを訪れた。

 ゲンザがいないと聞いて帰ろうとしたトラジだが、アリスが熱心に引き留めるので、では一番いい剣を見せてみろという事で、アリスは最近打った一番できのいい剣を持ち出したのだ。

 それを検分している最中なのだが、アリスの思ったような反応は見せない。

 アリスはじれったい気持ちで口を開いた。


「い、いかがでしょうか、トラジさん」

「……試していいか?」

「は、はい」


 中庭に下りた。アリスは物置から試し切り用の巻き藁を出して来た。トラジはその前に立ち、すうと息を吸い、それからふっと剣を振った。巻き藁はするりと切れた。

 アリスはぱっと顔を輝かしたが、トラジの表情は渋かった。


「……駄目だな」

「えっ」

「こいつには命を預けられん」


 トラジは素っ気なくそう言うと、剣を鞘に収めてアリスに差し出した。


「他を当たる。邪魔したな」

「ま、待ってください! どうして……」

「わからんのか?」


 トラジは呆れたように再び剣を抜くと、ひょいと宙に放った。そうして、自分の腰の剣の柄に手をやった。

 抜いた、とも思われなかった。ぴん、という甲高い金属音と共に、アリスの打った剣が断ち切られていた。無機質な音と共に、二つに折れた剣が地面に転がった。

 アリスは愕然と膝を突いた。


「あ……」

「俺の剣は特別いい剣じゃない」


 とトラジは手の中の剣をアリスに示した。確かに、質は悪くないが特別優れた仕事の剣でもなさそうだ。しかもひどく古い。

 その剣に、あっさりとアリスの剣は折られた。


「ゲンザの剣に、命を救われた。剣自体は駄目になっちまったが……代わりを打ってもらいたくて来たが、お前には荷が重いようだな」

「う……」

「俺は鍛冶師じゃないが、剣の事はよくわかる。ゲンザの剣は……こうはならん」


 トラジはそう言うと、剣を収めて立ち去った。

 アリスは呼び止める事もできず、膝を突いたまま俯いた。涙があふれ、地面に垂れた。

 うずくまり、背中を丸めて嗚咽する姉に、物陰から見ていたナルミとムツキが駆け寄った。


「おねぇ」

「うっく……うぇぇええ……」


 ムツキに背中をさすられながら、アリスは慟哭した。やるせなさと悔しさが溢れて止まらなかった。



  ○



 衛士隊の詰め所には救護室もあって、種々の医療道具が揃えられていた。それらで傷の手当てをし、薬湯を飲んだカンナは寝床に横になり、穏やかに寝息を立てていた。

 既に夜半を回り、外は真っ暗である。

 ここに来て台風は速度を上げたらしく、風は相変わらずごうごうと吹き荒れているが、雨の方は随分弱まって、細かな飛沫のようなものが時折ぱしぱしと窓を叩くばかりになった。


 黄輝石のランプの傍らで、ナルミは本を広げていた。手元には符を置いて、何かあればすぐに投げられるようにしているが、今のところ出番はない。

 カンナを狙って来ていたと思しきノロイだったのだが、この詰め所には一向姿を見せない。

 どうもアリスの持って行った剣の方が狙いだったのかも知れないとやきもきしたが、それでカンナを放って行くわけにもいかないし、自分が行ったところで大して役にも立つまいと思ったから、結局ここでアリスが戻って来るのをじれったい気持ちで待っている。

 気が散って本に集中できない。ナルミは本を閉じて、ふあとあくびをした。


「ナルミ、寝ても構わないよ」


 土間の方の椅子に腰を降ろしたミサゴがそう言った。この女偉丈夫は眠そうなそぶりをちっとも見せない。

 ナルミは首を横に振った。


「気が高ぶってとても寝てらんないよ」

「それでも横になるだけで違うものだよ」

「そうかも知れないけど……」


 ナルミはちらとカンナの寝床の方を見た。寄り添うようにしてムツキが寝ころび、ふにゃふにゃと寝息を立てている。暢気なもんだと思う。


「しかし何もないというのも退屈だな。こっちは気合を入れて構えているのに、拍子抜けとはこの事だね」

「何もない方がいいでしょうが……」


 退屈そうに剣の柄をいじるミサゴを見て、ナルミは呆れたように言った。

 アリスが衛士隊に剣を卸してからというもの、ミサゴはちょくちょく家に顔を出すようになった。

 竹を割ったような性格のミサゴはすっかりきょうだいたちと仲良くなり、ムツキを可愛がったりナルミをからかったりした。

 そんな風だから、ナルミの中ではミサゴはアリスと同様の少し面倒な姉くらいの扱いで、ミサゴの方もそれが嬉しいらしかった。


「……姉さん、大丈夫かな」

「なに、大丈夫だろう。増援も送ったしね」


 ノロイが現れない事から詰め所の方はそう多くなくて大丈夫そうだ、と判断したミサゴは、さらに三人の衛士をユウザの工房に送った。いざこちらにノロイが現れても、自分含めた数人がいれば平気だという。そこには油断や慢心ではなく自信が窺えたし、実際に、真夜中になっても眠そうな様子も見せず、しゃんと背筋を伸ばしているさまは頼もしかった。


「そういえば、今日は衛士の人も少ないんだね」

「うむ。支部長がここいらの島の衛士隊の会合でアカバネまで出かけていてね。今日戻って来る予定だったのだが、この嵐では船が出せないのだろうな。加えて魔獣が増えている影響で領海巡察に出ている隊も多いからね」

「それで別の島から戻って来れない、と」

「そういうこと。まあ、こんな時は却って海賊も動かないから、安全と言えば安全なのだよ。魔獣も自然の驚異には敵わんだろうから、あまり動きもないだろうしね」

「そっか」


 イスルギには規模は小さいとはいえギルドもあるし酒場もある。武器を求めてやって来る冒険者もいるから、何か起きた時の戦力は揃っている。

 ナルミはふうと息をついて、手の中で符をもてあそんだ。


「その符は自分で作ったのだったっけ」


 とミサゴが言った。


「うん、まあ」

「冒険者にでもなるのかね?」

「どうかな……別に切った張ったが好きなわけじゃないし」

「鍛冶師は嫌なのかい」

「まあね……父さんも母さんも、別に俺たちに鍛冶を継がせたいとは思ってなかったみたいだし」

「うん? しかしアリスは……」


 と怪訝な顔をするミサゴを見て、ナルミは肩をすくめた。


「姉さんは自分で鍛冶師を選んだんだよ。父さんも母さんも、姉さんにやらそうなんてしてなかったと思う」

「そうか。しかし、強制していないにもかかわらず、娘が自分たちと同じ道を選んでくれたら、嬉しかっただろうね」

「そうかな……」


 とナルミは嘆息した。ミサゴは首を傾げる。


「違うのかい?」

「たぶんね、父さんは剣鍛冶があんまり好きじゃなかった」

「え? どうして?」

「……いや、まあ、いいや。そうでも、姉さんが鍛冶師をやろうとしたのは嬉しかったと思うよ」


 何となく歯切れの悪い物言いにミサゴは不思議そうな顔をしていたが、あまり追及するのも憚られたのか、それ以上は何も言わなかった。

 ムツキがむにゃむにゃ言いながらカンナに抱き着いて、カンナがくぐもった声を上げた。

 風がごうと吹いて窓を大きく揺らした。



  ○



 途中から、アリスは自分がほとんど手だけになったように感じていた。

 周囲では数度ノロイの襲撃があり、鍛冶師たちは鍛冶場から逃げ出して、また衛士隊の応援も来たりして、目まぐるしく状況が変化していた。その事はぼんやりとはわかってはいたが、膜一つ隔てた向こうで起こっている事のように思われた。

 炉に実をくべてから、アリスは一度も腰を上げない。

 丸い実が四角くなり、それが薄くなって折り返され、何度も鍛錬された。

 夾雑物が叩き出され、次第に鋼の層と密度が増して行く。向こう鎚がないから時間はかかるが、その分アリスの集中力は高まった。


 最初に剣の出来上がりの姿を描いてはいたものの、打っている最中はそんな事は考えていなかった。ただ、実がこういう形になりたがっているというのを、鎚を通じて感じ、その通りに打ち上げるだけだ。

 しかし、次第に何か違和感を覚え始めた。

 おかしい。何かが足りない。重要なものが欠けているようだ。

 折り返し鍛錬は概ね終わったけれど、このまま剣の形にしても、課せられる役目を果たせるように思えなかった。


「どうすればいい……? どうして欲しいの……?」


 アリスは鞴を動かしながら、とろけたような色になって行く鋼の塊を見つめて呟いた。

 しかし鋼は答えない。まるでアリスの力量を試しているかのようだ。

 父さんならどうする? とアリスは思った。だがわからない。ゲンザはそもそもそんな悩みを抱く事さえないように思われる。

 ふと、小さな声が聞こえた気がした。

 アリスはハッと思い当たり、傍らに立てかけておいた錆びた封印の剣を見た。錆びてはいるが、まだ芯には鋼が残り、生きている。


 アリスは封印の剣を手に取り、炉の中に入れた。すると剣はまるで生き物のように震えた。

 アリスが鞴を動かして炉の熱を高めると、剣は自ら錆を振るい落とすかのように小刻みに震え、そうして実際に錆の塊が刀身からこぼれて行く。

 やがて細く凹凸だらけの刀身が出て来た。これだけでは到底剣にするには足りない量だ。だが心鉄にするならば……。


 近くで剣を振る音がした。

 ノロイのうめき声が耳朶を打った。

 衛士たちはアリスに背を向けて囲むようにしながら剣を構えている。

 もうどれくらい時間が経っただろう? ぐずぐずしている暇はない。


 アリスは封印の剣を金床に載せ、折りたたんで打ち上げた。剣の形から再び延べ棒の形へと変わる。それを心鉄にして新しい鋼の実で包み、打ち延ばした。

 意志を持つ鋼の木の実は、本来他の金属と混ぜられる事を嫌う。だが、今回は剣そのものがそれを望んでいるような気がした。

 鎚が鋼を叩き、次第に二つの鋼が一つに打ち合わされて行くほどに、それは確信に変わった。鋼と鋼は手をつなぐように柔らかく、しかしがっちりと互いをつないだ。

 一つになった鋼を細長くし、それから剣の形に整えて行く。


 今回は柄まですべて一つの鉄で作る。刀身の部分は薄くし、柄の部分は丸みを帯びるようにする。両刃の直剣だから全体はまっすぐだ。柄の部分はより分けておいた鋼を交差するように置いて打ち、一体化させる。


「……よし!」


 最後の一打ち。全体の形は整った。

 アリスは真っ赤に熱された剣を水に突っ込んだ。急激に冷やされた剣はぐっと縮んで密度を増す。しっかり打ち込まれたおかげで、刀身は反らずに中心に向かって引き締まった。


「ふはっ……」


 アリスはようやく力を抜いた。後は刃付けをして研ぎ上げればいい。

 トキワが振り向いた。


「終わった?」

「はい、ようやく……でもまだ研ぎがあります」


 気づけば屋根を打っていた雨音もしない。衛士たちはまだ警戒しているようだが、少し前から戦いの気配はなくなっていた。


「ノロイは……」

「さあ? 途中から来なくなったよ。あの錆びた剣がなくなったからかな?」


 とトキワが言った。

 確かにそうかも知れない。封印の剣が新しい剣に生まれ変わった事で、ノロイを引き寄せる何かが消滅したようだ。


「皆さん、怪我なんかはありませんでしたか?」

「何とかね。でもあの声で、少し体調が悪い感じはあるかな」

「そうですか……ありがとうございます、守っていただいて」

「いいのいいの、それがわたしらの任務だったんだし。それに、この剣がずっと光っててね、ノロイもそれで動きが鈍かったんだと思うよ」


 見ると、アリスの青い剣が淡く光っていた。そうか、ずっと守っていてくれたんだね、とアリスは口端をゆるました。

 それでアリスはホッとした心持で立ち上がったが、足元がふらつくのに驚いた。

 トキワが傍らに来て支えてくれる。


「無茶しちゃ駄目だよ、ここに来てからひたすら打ち続けてたんだから」

「ど、どれくらい経ちましたか……?」

「どうだろう。でももう夜明けが近いんじゃないかな」


 よくよく見れば衛士たちもくたびれた様子だ。


「すみません、手間取ってしまって」

「ううん、そんな事ないよ。鍛冶の事はよくわからないけど、早かったんじゃないの?」

「そう、ですか?」


 しかしゲンザならばもっと早かった筈だ、と思いつつ頭を振った。


 鍛冶場の外に出た。既に空は白んでいた。あと小一時間で太陽が昇って来るだろう。台風は抜けたらしく、まだ風が吹いてはいるものの、空は薄雲が速く流れて行くばかりで雨の気配はない。


「終わったのか?」


 コテツが大股でやって来た。不機嫌そうに顔をしかめている。


「もたつきやがって、とんだ迷惑だ」

「……なにあんた、剣なんか差して」


 コテツは腰に差した剣の柄に手をやった。


「妙なバケモンを連れて来やがったからな。自衛用だ」

「別にわたしが連れて来たわけじゃ……」

「はん、どうだか」

「喧嘩している場合じゃないでしょう」


 とトキワが呆れたように言った。

 そうだ。コテツに構っている場合ではない。鑢をかけて刃を付け、鋭く砥ぎ上げなくてはならない。


「砥ぎ場を借りるよ」

「そんな震えた手で砥げるのか?」


 アリスは怪訝な顔で自分の手元を見て、驚いた。剣を握った右手は小刻みに震えていた。

 一晩中鎚を振るい続けたせいで腕が痙攣を始めていた。集中力で抑え込んでいたものが、今になって出て来たという風である。

 力を込めるほどに手が震える。アリスは左手で必死に右手を押さえつけたが何の意味もない。


 仕事に来たと思しき職人たちが、不思議そうな顔でアリス達を見ている。それが余計に気持ちを焦らして、アリスは右の手首を左手でぎゅうと握りしめた。

 その様子をあきれ顔で見ていたコテツが職人たちの方を見て、言った。


「シガ、いるだろう」

「はあ」


 初老の職人がやって来た。


「何か?」

「剣を砥いでやれ。実の剣だ」

「へえ、アリスが打ったんかい」


 とシガはアリスを見た。アリスは小さく頷いた。

 シガはかつてゲンザと同じ工房で肩を並べた事もあったらしい。優秀な鍛冶師で、特に研磨はゲンザも褒めるくらいの腕前を持つ。アリスの事も昔から知っている男だ。


「貸してみな」


 アリスは逡巡したが、震える手でシガに剣を手渡した。シガは剣をためつすがめつして、ふむと頷いた。


「なるほど、悪くない。おとなしい剣だな」

「心鉄に、別の実が入っているんです」

「ほう……」


 シガは感心したようにアリスを見、それから剣を持ち直した。


「俺が仕上げていいのか?」


 アリスは俯いた。本当は自分で最後までやりたい。しかし事態は一刻を争うのであるし、腕の震えがいつ収まるのかわからない。本意ではないが、シガならば間違いなく仕上げてくれるだろう。


「お願いします。急いでいるので……」

「ふぅん? まあ、事情は知らんが、すぐにかかるか」


 シガは剣を携えて砥ぎ場に向かって行った。

 アリスは大きく息をついた。ホッとしたのと、悔しいのと、両方の気持ちが混じって何とも片付かない。

 コテツがアリスを小突いた。


「用が済んだらさっさと帰れ」

「済んでない。剣を受け取ったらすぐ帰るよ」


 コテツはふんと鼻を鳴らして踵を返した。

 トキワがアリスの背中をさすった。


「少し休もうか、アリス。気を張ったままじゃ大変だよ」

「はい」

「だれか、詰め所に行って状況を知らせて来て」


 衛士たちも慌ただしく動き出した。

 アリスは近場の椅子に腰を降ろした。職人たちは怪訝な顔でアリスを見、鍛冶場に入って行った。

 次第にそこいらが明るくなって来たが、アリスは急に襲って来た眠気に瞼を閉じた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公が挫折を味わいながら成長してゆくのが、いいですね。
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