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少女と青の聖女  作者: 連星れん
06

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21/66

大陸暦1971年――治療


 ユイさんは私を暖炉の近くまで誘導すると言った。


「診察と治療をするので下着以外、脱いでいただけますか?」


 私は思わず自分の右腕を掴んでいた。脱ぐことが嫌だったわけではない。この服を捨てられないかと心配になったからだ。

 あの日から私は服を着替えていない。だから服自体も汚れているし、右腕にもまだ、ライナの変色した血が染みついたままだった。

 ユイさんはそんな私を見て、わずかに眉尻を下げる。


「捨てたりはしませんから」


 そう優しく言われて、私は羞恥を感じた。こんな血痕を――ライナが最後までこの腕の中にいた痕跡を、私が心の拠り所にしていることにこの人は見抜いている。

 でも、捨てられないとわかって安心もしたので、私はユイさんの言うことに従った。

 上のボタンを外して脱ぎ始めると、ユイさんはなにも言わずに補助してくれた。私に了承を得るまでもなく、一人で脱衣が難しいと判断したのだろう。

 その判断は正しかった。私が着ている上着は頭から被るタイプのもので、実際、怪我で腕が自在に動かせない今、一人で脱ぐのは難しかったから。なので私は大人しく、ユイさんの手助けを受け入れた。

 そうして上下を脱いで、私は下着一枚だけとなった。

 まだ胸もないし下着も下しか身に付けてないので、文字通り本当に下着一枚だ。だからほとんど全裸に近い状態になってしまう。同性とはいえ他人に裸を見られるなんて状況、普通ならば恥ずかしく感じていただろうけれど、今日は全身が腫れたり(あざ)だらけだったのもありそんな感情は湧いてこなかった。

 ユイさんは自身の腕にかけていた私の汚れた衣類を、ためらいのない様子でたたむと、それを机の上に置いた。それから「座ってください」と手でソファを勧めてくる。

 それには私も首を横に振った。


「立った、ままで、いいです」


 何日も(きよ)めていない体で――いやそもそもあれから何日経っているのかもわからないけれど、ともかくにもそんな体で綺麗なソファに座るのは流石に無理だった。


「なにを言っているのですか。立っているのも辛いでしょうに」

「だい、じょうぶ、です」


 正直、ユイさんの言う通り立っているだけでも足が痛くて辛い。でも、ソファを汚すぐらいならこの痛みに耐えるほうがいくらかマシだと思えた。

 ユイさんはなにも言わなかった。ただ私をじっと見ると、やがて部屋を出て行った。

 怒らせてしまっただろうか……? そう心配になっていると、彼女はすぐに戻ってきた。その手には小さな椅子が持たれている。

 ユイさんはそれを暖炉のそばに置くと言った。


「これなら座ってもらえますか?」


 どうやらまた、考えていることが見透かされたらしい。

 私は置かれた椅子を見る。背もたれのない、比較的簡素な木の椅子だ。ソファと違って布製ではなく、汚れても綺麗にしやすそうではある。ユイさんもそう考えて、これを選んだのだろう。

 色々と気を遣わせてしまって申し訳なく思いながら、うなずいてその椅子に腰を下ろした。それを見届けてからユイさんは部屋の隅にあった椅子を持ってくると、それを私の前に置いて座った。

 暖炉を横に、ユイさんと向かい合わせの形になる。


「寒くないですか?」

「だいじょうぶ、です」


 部屋は冬期だと思えないほど暖かく、さらにはそばにも暖炉があるお陰で半裸でも全然、寒くはなかった。

 今度の大丈夫は信じてもらえたのか、ユイさんは小さくうなずくと言った。


「痛むとは思いますが、できるだけ口を開けてください」


 言われたとおり口を開けると、喋っているときと同じく(あご)のほうに痛みが走った。


「歯は……抜けていないようですね」


 口内を(のぞ)き込んでユイさんはそう言うと、顔に手を伸ばしてきた。そして押すように頬や(あご)、耳の後ろなどに()れてくる。どこを(さわ)られても痛い。けれどやっぱり(あご)が一番、痛みが強い気がした。

 顔の触診(しょくしん)が終わると、今度は腕やお腹やふとももなど腫れが酷いところを同じように(さわ)ってきた。(あご)もそうだったけれど、強く痛むところはつい、眉を寄せてしまう。その反応を見ながらユイさんは全身を触診(しょくしん)したあと、私の顔に右手をかざした。それから小さくなにかを言い始める。

 それは常用語ではなかった。聞いたことがない響きの言語だ。だからなんと言っているかはわからない。でも以前、母さんを治療してくれた星教(せいきょう)癒し手(いやして)が似たようなことを言っていた気がするので、おそらく魔法の言葉なのだろうと思った。

 ユイさんはその言葉を連ねると、最後に少し強い口調で言葉を発した。


RIBARING(リバーリング)FURAKUSYON(フラクション)


 突然、目の前が明るくなった。見ると私の顔にかざされている彼女の手から、光が生まれている。その眩しさに目を細めていると、ふいに顔の所々に痛みが走った。骨が(きし)むような、肉が(うごめ)くような、なんとも形容しがた痛みがする。


「痛みますでしょう?」ユイさんが静かに言った。「痛むのは損傷した組織が元通りになろうとしているからです。そしてそれは損傷が大きいほど強くなります」


 顔の痛みがおさまると、今度は私の胸へとユイさんの手が移動した。

 すると、手から生まれている光が細かな粒子となって私の体に吸い込まれていく。先ほどは顔に手が近かったのもあり、眩しくてこの光景は見えていなかった。

 自分の中に光が入っていく様が不思議で眺めていると、またふいに胸の左右が痛んだ。先ほどよりも強い痛みだ。


顔面骨(がんめんこつ)には(あご)を始め数カ所、不全骨折――ひびが入っていました」ユイさんは先ほどの話を続けるように言った。「それは顔だけではありません。手足にもひびは入っているでしょうし、右腕は骨折しかけてもいます。そして胸のあたりの骨、助骨(ろっこつ)は確実に何本か折れています。幸い、それが臓器までは届いていないようですが、それでも度重なる殴打で内臓も損傷しています」


 それまでどこか虚空を見つめていたユイさんの視線が、こちらを見た。


「どうしてこんなになるまで逃げなかったのですか」


 その口調も、こちらを見る目も、柔らかなものではあった。声音にもそれを責める色合いは全く含まれていない。それでもどうしてか私には、問い詰められているように感じた。

 逃げるように俯いてしまうと、ユイさんはまた私の心の中を見透かすように言ってきた。


「死んでもいいと、思っていたのですね」


 その言葉に私は思わず俯いていた顔を上げた。


「妹さんを父親から守れなかったから」

「……どうして」


 そこまで、知って。


「貴女を探す過程で調べてもらいました。すみません」


 ユイさんは目を伏せて謝罪した。

 それは考えてみれば当然のことだった。

 親の許可なく他人の子供を連れて行くのは犯罪だ。たとえそれが親の虐待からその子を救うのが目的だとしても、親が誘拐されたと訴えてしまえば連れて行ったほうは普通に罰せられてしまう。

 だからユイさんは私の事情をどこかに頼んで調べ上げて、なんらかの手回しをした上で私を保護してくれたのだろう。

 そしておそらくユイさんに付いてきていた二人や馬車のそばにいた人たちが、その手回しの結果なのではないだろうか。それならばあの青い目の女性が、全てを知っているような口振りをしていたのにも納得がいく。

 ユイさんは再び視線をあげると言った。


「妹さんが亡くなったのは、貴女のせいではありません」


 それはこれまで落ち着き払っていることが多かった彼女にしては、感情がこもった口調だった。

 まるで、私が罪を感じているのを知っているかのように。

 そして、私には罪がないのだと(さと)すかのように。

 ……でも、それは違う。


「私のせいです」


 誰がなんと言おうと、私のせいだ。

 ライナが死んだのは、私のせいなんだ。

 父さんが指輪に目をつけた時点で、気づくべきだった。

 いや、気づいていた。私は気づいていたんだ。

 なのに私がいるうちは、父さんがライナに手を上げることはないと高をくくっていた。

 ライナにもいつ手をあげるかわからないと心配しながらも、ライナにも用心させていながらも、心のどこかでそういう気持ちがあったんだ。

 そして、たとえ父さんがライナの指輪を奪おうとしても、あの子の力では大して抵抗はできやしない。奪われてそれで終わりだと思っていた。

 だから私は指輪をライナに持たせたままにしていた。

 どうせいずれ奪われるものだと思って、ライナも指輪を手放すのは嫌がると思って、それならそのときまで持たせてあげておこうとそのままにしていた。

 その結果……ライナは死んだ。

 本当にライナを守るつもりなら、あの子が嫌がってもそれを取るべきだったのに。

 さっさとあいつに渡しておくべきだったのに……。

 ライナを殺したのは父さんでもあり、私でもあるんだ。

 私が、父さんにライナを殺させてしまった――。

 視界が(にじ)んできて、私はまた俯いた。


「あのとき、ああしていればよかった。こうしていればよかった。そう後悔する貴女の気持ちはわかります。そして自分を責める気持ちも」

「わかるわけない」


 私は強く言い返した。

 この人が優しさで、そう言ってくれているのはわかっていた。私をなぐさめてくれようとしていることは――でも、それは所詮、上辺だけの共感だ。結局のところなにも失っていない人に、大事な人を奪われたことがない人に、私の気持ちがわかるわけがない。


「貴女にわかるわけがない。わかるわけ――」

「わかります」


 ユイさんは言下として言った。

 私の胸にかざされていた手が離れる。その手を追って、私は自然と視線をあげていた。

 ユイさんは私を見ていた。その顔はこれまで通り落ち着いているようでいて、どうしてか悲しげにも見えた。


「私は――叔父に家族を殺されました」


 突然の静かな告白に、私は驚いて息を呑んだ。


「そして母は、私の行動の身代わりに死んだのです」


 そこでユイさんは視線を下げると、続けた。


「私はずっとそのことで自分を責めていました。今の、貴女みたいに。そして、いつ死んでも構わないとも思っていた。私にはもう、なにも残ってはいなかったから」


 ……同じだ。

 今の私と……。

 ユイさんは一度、目をつぶると再びこちらを見た。その顔にはもう、先ほど見えた気がした悲しみなどは浮かんでいなかった。


「貴女は妹さんが死んだのは自分のせいだと思っている。だから逃げ出さずあえて不当な暴力を受けてきた。それが罰だと思って」


 ……その通りだ。

 家に戻ったのも、抵抗しなかったのも、死んでもいいと思っていたからだ。

 ライナが私のせいで死んだのなら、父さんがライナを殺したのなら、私たちは同罪だ。

 だからあえて、父さんから罰を受けてやろうと思った。

 罪深いあいつに、私も殺されてやろうと――。

 それで少しでも、あの子が受けた苦しみを……わかりたかった。


「でも、それを妹さんは望みますか? 貴女が痛み傷つくことを、貴女に死んで欲しいだなんて思いますか?」


 ライナを引き合いに出されて、私は胸が締め付けられた。

 ……ライナはいつも、私が殴られたら(かば)うように寄ってきた。

 本当は父さんが怖くて仕方がなかっただろうに、泣いてしまいたかっただろうに、それでも泣くのを我慢してその小さな体で私を守ろうとしてくれた。

 そして父さんに殴られたところをいつも、心配してくれた。

 あの子は……本当に優しい子だったんだ。

 そんなあの子が、そんなことを……。


「思わない……」


 思うはずがない……。

 頬に手が伸びてくる。

 その白い指は頬に()れると、目から溢れていた涙を拭った。


「それならば生きなければいけません。妹さんのために、妹さんの分も」


 ユイさんはそう言って、微笑んだ。

 それはほんの小さなものだったけれど、とても優しい微笑みだった。



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