転生悪役令嬢の母でございます その後のおはなし
俯くあの子に手を伸ばし、小さな背中を力一杯だきしめて。
「あなたのお名前を呼ばせてちょうだい。わたくしはあなたのママだから」
そうあの子に伝えると、ほたりとあつい雫がわたくしの手の甲に落ちました。
「レミーじゃないって、知ってたの?」
いつものレミーリアではあり得ない口調で、不安に濡れる声で。
「知らなかったわ、日記を読んで……ああ、ごめんなさい、あなたの日記を勝手に読んでしまって」
こわばる肩に額を押しつけて。
「わたくしのレミーリアは、あなたですもの。でも、違うと言うのなら、あなたのお名前を教えてちょうだい?」
「えぇ……? わ、わた、しは……ま、ママぁ……」
声を上げて泣き出したレミーリアの顔を隠すように、ヒルデルトが胸に押しつけました。
背から抱きついたわたくしごと!
そうしてレミーリアが落ち着くまで抱きしめあったあと、ずっとわたくしたちを窺っていた門番の男に『奉公先で酷い目にあって逃げ出した娘を追いかけてきた、家族で逃げるから今夜だけ匿ってほしい』と涙ながらに告げますと、同情した彼の家に泊めていただけることになりました。
家に案内されると、彼の母が目を丸くしておりましたが、男の話を聞き、レミーリアの泣き腫らした美しい顔を見て、「きれいな娘さんは苦労するもんだ」と優しく肩を抱いて家に迎えてくださいました。
なにがあったのか、誤解してくれたようです。
門番が門へと戻り、門番の母が残り物ですまないけれどスープを温めようね、と厨に行ったところで、「母上の口八丁、おみそれしました」
とずっと黙っていたヒルデルトが言いました。
「口八丁だなんて嘘はついていませんよ、ほんの少ししか」
王族を奉公先と言い換えただけですわ。
「それより、名を変えた方がいいでしょうし、あなたのお名前を教えてちょうだい?」
改めて聞くと、わたくしのかわいい娘は視線を彷徨わせて、
「はな、です」
と言いました。
はな。ハナ?
「ハニャ」
あら、なんだか違うような?
「お花、て意味、です。ここの言葉だと言いにくいでしょ、わたしのことはこれからはハンナって呼んでください!」
レミーリア、いいえハンナは、婚約が決まる前の、懐かしい快活な笑顔を見せました。
「ハンナ。すてきね」
「じゃあ私は、ギャビーと! 私の好きな冒険小説の勇者の名なのです」
「いいえ、あなたはヒークンです」
懐かしい、わたくしは密かに気に入っていた、レミーリアがヒルデルトを呼んでいた名を告げると、ハンナは大きくむせました。
「ひ、ひーくんて」
「レミ、いやハンナがつけたあだ名じゃないか。母上がおっしゃるなら」
「わたくしのことはママとお呼びなさい」
小鍋を抱えて戻ってきた門番の母に、息子が立ち上がり鍋を受け取ります。
「まあ、優しい息子さんだ。うちのにも見習わせたいよ」
「自慢の息子ですわ。ヒークンと申します」
「ヒークンです」
ハンナはうふうふと、なんだか笑っておりました。
「娘さんも、笑顔になってよかったよ」
それから。
明け方にヒークンの愛馬にカブリオレを引かせて村を出ました。
カブリオレは村で共有で使っていたものですが、乗合馬車が走るようになってしまい込んでいたそうです。
門番の母が村の女衆に話を通してわたくしたちに譲ってくださいました。
外套を頑なに脱がないわたくしたちに、彼女と息子の他所行きの服までくださいました。面倒ごとだとわかっただろうに、大変良くしてくれた彼女に、ドレスに縫い付けていた真珠を外せるだけ外し渡しました。
装飾品は王都で売られると足がつきますからね。
袋の中を見てギョッとして返されましたが、相応の礼ですと、しっかりと手に握らせました。
とりあえずわたくしの実家でも目指しましょうか。夫やら王妃に探されていたら面倒なので、情報収集しつつ遠回りしながらいきましょうか。
かわいい息子と娘と、それなりの金目のものがあれば、どうにだってなりますわ。
あちこちのんびり旅をして、半年ほど。
わたくしたちは旅芸人の一座の方々とご一緒させていただいております。
ハンナは前世でびようしの学校に通っていたそうで、髪結がとてもじょうずで、女優さんたちにかわいがられています。
ヒークンはいつも立っているだけの騎士の役です。
ヒークンが町で一座の方に騎士の役にスカウトされたご縁でご一緒することになりました。
わたくしは占い師の真似事をしております。
情報を集めるのに一座のお芝居のお客様にお話を聞いていたら、なぜか評判がよく、座長が占い師の小部屋と体裁を整えてくださって、お金を払ってお話をしてくださるようになりました。
「まあ、息子さんのお嫁さん、隣国からいらしたのね。赴任先から連れていらしたの?大恋愛ですわね、素敵ですこと。今あちらはどうなのかしら。こちらより景気がいいのねぇ。あら、それでお嫁さんは帰りたいとおっしゃってるの。そうねえ困るわよね、息子さんだって雇われですものねえ」
まったく占いはしておりませんが世間話をするだけでお客様は硬貨を置いて帰っていきます。
みなさんお話相手がほしいのね。
「いらっしゃいま……あら」
次に入ってきたお客様は、知った顔でした。
「あなた様は……お嬢様では」
鉄面皮と名高いその顔に驚きをあらわにしたその男は、わたくしの実家の辺境伯家の騎士でした。
「わたくしと知ってきたわけではないのね? どうぞおかけになって」
「はい。評判の占い師がいると、閣下の、お父上のお耳に入りまして、他国の耳目ではないかとお疑いになり……偵察に参りました」
「この辺りは辺境伯領ではないのに。さすがお父様ね。ちょうどいいわ、話を聞かせてちょうだい」
騎士によると、レミーリアはわたくしの危惧した通り、勘当により平民とされ、遡って不敬罪を適用すると第一王子が言い出し、処刑されたそうです。
わたくしとヒルデルトはレミーリアの死のショックで倒れ、そのまま死んだとヴェリーン家から伝えられ、不名誉であるからと葬儀も行わず墓所に埋葬したと聞かされ父は激怒したそうです。
死んだことにされたのはわたくしたちに都合がようございますね。
あの夜は第一王子と聖女の婚約は歓迎されたかに見えましたが、王妃が聖女との婚約は認めないと言い張り、王妃の意見を尊重する王も認めず、話は進んでいないそうです。
ヴェリーン家の養女となり、金と権力を使うばかりの聖女の評判はずいぶんと悪いそうです。
元夫も頭を悩ませているとか。ほほ、いい気味でございます。
「お元気そうでなによりです。ヴェリーン家の言い分は嘘だったのですね? もしやヒルデルト様もご存命で?」
「ええ、舞台を見なかった? ヒルデルト立ってるわよ。レミーリアも生きてるわ」
「なんと……処刑も嘘ですか」
あの夜から今日までの話をして聞かせると、鉄面皮は怒りに染まり、驚き、一座にいる理由に至ると呆れを滲ませました。
表情豊かな鉄面皮ですわ。
「そろそろ舞台もおひらきね。もうここも終わりの時間よ」
「では私はこれで。閣下にお嬢様たちの窮状、必ずお伝えします」
「困ってはいないけれどね。ちょっと、お代いただける?」
立ち上がり深く礼をした騎士にてのひらを向けると、
「私の財布ですお使いください」
と悲しげに財布を置いて去っていきました。
長く話し込んだお代がないと座長に怪しまれるかしらと思っただけで困窮してるわけではないのだけれど……あいかわらずお優しい人。
金貨を一枚お代に抜いて、財布はわたくしの懐に預かっておきました。
数日後、占い師の小部屋にやってきたのはお父様でした。
いろいろ話をすり合わせた後、舞台終わりの息子と娘を会わせると男泣きに泣いておりました。
ヒークン、ハンナも祖父との再会を喜んでおりました。
3人で話し合い、辺境伯領で暮らすことに決めました。
「平民として暮らすにしても、お祖父様の領地のほうが安心だもの」
「しかしだ、うちの騎士がレミ……ハンナの母に結婚を申し込みたいと言うておる。平民ではなく騎士爵の娘になるのはどうだろうか。レ……ハンナのような美人が平民として暮らすのは心配でたまらん。ほれ先日来た騎士だ、おまえがいいと言えばよいと言ったのだが、どうだ」
お父様、それはこの場で言うことでしょうか。
こどもたちがきゃあと黄色い声をあげております。
「あれはずっと独り身でな、若い頃におまえに心を捧げたのだと言うておったぞ」
あの頃の、わたくしの片想いではなかったのか。
娘時代の淡い思い出が次々と蘇ります。
「ママ、どうするの?」
まずはお財布をお返しして。
息子と娘も愛してくださると確信できたら、お受けいたしましょう。
ハンナ「ひ、ひーくんて!笑っちゃうよお」
門番の母「真珠一粒でもじゅうぶんなのにこんなにじゃらじゃらと、ひい」
駆け足になってしまいましたが、その後のお話書いてみました。
読んでくださってありがとうございました!
里見しおん