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大陸暦1971年――姉と妹1


 (かか)えていた木箱を荷馬車に置いて、私は息をはいた。

 額に浮いた汗を手で(ぬぐ)うついでに、目を隠すほどに長い前髪を横に()ける。だけど、真っ直ぐで細い髪質の所為か、前髪は手をのけるとすぐに元の場所へと戻ってきた。それを少しばかりうっとおしく感じながら視線を横に向ける。

 壁区(へきく)の境目あたりにあるこの壁近(へきちか)の倉庫には、数人の男たちの姿がある。その誰もが木箱を運んだり、帳簿をつけたりしてたりと忙しそうだ。

 疲労のせいか、ついそれをぼんやり見てしまっていると、後ろから「アルバ」と凄みのある声で呼ばれた。振り向くと遠くで、強面で大柄の男がそばの木箱を指している。

 あの人はここの仕切り役――監督だ。名前は知らない。俺のことは監督と呼べ、と言われたからそう呼んでいる。


「これも運べ」

「はい!」


 小走りに駆け寄ってから、かがんで木箱に手をかける。それから持ち上げようとして、腕の骨が(きし)むのを感じた。木箱自体は先ほど運んだものと同じく、子供の私でも(かか)えられる大きさではあるけれど、重さはこちらのほうが格段に上だった。おそらく木箱一杯に品物が入っているのだろう。


「無理なら言えよ」

「はい」


 監督はそう言ってくれるけれど、それに甘えるわけにはいかない。私が担当しているのは、ここでは小さめの木箱ばかりだ。これが運べなければ仕事にはならないし、もしかしたら最悪、役立たずとしてお役御免になってしまうかもしれない。それは、困る。だから重かったり、手や腕が痛いぐらいで泣き言は言っていられなかった。

 私は深呼吸すると、気合いを入れて木箱を持ち上げた。


「今日はそれで最後だ」

「……はい!」


 辛うじて返事をしてから、歩き出す。重さで木箱の角が指に食い込んで痛みが走る。それを歯を食いしばって耐えながら、なんとか荷馬車へと積み終えた。

 私は肩で息をしながら、休みたい気持ちを抑えてすぐに監督のもとへと戻る。

 監督は倉庫の隅っこで私を待っていた。


「今日の分だ」


 その言葉を合図にして、私はいつものように手のひらを見せた。監督はその上に小さな硬貨を三つ落とす。それをマメだらけの不恰好な手でしっかりと握りしめてポケットの中に収めていると、監督がまた手を差し出してきた。


「あとこれやる」


 その無骨で大きな手のひらの上には、丸い包み紙が置かれている。

 賃金以外のものをくれるのは今までになかったことで、私は思わず監督の顔を見てしまう。すると監督は強面の顔そのままに、早く取れとでも言わんばかりに(あご)を上げた。

 馴染みのない状況に戸惑いを覚えながらも、それを受け取る。そして包み紙を開いてみると、中から青くて丸いものが現れた。


「飴、ですか?」

「あぁ。一つで悪いが」


 そう言って監督は眉根を寄せた。強面の顔がさらに怖くなる。なんというか、やっていることと表情が噛み合っていない。それがなんだかおかしくて笑いそうになったけれど、流石にそれは失礼かなと思って、口端が上がるぐらいに(とど)めた。

「ううん。ありがとう」





 倉庫を出たころには、空はすでに暗くなり始めていた。

 いつもならもう、これぐらいの時刻には家に辿り着いている。でも、今日は搬出する荷物が多かったのもあって、終わるのが遅くなってしまった。

 急いで帰らないと――私は足を早める。日が落ちかけて気温が下がっているのか、もしくは冬期に入ったからなのか、肌を撫でる空気がいつもより冷たい。私は先ほどまでの労働で体が温まっているから寒さは感じないけれど、道端に立ち止まっている人はみんな、寒そうに肩を縮めている。

 待っているほうは、寒いよな……。そう思いながら、上着のポケットに両手を入れる。すると指先に冷たく硬いものが()れた。先ほどもらった硬貨だ。


 私が、あそこで働くようになってから、もうすぐ一年が経つ。


 一年前の今ごろ、私は仕事を探して壁近(へきちか)中を走り回っていた。だけど全然、仕事が見つからなくて、途方に暮れていたときに行き着いたのがあの倉庫だった。

 そこでたまたま、監督と男たちが倉庫の近くでタバコを吸いながら『人手が足りない』とぼやいていたのが聞こえた私は、なんでもするので雇ってくださいと頼み込んだ。

 そんな私を周りの男たちは笑い飛ばしたり『子供は使いものにならない』と追い返そうとしたけど、その中でも一番の強面だった監督だけは『事情を話してみろ』と言った。

 私は雇ってもらいたい一心で、正直にそれを話した。すると監督は『子供だから大した戦力にもならないし金も多く払えない。それでいいなら雇ってやる』と言ってくれたのだ。そして『それと荷物の中身は詮索するな。したらどうなるかわからんぞ』と釘も刺してきた。

 だから私は未だに、監督たちがどういう人で、なにを取り扱っているのか知らない。

 だけど脅しのようにそう言ってくるということは、監督たちも、商品も、まともでないことは間違いないだろう。それぐらい、子供の私にだって、わかる。


 でも、そんなこと、私にはどうでもよかった。

 たとえそれが法に()れるものだとしても、もしかしたら誰かを不幸にしているものだとしても、私にはそれを気にかけている余裕などない。監督たちが犯罪組織で、私も手伝うことで犯罪の片棒を担いでいたとしても、構わない。

 大事なのは、仕事があることだ。

 仕事さえあれば、日々を食い繋ぐことができる。

 あの子を、食わせてやれる。

 今の私には、それが全てだった。


 足をさらに早める。重いものを運んだのと日々の肉体労働の積み重ねで、体中どこもかしこも痛い。足を動かすたびに、筋肉が引きつるのを感じる。それでもあの子の顔が早く見たくて、足をひたすら動かす。

 やがて、見慣れた分かれ道が見えてきた。思わず頬をあげながら分かれ道を左へと曲がる。すると、家の隅っこで座り込んでいる小さな人影が見えた。


「ライナ」


 私の呼びかけに、小さな人影がこちらを見る。


「おねえちゃん」


 そして笑顔を浮かべて立ち上がると、こちらに走り寄ってきた。

 私はポケットから手を出して、妹を抱きとめる。


「おかえり、おねえちゃん」

「ただいま。ごめんな、遅くなって。寒かっただろ」

「だいじょうぶだよ」


 胴に抱きついたまま笑顔で見上げてくるライナの頬は赤かった。私はその頬を両手で包みこむ。手のひらから伝わる体温は思った通りに冷たい。それをポケットに手を入れていたお陰で、幾分か体温が保てていた手で温めてやる。


「おねえちゃんの手、あったかいね」

「なんたってお前のために温めておいたからな」

「ライナのため」


 えへへ、と嬉しそうにライナが微笑む。

 その顔を見ているだけで、疲労した体が癒されるのを感じた。


「さ、お腹すいたろ。待ってろ。すぐにごはんを作ってやるから」

「うん」



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